
思い出の昔ヌードに始まり、今風ギャルのおっぱい写真に終わる。
中味は病気のはなしと、死ぬ前にやっておくことの、お節介な記事ばかり。近頃の男性向け週刊誌の構成である。造っている編集スタッフに恥ずかしさがないというところが、最近の出版社のスバラシイところだ。
それでもちょっぴり気がさすのか、奈良興福寺の坊さんが説く「特別紙上説法」などというページが取って付けたように存在する。読者に詠ませたいというより、自分自身に読みきかせたいのだろう。
アンチ・エイジングという言葉がはやっている。確かに若さはすばらしいのですが、人間に限らず生き物はすべて日々歳をとり、老いく存在。
それ故、アンチ・エイジングなどという呼びかけは自然の摂理に反している。
「老い」には昔は成熟という意味がこめられていたが、最近では老いを「若さの喪失」ととらえる風潮がある。商業主義の犠牲で、発毛剤の宣伝にやっきになったり、高いカツラをうりまくったり、シワ伸ばしの高級クリームでにっこりしたり、朝から尿漏れパンツのコマーシャルが流れ、うんざりする。寄ってたかって「老い」を商売の対象に仕立てあげている。老いたる人間にこんな失礼なやり方はない。
坊主の説法を読んでいるそばで、テレビから湯水のごとく「老いの商売」が攻めてくる。
不老長寿は確かに人間の夢だったけれど、医学の発展で長寿のほうだけが達成され、不老のほうはいっこうに解決されていない。長寿だけが達成され、不老がおいてけばりなので、アルツハイマーやら、高速道路の逆走が話題になるのだろう。
人間をバランス良く生きさせない現代科学に責任があるのかもしれない。思考を失い記憶を喪失したとき、自然に肉体が消滅するといったリアルなバランスを科学が失っているのだ。
坊さんも「死を忘れた生は傲慢です」といっている。