2018年10月27日

仁左衛門の助六

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歌舞伎の人気コンビに「玉孝時代」たまたか時代というのがあった。
 玉は玉三郎、孝は孝夫、いまの仁左衛門である。人気はすさまじく満天下の子女が歌舞伎に殺到した。「声よし、顔よし、姿よし」の片岡孝夫の右にでる二枚目はいなかった。玉三郎の若き頃の色艶も神秘的な魅力を秘めて、このコンビは不動の評判をえていた。

 あれから半世紀、孝夫は片岡仁左衛門を襲名し歌舞伎の伝統を支え、玉三郎は舞踊を中心に時に演出の仕事にも携わって今日を迎えている。
 その仁左衛門、玉三郎の出演する歌舞伎座芸術祭公演をみた。夜の部といっても4時半開演なので、昼間から軽井沢を出立しなければならない。

 まず始めは「宮島のだんまり」、パントマイムのような歌舞伎独特の表現がおもしろい。波幕のまえ、ホリゾントを黒幕にした夜の闇まえ、そして宮島の社のまえ、判りやすい道具環境のなかで演じられる無言のスローモーションは、若手が頑張って演じていて、楽しい一幕。

 二番目の「吉野山」は玉三郎のだしもの、玉三郎の静御前と勘九郎の狐忠信が芸の細かさをみせる。清元と竹本、静と動との音楽の対比がからんで、ドラマが進行するところが面白く、終盤花四天がからんでの所作タテも、争いを段取りの殺陣でみせる歌舞伎ならではの表現。

 そして待望の「助六」、成田屋の河東節助六とは違い、長唄の助六もまたひとつの風情である。仁左衛門の助六は、いかにも二枚目の助六で男前の優雅な助六に仕上がっていた。とかく江戸っ子はこれみよがしの助六を嬉しがる傾向にあるが、たまに仁左衛門のような上品なもて男もいい。片岡仁左衛門による助六もこれで見納めかと思い、思い過ごしであってほしいと江戸吉原のむかしを楽しんだ。

 ブリッセルに住むほとんど外人の日本人を同伴したのだが、日本知らずの日本人はひどく感激していた。帰国のたびごとに歌舞伎を見るのだが、いまいち判らなかった。私のなかの歌舞伎では、今日はいちばん楽しく面白くよく判った、ありがとう、シアワセの一日でした。という感想がかえってきた。

posted by Kazuhiko Hoshino at 14:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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