2019年01月25日

福笑いとお笑い講

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 お正月の遊びに「福笑い」というのがあった。
 大きな紙におかめさんの顔が印刷してあり、その顔には、眉や眼や鼻、口がなかった。目隠しをして目や鼻や口を手探りでおいていく、という単純な遊びだったが、外の風が強くて凧あげのできない午後には、こたつのよこにみんな集まって楽しい遊びだった。おかめさんそっくりのお手伝いさんも一緒に笑って楽しんでいた。
 何時の頃からかなくなってしまったが、聞けば人の美醜にかかわることなので、それを笑いにしてはいけないと、昔の辻元さんのような人によって、潰されてしまった、と嘆いている人がいた。ついこの間までは日本人もおおらかで楽しかった。

 山口県防府の台道というところに、800年も続いているお笑い神事がある。
 僅か20軒ばかりの農家の長男によって伝えられてきた。その日小俣八幡宮に集まった講の者一同、お祓い、拝礼、直会についで笑い講となる。榊の枝をかざし、まず旧年の収穫に感謝して「ひと笑い」、次に来る年の豊作を祈ってもう「ひと笑い」、三度目は一年の苦しかったこと悲しかったことすべて忘れて穢れをはらうために「ひと笑い」、三度の笑いを次々と奉納し、次のひとに渡していく。そして全部の家の笑いが終ったところで、みんなで「大笑い」となる。目出度く笑い納めてご神事は終わる。
 古代人は神に笑いを納めて神の住む世界を豊かにし、神から笑いを返してもらって、下界をも豊かにしていただくという想いがあったようだ。

 防府ではこの祭りを起爆剤に「お笑い体操」を開発し、「お笑い講世界選手権」をひらいている。
 今年の笑い講最年少出場者は満4歳の少年だったとか、今年はアフリカから笑い講にきたとか、お笑い少女隊のグラビア化とか、田舎の小さな民俗行事を町の観光に役立てている。
 政府同志の定例行事G20やらにわりこんで、町民にとっては混雑だけの迷惑行事に、お金と人を使っている軽井沢とは大きな違いである。

 笑い講の団扇には、「感謝の笑い」「祈りの笑い」「再出発の笑い」と書いてあった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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