
秋篠宮家の長女眞子さまの「お気持ち」の文書発表を見て驚いた。
そこには皇室の一員として生きてきた生い立ちへの認識がまったく見られない。将来天皇になられるかもしれない弟宮への責任感もない。
平凡な一般家庭に育った娘が発した結婚願望とまったく変わらない文章がつづられていた。
この文章を平然と発表する宮内庁は勿論のこと、こんな娘に育てた環境の無責任さには暗澹たる思いを抱くのみだ。
自分自身が皇室という日本人全体にとってかけがえのない存在の一部だということへの意識がまったく見られないのだ。
キリスト教というミーイズムの学校に学ばれてこんな娘になったのか、自由に本人のいいようにというよく言えば個性主義の家庭環境か、皇室学をきちんとレクチャーしてこなかった宮内庁官僚の責任かわからないが、いずれにしても「幸せな時も不幸せな時も寄り添え合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と結婚への変わらない思いを示された、と発表にある。
皇嗣殿下家の長女として皇室について考えが及ばないのはたいへんに不思議なことだ。国家神道の箍は敗戦とともにはずれ、宗教上の責任は免れたが、倫理的、道徳的な日本国統合の象徴として絶えずわすれてはいけない規範がある。その規範に照らして「小室圭とその母の振舞い」がふさわしくないという想いに至らないとすれば、「暗愚の姫」といわれても仕方あるまい。
天皇の姉になるかもしれない立場に、ついてまわるのは日本人の道徳規範にあわない悪しき噂なのだ。
GHQ司令部が画策した日本からの天皇制排除が、昭和天皇の人柄によって維持の方向にかわったにもかかわらず、半世紀たったいまこうした眞子さまの生き様によって、天皇はいらないという思いが国民の間に広がったら、この国は取り返しのつかない不幸に見舞われる。
世界で唯一の天皇をいただく日本人の喜びは雲散霧消してしまうのだ。