2021年03月09日

橋本聖子と山田真貴子

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 橋本聖子がもてはやされ、山田真貴子が消えた。
 こんなバカげたことが横行するのが、この国の政界だとすると絶望的な気分になる。

 橋本聖子はかってオリンピックを私物化し、数年に渡ってその席を占有し後輩たちの芽を摘んできた。スケート、自転車の競技世界で彼女が座り続けたために、オリンピックを諦め選手生活を断念した後輩たちが沢山いた。彼女が出現するまえは、オリンピックという頂点にたった選手はそこで一線をひき、後進の育成にまわるという不文律があった。それを無視し自己の欲望のため何年でも出場選手の席を私物化したのが、橋本聖子であった。
 その橋本をレジェンドとか美名をつけてもてはやすにが無責任なメディアである。
 選手団の団長になるや、選手にハグをせまり、キスを強要する欲望まるだし性欲過多の団長で、みなが迷惑した。
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 山田真貴子は早稲田法学部で学んだのち旧郵政省にはいった。早くからコミュニケーション能力が高く気配りのできる官僚として注目された。    
 総務省に改変されても郵政出身というハンデや私大出という弱みを克服して総務審議官というナンバー2にのぼりつめた。
 その時、たまたまめぐり合わせたのが、菅首相のチャライ息子だ。BS・CS・地上波とデンパ獲得競争の渦にまきこまれた。電波事業は役所の許認可事業であるためどこのテレビ局も担当役員がいて、役人との接触に明け暮れた。まして東北新社のごとく下請け会社からスタートした小企業は必至の体制で免許獲得にうごいた。
 時の内閣の枢要な位置にいる大臣の倅からの招きとあれば、断れる官僚はまずいない。7万円の食事など、飲み物、サービスが付けば当然の値段でもある。

 野党の福島、辻元、蓮舫など女性議員は、鬼の首をとったように責め立て、歓声をあげるが、よりよいジェンダー社会をつくるためには、とんでもない損失だということに眼がいかない。メディアも同罪だ。
 橋本聖子がオリンピック会長になり、山田真貴子広報官が葬られて、この国のジェンダー社会はますます悪くなる。
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2021年03月07日

何故嘘をつく 小池知事

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 小池東京都知事、菅義偉首相、何故かみんな本当のことを言わない。
 コロナの感染防止について、いま感染源は不明なのが圧倒的に多いと説明しているが、実は感染源は「家庭」であり、「施設」であるというリアルなデータがあちこちで報告されているにもかかわらず「家庭」での感染防止については、ひと言も触れない。

 感染源は「家庭」にありと発言したとたん、ならば防止策はと追及されるのが恐ろしいのだろう。
 それ故、いちばん御しやすい「飲食店」に絞って、8時にやめろ、9時まで延ばしてやるといじり倒しているとしか見えないのが、小池百合子である。狙われた飲食店はいい面の皮、ピストル型温度計やら、アクリル板など次々に買い付けて店を狭くしているが、一向に数値目標は達成できない。原因は「家庭」なのに、「飲食店」に責任転嫁されているのだから当然の結果、気の毒このうえない。

 「家庭内コロナ防止策7カ条」でも作って記者会見をすればいいものを、一向にそれを言わない。家庭ごと敵に回しては、選挙に負けると姑息な根性が、飲食店犯罪説をでっちあげ、もう少し皆さん我慢をしてください、ともっともらしく記者発表しているのだろう。
 事実にもとずいて本当のことを言ってこその政治だろうと思うが、なんともお寒い政治家たちである。
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2021年03月04日

祝 ! ゆるキャラ・グランブリの終焉

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 ふなっしーに弄ばれ、せんとくんに振り回され、日本全国「ゆるキャラ」造りに狂奔した10年がやっと終焉を迎えた。
 ゆるキャラのもたらした10年とはなんだったんろう? この10年で日本人の美意識が大幅に低下したことだけは確かだといえる。「カワイイ」という女性的感覚と、幼児に寄り添う色彩趣味で、全国の自治体が縫いぐるみ作りに走ったのだから、そのエネルギーには驚く。
 ヨーロッパの大人たちは「日本ってどんな国?」「歴史のないアメリカ人がディズニーの縫いぐるみを喜ぶのはわかるけど、日本には歴史があるし、神話もあるのに何故?」答えにつまった。

 数年前のカンヌの映画祭で起こったこと。ジャパンデーのパーティの主役が、こともあろうに「くまモン」だった。
 受付は変なロボット、ステージでのアトラクションはナントカ坂の少女たち……集まっていたのは世界の映画人たち、これは子供用の第一部で、この後第二部のフォーマル・パーティが用意されているものと合点した。ところがジャパンデーのパーティは、そのコドモ・ダマシで終わってしまった。
 翌日映画祭の話題は、日本はどうなってしまったのか? 映画もなければ、映画祭への敬意もない。クロサワもオズも泣いているだろう。
 「くまモン」というゆるキャラは世界に日本の恥をまきちらした。 

 長野でも「アルクマくん」というセンスの悪い色味の縫いぐるみと、全然受けなかった軽井沢の「ルイザちゃん」、可哀そうなのは無理矢理着せられた役場の職員たち、臭い縫いぐるみのなかで灼熱の夏、厳冬の冬、子供にコビを売ってご苦労様なことだった。

 ゆるキャラ・グランプリもようやく終わって、明日からは大人のための行政をやって欲しい。幼児に媚びるのが、地方自治だと勘違いされては、正常な大人はかなわない。
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2021年03月03日

失業寸前のアマビエ様

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 江戸時代には絵草子屋が中心になって、疫病退散のアマビエ様が市中に氾濫した。
 令和の今では、アマビエ酒、アマビエチャーム、アマビエ人形、アマビエ鉛筆、京都聖護院の「アマビエ八つ橋」と百花繚乱だが、このブームもワクチン上陸とともにまもなく終焉を迎えることだろう。

 「私は海中に住むアマビエと申すもの、今から6年間は豊作が続くが、病も流行る。早々に私の姿を書き写して人々に見せよ」といって海中に姿を消した。長髪にクチバシ、体中にウロコ、3本の足という異形であった。1846年弘化3年4月のこと。
 安政5年のコロリ流行時、明治15年の疫病流行時、そして令和3年の今、肥後熊本の海に夜な夜な現れた珍種の妖怪が助け人として世の中に登場している。

 学問的には「予言獣」というジャンルに入るようだが、科学で解決できない現実にたいし、庶民がひたすら書き写すことによってご利益を得ようとする態度はヤマト民族独特の習俗のようだ。 コピーという単純な便利グッズだけではなく、いまでは3Dプリンターなどというスゴグッズまであるのだから、東急ハンズにアマビエ・コーナーが登場しても不思議ではない。
 小池百合子がコロナ重症者を増やしたり、ワクチンの冷凍庫が冷えなかったり、銀座清月堂の春のアマビエ様がとても美味しい等と、ミソクソ一緒のメディア時代に、庶民はアマビエ様の原点に回帰して、祈ることが一番の防衛策なのかもしれない。

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2021年03月01日

天皇の古代……3月の軽井沢ぶんか組

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 来実のママからの宿題で、図らずも取り上げることになった「天皇」である。
 多分きっかけは、今流行りのジェンダー問題なのだが、女系宮家やら男系天皇について論じるよりは、天皇家の成立ちと日本という国家の存在について、検証したほうが皆さんの納得が得られやすいと考え、結局日本文化の源流まで遡ることになった。

 という訳で、3月21日の軽井沢ぶんか組は「天皇の古代」が主題である。
 群馬県岩宿遺跡の発見から、従来の渡来文化説の否定に始まり、神武天皇東征の新解釈、さらにヤマト王権拡張の欠史八代、エジプトピラミッドのスケールや始皇帝兵馬俑を凌ぐ巨大古墳時代のリアル、神話を超えた「三種の神器」の存在、仏教伝来による初めての宗教戦争勃発、ヤマト王権から飛鳥時代の黎明までを辿ります。
 天皇を辿るとこの国の歴史の重さにつぶされそうになりますが、なんとか頑張って「天皇の中世」「天皇の現代」まで、やりたいと考えています。

 戦後教育のなかでもっとも軽んじてこられた「日本神話」と「天皇の発祥」について、みなさんと屈託のない議論、雑談を致したく楽しみにしています。 

<日時> 3月21日(日曜日) 14時から
<会場> Café来実(くるみ)   軽井沢東雲(しののめ)交差点そば
<連絡先> 0267-31-5110
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2021年02月18日

毎日新聞の終りの始まり

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 朝日新聞の社長交代劇に始まり、毎日新聞の資本減資が実施された。
 押し紙と左翼偏向の毎日新聞はだいぶ前から経営危機がつたえられていたが、 とうとう新聞不信の先頭にたってしまった。

 41億5000万円の資本金を1月15日の株主総会においてわずか1億円に減らすことになった。それほど赤字経営が続いてきて体力がなくなったということだろう。毎日新聞は一流企業の看板を棄て、中小企業になったということである。

 有楽町駅前にプラネタリウムとともにかまえていた本社が、半蔵門のお堀端に移った頃をはっきりと憶えている。
 アメリカ渡来のリーダース・ダイジェストとともにモダンな社屋を構え、大変な鼻息だった。それがいつしか勘違いし、左翼反日新聞に堕落したころから読者ばなれが始まり、とくに若者層からみはなされてしまった。 記者たちに愛国心がなくなり、母国を貶める記事を堂々と一面にのせるようになって識者も見放すようになった。
 文化学芸面の記者たちもかっての謙虚さを失い、尊大かつ安っぽいエリート意識のかたまりが増えてきた。

 このさい系列のTBSに拾ってもらい、TBS報道局新聞部として再出発するのもいいだろう。
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2021年02月13日

人情紙風船

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「女は話が長い」うっかり軽口をたたいたら五輪憲章違反といっせいに反対運動。
「女は化粧が長い」この場合はナニ違反?憲法違反かな?
 話が長いと、何故五輪憲章違反になるのか良くわからない。

 多数でしゃべると、ソーシャル・ディスタンスが保てないから、二人でしゃべったら「透明性」がない。
 「透明性」を保つため、まず候補者の選定委員会をつくり、しかるのちに理事会にかけて次期会長を決めます。
 会長職は「能力」より「透明性」が重要で、国民に喜んでいただける女性がいちばんです。
 内容より外形が大切な「ミス・オリンピック・コンテスト」のようでもあります。

 物言えば唇寒し秋の風………
 肺癌の身で海外出張しIOCとの折衝につくし、主催都市おんな知事さんのスタンドプレイを抑制し、政界財界とのコネクションに身を挺してきた会長へのねぎらいもなく、功績も語らないまま斬り捨てるスポーツ、五輪関係者には言葉を失う。スポーツの世界とはこんなにも薄情なものなのか。
 五輪憲章とはこんなに人間味のない空疎なものだったのか。あらためて「東京オリンピックはいらない」と思った。

 思い出したのは、昭和の初め岸田國士や山中貞夫によって描かれた「人情紙風船」である。
  
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2021年02月12日

鼻顔稲荷の初午

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 軽井沢のとなり、佐久の岩村田、湯川の崖のうえにそのお社はある。
鼻顔(ハナズラ)稲荷といい、京都の清水寺に似た朱塗りの懸崖造りである。毎年初午の日には東信州のみならず関東からも参詣の善人が参集する。昔は岩村田から500メートルほどの参道にぎっしりと屋台が並び、田圃道に突如現れた賑わいが見事だった。目の前の湯川から見上げると朱に彩られた社殿が華やかさを放ち、有り難さがました。 

 誰言うとなく、日本三大稲荷という。伏見稲荷にシモツケの門田稲荷、そして鼻顔稲荷というが、どう贔屓目に見ても無理がある。そのうち日本五大稲荷というようになった。伏見・豊川・祐徳・笠間・鼻顔である。
 調べてみると日本三大稲荷を称している稲荷は全国に十四社ある。五大稲荷を競っているのは十一社ある。日本人のささやかな競争心か、それともゲン担ぎか、どうでもいいようでどうでもよくない。
 稲荷信仰もおおもとはインドのヒンズーからという説あり、いや真言仏教という説もあり、なかには秦氏の氏神だったとか、稲作文化と結びついて今日まで命脈をたもってきた。

 スーパーのケースには「初午の日はお稲荷さんを食べましょう」と、柚子稲荷やら裏返し稲荷が積まれている。  
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2021年02月09日

朝鮮学校に補助金をだす日本

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 「朝鮮学校補助金75%減」という活字が新聞一面に踊っていた。
 えっ、未だに補助金をだしている自治体があったんだ、と逆に驚いた。
 全国64校ある朝鮮学校に、いくつかの自治体が令和元年度に2億960万円も支出していたという事実がかかれていた。
 それでも平成21年度には約8億4千万円あったのが、ここまで縮小したという記事である。

 そもそも朝鮮学校は日本にあって反日教育をしている学校であることは、証明済のこと。
 そんな学校に補助金を出す、という発想がわからない。その自治体は朝鮮総連の代理店か、某国の工作員なのかもしれない。
 補助金の原資は日本国民の税金、その金を反日学校につぎ込むのは、重大な犯罪だともいえる。
 支出している自治体は、東京都内の市町村31、、埼玉県内の市町村11、以下岐阜、長野、愛知、兵庫、大阪、京都と続いている。

 そうした自治体の言い分はほとんどが「政治と教育は別である」と主張する。
 国民は国家によって守られているので、国家への反逆行為は許されない、という視点が欠落している。
 金日成、金正日の英雄視、拉致問題無視、でっちあげの従軍慰安婦などの教育機関に補助金を出したい日本人を、国家としてほおっておいていいのだろうか。
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2021年02月07日

わきまえない女と男

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 「わきまえない女」が話題になっている。
 女に限らず男でもわきまえない人々が急増しているような気がする。
 この場合のわきまえないは、性差別のことではなく、社会に対して自己の立ち位置みたいなものについて、わきまえていないのである。
 総理、総理とさけんで、揚げ足とりをする政治家やら、社員の枠をこえてコロナ、コロナとテレビ画面でわめいて正義つらをする男、
 自国領土で豊かな国をめざせばいいのに、隣国の島々に出張ってきて横取りしようとする共産國などもわきまえない困ったちゃんである。

 わきまえない男もわきまえない女も世界にはやまほどいる。
 芸人の始まりもほとんどが「わきまえない」ところから出発する。わきまえていない芸だから付きあわされる観客にとっては迷惑な話である。
 そんなの関係ねぇと海パンで人前にでてくるのやら、駄菓子屋のフロクみたいな恰好でオシッコもらした話を得意気にする女芸人など、少しまえまでは存在しえない芸人だった。
 さすがに安いサービス盆で局部を隠す芸人は、どこかへ消えてしまったようだが、そんなものを売り出す芸能プロも、買うプロデューサーも.
すべて「わきまえないメディアの寄生虫」である。

 ラクビー協会では、外部からの理事として新聞記者上がりの女性をいれたところ、この女性のわきまえない振りにふりまわされ会長以下全員が迷惑をうけたようだが、コロナで国民全員がささくれ立っている時に、うっかり言った言葉がスケープゴートにされ、森元首相も不運な人である。

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2021年02月05日

三密業者とリモート屋

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 「三密」が流行語大賞に選ばれ、小池百合子が提唱者として登場したが、なんとなく胡散臭い。
 小池百合子の日常行動から拝察するところ、彼女はメディアに露出することがすべてで、そのチャンスにたまたま「コロナ禍」が襲ってきたとも考えられる。
 密閉、密集、密接は避けてください。コロナになります。人と人の距離を保つのは、ソーシャル・ディスタンスといって市民の義務である。
 そこで実直な国民は人に遇わない。人に近寄らない。人と集まらない。人間が生きていく根本である人に遇い、人に学び、人と共に社会を創ることを否定する。
 このことは人格否定につながる。人間の退化につながることだから、良識ある人ならば、「三密」について否定するだけでなく、問題解決の暁には三密を肯定する明日を提示すべきだろう。

 悪乗りしたメディアは。リモート会議、リモート・ワーク、リモート教育などと、人間存在の価値を否定するようなリモート業者に成り下がっている。オバカな野次馬はリモート飲みなどと浮かれているが、人と対話し接触してこそ得られる人間の魅力に気がつかない愚民の発想である。   AIやテレワークにかしずいた生活は絶望的な人間の終末でしかない。

 近頃では「外食」は止めろ、「会食」も悪い、家に閉じこもっての「孤食」をお勧めする、などと一流紙までが書いている。
 そんなに黙ってひとりで食事がしたければ、仏門に入って墓守でもしたらよかろう。
 メシを食べようというのは、メシは付けたりでゆっくりと話をしようという人間同士の暖かい交歓にほかならない。
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2021年02月01日

鬼のパンツについて

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 今年は2月2日が節分とか。
 その昔は立春、立夏、立秋、立冬と季節をわけて4つの節分があったにも関わらず、いつの間にか、節分は一度になってしまった。

 ところで鬼のパンツは何故黄色いか、について考えてみた。
 たちまちあちこちにウンチクが見つかった。
 そもそも鬼の出入り口は「北東」に決まっていた。通称「鬼門」という門である。この鬼門という鬼の出入り口を十二支に置き換えると「丑寅」の方角に当たる。そこで古来、鬼は丑(牛)の角をもち、寅(虎)の柄の黄色いパンツを履くようになった、というのだ。豆まきにドンキで買ってくるコスプレ用の安いパンツは虎の模様のパンツに限る。

 「鬼はそと…福はうち」となるが、ところによってはそうもいかない。
 「福はうち……鬼もうち」鬼を祀っている神社や、鬼塚さんちや、鬼山さんちは、鬼もうちとなる。
 さらに場所によっては、この豆まきに「ごもっとも、ごもっとも」とすりこ木棒と杓文字の合いの手がはいる。
 浅草の観音様では大きな杓文字を担いだ「ごもっとも様」が鬼の後ろに付く。

「豆」をまくのは「魔を滅す」という言葉合わせに由来するのだ。「鬼滅」ばやりの昨今、「魔滅」まきもさぞ盛り上がることだろう。
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2021年01月28日

YOASOBI が大好きな娘

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 例年のごとくサラリーマン川柳の中間発表があった。
 多いに笑ったのは🔟番の作品。 「 YOASOBIが 大好きと言い 父あせる 」  テンピ

 デスクは「どこが面白いんですか?」怪訝な顔をしている。
 これほど世代間の断絶を笑いにした秀作はない、筆者はすこしばかりの優越感で多いに笑った。

 近頃の日本語の乱れようは凄まじい。「YOASOBI」と書いてあれば、ほとんどの日本人は 「夜遊び」と認識する。従って娘の大好きな夜遊びは、淫行であって焦らない父親はいない。嫁にいくのは当分先と思っていた娘が、いきなり夜遊び大好き と口走ったら父のみならず母親もあせるだろう。
 お前の躾が悪いからこんなことになるんだ。自分の夜遊びを棚にあげて何言ってるんですか! 夫婦喧嘩が勃発して思わぬ離婚騒動を巻き起こすかもしれない。

 YOASOBIは、ボーカロイド・プロデューサーのAYASEと、シンガーソング・ライターのIKURAの音楽ユニットだが、一枚のCDも出すことなく、暮れの紅白に登場、年間第一位のチャートに駆け上がった。テレビやネットを見なければ知らなくて当然のグループである。かりに小説を楽曲化した音楽と紹介されても、そんなに優れた音楽性があるわけもなく、単純にストーリーを幼い言葉で追っかけた今風な歌だから、右から左に抜けていく音にすぎない。
 名前だけがヨコモジで本人たちはインターナショナル気分にひたっているのだろう。
 日本固有の短詩系文化が音をたてて崩れていく見本のようなYOASOBIなのだ。
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2021年01月27日

習近平ワクチン外交のカラクリ

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 習近平のワクチン外交は不思議だらけだ。
 一帯一路の加盟国を中心に、コロナ・ワクチンを配りまくっている。
 自国武漢から全世界にむけて、コロナをばらまき、何十万という人々を死に追い込んでおいて、こんどはワクチンを配布しますと、外務大臣が走りまくっている。
 重大な犯罪を犯しておいて、裏腹に善行じみた行為に狂奔する、世にいう「マッチポンプ」という行為である。
 撒き散らした細菌のてまえ、落ち着くまで謹慎するというのが世界の常識だが、一切無視してワクチン外交を展開するというのが、中国の恐ろしい処だ。

 後進国に配るほどワクチンがありながら、習近平は英国やアメリカにワクチンの買付にはしっているというのも不思議の第二である。

 情報を精査すると、「上級国民には外国からの輸入ワクチンを接種する」「下級国民には中国国内開発ワクチンを接種する」
 これってオカシクねぇ。自国製のワクチンは粗悪品であると自ら告白しているようなもの。
 習近平という政治家は、ヒトサマの風上におけない困ったオヒトだということが良く判る。
 「コロナ菌ばらまいて、マスク外交」は去る年だったが、今年は「コロナ菌ばらまいてワクチン外交」。とんでもない国家だということをしっかりと記憶に刻み込む必要がある。
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2021年01月25日

聖天様の大根焚き

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 冬の京都は大根を炊くことから始まる。
 ひとつ、ふたつではなく、京都市中あちこちのお寺さんで大根を炊き、その日訪れた信者さんに振舞う。
 江戸っ子の冬大根は、おでんの主役で出汁をしっぽりとすった大根は暖をとる食としてかかせないが、都では大根は信仰になっている。

 さて京都の大根炊きだが、あちこちのお寺さんの内、第一の大根炊きは嵯峨覚勝院「聖天様の大根供養」である。
 元来聖天様というのは、ヒンズー教の神様カネーシャという「歓喜天」のことで、人生の喜びを司る神様である。
 その聖天様が大好きなのが、酒と団子と大根で、それなくば人生の歓喜、悦楽はないというのだから、なんとも粋で色っぽい。
 白い大根は女体を想像させ、地方によっては二股大根をご神体に、子孫繁栄を願っているところもある。

 それほどセクシャルなイメージの大根だが、これを食して煩悩の毒を除き、もろもろの艱難をのりこえて、初めて聖天様の満願となる。

 大根役者と呼ばれる芝居下手の役者は結構いる。芸のこやしと称して女遊びは達者だが、肝心の芝居は下手という役者のことだ。
 近頃スキャンダル・メディアのお蔭で、芸の優劣ではなく色事で売り出したり、女房の病で売り出したり、多目的トイレの使用法で没落する世の中だが、大根役者こそ大根焚きをして、無邪気なファンにふるまったらいいのではないか。
「海老蔵の大根炊き」とか「ジャニーズの大根炊き」とか、話題沸騰すること必定である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月21日

嘘八百と個人情報の女性議員

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 個人情報の掛け声のなかで、とんでもない人々が増殖している。
 コミュニティの意識が欠落しているうえに、社会人の責任感がまったくない。地方自治体の議員に立候補するのに、居住実態のないウソの住所を登録し、ストーカーに会うからとか、個人情報だからと主張するとんでもない人々だ。

 主役はコロナ禍で閑古鳥がないている草津町の町議、新井祥子氏である。
 新井町議は草津町役場町長室で当時の黒岩忠信町長から性的暴行を受けたと、電子書籍で暴露した。即座に町長は「まったくの嘘」と全否定。新井議員を名誉棄損で刑事告発し、民事でも提訴する事態になった。

 お互いの言い分が対立するなか、事態はおもわぬ方向に転換した。
 新井議員はリコールを受け、12月6日の住民投票で圧倒的な賛成多数で議員失職。
 ところがこのニュースに反応したのが、ジェンダーギャップ大好きの海外メディア。「町長を性暴力で告発した町唯一の女性議員追放される」と英紙ガーディアンが報じ、米CNNも日本のジェンダーギャツプ指数は、世界121位であると指摘、これらはいずれも嘘でかためた韓国従軍慰安婦の影響があるが、新井前議員も外国特派員協会で「レイプは事実である」と訴えた。

 ところが町議失職の原因は別にあった。議会に資格審査特別委員会が設置され、新井前議員に町民としての生活実態がない、と判定されたのだ。新井議員は町内のアパートを住所にしていたが、大家は貸していないと否定、無論水道契約もしていなかった。委員会での彼女の弁明は「水道はペットボトルの水を使っている。」「トイレは近くの公園で済ましている」なにが悪いの、といった強弁で押し切った。個人情報に踏み込むなといった姿勢にたいし、町は「公正証書原本等不実記載」にあたるとして前橋地検に告発した。

 このホームレスのような女性議員を町長が抱いたとしたら、馬鹿馬鹿しいのでこの先は止めておこう。夜の生活はもっとも重要な個人情報の筈だから、お互い草津の湯煙りの彼方としておきたい。
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2021年01月18日

美術館生き残りを託された女性たち

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 コロナ・パンデミックのなか、世界中の美術館やギャラリーが困難に直面している。
 オンラインで工夫してやっているところもあるが、個人とアートとの直接対話を主題として成立している美術館ビジネスでは、自己否定いがいのなにものでもない。
 人的資源の確保のため、肝心の芸術資源を犠牲にしてヤリクリを続けているギャラリーも多いと聞く。

 そんな中で、いま着々と進行しているのが、美術の世界のジェンダー・バランスである。
 既に国立新美術館館長には逢坂恵理子が就任、公立の横浜美術館館長には藏屋美香、私立の森美術館には片岡真美、この4月1日から金沢公立の21世紀美術館館長としてキュレーターの長谷川裕子が就任することになった。

 開館当時、予告パーティをヴェネチア・ピエンナーレで開催するなど、話題をよんだ21世紀美術館だったが、三代つづいた男性館長では明日への展望がもてなかったのかもしれない。当初比較的安価に購入できる現代美術作家に焦点を当てたためそのごのコレクションに齟齬をきたしたのかもしれない。
 その点、始まりのコレクションにたずさわった長谷川裕子を呼び戻したことが、凶とでるか、吉とでるか。美術館にある三つの課題、美術と経営と労務管理をうまくこなすことができるか。

 コロナ下では、海外作品の出入りは不可能、ブロックバスターと言われる何十万人も動員するスポンサード展もひらけず、コレクションの再発見にたよるしか残された道はなく、女性館長による繊細なコレクション再発見こそが、勝負のしどころかもしれない。ままありがちの「母と子の……○○展」とか「……教室」的な企画にならぬよう祈るばかりだ。
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2021年01月15日

森口瑤子が瑞々しい

研ナオコ.jpg

" 風花へ しゅぱん しゅぱんと ゴム鉄ぽう  森口瑤子 2021冬麗戦大賞

 素直で瑞々しい感覚があふれている。いかにも森口瑤子らしく鼻のあたまを赤くして、降り始めた雪ん子に向かってゴム鉄砲をうっている情景が浮かぶ。
 このところ夏木先生のプレバトも空気がよどんできた。夏木好みに媚びる作品、小手先の俳句風、妙に俳人を気取った作品など、そろそろこの番組も退け時かとおもわれていたが、さすがの夏木先生、小気味よくウタヨミの原点にもどした。

 名人梅沢冨美男も、鬼才東国原英夫も、中田喜子もハッと気がついて、拍手を贈ったことだろう。

 スプレー・アートも新しい才能が登場してきて嬉しい。日向坂の高校生が見事第一席になったが、カタログ風なタッチが気になった。伊豆急のホームという環境を生かした研ナオコのデフォルメされた顔が秀逸だった。
 伊豆に春便りがきたころ、稲取、下田にスプレイ・アートを見にいきたい。
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2021年01月13日

沈没した野村萬斎

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 オリンピックの魅力も色褪せ、いまやオリンピックは開催しなくていいという人が、過半数をこえたといわれている。
 どんなに優れたアスリートも、コロナの前ではひとたまりもなく、肉体の脆さをまざまざと見せつけられ、スポーツそのものの威信も地に堕ちたというべきか。
 金メダルのメッキもはげかかっている。
 メダルを土産に芸能人になりたかったスポーツマンにとっては、悪夢の一年、いやひょっとすると悪夢の二年になるかもしれない。

 開閉会式の華やかな舞台に登場する予定だった狂言師の野村萬斎は早くも沈没してしまった。
 三間四方の能舞台しかしらない狂言師に、八万人の国立競技場の演出をまかせた方に責任はあるが、案の定えんえんと続いたのは小田原評定で、僅か7人のメンバーすらまとまらなかったというのが現実のようだ。
 あらゆるテクニックを動員して、人間賛歌をつくりだす構想力、哲学とスペクタクルの創造点に野村萬斎は立てなかった。
 集められたスタッフも小粒なクリエーターが多く、テーマの縛りがワクワクドキドキ感ではなんとも恥ずかしい。
 二の変わりのディレクターが電通の元局長さんとは、これでスポンサー対策だけは万全ですという事なのだろう。

 今この国のスペクタル・シーンはあらかたデジタルなメカニックに支配されている。映像を始め照明も音響も花火もみな技術の足元にひざまずいている。 
 そのなかでジャニーズやら、サカミチの少女やら、手垢のついたタレントが踊っている。いくらそんなものをみせられても大衆は感動しない。、
 コロナより強い肉体が集まって集団行動でもしてくれたら拍手喝采である。

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2021年01月09日

初春芝居の菊五郎劇団

四天王.png

 初春狂言のお楽しみは、国立劇場の菊五郎劇団に限る。
 女郎屋の床の間に飾れしは「アマビエ様」、ソーシャル・ディスタンスのお酌は長い棒の先についた湯桶から、興が乗って踊りだしたらNiziUの縄跳びダンス、とお約束の遊び満載、Uberイーツのピザ配達まで飛び出して、冷え切った正月を沸かせてくれた。「四天王御江戸鏑」。
 本科にもどれば文化12年からのお土砂、音羽屋のお家芸土蜘蛛の糸が舞い、なんとも文化文政の歌舞伎の楽しさを満喫させてくれた。

 渡辺綱と鳶頭の綱五郎を演じ分ける菊五郎さん、女郎花咲と土蜘蛛の精の菊之助さん、茨木婆の時蔵、近頃貫禄のでてきた團蔵、洒脱な味の秀調さん等、菊五郎劇団の面々も手慣れた正月狂言だった。

 コロナのお蔭で客席は一人置き、ロビーの獅子舞もなく、恒例フィナーレの手拭投げもなかった。威勢のいい掛け声もきかれず、正月の芝居見物として拍子抜けはまぬがれなかった。芝居小屋はお客様がいっぱいはいってこその劇場、一人置きのソーシャルディスタンスとは、まったく相いれない。
 役者衆もさぞかしやりにくかったことであろう。いっこくも早い正常な社会への回帰がまたれる。

 世間ではコロナ以前とコロナ以後と無責任なことをいっているが、悪病は何時の時代もあったもの、それを乗り越え時を超えて生きてきたのが
劇場文化なのだから、困難の時を生かし、新しい狂言の工夫をして生き抜いて欲しいものである。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする