2020年02月20日

伊勢おはらい町の恩讐

伊勢おはらい町.jpg

 江戸時代のような大規模な伊勢参宮はなくなったが、「一生に一度はお伊勢参り」を志す日本人はまだまだ大勢いる。
内宮、外宮の神域には自然に抱かれた神道思想の環境が充分にととのえられていて、あらためて日本人の精神に内在する原風景がみえている。
そうした伊勢参宮のもうひとつの魅力は、内宮入口の左手にある「おはらい町」と「おかげ横丁」に尽きる。

 そこには伊勢門前町の歴史の横顔が見えるし、そこに集まった庶民の暮らしぶり、賑わいの楽しさがあからさまに体感できる。
580m、56件、140棟の街並再興には並々ならぬ汗と涙が費やされた。
 信州にも同じような村落再興はあったが、かっての修景に力を致すほうに力がそそがれ、今の暮らしにフィットさせる努力はすくなかったのが木曽路である。

 かって御師町であった街並みにとらわれず、伊勢らしい和風のまちなみにしようと、切妻や入母屋造りの妻入りを軸にして伊勢造という基本の建築様式をとりいれた。そのうえでそれぞれの家業に合うようにレイアウトした。伊勢の文化に残したいものは「おかげ横丁」にあつめた。
おかげで「すし久のてこね寿司」も「ふくすけの伊勢うどん」も豚捨も見事に繁栄した。

 こうした伊勢復活の先頭にたったのが「赤福」の浜田益嗣会長だった。みずから5億円の寄付をし、それを基金に100万から3000万の貸付、金利2パーセント20年という低利融資を実現し、おはらい町の人々におはらい町の繁栄を約束して町ずくりを進めたのだ。結果見事に伊勢門前町は賑わいを取り戻し、年度ないにすべてのお店は債務ゼロになった。
 この立役者の浜田さんがこのほどすべての役職をやめ、隠居に追い込まれた。グループ企業の造り酒屋がヤクザの代紋いりの焼酎をつくり、納品していたということが発覚したというのが理由である。10年前に暴力団から発注をうけ、納品したというのは事実だが、町衆のためにドンダケ尽くした優位の人材を排除することが正しいことだろうか。ペナルティを課し、これまで以上に伊勢おはらい町とおかげ横丁のために働いてもらったほうが、遥かにいいのではなかろうか。
 形式的な罰則に振り回されて、貴重な人材を失うのは余りにも残念である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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