2020年10月31日

名門ウォルドーフ・アストリアの内実

ウオルドーフ・アストリア.jpg

 N・Yのウォルドーフ・アストリア・ホテルは筆者と生まれた年が同じ。1931年にエンパイア・ステート・ビルのあるダウンタウンから引っ越してきた。 パーク・アベニューの49丁目と50丁目の間に威容を誇っている。アールデコ・デザインの典型モデルとしてアメリカの歴史的建築物に指定されている。
 マリリン・モンローのケネディ大統領との恋は、このホテルが舞台だった。
 エリザベス・テーラーも、フランク・シナトラも、マフィアの大親分ラッキー・ルチアーノもみなこのホテルと共に暮らしている。

 ミューカルが脚光をあびた60年代から70年代、筆者のブロードウェイ通いもこのホテルからだつた。毎年12月中旬から年末大晦日までブロードウェイの劇場を見歩いた。その年のヒット作品、切符は2年先までソールド・アウトといわれていても、ウォルドーフ・アストリアのコンシェルジュは必ず取ってくれた。
 昭和天皇から各国元首、アメリカ歴代大統領まで宿舎としていたホテルのコンシェルジュには、ブロードウェイへの絶対的チケット確保のルートがあったのだろう。 いつもホテルの金枠の封筒に入ったチケットを軽いウインクとともに渡してくれた。チップは50ドルのこともあったし、100ドルのこともあった。
 コールポーターの弾いていたピアノのあるピーコック・アレーで、前夜の舞台を思い出しながらとる朝飯が楽しかった。新しい年とともにラスベガスにとび、ニューヨークで冷え切った身体を温め、ショーを見て東京へ帰るのが、年中行事だった。

 あのウォルドーフ・アストリアが東京日本橋に出来ることになった。三井不動産の高級化路線として、マンダリン、リッツカールトン、フォーシーズン、ブルガリに次ぐ計画というが、心配もある。
 2014年にウォルドーフ・アストリアは安邦保険集団という中国の国営企業に買い取られた。
 三菱地所のロックフェラー・センター買収に比べられ、当時のアメリカメディアの話題となったが、以来機密漏洩を心配してアメリカ政府は、アストリアから国連大使公邸をひきあげ、大統領も使用しなくなった。いまアストリアを利用しているのはアフリカの中国系小国ばかりになっている。
 日本にウォルドーフ・アストリアが出来るのは結構だが、中国の情報採取ホテルであっては困るのだ。

 

posted by Kazuhiko Hoshino at 13:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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