2017年04月27日

今村バカ大臣に捧ぐ「# 東北でよかった」

今村バカ大臣に捧ぐ「# 東北でよかった」

 ★津軽三味線はロックを超えている! 「# 東北でよかった」

 ★ねぶた祭りの跳人になったことがありや! 「# 東北でよかった」

 ★岩木山を背景に三連太鼓橋「鶴の舞橋」壮大な美しさ! 「# 東北でよかった」

 ★浄土ヶ浜の朝焼けに包まれたい! 「# 東北でよかった」

 ★木地山のこけしに触れたことありや! 「# 東北でよかった」

 ★わんこそば グルメして至上の楽しさ! 「# 東北でよかった」

 ★鹿踊りは獅子舞を見下ろしている! 「# 東北でよかった」

 ★曲り家の縁先には河童がおわす! 「# 東北でよかった」

 ★金色堂は藤原文化の奇跡! 「# 東北でよかった」

 ★広瀬川のほとりに歴史の名菓「仙台駄菓子」あり! 「# 東北でよかった」

 ★七夕飾りは伊達の殿様の教え! 「# 東北でよかった」

 ★鈴木京香は仙台人、うちに秘めた美しさ! 「# 東北でよかった」

 ★相馬野馬追に戦国時代をみる! 「# 東北でよかった」

 ★会津白虎隊を見よ、義に殉じる少年魂! 「# 東北でよかった」 等々など……

 オバカな東大出身今村復興大臣のおかげで、東北再認識のキッカケができた。
 あの尊大な態度は 東大に責任ありと見た。


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2017年04月26日

浜野浦の棚田に賭けて

浜野浦の棚田に賭けて

 パリジェンヌに紹介したい日本の風景遺産を追っかけている。
 ゴールデン・ウイークをまえにいよいよ棚田の撮影チャンスがやってきた。 田んぼに水が入り、田植えが始まる前が棚田の映像化にとって一番素晴らしいチャンスとなる。 1999年、日本の棚田100選がリストアップされたように、この国には無数の棚田がある。

 信州にも更科紀行に描かれた姥捨の棚田がある。貧しかったこの辺りの農民が、年老いた姥を背に棄てに行ったという伝承のある姥捨の地の棚田である。 芭蕉は田毎に映った月を前に詠んだ。 
  "おもかげや 姥ひとり泣く 月の友"
 芭蕉が姥捨を通りかかったのは、元禄元年8月15日の名月の夜ということになっているが、その頃では稲も茂り田毎の月は見れない。
 田毎の月は田植え前か、まだ稲の幼いうちしか 見ることのできない風景なのだ。

 さて沢山の棚田のなかで、どこが風景として優れているか、やっぱり海に沈む夕日と棚田にとどめをさす。 とすると東日本は不可能である。北陸にも色々な棚田はあるが夕陽がない。海に沈む夕日の照らし出す棚田といえば、西の玄界灘とか、東シナ海に面した棚田が望ましい。
 フォトジェニックな棚田をおっかけて、佐賀・浜野浦の棚田にたどり着いた。 耕して天にいたる浜野浦には283枚の田があり、正面に玄界灘、そこに沈む夕日が一枚一枚の田を染めた情景を思いながら準備に追われている。

 太陽が浦野浜の正面に沈むのは四月一日から十日位のあいだ、その上、雲も雨もいらない。祈るような気持ちでゴールデン・ウイークの真ん中に賭けた。
 真っ赤に焼けた玄界灘の空と、水面の美しい棚田を想って、残り一席のANAを予約した。
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2017年04月25日

安倍首相に三つの女難あり

安倍首相に三つの女難あり

 安倍晋三首相は尽いている、という話とともに、安倍晋三には女難の相ありという話がある。

 第一の女難はいうまでもなく女房の安倍昭恵夫人。
 ほっとくと「何をするかわからないから、座敷牢へでも入れてしまえ!」という自民党長老の声がある。
週刊誌の小見出しには「あなたは安倍家を貶めた!」ゴッドマザー安倍洋子が嫁を面罵の怒髪天を突く! とある。森永キャラメルの娘であり、聖心女子大ではなく聖心女子専門学校を出て、スポンサー枠で入ったのが電通。いい意味でも悪い意味でも代理店の軽さが身についている。大麻畑でニッコリの写真を寫してみたり、
森友学園の名誉校長になって見たり、突然神田あたりに居酒屋をつくってみたり、眼を放すと何をやらかすか、
危ない人なのだ。直観とか感覚といえば聞こえはいいが、アッキーのは単なる思い付きで、見識も思想もない
「裏も表もないあの通りの人なのよ」と言っている友人もいる。第一次安倍内閣のあと、大学院へいき「自分の頭で物を考えていなかったことに気がついた」そうだが、物を考え出すとますますあぶない。
温和な安倍首相のこと、オヒマをだす度胸はないと思うが、自分から安倍家を出ていくというオプションはある。

 第二の女難は稲田朋美防衛相だ。総理寵愛の秘蔵っ子として早くから政調会長やら数々の重要ポストに抜擢され、女性議員たちの嫉妬を一身にあつめてきた。
 出身の地場産業を応援してのダテ眼鏡にはじまり、網タイツを履いた姿は野暮そのもの。早稲田大学を卒業し法曹界にはいったトモちゃんが、網タイツの品性について知らなかったとは言わせない。網タイツは良家の子女がはくものではなく、商売女などが男の劣情を刺激するために穿くものだ。そうでなければ踊り子の穿く舞台衣装のうちである。
 海上自衛隊の艦船にのるのにハイヒールで現れたり、狂犬と呼ばれているマティス国防長官に自分と彼の写真入りチョコをプレゼントしたり、どこか乙女チックでピントがずれている。弁護士出身なのに答弁につまると泣いてみたり、一時は女性首相候補一位と目されていたが、今や全くメッキがはげてしまった。
 安倍首相のお人好しと、女を見る目のなさが証明されてしまったトモちゃんであった。

 第三の女難は言わずと知れた小池百合子東京都知事。
 小泉首相に可愛がられた彼女は、官房副長官を務めていた当時の安倍首相にとって少しばかり憧れの存在だったのかもしれない。このまま行けば首都圏から自民党が追い出されそうな情勢であるにもかかわらず、官邸は彼女にエールを贈っている。
 都民ファーストの会は、いつ小池新党として国会に乗り込んでくるかもしれないのだ。
 げに恐ろしきは女相の振舞いと本音である、と安倍晋三は肝に銘ずることだ。
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2017年04月24日

内閣の「構想費」ってなに?

内閣の「構想費」ってなに?

 日本の国を動かしているのは、代理店だ、といったらそんな馬鹿なと言われる人は多いだろう。
 結婚式は代理店、新婚旅行も代理店、保険も代理店、大学卒業後の就職先も代理店、そのうえ葬式も代理店、日本人はいつの頃からか人生のすべてを代理店にまかせて当たり前の生きざまとなった。
 アメリカでは軍隊の徴兵状も代理店から送られてくるというし、高額日用品の料金収納もすべて代理店、企業もアウトソーシングとかいって代理店に頼る部分が圧倒的に多い。

 日本の政治も代理店といったら、そんな馬鹿な、という人がかなりいるだろう。が現実にそうしたことがおこなわれているかもしれない。
 最近、内閣府大臣官房にたいする博報堂からの不自然な請求に対して疑惑がもちあがっている。
「構想費」という項目が年々増加しているというのだ。「政府広報」については当然毎年20億から30億の金が使われ、それらの予算は電通、博報堂に流れているのだが、それ以外に使途内容不明の「構想費」なるものが計上されているというのだ。
 博報堂にたいする「構想費」は、13年度=約4640万円、14年度=約6670万円、15年度=約6700万円と年々増加している。
 この請求が不思議なのは構想内容の成果もしくは検討内容の付記が一切なく内閣府からの支払いとして考えられないということらしい。よもや内閣府の方針に博報堂がかかわっている、等とは考えたくないが、そうした疑惑が持ち上がること自体望ましいとは言えない。。

 かってEXPO全盛期に、「俺たちが日本を動かしている」と発言した電通マンがいたが、ときにカン違いする代理店があっても不思議はない。
 オリンピックに新人が登場するといち早く契約し、スポンサーCMに起用、企画費の中抜きをする不良代理店マンもいるが、まだ可愛いほうだともいえる。
 「ハクチの博に、アホウの報、の博報堂です」といっていたころの博報堂はまだ可愛かった。
 国家の在り方に博報堂がかかわっていたとしたらこの国は韓国以下ということになる、ありえない疑惑なのだ。


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2017年04月22日

銀座の顔が変わった

銀座の顔が変わった

 銀座中央通りに面して「G SIX(銀座シックス)」が完成した。
 2003年から始まったプロジェクトが14年後の2017年4月に完成したのだから、銀座の地元の人にとっても、ギンブラ・マニュアの人達にも、とても嬉しいはずだが、銀座の業態がこれでいいのか、という疑問は残る。

 先ず中央通りに面したビルの六つの顔、左から
FENDI,VALENTINO,VanCleef&Arpels,VALENTINO,SAINT LAURENT,CELINE,Dior ドバイでも、香港でも、ハワイでも世界中どこの後進国にいっても同じブランドの顔が並んでいる。世界的な発信力のあるブランドを揃えたと主催者はいうが、冷静に考えるとユダヤ系の資本の入っているブランドが多く、今更のようにファッション・ビジネスに於けるユダヤの強さがよく判る。
 一階から五階までのFASHIONはほとんどがそうした海外ブランドからなっている。たまに漆器がはいったり、雑貨がはいったり、定石のジャパニーズ演出があり、従来からある商業施設のテクニックと変わり映えはしない。 あらためてこの国のファッションは駄目なのだ、ということがよく判る。
 帰途外に出た時、正面に立ち上がるユニクロの銀座基幹店がなんと美しくみえたことか、天に届けとばかりならんだマネキンのリアルファッションのディスプレイに日本人の頼もしさをみた。

 外観の銀座シックスは素晴らしい。こまごまとした銀座通りの表情が一気にかわった。上層階のガラス壁面にストレートに通したステンレスのひさしが迫力を創りだし、銀座の顔を刷新した。
 設計の谷口吉生は、資生堂のアートハウスや土門拳記念館などの設計が好きだが、直線とガラスに偏った考え方が上手くアレンジされている。世界中の観光客の眼に止まるであろうデザインは、東京の顔にふさわしいプレミアム感を出している。
 共用部のデザインをしたグエナエル・ニコラは無難、それより中央ハサードにつりこまれた草間彌生に眼をうばわれるが、草間からスタートして次は誰に、の期待がふくらむ。屋上の江戸庭園文化を取り入れたというランドスケープデザイナーの宮城俊作は底の浅さにがつかりした。この庭では発信力は皆無である。

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2017年04月20日

「福島に桃源郷あり」花見山

「福島に桃源郷あり」花見山

 福島の花見山に行ってきた。
 花見山は10年程前に一度訪ねたことがあるが、今回は来年のパリ個展を想定しての撮影行だ。JR福島駅東口からタクシーをひろえば、15分ほどで着く。住宅地の辻辻にやたらユニフォームの交通監視人が立っている。
道中タクシーの運転手さんは、盛んにこぼして曰く、つい先日の日曜日は酷かった。煙草を吸うひまもなければ、トイレにいくひまもない。6万人のお客さんが押寄せたので、花どころではなかったという悲鳴に近いボヤキがつづいた。

 花見山はいまはすっかり福島の顔になっているが、この山が名所になってまだわずかの時間しかたっていない。写真家の秋山庄太郎が晩年ここを訪れ「福島に桃源郷あり」と言い残したことから、観光地として注目されるようになった。
 この公園は正しくは花木農家の阿部さんちの私有地なのだ。この谷間の農家は長い間養蚕農家として暮らしを営んできたが、戦後お蚕さんの没落とともに、花木の生産をする花木農家へと転換を図った。
 花の谷間の阿部さんのおじいちゃんが、一念発起うちの山を花いっぱいにしようと志を立てたところから、今日福島の名勝が生まれた。そのため花見山には、茶店もなければ料亭もない。阿部さんのうちと記念切手をうる小さなポストハウスがあるのみだ。どこの観光地にもあるまずい蕎麦屋と弁当やは全く見当たらない。入り口のしたのほうににわかずくりの団子やがあるくらいだ。

 山には遠く、ソメイヨシノ、トウカイサクラ、ヒガンサクラ、近くにレンギョウやハクモクレン、ハナモモなど咲き乱れ、素朴な田舎の名所として賑わっていた。30分コース、45分コース、60分コース、かっては見当たらなかった案内標識や、吟行の成果の俳句札などやたらぶらさがって少しばかり目障りであった。阿部さんちの裏には、立派な五匹の金の鯉のぼりが泳ぎ、中国からの観光客は盛んにシャッターをきっていた。今日の主題の撮影は雲に邪魔され快調とはいかなかったが、昼頃には顔をだしたお天道様で、無理やり撮影完了。

 帰途お腹もすいたので何かと尋ねたところ、福島名物は「餃子に蕎麦」といわれ愕然、信州からきて蕎麦はないだろう、駅前の行列は餃子ときいて、ならば駅弁のほうがましと、エキナカSーPalの食彩杵で買い求めた「米沢牛特製Wダブル弁当」。汁漏れしてズボンに滲みをつくったが、その美味さ抜群、カルビとロースのダブルが福島行のよき思い出となった。
 きけば東京駅祭のベストワン「牛肉どまんなか」と製造元が一緒とか、胃袋は納得した。
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2017年04月18日

テレビ朝日の朝日新聞化

テレビ朝日の朝日新聞化

 最近目立って、テレビ朝日の朝日新聞化が進んでいる。
 親会社と子会社であれば、それも仕方のないことと思うが、地上波テレビというグランドにとって喜ばしいことではない。
 ひとことでいうと「テレビ朝日の教養主義化」である。

 「池上某のニュース大辞典」ニュースを解き明かすのは池上某だけであるといったイヤラシサが目立つ。
 「林先生の言葉検定」検定するひとは何処かの予備校の林修だけなのか。せいぜい誰某のお天気検定ぐらいまでは洒落のうちとも思うが、もうすこしタイトルのつけようはあるのではないか。三省堂の下請け会社でもあるまいし、知識をそんなにふりまわすことはない。
 「しくじり先生・俺みたいになるな」芸能人の失敗談をえさに、視聴者の優越感をくすぐり、下品な好奇心に訴える教室番組。教えたり、教えられたりの教室形式がなんともお好きなようだ。
 クイズ番組でも出演者の色分けは「東大組」「京大組」のエリート意識と、オバカ代表「ヨシモト組」の色分けが基本構造にっている。圧倒的大多数の私大組はおいてけぼりなのだ。エリートと女子アナさえいれば、視聴者はみてくれると思っている錯覚プロデューサーがごろごろいるのではないか。

 もっと始末の悪いのは情報番組に巣くっている教条教養主義だ。
 うちのスタッフの女性は、「モーニングショー」はいいのだが、テレ朝社員の玉川徹が出てくると不愉快になる。だから見ないと宣言している。仙台で育ち京大をでているのだから、もう少し温和なキャラクターが相応しいとおもうが、何のニュースでも昂然と少し傲慢に発言する。
 正しいのは吾ひとりの発言態度が女性に嫌われる。円形グラフや棒グラフの奴隷で、画面に登場する。視聴者のなかには自分より優れた卓見もあるという謙虚さが見えない。
 スーパーJチャンネルにまま出演する萩谷順も教養臭がつきまとう。朝日新聞出身者にありがちの上から目線の語り口が習い性となっている。従軍慰安婦記事で日本を売った朝日の反日意識が透けて見え、ニュース解説の仕方が東大まる出しの権威主義なのだ。

 テレビ朝日も「教えてやる」「学ばせる」「上から目線」を改めれば、今しばらくの地上波は維持できるだろう。



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2017年04月17日

家事労働に外国人は必要ですか

家事労働に外国人は必要ですか

 外国人の家事労働が解禁になった。
 外国人を労働力として受け入れ、女性の働き方をより楽にしようという、安倍内閣の方針だ。パソナ、ベアーズ、ポピンズ、ダスキン、ニチイ、ピナイの六社に認可がだされ、第一陣としてフィリッピン人など90人が
就労する予定だ。開かれた労働市場と耳障りは大変良く、これで女性も家事労働から解放され、存分に腕を発揮できると思いがちだが、果たしてそうだろうか。

 労働ビザを出す場合のこの国のお役所はとてもゆるい。
 アメリカのように星条旗の前で国家にたいして忠誠を誓わせることもなく、シンガポールのように妊娠したら即国外退去というオキテもない。愛し合ってできたのになぜそんな残酷なことをするの、人権侵犯だわ、位の事を言いかねない。半年に一度の妊娠検査を義務ずけ、モラルの維持と民族の血の崩壊を防いで、守らない外国人は強制送還するという断固とした政策をとっている。
 単純労働しか解放しないのだから、そんなに目くじらをたてることもない、というひともいるが、蟻の一穴でそこから労働市場は崩れていく。

 いま問題になっているアメリカやヨーロッパの移民問題も、初めのユルサが取り返しのつかないことになっている。パリのタクシーはカンボジャ人が圧倒的に多い。ネイティブのフランス語すら通じないことがあり、行き先は紙に書いたメモが一番という事態が発生している。メイド・サービスもフィリッピン人が大多数で、伝統的な家内儀礼が少しずつ失われていると指摘されている。
 どういう訳か、町の外貨交換やはほとんどがインド人、移民を受け入れるのは簡単だが、弊害が出てきたのでいざ排除ということになっも排除できない。始めは労働力不足を補ってくれてありがとうだが、犯罪や、社会保障の面から問題がでてくる。

 どこかで自国民の雇用の場が奪われ、ビザが切れた後の不法犯罪が発生する。テロリストもスパイもみな入ってくる。先進国はほとんどグローバリズムの失敗にこりて、ローカリズムに傾いている。アメリカもイギリスもイタリアも、フランスですら、右へ右へと風は吹いている。
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2017年04月15日

大学教授の反対ゴッコ

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 大学及び研究機関に対して、安全保障技術研究推進制度なるものがあるが、この程予算が6億から110億に増額された。喜ばしいことだと思うが、これに対し一部の学者たちが反対の声を上げ、各大学をまわってこの研究予算を貰わないよう口説いて歩いている。
 「世間知らずのオバカな学者」という喩えもあるが、軍産学の提携はいまや世界の常識である。日常のまわりにある通信機器も生活用品も、軍用技術の民生転用が圧倒的に多い。メディアの大好きな統計理論ですら、アメリカ空軍の戦術論に発していることをご存じだろうか。
 いま軍用技術を否定することは、一般庶民の生活否定につながるのだ。

 大阪大学レーザーエネルギー研究センターは、すでに米軍から3000万円の研究資金の提供を受けている。
レーザーは光によってできる熱を金属加工に利用。無人機にたいする攻撃技術として、砲弾やミサイルを使わずレーザー兵器による防衛を考えている。筆者が通う鍼灸接骨院でも骨患部の治療にレーザーを使っている。
 探知技術と攻撃能力の組合せ方ひとつで、尖閣諸島の無人防衛すら可能になるのだ。
 その上、ミサイルなどよりはるかにコスパに優れている。発射一回が僅か100円程で可能だというからにはこれに勝る兵器はない。

 池内了、野田隆三郎、香山リカ、窪田幸子など、反対意識に固まった学者先生が中心になり、平和主義の精神に反する、軍国主義への暴走とプラカードを掲げ、抗議のメールを送ろうとメールの書き方まで添えて反対ゴッコを繰り広げている。
 「科学研究の促進こそが技術的優位につながる」という自民党国防部会のメツセージのほうが、はるかにリアリティがある。大学の先生や女性研究者たちのセンチメンタルな反対運動は、国を売ることに通じている。
 喜んでいるのは、中国と北朝鮮ばかりなのだ。
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2017年04月14日

危機を迎えている Abema TV

危機を迎えている Abema TV

 サイバーエイジェントとテレビ朝日のプロジェクトで始まった「Abema TV」が早くも危機をむかえて居る。
 両社とも「あばたに笑窪」のカン違いが原因である。
 サイバーエイジェントの藤田晋はテレビ朝日の番組制作力と資金力に惚れた。テレビ朝日の早河洋は、地上波の行きつくところを予見し、ネット・ビジネスに魅力を感じていた。
 両社とも惚れる理由を間違えていた。

 地上波の没落は既成スタッフを支配する予定調和の意識こそが大敵だということが、理解されていなかった。
 大量に投入されたテレビ朝日スタッフの編成スピードに、サイバーエイジェントの藤田社長は眼をみはった。
それがつまずきの第一歩、手際のいい編成制作のスピードにごまかされた。
 ネットコンテンツにとって最大の敵は地上波の制作システムだということに気がつかなかった。地上波を支配している既成の価値観こそが、これからのネット放送にとって最大のばい菌だということについて、気楽に考えていたに違いない。

 虎ノ門ニュースの成功は、従来地上波に敬遠されていた論客を揃えたことと、いままでのテレビを支配していた規制時間をとっぱらって自由に論じさせたことだ。日々のテーマについても、まったく規制のない横断縦断でとりあげコメンテーターの個性にすべてをまかした。道端の狭いスタジオ不満足を放置しても、多くの視聴者を獲得した。

 Abema TVはいま無料放送から、課金制テレビへの変換を図っている。それではテレビ朝日の参入趣旨、ネット参入の意味がまったくなくなる。その上地上波の制作システムをばらまいて、足腰を弱くしただけだ。
地上波の恥をまき散らして終わりになる可能性がある。
 テレビ朝日は既成の制作システムから一刻も早く抜け出すことで、初めて明日の水平線がみえてくる。
ネットも地上波も金の問題ではなく、コンテンツ次第だということに早く気がつかねばならない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

敗戦の落し子・ペギー葉山

敗戦の落し子・ペギー葉山

 あのペギー葉山が亡くなった。
 戦後のキャンプ廻りからから始まった彼女の一生は、アメリカ・コンプレックスの人生だった。
 英語が大好き、当世赤んぼの頃から英語教育に走るバカ親の先駆者でもあった。

 英語がすべてで、英語の歌だけが正しいと信じていた。初めてのヒットソングとなった「南国土佐を後にして」の歌唱を依頼しても、いちいち英語の歌をうたわせてくれるならと、面倒くさい歌い手だった。
 せっかく南国土佐のヒットソングをもっているのだからと、南国土佐特集に出演依頼しても、土佐に対する知識はゼロ、土佐に対する愛情は皆無だった。

 青山学院出身の音楽家は結構いて、芸能界を賑わせていた。寺本圭一はウェスタンのスターだったし、イブニングもどきを着込んで歌うペギー葉山もキャンパスクイーンだった。
作曲の平岡精二もまた多彩な才能に恵まれていた。平岡精二とともにつくった「学生時代」や「爪」などは、大人の恋を唄ったいい歌だったが、英語好きの彼女にとってはやはり物足りなかったのだろう。

 それでもやっぱり英語のうたが大好きで、アメリカ渡りのジャズ一辺倒の困ったちゃんだった。
101曲というジャズボーカルの教本があったが、彼女にとって聖書より大切なバイブル。アメリカで評価されることが唯一最大の目的で、その面からはピース綾部とまったく同じ種類の人間だったともいえる。
 敗戦から生まれた疑似アメリカ人だった。ブロードウェイで初めて見たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の虜となり、自分で訳した歌詞の「ドレミの歌」を津々浦々で唄い、ついにヒットさせたという実績もある。

 スリーバブルスといい、ペギー葉山といい、みな英語かふれの歌手だったが、戦争に負けた日本に生まれるべくして生まれたアメリカコンプレックスの落し子だった。

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2017年04月12日

決断力のなかった浅田真央

決断力のなかった浅田真央

 浅田真央がやっと引退した。
 新聞もテレビも大騒ぎしているが、スポーツを芸能化した真央の実績についてはあまり賛成できない。
「嬉しさが50パーセント、悔しさが50パーセントのメダル」といったバンクーバー五輪のあと引退していれば、彼女の分析力と決断に脱帽したが、そのあとを見れば、いかに自分自身のスケートが判っていなかったかが明らかだ。
 彼女と競って金メダルをとった韓国の金研児をみれば、彼女との差は明らかなのだが、残念ながら浅田真央にはその理解力がなかった。飛んで回ればそれで良しとするテクニック信仰から最後まで抜け出すことができなかった。飛ぶ前のプレパレーションの長さが、いつも表現を殺し決断力のない彼女の内面を現していた。
 フィギュア・スケートの醍醐味は、技術をベースに音楽を背景にした総合表現につきるのだが、決定的な劇的解釈、表現においていつも劣っていた。

 無責任な観客は可愛い可愛いで花を投げるが、世界の大人たちの眼はごまかすことはできない。
 ヨーロツパでもアメリカでも、さらに高等なテクニックを要し、成人の感性を刺激するペア・スケーティングや、アイスダンスが人気の種目だが、幼児性の強い日本の観衆は、フィギュア女子 それも名古屋をバックにしたあまり趣味がイイとは言いがたい衣裳と末端のテクニツクに拍手を贈る。

 2014年の現役続行か引退かの瀬戸際でも、「いまのところハーフハーフ」と煮えきらない態度で決断力のなさを露呈した。休養中も30本近いテレビ・コマーシャルでかせぎ、バラエティ番組のレポーターをしてみたりと、もはやスポーツマンではなく、芸能人に落ちていた。
 荒川静香のオリンピック金メダル後の身の処し方と比べれば、誰の眼にも荒川の決断力の素晴らしさがわかる。
 ソチ五輪から今日までの4年ちかい歳月は、浅田真央自身の価値をさげ、スポーツマンらしい爽やかさのない
時間をつくりだした。
 口にこそださないが、後輩たちは「やっと席があいた」とほっとしていることだろう。
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2017年04月10日

六本木でテレビを創った仲間たち

六本木でテレビを創った仲間たち

 半世紀前、六本木で働いていた仲間が集まった。
 歳をとると誰でも群れて、思い出話や病気のはなしがしたくなるものだが、この集まりは少し異なる。編成、制作、撮影、技術、営業、宣伝、出版、アナウンスなど、テレビ放映の現場を横断した社内異業種交流といっ趣である。揺籃期の民放テレビの現場で、それぞれのポジションで仕事をしてきた仲間なので、思い出はあまりセンチメンタルに流れない。冷静な振り返りと、現実への批評や認識が話題の中心をしめた。

