2017年08月17日

手元供養という墓いらず

手元供養という墓いらず

 ようやくお盆もおわり、大文字の送り火も無事おわった。お盆って夏休みのこと? 若い人たちの盆離れはますます進んでいる。

 高齢化も進んで、友人知人の法事が日常化してきた。残された子供たちIT世代は、なんでも簡単・便利な生活スタイルをめざすので困惑することが多い。ついこの間まで、墓を何処にするか、故郷が良い、いやそれでは金もかかるし、お寺さんも面倒くさいというので、町のまんなかのITマンション墓地や、散骨、樹木葬など自然葬が話題になっていたが、それもどうやら古いらしい。

 いまは墓など用意せず墓離れが進んで、手元供養、自宅供養に関心が集まっているそうだ。
 その方が何時も常に故人を感じることが出来る、混雑のなかをお寺さんに通わなくても間に合う、そしてなによりも経費を大巾に抑えられる。お葬式の費用ほど判らないものはない。お坊さんのお支払はクイズより難しい。コスパにすぐれているのは、手元供養に限るというのが人気のもとのようだ。

 そこで 手元供養 一律 2万1千円(税込み) 24時間365日 いつでも受付、という商売が登場してきた。あまり利益を見込めない、そこで「骨壺」をお買い求めいただくという寸法である。

 骨壺.COM を覗くとあらゆる形、あらゆる素材、あらゆるデザインの自宅供養向きの骨壺がそろっている。
 九谷焼の豪華絢爛仕様、白磁蓮花のクラシック型、石造りの四角壺、虹珠型、京焼透かし彫の鳳凰、民芸手造り風、大理石に見える骨壺と何百種の写真がのっている。お値段も4.000円ぐらいから10万ぐらいまであって選択自由である。
 かくして墓いらず、マンションの棚に置かれる「都会の骨暮らし」が待っている。


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2017年08月16日

パーヴォ・ヤルヴィの指揮棒

パーヴォ・ヤルヴィの指揮棒

 パーヴォ・ヤルヴィのダフニスとクロエを聴いた。興奮した。
 NHK交響楽団が何十年ぶりに迎えた主席指揮者ときいていたが、正面からまともに聴いたことはなかった。
21世紀的ハイブリット指揮者と、どこかのレコード会社が付けたキャツチに踊らされるのは如何がなものかとしばらくスルーしていたが、ダフニスとクロエにおける繊細でニュアンスにとんだ表現に接し、圧倒されたのだ。

 父は偉大なる指揮者、弟も指揮者、そして妹はフルートという環境に育ち、エストニアからニューヨークに渡り、カーチィス音楽院をでた後、かのレナード・バーンシュタイン、オーマンディ、ドラティ、ショルティ等に師事したのち、ロサンゼルス・フィルハーモニック、シンシナティ交響楽団の首席指揮者についたのち、ドイツ、カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとのベートーヴェン全曲集で一躍有名ブランドになったことから、さぞ華やかで大仰な指揮をやるかと思ったらとんでもない、端正で温かい、切々とした指揮ぶりにすっかり参ってしまった。
 ヨーロッパで、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、バイエルン、パリ交響楽団などに迎えられ客演している意味に合点がいった。

 若い指揮者育成のための公開マスタークラスでは、ビートを刻むな! 表情を出せ! テンポを合わせる指揮はいらない。何を際立たせるか、なにをつたえるか、表現したいのはなにか! 譜面を指揮するな! 音楽を指揮しなさい! といちいち合点のいく指導を丁寧に繰り返していた。
 東京芸大、東京音大、桐朋学園大、上野音大などで指揮者を目指して勉強中の学生のなんとつまらないことか。無表情でスコアを指揮するこの若者たちに明日はあるのか、はなはだ疑問が残った。

 音楽に限らずバレエなどでも、日本からきた生徒は技巧だけで表現不在と言われている。テクニックを身につけたら世界に通用すると錯覚しているのだ。踊れる技術と身体条件は100パーセントあることが必要条件、そのうえで解釈力と心理的表現ができなければ、芸術家としての明日はない、というのが世界の常識なのだ。

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2017年08月15日

文学賞は田舎に生まれる

文学賞は田舎に生まれる

 今シーズン芥川賞・直木賞の受賞作家が、ともに北海道にかかわりがあったというので話題になっている。
 最近の文学賞の作家たちはますます地方出身者が増えている。都会からの文学者は衰退のいっぽうだ。たまにコンビニを舞台にしたり、富裕層の音楽に素材を求めた文学もあるが、メガトレンドにはならない。 鉄筋とコンクリートで渋谷の谷間に巨大な町を創ったり、世界のハイブランドを引っ張ってきて観光客目当てのモダンな商業施設を目の当たりにしても、そこに文学の萌芽はあまり見当たらない。
 そこに見えるのはウォール街の金勘定で、いくら見つめても人間の営みが見えない。
 都市はマンガ、劇画、アニメなどコミックの供給源となり、田舎は文学の基地となりつつある。

 かつて鎌倉には著名な作家たちが集まっていた。鎌倉の魅力は、頼朝より川端康成であり大佛次郎だった。鎌倉に住まいをもてない作家たちは、中央沿線に集まった。丹羽文雄、井伏鱒二、太宰治らが暮らしていた。
 がいまでは手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫らの椎名町トキワ荘を起点に、西武池袋線にとどめをさす。練馬区はアニメの町を自ら名乗り、大泉には「ジャパン・アニメーション発祥の碑」がある。「臨死!!江古田ちゃん」も懐かしい。この国のコミック作家の80%は西武池袋沿線にいるとさえ言われている。
 田舎から大都市に焦がれてきた人達によってつぎつぎとコミックが産みだされている。

 今期二大文学賞のふるさとが北海道になった。平成29年上期の芥川賞「影裏」の作家沼田真佑はふるさとを小樽といっている。小樽運河には歴史の水が流れている。「月の満ち欠け」を書いた直木賞の佐藤正午は北大に5年半いたという。ポプラ並木をいただくあの楽園で助走していた。
 前回の芥川賞山下澄人も富良野出身だし、直木賞の桜木紫乃も釧路出身だ。池澤直樹も藤堂志津子も札幌にいる。北海道の悠然とした自然と大気のもとで、人間の苦悩と喜びを紡いで見せた。
 もはや人間を考えるのは、田舎でしかできない行為なのかもしれない。

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2017年08月13日

冷やし中華始めました

冷やし中華始めました

 街角に「氷」という四角い幡がひらめいていると、真夏の暑さのなかでホッとする。
 「氷」という文字が涼しさを届けてくれる。その傍らで稚拙な絵のガラス風鈴が、チンチンとなってくれていたら申し分ない。 ビルの谷間の小さな楽園である。

 「氷」の幡に対抗できる季節の景色は「冷やし中華始めました」。
 冷やし中華意外にもいろいろなメニューがあるのだが、店頭に長い幡まで出して告知してもらえるのは、冷やし中華しかない。冷やし中華は特別待遇なのだ。調理面からいえばこんなに簡単なメニューはなく、プロの手を煩わせることなく素人のバイトのおばちゃんにもできてしまう。

 少し固めにゆで上がった麺を皿にもり、ハムまたはチァシュウの千切り、錦糸卵、きゅうりの細切りなどをもり、頂上に紅生姜を載せて、だし汁を掛ければ出来上がり、真夏の麺料理として日本中で食べられている。練りからしを添えるのが定番だが、最近ではマヨネーズを添えるむきもある。
 祇園町では八坂神社のしるしと同じなので、きゅうりの乗った冷やし中華はたべない。

 北海道では冷やしラーメンと呼ぶ。岩手では冷風麺、関西は概して冷麺だが、韓国の冷麺と区別するため中華風冷麺と呼ぶ。韓国では中国冷麺、中国では日式冷麺となる。

 上海で食べられていた、もやしと細切り肉を冷やした麺にのせた涼袢麺と、日本のざるそばにヒントをえて、1933年神田神保町の揚子江菜館に始まったと伝えられる。
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2017年08月12日

楽しい不倫まつり

楽しい不倫まつり

 芸能界の不倫報道ほど、つまらないものはない、と思ってもゲスの興味はどうしてもそれに引かれる。
 ワイドショウのテーマとしても、天災、人災、火事、死亡、結婚、葬式、の間に入って「不倫」はかなり上位にランクされている。旅、グルメ、ファッションなどよりもはるかに重要なコンテンツなのだ。
 不倫は犯罪のごとくコメンテーターはもっともらしく喋るが、これだけ絶え間なく続くのだからもういい加減認知して報道しない、という選択肢もあるが、どうしても不倫を悪と決めつけて偽善者ぶるのが、視聴者に受けるとカン違いしているコメンテーターが圧倒的に多い。
 局の幹部も視聴率さえ取れればすべて良しと、不倫報道歓迎である。

 今年は川谷絵音のゲス不倫に始まり、あらゆる様式の不倫に恵まれた。
 今井絵里子の略奪不倫、渡辺謙の逃避不倫、仲間由紀恵の三年目不倫、松居一代のサスペンス不倫、宮迫博之のオフホワイト不倫、最後に斉藤由貴の手つなぎ不倫、にわか政治家の秘書不倫なども加わって、不倫の花盛りだ。不倫はテレビの視聴率とリンクしたマッチポンプになつている。お蔭で文春砲などという新たなメディアも登場して話題となった。

 …はやくこないかな しずかな不倫のとき
 …はやくこないかな 楽しい不倫暮らし
 ジャック・プレヴェールは、嫉妬のはての楽しいお葬式を期待したが、不倫については書かなかった。
ユーロビジョンにもフランスのテレビにも不倫の報道はない。大統領が毎夜エリゼー宮から抜け出して不倫に精出しても誰も何も言わない大人の国なのだ。
 モラリストっぽく喜んで報道するのは、アメリカと日本ぐらいだろう。オバカと判っているトランプ大統領がアメリカ・ファーストといえば、小池百合子が都民ファースト、ニッポン・ファーストと応じる程、この国の民度はアメリカ並みなのだ。


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2017年08月11日

山との日々を暮らす

山との日々を暮らす

 今日は山の日だと、新聞もテレビもざわついている。
 私にとっての初めての山を思い出してみた。小学校3年の時の遠足が、高尾山だった。山と名の付く高みの初体験だった。遠足の前の日、先生から高尾山についての授業があったが、高さは海抜何メートル、植生は何の木、東京では一番高い山であるとか、授業のつまらなさだけを覚えている。
 結局、高尾山の思い出は、ケーブルカーと山頂の天狗さまだけだった。

