2019年08月11日

家元・海老蔵のこれから

市川流.jpg

 酷暑のシブヤにいってきた。市川流三代襲名披露が8月3日から12日まで13回にわたって上演されたからだ。
 いままでの家元襲名披露といえば、まず国立劇場か、歌舞伎座に於いて、せいぜい3回公演ほどの日程だった。その恒例を破って、シアターコクーンというB級劇場での13回公演におよんだのは、いかにも海老蔵らしい選択だった。
 コクーンという劇場は面白い劇場だが、劇場の格として一流ではない。いわば実験劇場としての役割をになった中劇場である。客席と舞台の距離の近さからいっても、出演者の芸をじっくり味合う劇場なのだ。それ故あの空間を選択した海老蔵には、よほどの自信があったのだろう。

 その上襲名披露の長期化は歌舞伎においては当たり前のこと、歌舞伎座で一か月、または二か月、その後名古屋、京都、大坂、博多などで一年、二年にまたがることもある。ただ日本舞踊に於ける長期公演は珍しい。祇園井上流のみが明治の始めから、都をどりに名をかりて150年に及ぶトラディショナル・ダンスを成功させてきた。戦後先代の吾妻徳穂が「あずま歌舞伎」の名のもとにヨーロッパにおける長期公演を試みた例があるのみだ。舞踊協会もいろいろと努力しているようだが、なかなか舞踊家のプロ化は進んでいない。

 今回の市川流三代襲名披露を10日間にわたってやったということは、ある意味流派の商業化をねらったのかもしれない。新たに家元になった海老蔵の今後の舞踊活動に注目していきたい。
 当主海老蔵を中心に、叔母の市川寿紅、妹の市川翆扇、娘の市川ぼたん、息子の堀越勘玄と、一家揃い踏みの披露は梅沢冨美男一座の公演と変わらないにほんならではの興行形態だった。
 舞踊界の多くが予想していた市川翆扇の家元襲名ではなく、海老蔵の家元襲名には多くの関係者も驚きをかくさなかった。このところ進境著しく活躍していた市川翆扇が家元にならなかったのは何故か、團十郎襲名を前にして市川流は妹にまかせ、海老蔵は宗家として流派を総覧したほうが、はるかに良かったのではないか、そんな声も聴こえた客席だった。

posted by Kazuhiko Hoshino at 17:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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