 まずNHKが芝愛宕山にテレビ塔を建てた。愛宕山には技術研究所のスタジオがあったので自然の成り行きだった。 麹町の野原に日本テレビがテレビ塔を作った。塔の足元に二つのスタジオと庭園のある社長室と制作センターができた。花街を見下ろす赤坂の山の上には、引揚者の簡易住宅が軒を連ねていた。その住宅を追い出してて建てたのがTBSのテレビ塔と社屋だった。
 東京の空に三本のテレビ塔がたった。無駄使いの声に、東京タワー333メートルに一本化することになった。その頃スタートしたのが牛込のフジテレビと六本木のテレビ朝日だった。
 基幹局のなかで、ただひとつテレビ朝日だけが、教育テレビの認可だったので、芸能娯楽にかわるためのあらゆる工夫をし、数年後に芸能娯楽局の認可をえた。

 始まりは銀座の高速道路しただったが、まだ社屋建設地も決まっていなかった。当初メンバーは、電通や朝日、旺文社などに分散してあずけられた。いくつかの候補のなかから六本木が浮かび上がった。
 現在の六本木ヒルズのセンタービルのあたり、先年ブームを呼んだ真田の江戸屋敷があった。真田の当主は自身を引き取ってくれることを条件に屋敷を売ってもいいというのだ。かくして技術監督真田幸長が誕生した。真田屋敷は消え、由緒ある真田邸はテレビの土台となって消えた。現在中継の折などに言っている毛利邸園はだいぶあとになってニッカの倉庫を買収したときについてきた土地である。

 地上波のテレビはもはや落日を迎え、インターネットの時代を迎えているが、かって初めての地上波テレビで、手本のない映像に挑んできた仲間たちは、すっかり変わってしまった六本木の風情に自分自身の姿を重ねているようでもあった。
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2017年04月09日

あきれた政界の平和ボケ

あきれた政界の平和ボケ

 ようやく森友学園問題の先がみえてきた。
 野党議員は声高に安倍昭恵夫人の寄付問題を取り上げ、國会に証人喚問すべきと主張してきた。多分この議員は国公立の大学で勉強してきたため、言い換えれば税金で勉学してきたために、私学の運営実態を知らないのだろう。
 私学の運営はおおむね卒業生を初めとする先輩やスポンサー企業の寄付により成り立っている。ましてや卒業生で功なり出世した人に対する寄付の要請は眼を見張るものがある。筆者も卒業後60年たっているが、いまだに毎年寄付の書類が届けられる。
 昭恵夫人がかりに100万円の寄付をしたとしてもなんらとがめられることではない。むしろ教育事業にたいしての寄付は褒められて当り前である。

 さらに国有地払下げにまつわる「瑕疵」と「忖度」の問題が俎上にのぼった。伊丹空港周辺の国有地払下げは、森友学園、豊中市の公園、そして給食センターの三か所と言われている。
 給食センターの場合2015年に掘り起こしたところ、アスベストやコンクート片が大量に出たというので、撤去費用として14億円が計上され、隣の公園もまた廃棄物処理費として14億円が認められ、結局土地はわずか2000万円で払い下げられた。当初の国有地売却額14億2000万円が、僅か2000万円で払い下げられた。
 森友学園の埋設廃棄物処理費8億2000万円を差し引いて、1億3000万円で払い下げられたのにそれほどの忖度はない。それをいうならば、朝日新聞本社払下げにまつわる国有地処理のほうが、よほどマックロなのだ。

 いま世界中の新聞が、北朝鮮のミサイルが作り出す緊張について心配している。その時、森友やら、籠池、スポーツではあまりに情けない。北朝鮮ははつきりと日本の米軍基地が目標と宣言している。中国も尖閣は自国と発言し、沖縄まで核心的利益といっている。
 議員たるもの右左に関係なくすみやかに、日本の国土を守るためになにをすべきか、早急に対処すべきだ。
 領土、領海、国民の命を守る事こそが、内閣と國会の至上の命題であるということを再確認したい。
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2017年04月08日

「成田屋の食卓」が売れている

「成田屋の食卓」が売れている

 十二代市川団十郎夫人、堀越希実子さんの著作「成田屋の食卓」が評判になっている。
 サブに、團十郎がたべてきたものとあるが、この本は料理の本でありながら料理の本ではない。成田屋をとり巻く人々とそれを支えてきた夫人の愛のものがたりなのだ。喜怒哀楽をおおげさに叫ぶことなく、たんたんと團十郎の妻を務めてきたひとりの女のモノローグになっている。

 学習院仏文科に通っていた世間知らずの女子大生が、十代目海老蔵と結婚した23才の冬から物語は始まる。
夢見た新婚時代はまったく無く、役者の女房になるという大きな壁にぶつかる。「あなたこんなことも知らないの」番頭さん、義妹、そして先輩の伯母さま方から心得を学び、芝居のこと、楽屋のこと、ご挨拶のこと、ひとつひとつを身に付けてきた初めての体験が痛々しい。

 初めてのお正月、お屠蘇、おせち、お弟子さん方へのお年玉、しきたりに戸惑う嫁の日々。役者の女房は24時間が仕事と悟り、團十郎の身体への心ずかい、つたえるということの重みを通して自分に課した役割りなどしみじみと伝わってくる。花見の季節を迎えれば、わが家の一本桜のもとでの花見の宴、團十郎の朝ごはん、鴨のパーティ、ふたりだけの夕食、そして團十郎の大好きだったマグロ料理のこと、ひとつひとつの料理が家族の歳時記であり、人気のカレーも育っていく子供達との思い出につながる。美味いマズイのレシピ本にない家族の通過儀礼がそこに描かれている。

 最後に團十郎の闘病のこと、療養中の食事のこと、ただ泣いた日々、そして嫁に伝えたい成田屋の食卓でこの本は終わっている。

 歌舞伎座の廊下に並んだ歌舞伎役者の御夫人方を見ればわかることだが、きものにたいする感性も彼女は並外れている。品格があり、ユニークな色彩感が新しい。決して飛び出さずに控えめに個性をだす。昨日今日のタレント上りには真似のできないセンスをもつているのが希実子夫人なのだ。
 筆者が30年前、「希実子好み・茶屋ごろも」というきものブランドを企画したのも、そうした彼女の魅力に魅かれたからであった。
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2017年04月07日

人形町の五つ星

人形町の五つ星

 歯医者にかかると、その後美味いものが食べたくなる。 タクシーを飛ばして人形町へいく。
 久しぶりに「元祖親子丼」に会いたくなった。当然1760年(宝暦10年)創業の「玉ひで」である。
 江戸の風情が残る人形町界隈でも、「玉ひで」の白い漆喰壁はずぬけて鮮やかな佇まいだ。客間の天井は、格天井に切り出しの細工などあり、「朝昼晩3000両の落ち処」といわれたかっての繁栄をしのばせる。

 昼間から軍鶏すきもはばかるので、「元祖親子昼膳」を頼んだ。
 軍鶏時雨煮、軍鶏コラーゲン・スープ、元祖親子丼、香の物、水菓子である。なににもまして親子丼のうつわが素晴らしい。金の漆細工が施されたたっぷりと大きい木製の蓋付どんぶりだ。器の高さを低く抑えているので大きくとも下品に流れない。なかは朱のため漆、親子丼のうつわとして絶妙なバランスを保もっている。
 酒、砂糖を使わず醤油とみりんの風味を生かした割下で煮込まれた軍鶏と、閉じた卵の甘さが浮遊して50年前とすこしも変わらない旨さを味わうことができた。

 帰途せつかくの人形町なので、魚久の本店やら谷崎潤一郎生誕の地などのぞき、水天宮まで足をのばした。
この辺り猿若座、村山座の芝居小屋を始め人形浄瑠璃、説教芝居、見世物小屋、曲芸、水芸、手妻など江戸庶民の芸能センターだった昔をしのびながら歩いた。
 「粋でおきゃんで芸がたつ」芳町芸者の趣きのある熟女が共連れであった。

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2017年04月06日

かける時代から「ふりかける時代」へ

かける時代から「ふりかける時代」へ

 調味料の世界に革命が起こっている。
 味噌、醤油、お酒、みりん等々日本料理の基本をつくる調味料が、まったく表情を変えて登場しつつある。

 「粉むらさき」
 食卓に必ずあった醤油注ぎともお別れになるかもしれない。
 醤油注ぎは注ぎ口の形状がわるいとお尻に回って始末が悪い。瀬戸物屋の店頭で売っている安物にはまずそうしたことはないのだが、奮発して求めた作家ものの醤油注ぎにママそうした不都合があった。
 もろみ粕を粉末にしたものから作ったのが、「粉むらさき」だというから、もう崎陽軒の懐かしい醤油注ぎも
お役御免となるのだろう。
 コブクロに入った粉醤油がそえてある。醤油に限らず、ソースもあるからとんかつ弁当のソース坊やもなくなり、ソースの粉が添えられてこぼれる不安はなくなるのだ。

 「ミソルト」
 仙台みそのパウダーがそれである。シチューにかけてよし、ラーメンにふりかけてもいける。本来の味噌味よりも深みのある味噌の味が楽しめる。
 八丁味噌、角久の赤味噌粉末は絶品。八丁味噌のもっている奥行のある味をパラパラとふりかけるだけであじわえる、いままでの信州味噌はあわてるにちがいない。手のひらにパラパラとふって味見をすれば、赤味噌の素晴らしさがたちまちに広がるのだ。
 水煮した野菜や魚類にひとふりしたらたちまちにして味噌煮のうまみにかわる。味噌樽もいらなくなるし、味噌臭さもなくなって、日本の台処の香りもだいぶ変わる。

 「かける山葵」
 アヒージョ・タイプのわさびのオイルソースだといわれるが、オロシガネもチューブもいらない。パスタにかけると絶妙なわさびパスタが出来上がる。から揚げによし、豆腐によし、わさびはおろすものにあらず、ひとふりの魔法である。

 以上のほか、「ふりかけるポンズ」あり、「ゴマポン」ありで調味料は「かける時代」から「ふりかける時代」に突入したと謳っている。
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2017年04月03日

結婚できない女性たち

結婚できない女性たち

 結婚が怖くてなかなかふみきれない、という女性は多い。
 年功序列の昔ならば、男の行く末はだいたい読めたのだが、いまは全く読めない。いつ倒産するか、いつ給料がさがるか判らない。ましてやIT好きの彼などすこし油断をすれば、たちまちに奈落に突き落とされる。
 昨日まで六本木の高層マンションにいたのにどうして今日から浦和の安アパート、それは無いでしょう、といっても追いつかない。

 学校卒業してずっと自由にやってきたのに、いまさら他人と住まなければならないなんて信じられない。
他人と住むのは怖いわ、という対人恐怖症もいる。

 具体的にはよく言われる「嫁姑問題」の根深いところ、みそ汁の味から、アイロンの充てかたまで、さらに金銭感覚の違い、嫁と姑すべてにわたって価値観がことなる日々について、不安はおおきくなるばかりだ。その上、彼のマザーコンプレックスも気になってくる。洗濯もののたたみ方もぜったいにママ風でなければならない。

 彼の浮気も怖い。男の浮気は甲斐性ともいうが、私のからだに飽きたときは当然浮気もするだろう。妊娠中に浮気は始まるというが、いったい何処まで、どうしたら浮気はふせげるのか、考えただけでもユーウツ、男は必ず浮気するって本当ですか。バカな男が多いくせに、浮気だけはちゃんとするのね。

 彼だけではなく、私の心変わりも怖いわ。フランス料理のデートとプレゼントに慣れた私に、彼との狭い我が家で満足できるかしら。彼よりパパだったヒルズの高層マンションこそ私に似合う、下世話な生活なんてまっぴら、と思うかも。
 初めてのお泊りは寐化粧でごまかしたけど、結婚となると素顔の夜よね。素顔をみせたら彼ぜったいに心変わりする。いびきは明日からのお医者さん通いでなおせるけど、素顔はなおせない。ああユーウツ。

 結婚できない女性たちは、何も言わない、何も見ない「白馬の王子さま」を待ち続けているのかもしれない。




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2017年04月01日

昨日のメンズ、今日のデパチカ

昨日のメンズ、今日のデパチカ

 「何故だ!」三越岡田社長が叫んだお家騒動はセンセーショナルな出来事だつた。社長の知らないところにあった取締役会での解任手続きは、悪夢の事件だった。
 世紀を超えて同じような事件が、再び三越伊勢丹ホールディングの大西洋社長の身にふりかかった。東大出身の石塚邦雄会長から「現場はこれ以上もたない」と言われ、任期途中にもかかわらず引導を渡たされた。

 大西社長は新宿伊勢丹のメンズ館成功の実績で登場した。メディアが好きで、万事ひかえめの三越系からは
あまり好感はもたれなかった。
 数年前から突如起こった中国人の爆買いツアーに呼応し、銀座店を一気に高級品志向にし、さらに免税店フロアを大々的にレイアウトしたのだが……。
 気がつけば爆買い中国人は消え、ユニクロやらビックカメラに移っていった。百貨店の業態そのものが、日本のユーザーはもとより中国人インバウンドの客からも嫌われている、ということに気がつかなかったのだ。
 そとでは"ミスター百貨店"と呼ばれ、人気者であった。

 三越伊勢丹のみならずすべての百貨店はいま冬の時代を迎えている。
 フロア総てをテナントに貸出し、デパートという名の不動産屋に転向しつつある店、通販に特化しようという店、あるいは安売り路面店を取り込んで、なんとか数字を上げようともがいてる店など、長い間のデパート天下のお蔭ですっかりネジが狂ってしまっている。
 "今日は帝劇、明日は三越"の夢からまださめていない。

 三越伊勢丹ホールディング社長の席は、クイーンズ伊勢丹で名をあげた食品専門の杉江俊彦専務が担うこととなった。すなわちメンズファッションからデパチカに権力は移った。
 テレビをみればラーメンやらコスパ食堂、食欲番組ばかりなので、その影響かと勘繰りたくもなる。
 公家の三越も、新宿至上主義の伊勢丹も、なにか間違っている。
 巷では10年後に百貨店という業態は消えている、という本が売れている。


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2017年03月31日

文春砲の作り方

文春砲の作り方

 和田誠の表紙絵が地味な週刊文春がいつの間にかもっとも注目される週刊誌になった。
週刊現代や週刊ポストのごとく、ヌード・グラビアもなく、表紙にコンテンツを並べ煽ることもなく、静かに描かれた和田ワールドの向こうに文春砲が隠されている。

 何故そんなに文春だけがスクープできるのか? と問われれば、先ず心構えとしてスクープを狙う。スクープの尻尾を掴んだら、少数の記者を深く潜らせて証拠固めをやる。煮詰まったところで、精鋭部隊を一気に投入して仕上げる。新谷学編集長の弁である。
 編集部60人のうち、特集班が40人もいる。他の週刊誌では、経営合理化のためにフリーランスの記者を多用するが文春は100パーセント自社スタッフでまかなう。

 新入りの記者は「地取り(聞き込み)」「物読み(資料分析)」「張り込み」などのフィールド体験を通して、取材報道のノウハウを学び、いつかはスクープを、の志で育っていく。ニュース・ソースを守りながら、捜査当局とのカケヒキ、国会への対応を求められる場合もある。伝聞情報、匿名証言で戦えるか、いざとなったら取材対象者は証言台にたってくれるか、までつめて考え記事にする。情報を追っかけながら、周辺の人間関係、環境にある不都合な状況まで把握しなければ、リアリティのあるスクープは書けない。

 最後はニュースを上手く拡散して本誌の売上増につなげる。テレビのワイドショーに取り上げられ、視聴者はそれで満足、では文春砲にならない。露出した情報のかけらと、手にとって読まなければ判らない記事本体との配分に、テクニックは隠されている。
 政治でも経済でも芸能でも、表面だけのゴシップ記事では読者は満足しない。
 そこに未知なる情報が少しでもなければならない。それこそが文春砲のアイデンティティなのだ。


posted by Kazuhiko Hoshino at 22:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする