
買物マニュアの女子アナと、生活感のない金髪青年が、朝のテレビでワイワイやっていた。
老人社会になって「買い物弱者」が増え、大変だというのが話題の中心、そこに山間僻地の移動スーパーが登場し、これこそ買物弱者への助け舟という結論のようだった。
昭和の頃はそんな心配はいっさい無用だった。
日々午前中に、勝手口へいろいろな人がやってきた。
「コンチワー、今日の御用は?」「そうねぇ、…お魚は」「身のしまったブリがはいってますが、刺身でも煮魚でもいけます」
「コンチワー、米やでーす。」「あらお米は足りてるんじゃないかしら…」「いえ、そろそろお正月なで、お餅の御用を…お鏡の数と伸し餅を」
お肉屋さん、豆腐屋さん、八百屋さん、師走の音が近ずくと町内の鳶のひとまで門松やお飾りの数をたしかめに勝手口へきた。
子供心に勝手口というのはそうした御用聞きの人達のためにあるものとおもっていた。
時が進んで、あらゆるインフラが整っている筈なのに、日常生活が営めないそんな世の中になっていることが不思議だ。
御用聞きという老人にも健常者にも優しいシステムは何処かへ消えてしまった。スマホやパソコンでは役にたたないことが沢山ある。
目先の利益ばかりを追いかけているうちに、足元がみえなくなっているのだろう。
昭和の御用聞きは、街の情報から季節の移ろい、冠婚葬祭いろいろな情報とともに老人の体調まで案じてくれ、ときにはお医者さんを呼びに行ってくれた多機能で心のかよった訪問者だった。買物弱者だけでなく、生活弱者にとっても、御用聞きは有難い存在だった。