 次に山を意識したのは、御多分にもれず富士山だった。
 中学一年、富士の裾野の滝ケ原というところに連れていかれた。一週間の軍事教練、手はかじかみ、耳はちぎれそうな寒風のなかほふく前進やら、突撃訓練を受けた。夜は馬小屋のような質素な兵舎に寝かされ、皇国の興廃は君たちの双肩にありと、朝の5時に起床ラッパに起こされた。毛布は重箱のように四角くたためと、下士官から怒られた。富士山は吹雪の向こうにかすかに浮かんでいた。

 敗戦のあくる年、単身富士登山に挑んだ。吉田口の浅間神社にお参りしその脇道から登山の一歩をふみだした。五合目辺りまで登った時、河口湖から花火が揚がって、はるか下界の花火に感動した。八合目の山小屋でありついた味噌汁は命の水だった。最後の九合目をすぎ頂上が見えてからが苦しかった。なんとかご来光に間に合いたい一心でやっと登頂に成功した。六根清浄。帰りは須走口を飛ぶように駆け下り、麓の小学校の水道をかぶつて富士山の砂を落として帰京したのだった。

 出羽三山では、この国の山岳信仰について学んだ。木曽御嶽の八丁ダルミでは、御嶽教のまつりを撮影した。上高地には青春があった。嘉門次小屋の徳利はいまでも飾っている。木曽駒ケ岳の千畳敷はミュージカルの中休みだつた。桜の素晴らしさは吉野山に見た。吉野郡吉野村大字吉野字吉野旅館吉野の吉野の間から見た、下千本中千本上千本の吉野桜は奇蹟の景色だった。

 ブータンの首都ティンプーからみた白いヒマラヤの峰々は、神々しく身が引き締まった。

 軽井沢の自宅では浅間山を背に、左に妙義連山、正面に八ヶ岳、蓼科山、時々富士山、そして右に北アルプスと山との日々を暮らしている。


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2017年08月10日

名物に美味いものあり

名物に美味いものあり

 "名物に美味いものなし"と言われるが、昔から美味かったというものもある。
何故そこにそんな名物かあるのか、まつたく不思議だが、これは甲府の名物よ、といって出されたのが、「アワビの煮貝」だった。富士山の裏側の甲府に海はない。海なし県の真ん中、甲府の名物が「アワビの煮貝」とはシャレがきついと思ったが、のちに煮貝のルーツを読み解いて納得した。
伊豆下田の網元が特産のアワビを醤油漬に加工し樽漬にしたものを、馬で甲州まで商いにいったところ、下田の地元より数倍美味くなっていた。馬の背にゆられて数日たった煮アワビは、生アワビの5倍ものグルタミン酸がでて、風味も舌ざわりも抜群に良くなっていたのだ。
 煮アワビは下田ではなく、甲府でこその名物になると、みな与6代目が気ずいて甲州名物が誕生したということだ。

 最近では全国どこにいってもあるが、30年位前までは京都でしか食べられなかった名物に、「にしん蕎麦」がある。四条河原町の芝居茶屋松葉の二代目松野与三吉が明治15年に考案したものだそうだ。それまで遠くから運ばれてきていた、みがきにしんの棒煮が高級珍味として芝居帰りの座敷に人気があった。
 これをつゆ蕎麦にいれてみたらどうか、と思いつき工夫の末に生まれたのが「にしん蕎麦」だと伝えられる。日高昆布の出汁つゆににしんの旨みが加わった総本家松葉のにしん蕎麦は、無敵の美味さである。冬京都に行った折には、松葉のにしん蕎麦用に作られたにしんを求め、山国でゆでたつゆ蕎麦に入れて食べても至福の味が幸せをもたらす。

 信州はそばが美味いという俗説に流されて、長野にきたらとりあえず蕎麦やにはいるという観光客がいる。
 長野でも蕎麦やはいろいろでピンキリ、願わくば美味い蕎麦を食べて帰ってほしいと念じるが、駅前の適当なソバや、宣伝だけが上手で、肝心な蕎麦のほうは褒めたくない味の蕎麦や等で、盆休みに軽井沢へ行ったからお蕎麦をたべてきたの、などと後の電話にせっするとガッカリする。
 故郷を貶められたような気分になる。
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2017年08月08日

朝鮮学校に無償化補助金はナンセンス

朝鮮学校に無償化補助金はナンセンス

 事件の発端は、高校教育無償化である。
 高校まで無償化することは賛成だが、ここに各種学校の職業校や民族学校まで含めるとなると問題がでてくる。特に反日教育を基軸にした朝鮮高等学校にまで、支援金を出すとなると、日本人なら釈然としないのは当り前だ。反日学校にニホン人の税金を使うなど考えられない。ナンセンスであり、そんな判決がでるとは想像だにしなかった。

 大阪地裁の西山隆裕裁判長という裁判官の判決である。
「教育の機会均等と無関係な外交・政治的理由で、朝鮮学校を排除しており違法・無効である」と朝鮮学校の全面勝訴の判決を出した。
 木を見て森を見ずとはまさにこのことだ。朝鮮学校は日本の教育基本法に従わず、日本の教科書も使用していない。日本のことを日帝と呼び、慰安婦だ徴用工だと逆宣伝をしている学校に補助金などだす理由はどこにも見当たらない。西山隆裕という裁判官は、朝鮮の工作員なのか、と言いたくなる。

 広島地裁では「支援金が授業料に充てられない怖れがあるという文科省の判断に、裁量権の逸脱や乱用はない」という判決をだし、朝鮮学園の主張を退けたが、けだし当然のことだ。

 この裁判はまだ東京、名古屋、福岡でつづいているが、裁判官にいいたいのは、ここは日本であるということで、日本の尊厳や利益にならない敵対行動を利するような、オバカな判断だけは避けて欲しい、ということだ。
 日本人の中国に対するスタンスや、朝鮮、韓国にたいする認識は、お人好しを通り越して大馬鹿三太郎なのだ。
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2017年08月06日

伊勢音頭から新東京五輪音頭まで

伊勢音頭から新東京五輪音頭まで

 昨夜、渋谷スクランブル交差点を中心に3万4千人の盆踊り大会が開かれた。
 主催者の道玄坂商店街は、渋谷に暮らす人と渋谷を訪れる人のふれあいの場として企画したといっているが、実態は盆踊りの名をかりた盆踊りではない商業祭である。
 盆供養の意識など3万人の客のなかには一人もいない、と断言できる。とにかく目先が嬉しくて、商店街にお金が落ちれば万万歳という魂胆丸出しのさもしい商業祭だ。
 櫓の上はヤトワレ・タレント、踊っているのは埼玉、千葉あたりからの賃借り浴衣のギャル一同、これが日本のお祭りだとハシャイデいるのは、田舎生まれのアメリカ人やら、中国人の観光客である。
 舞台上では2020の新東京五輪音頭はこれだと、レコード会社の縄張り争いがはやくも始まっていた。

 日本中どこに行っても存在する○○音頭は、江戸中期のお伊勢参りに始まった。
 一生に一度はお伊勢さんへ、という伊勢参宮の人気は、皇室への憧れと伊勢講と呼ばれる無尽ツアー、そして伊勢の御師たちによる全国行脚によって、江戸民衆の通過儀礼になった。
 ある年は幕府のお布令によりおかげ参りの年とされると、道中の宿や飯やは、皆伊勢参りの人達のお世話をしなければならなかった。文政13年には数百万人の伊勢参りがあったというから凄い。当時の総人口3千万人といわれるから5人に一人は伊勢参宮にいった計算になる。道中の旅籠や茶屋はあらかた蓄財を使い果たしたと伝えられる。

 無事伊勢参宮を終えた男衆や若者は、伊勢古市の遊郭で精進落しをした。
 そこでは見たこともない美しい遊女たちが、伊勢音頭といわれる音曲を唄い踊って慰めてくれた。筆おろしを伊勢古市でというのは男の勲章だった。男たちは花魁の思い出とともに、伊勢音頭を口ずさみながら故郷へ帰って行った。
 かくして音頭は日本中に広がったというのが実相のようだ。津軽願人節、山形花笠踊り、広島木遣り音頭、博多祝い唄、等々から東京音頭にいたるまで、源流はみな伊勢古市の伊勢音頭に発している。

 オリンピックの歌にまで、この遊女たちの伊勢音頭が生き続けてきたという奇跡こそ、日本人の心に刻まなければならない音楽の歴史といえよう。

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2017年08月04日

外氏即興人形劇場との別れ

外氏即興人形劇場との別れ

 パリから北東へ200キロ余り、ベルギー國境に近く人口5万人ばかりのシャルルヴィル・メジェールという町がある。白鳥が遊ぶムーズ河に面し、町の建物はすべて3階建て以下の落ち着いたフランスの地方都市である。この町で三年に一度世界一のまつりが開かれる。国際人形劇フェスティバルである。9月下旬の10日間、広場も通りも裏街も劇場もみな人形劇場になる。
 ロシアから、北欧から、イギリスから、オランダから、アメリカから、最高レベルの人形劇団が集まる。日本から文楽もいったことあるし、人形劇団プークもいった。
 旧友水田外氏から電話がかかってきた。「実はシャルルヴィル・メジェールに行くことになった。新美南吉の「ごんぎつね」を持って行こうと思う。ついては英語版ごんぎつねを創ってほしい」という依頼だつた。町はバブルにうかれていた。

 外氏との付き合いはそのずつと前から。若かりし頃のデビ・スカルノ夫人がいた赤坂のナイトクラブ、ニュー・ラテンコーターや、ヌード・ショウのメッカ日劇ミュージック・ホールの舞台でのこと。プークを脱退して独立した水田外氏は、子供のための人形劇にあきたらず、大人の鑑賞に耐え得る人形劇をめざしていた。
 風刺の視点を上げ、子供だましではない人間描写と正面から向かい合ってショウ・アップしたいから手伝ってくれ、というのだ。猫の動きにたくしたエロティックな作品など、大人はニヤリとみてくれたが、演者のほうにそうしたエロティシズムを理解する俳優が少なく、結局学校まわりの道徳的人形劇に堕してしまった。

 モスクワに「オブラスツォフ記念中央人形劇場」という最高の劇団がある。イブ・モンタンもソフィア・ローレンもガンジーもファンだった。劇団の上演演目は、子供向け、青少年向け、大人向け、と三つに別れている。
 大人向けには、モーツアルト「魔笛」、ドン・ジュアンは76歳、プーシキン「スペードの女王」、ビゼー「カルメン」、「神聖喜劇」、チチコフとその劇団のための音楽会など、ユニークな演目が並び、客席はエロと笑いで抱腹絶倒という経験もした。
 水田外史のめざしたのも、そのあたりにあったように思う。

 何年振りに外史即興人形劇場から招待状がとどいた。外史の死後17年頑張ってきたが、今年いつぱいでフィナーレにするので見に来てくれ、という趣旨だった。
 かって外氏が演じていたゴンギツネは、愛弟子の中嶋咲枝が見事に受け継ぎ、吉永淳一のリリックな演出もそのままに、立派な舞台を見せてくれた。
 それにもまして文化交流館浅科の立派なこと、軽井沢にはまつたくない鄙稀に見る中劇場でのお別れ公演だつた。
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2017年08月03日

盆提灯は人間のために

盆提灯は人間のために

 軽井沢に住んでいると、盆行事のこと忘れがちになる。
 観光客や避暑客の接遇に追われ、みずからの祖霊にたいする供養の心が薄れる。わずかに幼稚園の裏に櫓を組んで盆踊りをする、ぐらいのことか。
 避暑と一緒にキリスト教が入ってきたため、仏教系の行事は弾圧されたという歴史もある。近年はすべて経済至上主義で、忙しい真夏に盆行事どころではない、という情けない状態なのだ。

 信州には善光寺があるので、長野まで行けば盛大すぎる盆踊りもあるし、盆花の市もたつ。
 小諸、上田、松本それぞれの盆踊りがある。戦後は誰の入り知恵か知らないが、市民祭などという意味不明のタイトルを付けたので、ただの踊る阿呆と見る阿呆のイベントになってしまい残念なことだ。

 ペットロスのために盆提灯を、という名目でペット屋の店頭に盆提灯が並んでいる、というニュースに接し、日本人の自己喪失もここまできたか、と驚いた。ペットを人間なみに扱うという美名にかくれ、人間としての尊厳を失なっているのだ。倫理も哲学もない。所有欲のヴァリエーションでしかないペットに、盆提灯という発想は、人間喪失のなによりの証しともいえよう。ペットに盆行事を求めるあなたは病んでいる。

 お盆が来ると、奥三河の遠州大念仏を思い出す。かつて武田、徳川の三方ヶ原の合戦の死者の供養に始まったと伝えられるが、いまでもそれぞれの大念仏團を組織し、新盆の供養に駆け回る。歩いて回る念仏團、リヤカーに太鼓や双盤をのせて周る念仏團、あるいはバスを貸し切って周る念仏團、といまでも30近い遠州大念仏團がでる。
 お盆の奥三河は祖霊供養の鉦や太鼓の音に充たされる。盆提灯も日本一立派なものが飾られて、死者も迷うことなく返ってくる。
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2017年08月02日

井村シンクロのセンスの悪さ

井村シンクロのセンスの悪さ

 日本のシンクロ・チームは何故金メダルをとれないのか。
 中国へいっていた井村コーチを呼び戻し、チームを再編成して世界に望んだが、成果はご覧の通り、やっぱり金はとれない。メディアは井村コーチと選手たちのスパルタ練習風景を取り上げるが、問題の本質はそこにはない。
 作品の完成度がイマイチなので何度挑戦してもメダルには届かない。コーチがヒステリックに声を上げるのは、揃わない技術レベルの不揃いだが、そんなことは作品以前のことでそうした選手が出場することが問題なので、テクニツクは揃ってあたり前、レベル以前の選手は出場させてはいけないのだ。
 本選当日、サイドの練習用プールでヒステリツクな声を上げるなど、卒業運動会のレベルといわれても抗弁できない。

 ロシア、中国には歯が立たないが、ウクライナには勝ちたいとキャスターは騒いでいたが、観客の眼で冷静に見てみるとその差は歴然としていた。
 シンクロのルールが変わり団体表現が中心になって以来、チームのテクニックは無論のこと、作品構成の巧みさやセンスが問われるようになった。ギリシャなどのドラマティックな作品、或はサーカスのピエロに託したメキシコ・チーム、アメリカ・チームのショウアップな表現、フランス風なウィットにとんだ作品、ウクライナの巧みな構成力、テクニックの見せ方、圧倒的な作品力が日本チームの上をいっていた。

 スタッフ力が問われている。衣裳のセンス、振付の上手い下手が作品の品質を決定ずけている。肉体的な条件に劣る日本チームにおいては、振付の良し悪しと衣裳のセンスが決定的な要素となってくる。
 まずコーチがもっと勉強しなければ駄目だ。この先は井村コーチの脳みそがどれだけインターナショナルなレベルを突き抜けることが出来るか、否かにかかっている。
 衣裳のセンスも甚だしく悪い。太鼓紋をつけて原色をあしらっても一向にお洒落にならない。白黒だけのジオメトリックなウクライナの衣裳などをみても刺激されないというあたり、センスの悪さに絶望する。
 日本のシンクロはスタッフの勉強にすべてがかかつている。選手を怒鳴るまえに自分を怒鳴れ!!!





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2017年08月01日

鰻が美味すぎる

鰻が美味すぎる

 あまりに暑いので鰻のことを書く。
 鰻といえば、歌人斎藤茂吉にとどめをさす。茂吉の一生は鰻とともにあった。
「うなぎ時代」「うなぎ・鰻時代」「鰻時代」「うなぎ・鰻・ウナギ時代」「ウナギ時代」作品表記によって茂吉のウナギとの関わりが理解できる。それほどに茂吉はウナギを愛し、ウナギを食した。
 元旦早々にうなぎを食べ、三ケ日毎日うなぎを食した年もあった。回診して疲れたら鰻、映画を見て鰻、日米開戦のニュースを聞いて鰻、茂吉の毎日は鰻でなりたっていた。

 少年の頃、客人とともに鰻はあった。客によって仕出しの鰻はどんぶりだったり、重箱だつたりした。ごくまれに肝焼きがついてきた。
 長じて鰻懐石を覚えたのは、赤坂山王神社の境内にある「山の茶屋」だった。このうなぎ屋は大磯の吉田茂さんの家まで届けていると聞いてびっくりしたことを覚えている。その頃の「山の茶屋」は一座敷に一客しかとらず、いつ訪れても静かな森の静かさが迎えてくれた。

 「竹葉亭本店」に凝っていた時もあった。離れの座敷の文人風が好きだった。竹葉亭のふっくらとした鰻の香りと部屋の空気がこんなに合う店はなかった。業界の粋人が集まって句会を開いていたこともあった。

 パリのファッション街、フブサントノーレ通りの一角には麻布野田岩のパリ支店がある。パリへ行くと一度は「野田岩」に顔を出す。男性のフランス人フロアはいいのだが、着物姿の日本人女性の尊大な態度が気になる。なにかカン違いしているのだ。たかがウナギ、されどウナギなのだ。

 近頃はスーパーの鰻もだいぶレベルが上がってきた。酒に浸し、チンするとそれなりに美味い。さとうのごはんの「つや姫」に載せてたべると結構楽しめる。
 がやっぱり、赤坂「重箱」のうなぎを忘れることはできない。庭も座敷もすべてがうなぎなのだ。




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2017年07月31日

「ツルヤ」派? 「デリシア」派?

「ツルヤ」派? 「デリシア」派? 「ツルヤ」派? 「デリシア」派?

 軽井沢のスーパー・マーケットといえば、30年前位から「ツルヤ」と決まっていた。
 その前には紀伊国屋もあったし、明治屋もあった。ジャスコが新興勢力として登場したこともあった。地元の小さなスーパーもいくつかあったが、みなサービス競争で敗れ去った。
 別荘族のお母さんたちは、夏の終わり都会へ帰るとき、ベンツの後に野菜をしこたま仕入れて、帰って行った。遊びにきた友人たちも、「ツルヤ」からお土産のジャムやらレタースやらを送っていた。
 地元の魚屋さんに発したツルヤは、経験的に魚の仕入れにすぐれ、地元のキノコ類などでも半端なく多品種を仕入れ他店の追随を許さなかった。が、例にもれずここ数年の急速な県内出店に伴い、ショップパワーに陰りが見えてきた。つまり商品構成がマンネリ化してきたのだ。利幅の取れる自社ブランドの商品がふえ、食品の味覚追及に甘さが目立ってきた。

 そこにこの春から東軽井沢に登場したのが「デリシア」である。
「デリシア」は松本を中心に中南信地方を地盤としてきたスーパーである。商品の構成が細やかで消費者のライフスタイルに寄り添った展示になっている。
 ツルヤのごとく大量に商品を置いておくのではなく、少量多品種できめ細かい。すでに食生活のスタイルが確立しているオバサンたちには、ツルヤで充分なのだが、まだ若い世代で食のスタイルが固定化していない人達にとっては、圧倒的にデリシアが親切なのだ。
 惣菜類や弁当などの種類も多く、共働きの夫婦にとっては重宝きわまりない。消費者のライフ・スタイルについて考えていることが如実にわかる。

 君は「ツルヤ」派? それとも「デリシア」派? 
 それによってライフ・スタイルの新旧がはっきりとわかる。
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2017年07月28日

欠陥女性議員 夏の揃い踏み

欠陥女性議員 夏の揃い踏み

 右翼のホープ、稲田朋美防衛大臣が、とうとう辞表を出した。彼女の国家論に感動して大臣にまで引き上げた安倍晋三総理はさぞかし落胆していることだろう。
 流行のリボンのついたスカートを履き、鯖江の眼鏡をかけ、アミタイツを履いてがんばってみたけど、結局自衛隊制服組に嫌われてあえない最後であった。

 蓮舫民進党代表が辞任した。民進党再建の切り札の筈が、崩壊のきっかけをつくってしまった。二重国籍問題が最後まで尾をひき、今頃になって日本人になりましたと、見得をきったが、これからは国籍で戸籍を開示させるようなヘイトな行動を慎んでほしいと、まるで見当ちがいなことを発言したため、蓮舫には国家というものがわかっていないと、猛烈な反発をうけた。占領下でもあるまいし、外国人に国家の政治をあずける国など、どこにもない。

 おかげで今井絵理子議員の新幹線手つなぎ睡眠など何処かへ飛んで行ってしまった。
「このハゲッーーーーーー!!」入院中の豊田真由子議員もさぞかし安堵していることだろう。
 女性議員は概して肉食系が多くようやくこの国もフランス並みになったかと喜んでいたが、選挙民のほうがまだまだついていけない。愛欲不倫騒動は選挙区の女性たちから、シカトされ次の選挙は絶望的になる。

 女子アナ上がりの畑恵議員は、政界のプリンスだった船田元議員を泥沼に引っ張り込み政界失楽園と揶揄されたし、「あなたとベットを共にしたい」と500通のメールを送り続けた佐藤ゆかり議員、年下議員に路上チュウをねだった中川郁子議員、親分の小沢一郎が派遣した秘書をたべてしまったヤワラちゃんこと谷亮子議員、民主党のハニートラップと言われた林久美子議員は世耕弘成官房副長官を強奪不倫、議員宿舎を不倫の巣にしたと言われた西村まさみ議員は、結局夫と娘を棄てて9歳年下の山下剛正議員と宿舎同棲を始めた。

 政治を志す女性が愛欲至上主義でもいっこうに構わないと思うが、それらの議員が提起した法律がひとつも聞こえてこないのは真に残念の極み。
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2017年07月26日

テレワークは働き方改革にならない。

テレワークは働き方改革にならない。

 小池百合子が例のグリーンスタイルで、吠えていた。
 働き方改革をしよう。今日のこの日をテレワーク第一歩の記念日にしよう。私は2020までに、テレワークを定着させたい。 というのだが、はたしてそれでいいのだろうか。

 おりしもアメリカから、テレワーク廃止の報がとどいた。それもITの本家とも言えるIBMとヤフーである。
 テレワークの弊害が目立ってきたので、全面的に休止するというのだ。つい20年前まで憧れの働き方だった。テレワークでは、会社がもたないと、いうのだ。
 会社と離れたところで自由に家族の都合にそって仕事をするのは、一見よさそうだが、会社にとってよくない。なによりも職場の一体感が失われる。日常顔をあわせないことからお互いに無関心になり、仕事に情熱をもたなくなる。従って会社へのロイヤリティがなくなる。
 個々に自由になりすぎて型通りの仕事しかしない。だからテレワークは良くないという結論なのだ。

 今話題になっている四国今治の寒村では、テレワークを村の中心事業にしようと、空家を整備し、ITの環境をととのえて都会からの企業誘致をはかり、当初こそメディアに取り上げられ話題になったが、そこにくる若者たちには人生に対する哲学はなく、飽きたら皆都会にかえってしまったという悲しい現実しか残らなかった。

 働き方改革というのは、結局自己都合だけで、社会改革につながらないお題目なのだ。
 テレワークに慣れた若者は、バソコンにしか興味をもたない人間不在の疑似人間になる。相手の顔をみて議論せず、この場で考えず、会議は全員パソコンだけを覗いて、粛々と議事が進む、気持ちのわるい会議になってしまうのだ。




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2017年07月24日

平尾昌晃とふたりの女

平尾昌晃とふたりの女

 平尾昌晃が逝った。ロカビリー三人男として、満天下の子女を熱狂させたあの日劇の舞台が懐かしい。初めて日劇の舞台にトイレのロールが飛んだ。舞台に少女たちが殺到して平尾のズボンに手をかけ、ひっぱってぬげそうになったこともあった。日劇ウェスタン・カーニバルは戦後日本の音楽風景をガラリとかえた。
 ミッキーカーチス、山下敬二郎、そして平尾昌晃だった。この三人に眼をつけたのは、渡辺美佐さんだった。マネージメントという言葉をメジャーにしたのは、渡辺美佐さんだ。日本女子大をでたのち、父親の影響から音楽プロモーターの道に入ったのだが、いち早くアメリカのマネーメントシステムを日本に導入した先駆者だった。

 平尾昌晃にとっての第一の女性こそ渡辺美佐その人だった。渡辺美佐はロカビリー三人男のなかから平尾昌晃をもっとも愛していた。
 柳家金語楼の息子に生まれた柄のわるい山下敬二郎、金と女にだらしなかったミッキー・カーチス、に比べはるかに育ちのよかった平尾昌晃に惚れたのだ。
 ワタナベプロの新人たちはつぎつぎと平尾の楽曲でマイクの前にたった。
 梓みちよは「渚のセニョリーナ」、伊東ゆかりは「恋のしずく」、小柳ルミ子は「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、園マリは「泣きぬれて」、中尾エミは「花のさだめ」、布施明は「霧の摩周湖」、沢田研二は「あなただけでいい」、天地真理は「ふたりの日曜日」、最後にはドリフターズまでが、平尾のヒット曲「ミヨちゃん」を唄った。 渡辺美佐さんは心から平尾昌晃の才能に惚れていた。

 1968年平尾昌晃は肺結核をわずらった。長野県岡谷塩嶺病院で療養生活を送り、肋骨6本をとる大手術で復活した。そして出会ったのが銀座のママ山口洋子だつた。山口洋子の詩は平尾の心をゆさぶった。
 「よこはま・たそがれ」によって五木ひろしを復活させた。「長崎から船にのって」「夜空」「別れの鐘の音」とつづき、平尾の作曲の幅がさらに広がった。平尾昌晃+山口洋子のゴールデン・コンビは日本歌謡界に新たな風をもたらした。
 必殺仕事人シリーズの印象的な劇音楽、宝塚歌劇団ベルバラの劇中歌なども彼の新しい才能の分野だった。そして平尾の初心が蘇ったのが「平尾昌晃音楽学校」の開校だった。全国各地に分校をつくり、音楽人口の裾野をひろげた。慶応高校在学のころ、日本ジャズ学校に学んだ彼の青春がよみがえった。

 隣りのクルマから降りてきて、「 …先生お元気ですか。」人なつこい表情で話しかけてきた平尾昌晃の笑顔が浮かぶ。          合掌
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2017年07月23日

浅草のスタス・レビュー

浅草のスタス・レビュー

 浅草ROXビルにある「ゆめまち劇場」は不思議な小屋だ。客席はクラブ形式なのだが、ステージまわりはアングラ小劇場風という変った造りになっている。
 ラスベガスにはこうしたラウンジ・シアターと呼ばれる小屋が沢山あったが、いまではスポーツ・カジノにとって代られ、姿を消した。パリのモンマルトルにはいくつかこの規模のクラブ・シアターは残っている。ただ舞台まわりは、ゆめまち劇場ほど不愛想ではない。シルバーやゴールドの幕、無論ブラック・カーテンはあるのだが、自由に出入りできるスリツトカーテンや、鏡のホリゾントが用意されている。大道具がなくても充分に演出できるステージになっている。ゆめまちの楽屋の不自由さや、そっけない上下の舞台袖には、上演舞台が想像できない。

 そのゆめまち劇場でSKD・og・STASが、夏のおどりをやっていた。
 高城美輝、明石薫、銀ひ乃で 三人を中心に20人ほどのレビュウ狂を集め、懲りずに時代に逆らっている。がここまで執念深いと頭が下がる。浅草を愛し、レビュウが大好きという彼女たちは、そろそろ無形文化財にちかい。

 ショーが始まってしばらくは戸惑いを隠せなかった。クラブ形式の劇場なので、踊り手は度々眼前にやってくる。メークアップが大劇場風なのだ。突如オーバーメイクの踊り子が目の前に現れると、観客は戸惑うのだ。このような小空間で美しく見えるメークはあると思うのだが、そこそこに美女も多いのだから、そのへんをもう少し研究してくれると有難い。
 品のいいキレイに見えるメークは絶対にある。そうすることで旅回りの小芝居やゲイバーのアトラクションと差別化でき、文化庁の芸術振興補助にふさわしい舞台になると思うが如何。

 ショウはJ-ボンドの辺りから俄然よくなった。山鹿灯篭のリリックな美しさ、芹なづなと瀧園子の稗つき節からハイヤまで、さすがSKDの血を引いていると安心して見られた。 後半のダンスナンバーも安定した振付と表情で楽しませてくれた。
 主犯三人のエネルギーがどこまで持つか不安もあるが、こうしたアンチームなショウ・チームは貴重な存在だと認識した。10月には芸術祭に参加してパワーアップするとのことである。
posted by Kazuhiko Hoshino at 08:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

斎藤由貴・無欲の勝利

斎藤由貴・無欲の勝利

 50歳を迎えた斎藤由貴が、いま再びブームになっている。
 無欲の勝利といおうか、映画、テレビ、舞台、アイドル、女優、歌手、詩作、イラスト、ナレーター、これだけ雑多な仕事をしてきたにもかかわらず、業界のアカがついていない。1984年第一回の東宝シンデレラ・オーディションの出身だが、不思議なことに東宝箱入り娘のイメージをいまだに保持している。

 個人的には、1989年彼女が迷惑そうな表情で唄った「夢の中へ」でハートを揺さぶられた。
井上陽水のコンテンポラリーな音を、全く異なるハウス・ミュージック風なアレンジで都会の歌に変換した。
 媚びない彼女から、探し物は何ですか?と問いかけられると、ほつといてくれ、といいたくなるが、彼女のB型、乙女座の故か否応なしにオトナのイマジネーションに引っ張り込まれた。
 夢の中へ、夢の中へ、行ってみたくなってしまうのだ。

 尾崎豊との恋の破局を迎え、珍しく彼女が落ち込んでいた時、斎藤由貴の母は、自分で選んだことだから「正々堂々と不幸になりなさい。」と彼女に言い放ったというが、この母にして今日の斉藤由貴があったのだと感心させられる。

 彼女の芝居をみていると、引きずり込まれるのは彼女のリアクションだ。多くの女優達が類型的なリアクションを演じるなかで、斉藤由貴のリアクションはきわめて個性的なのだ。会話の間合いも微妙なところで個性化する。泥水に溺れず、よくここまできたと感心するばかりだ。
 無欲とリアクションの勝利、それが50歳の斉藤由貴である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 23:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

都心回帰の大学は生き残れるか

都心回帰の大学は生き残れるか

 高度成長期に次々と郊外にでていった大学キャンパスが、都心帰りの様相をみせている。
 一二年の教養は郊外で、三四年の専門教育は都心でといった大学キャンパスの棲み分けがくずれつつある。

 一番の原因は人口問題、1990年に18歳人口200万人だったのが、2010年には120万人まで落ち込み、2030年には18歳人口は100万人になると予想され、2050年には70万人まで落ち込むと予想されている。生き残るためには、大学はありとあらゆる方策をうたないと廃校においこまれるのだ。
 少子化の影響をもろにかぶっている大学にとっては、アクセスがよく、身近に繁華街をひかえたキャンパスこそが、学生獲得のキャッチになる。
 現に日野キャンパスから渋谷に戻った実践女子大学の応募者数は30パーセント増になったといわれているし、青山学院大学も文系7学部の渋谷復帰で応募者数が増えているそうだ。田舎育ちのボンクラ娘にとって、シブヤという街に近い、それだけで魅力なのだろう。 大学も劇場型になって教授や教育内容よりも応募者の志向に媚びなければならない時代になってきたのだ。

 名門中央大学も八王子の多摩キャンパスに移して40年になるが、この40年は失われた40年とさえいわれている。イギリス法律学校に源をもつ法科の中央が、この40年間ずるずると落ちてきた。かって東大より優秀だった法科系卒業生が東大に負け、早稲田に負け、慶応の後塵をあびて、かっての輝きを失ってしまった。はたして後楽園キャンパスに移して栄光をとりもどすことができるだろうか。
 今 共立女子大、立正大学、拓殖大学、跡見学園大学とぞくぞく都心回帰が始まっているが、いたずらに学生に媚びて建学の精神を失ったら元も子もない。

 情報過多で思考不能に陥っているわかものを覚醒させる方法はないだろうか。渋谷や池袋に近いからと、進学を希望する馬鹿者たち、君たちに大学教育はいらない。
   

posted by Kazuhiko Hoshino at 14:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする