2017年03月25日

助六花見之桟敷茶屋

助六花見之桟敷茶屋

 そろそろ桜の便りも聞こえてきたので、「助六」でも見ながら芝居見物の昔を味わいにいらっしゃいませんか。そんなお誘いが本吉原の名家の女性からきた。
 歌舞伎座西の5番の桟敷席に陣取り、花見茶屋の気分で「助六由縁江戸桜」に対した。すでに金箔入りの賀茂鶴をいただき、久田のお弁当でだいぶ胃袋は充たされている。

 襲名した右團次は、スーパー歌舞伎の頃からはすっかり表情もかわり、たんたんと市川家代々の芸であることと、河東節開曲300年にあたる目出度い年にあたることが語られ、柿色の裃とともに舞台は始まった。
 役者は給金をもらって舞台を務めるが、河東節の旦那衆はお金を使って舞台を務める、といった江戸大旦那の心意気が伝わる晴れやかな浄瑠璃の始まりだつた。

 茶屋まわりの金棒引きがふたり、花道から登場する。上手からも子供ふたりの金棒引きがでる。江戸っ子にとっては、この金棒引きの音こそが江戸下町の昔へ引き戻される魔法の音だ。花魁道中よりこの金棒引きにひかれるのは、幼い頃の思い出が掘り起こされるのだろうか。
 河東節の晴れやかでダイナミックな節回しと、金棒引きの金属的で雑味のある音、築地の河岸から届いた助六の紫の鉢巻、この三つを見届けることができたら、それで満足の「助六」でもある。

 禿,遣手、ご新造、若い者を従えて登場する三浦屋揚巻の道行を見ていて、突如記憶が57年前に飛んだ。
パリ・ムーランルージュに於けるラ・ルビユー・ジャポネーズ、幕開けの口上に続く第二幕も花魁道中だつた。
メディアの記者たちから、ここに登場する花魁とゲイシャガールの違いについて、多くの質問を浴びたが、的確に説明するのに苦労した。遊郭も花街も知らない外人に理解させるのに、いい言葉が見つからなかった。

 が女性の性をこれ程に賛美し、装飾し、多くの人々が協力する習俗は、世界中どこにもない。性の交感に神が介在し、祝祭性を重んじる文化は日本にしか存在しない貴重な習俗ではないか。ドイツの飾り窓の女達や、パリのプロスティテュートや、韓国の妓生たちに見せたら、みんな羨ましがるにちがいない。
 昭和32年4月1日、キリスト教婦人矯風会の圧力でに幕を閉じた遊郭文化、売春と一緒にした考え方を黙認したのは、日本人として正しかったのだろうか。これもグローバル思想の犠牲であるか。
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2017年03月23日

短い髪の女たち

短い髪の女たち

 「髪の手入れに何十分?冗談じゃないわよ」面倒くさいのではなく、そんなことに時間をとられたくない。
 いわゆるコメンテーター、ワイドショーなどで司会をしたり、ご意見番をつとめる、ちょっとした知性を売り物にする女性たちは、短い髪、それも短すぎるとスポーツ選手やプロレスに見えるので、ボブ風乃至は顎までヘアが多い。
 決断力に乏しい女は、短くしても長髪への思いたちがたく、肩辺りの長さでうじうじしている。耳、顎、肩の髪のながさの違いは、女性の自意識や対人思想を反映して、実はすごく奥深いともいえる。

 阿川佐和子、有働由美子といったしっかりした知性と積極的な職業観を持った女性は、ボブといった髪型で迷うことがない。ボブはそこそこの美容師であれば品良くシンプルにまとめられる。
 小池百合子なども、政治家として先頭にたつとき、多くの女性の賛同をえ、同性から嫌われないためには、このヘア・スタイルしかないという信念がある。同じスーツで色違い柄違い素材違いで、200近いスタイルをもっているというのも、さすが職業政治家のライフスタイルに徹している。
 その面から見れば、右翼の星稲田朋美防衛相などはまだまだひよっ子、アミタイツを履いてみたり、お嬢様ベルトを結んでみたり、時には泣いたり、地元に媚びて眼鏡をかけてみたり、していることが小さい。髪型も中途半端なロングで、この人にしっかりした国家観があるとはどうしても思えない。
 司会を務める最悪のロングは、フランス帰りの雨宮塔子、あのヘア・スタイルで政局をかたられてもオミズの政治談議にしか見えない。パリジェンヌを気取ったつもりかもしれないが、パリにあんなロングヘアのマダムはいない。

 蓮舫のショートはただのつっぱり、女を棄てた女のショートヘアである。口調と実際があいまって自己都合だけの愛のない政治家にしかみえない。
 桜井よしこのショートにも困りものだ。あの大きな髪型は、韓国の歴史習俗に登場する大きさで、田舎の温泉場の芸者風でもあり、大きいシルエットが下品にみえる。折角の論客の足をひっぱっているめのが、ふくらましたショートヘアなのだ。
 シャンプーもセットも楽なはずのショートヘアが、面倒くさいショートに変身している。

 最近は「カットをしない美容院」、15分でセットだけをしてくれる美容院が流行っているときくが、シャンプーだけは自分でして晴れの日だけセットをしにいく、コスパのいいショート・ヘアに人気が集まっている。


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2017年03月22日

長い髪の女たち

長い髪の女たち

 上流階級の女性が長い髪だつたことは、源氏物語の絵解きを見るまでもなくこの国の伝統だつた。
ずっと引きずって今でも女性の髪は長くなければならないと信じている人は結構いる。というわけで風俗のお風呂屋さんはみな髪が長い、長髪甘手であることは日本の男性を相手にしたとき絶対的な条件であるらしい。

 女の髪は長くなければならないという美意識は、男性ばかりか女性のなかにも多い。
 きものショーの演出をしていると、モデル達はほとんど長い髪の女性がやってくる。これはモデルクラブのマネージャー達の意識にも問題があり、キモノだから長い髪という固定観念があるのだ。きものだから長い髪という考え方は嫌いだったので、きものだけどショートかボブのモデルにして欲しい、とよくクラブともめた。長い髪をたらしたままでは鬱陶しい。いちいち結い上げなければならない。
 ショートやボブに、きものを着せた方がモダンになり、現代的になる。髪を切って欲しいとオーダーすると、泣きわめいて抵抗するモデルもいた。

 モデルに限らず、女優にもそうした意識の女性たちはいる。
 仲間由紀恵、綾瀬はるか、指原莉乃などは、刑事役でも長髪直毛で登場しそうだ。後から見ると、腰近くまで黒髪で、その下に短い脚では、パリジャンが気味わるがるのも無理はない。長髪の女達にはバランス感覚のない
女性は多い。

 日本髪が主流だった時代、髪をきって颯爽と登場したモガたちは、勇気ある女性だった。オカッパで自己主張したので、髪の短い女は気が強い女として、世の男たちは驚いて避けた。古い男たちは優しさを信じて長い髪の女になついていった。しかし髪の長い女達も結構自己主張は強い。
 要はショートでも、ボブでも、ロングでも、女性はみな気が強いということなのだ。
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2017年03月21日

日本一の三連太鼓橋「鶴の舞橋」

日本一の三連太鼓橋「鶴の舞橋」

 日本で一番美しい橋は何処だろう、ということになった。
 ネットでデータ好きの頁を開いてみると、概ねの意見は出揃っている。日本橋、宇治橋、そして錦帯橋、いや二重橋を忘れていないか。瀬戸大橋のほうがいいぞ、となにかと姦しい。

 そこでフォトジェニックな眼から検討してみた。
 青森県北津軽郡鶴田町にある「鶴の舞橋」にとどめを指した。
「鶴の舞橋」は日本最大の木造三連太鼓橋だ。全長300メートルの総ヒバ造り、橋脚には樹齢150年以上の
青森ヒバ700本を使い、現代的な橋梁技術ではなく、伝統的な造橋技術を使って作られた橋だ。
 橋の太鼓は錦帯橋の如く急ではなく、ゆったりとおおらかに造られている。鶴の里づくりを進めている鶴田町としては、つがいの鶴の飛翔する姿をモチーフにしているそうだ。
 お互いの片翼を重ねて仲良く湖面を舞っているようにも見え、端正な美しさは天空よりの使者にイメージが重なる。

 この国にしかない繊細な美しさに充ちた橋が、どこにも見当たらないのは何故なのか。
 橋を機能本位でとらえ、車がはしり人間が歩ければ、それで良しとする近代の機能第一主義が橋をつまらなくしている。
 観光地を自称する軽井沢に美しい橋はひとつもない。故郷と河のイメージを貧弱にしている。
 パリのセーヌ川にかかっている橋にはみなそれぞれに歴史を輪切りにしたデザインがあり、人間だけのための三本の橋には思想と哲学、それを受け止めるデザインが象徴化されている。

 宇治橋は源氏物語宇治十帖と結ばれ、紫式部のイメージとだぶる。
 「鶴の舞橋」もまたこの橋を渡ることで、長生きができるという信仰の橋になっている。
 橋を味気ない鉄とペンキの支配物にしてしまうのは、自然破壊の片棒をかついでいることなのだ。
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2017年03月20日

森友に群がるおバカなジャーナリズム

森友に群がるオバカなジャーナリズム

 森友学園がマスコミの集中砲火を浴びて、神の国小学校開設不能になつた。
 が、無認可になり開設不能と思われたが、着々と施設を拡充しキャンパスを広げているのが、ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(仮称幸福の科学大学)である。認可を得られなかったので大学名は使えない。
 ユニバーシティには、政治・ジャーナリズム専攻と芸能・クリエーター専攻部門があり、新校舎には講義室は
勿論のこと図書館、劇場、撮影スタジオ、レッスンスタジオまで揃っている。

 第二次世界大戦後、占領軍はこの国を宗教面から支配しようとして設立したのが、国際基督教大学だった。
 資金は当然キリスト教団体からの寄付、強制収容された多摩墓地近くの土地のうえに建設された。当時都内の優秀高校から全学成績10番以内の学生を受験させよ、と司令部から内示があった。

 神道の家元たる天皇家の嫁は、二代にわたりキリスト教系の大学を出、子弟はキリスト教系の大学に学び、連合軍の意図した占領政策は見事に達成された。神の国は着々とキリストの国に塗りかえりつつある。

 私学というのは総覧してみると宗教系が圧倒的に多い。目的は布教にあるが信者数より、思想的な影響下にある市民をふやすのが目的だ。大正大学、佛教大学、華頂大学、天理大学、創価大学、国学院大学などの神道仏教系に対し、上智大学、聖心大学、白百合大学、東京女子大学、青山学院大学、国際基督教大学などキリスト教系はある意味この国の教育界をリードしている。
 受験塾の経営が当たって大学になったり、スーパーのオーナーが流通大学をつくったり、まもなくネット大学やゲーム系大学も登場する時代がくるかもしれない。

 しかしこうした学校の創設は、いずれも特定の寄付から成り立っている。理事長の財産を調べ、貴方には金がない、抵当に入っている、学校なんか作れる訳はない、と非難する記者たちは、私学の成り立ちをしらないおバカなジャーナリズムなのだ。



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2017年03月19日

超コスパの悪い JR四季島

超コスパの悪い JR四季島

 JR東日本から超高級列車 TRAIN SUITE 四季島 が売り出された。
 ゆったりとした汽車の旅を楽しもうという考え方には賛成だが、いまいちピンとこないのは何故か、考えてみた。
 コンセプトには、日本の美の深さに出会い、時々のうつろいを愛でる、人生の今までにない体験と発見を、鉄道の旅で。とあるが、取り立ててそんなに特別なことはない。

 一番前と後ろの展望車はお約束のことがらで、見える景色は普通車の旅と変わらない。ラウンジは銀座の路地裏のような狭いところを無理に着飾ったオミズ風だし、ダイニングもコマゴマとデザインされてうるさい。伝統と和のエッセンスを取り入れたスイート・ルームは、どてらを着た親分衆がどっかと座れば似合うのだが、列車のなかに檜風呂があったらそんなに嬉しいか、といったレベルのデザインで、日本独特のシンプルな美しさも品格もない、近頃流行の和モダンという奴である。

 デザイナーはくるまやメガネ、トラクターなどを手掛けてきたアメリカンな奥村清行、日本の建築美には程遠い感性をもっている。料理はこれまたホテル・エドモントでお箸でたべるフランス料理を広めてきた中村勝宏と子分の岩崎均、日本食の深さとはあまり縁のないスタッフだ。そこに衣裳デザインで加わったのが、ユニクロ出身の滝沢直己とくれば、近頃話題のおもてなし・グループで、時のうつろいをかんじるほどのこともない。

 要するに滅法コスパの悪い汽車の旅、それが TRAIN SUITE 四季島 なのだ。
 四季島スイート一人一泊70万円、二人で140万円、おひとりさまなら105万円、一番安くても二人で100万、ひとり75万でそれにサービス料税金がつき、更に2泊3日の催行となれば掛け算が必要となる。10両編成の汽車に30人の客を乗せて、ごぞんじの関東、東北を走り回る。空を飛んだり、海に潜る訳でもない。いままである線路のうえを走るだけなのだ。
 バブルが趣味の方にはお薦めできるが、正常な庶民には関係のない汽車の旅だ。
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2017年03月18日

アメ車は何故売れない

アメ車は何故売れない

 トランプ大統領から安倍さんは、アメ車を買え、アメ車を売ってくれ、とかなり強硬に言われたと伝えられる。が日本では外車といえばドイツ車が圧倒的人気で、その筋の方から大病院の院長先生までメルセデスに乗っている。昨年の輸入外車ランキングでも、一位がベンツ、二位BMW、欧州車がずらりと並び、アメ車はフォードの15位がやっとという現状なのだ。

 アメ車は大きい、アメ車は燃費が悪い、アメ車はすぐ壊れる、といった昔から確立した都市伝説を打ち破るのはかなり困難だ。それでも無駄に大きくて、かっこいいからアメ車だという人は、親不孝者か自称ロッカーにはいる。

 思えば一面焼け野原になった東京を、埃を上げて走っていたのはアメ車だけだった。多くは兵隊たちの乗るタフでごついジープだったが、たまに駆け抜けていくシボレーを眼にすると軍のなかのエリート、高級将校がふんぞり返っている姿を想像した。どうしてもキャデラックを見たいという自動車狂は、お濠のまえの連合軍総司令部、接収された第一生命ビルの周りをうろついてようやく遭遇した、あれは将軍に違いないと翌朝自慢げに吹聴していた。

 スカイブルーと白のツートンに塗り分けられたシボレーに遭遇すると、そこにハリウッドやニューヨークの摩天楼がダブった。日々の食に追われていた日本人にとって、アメ車は思い届かない文明のシンボルだった。

 それがいつの間にか厄病神のように言われ、誰も買わなくなったのは、時代の趨勢を読み違えたシカゴの自動車メーカーの人々ではなかったか。今のアメ車は燃費もよくなり、車体もコンパクトになっているのだが、堅牢度や取り回しの面でユーザーのライフスタイルに心を尽くさない、いいから買えという姿勢では日本人は買わない。

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2017年03月17日

吹き荒れるヨーロッパの極右勢力

吹き荒れるヨーロッパの極右勢力

 アメリカの作り上げたグローバリズムのメッキが剥げ、資本主義のいきずまりとともにヨーロツパはいま、
極右、右翼思想の嵐のなかにいる。
 イギリスのEU離脱に始まったこのメガトレンドは、イギリスに於ける知的女性のシンボルとも言われた
テリーザ・メイ首相をして「EUの設定した 人・モノ・サービス・資本 四つの自由にイギリスは超えられない
一線がある」と発言させた。

 オランダでは、反EU・移民受入れ反対をかかげた右翼自由党が大きく勢力を伸ばし、党首ウィルダースは「ついに自分たちのの手に国を取り戻す時が来た」と獅子吼している。

 フランスでは、次期大統領に最有力だった中道右派のフランソワ・フィヨンの家族への100万ドル公金流用疑惑で人気に陰りが見え、中道無党派のエマニュエル・マクロンは同性愛者との不倫を暴露され、結局トランプより危険と言われている極右 ジャン・マリー・ルペン女性党首が、グローバリゼーションとイスラム原理主義への反対をかかげて、次期大統領の最有力候補にのしあがった。

 イタリアは北部同盟五つ星運動のサルビーニ書記長が、反政党主義、反物質主義、反競争社会、反EUを掲げ、二大政党の中に割って入り新勢力の星になっている。コメディアンと起業家の道楽と見られていた政治運動がいま時代の真ん中にいる、という訳だ。

 EU推進の中心にいるドイツでもメルケル首相の足元がゆらいでいる。メルケルの移民政策に真っ向から反対を唱えて、一大勢力となったのは仝じく東ドイツ出身の、これまた仝じ女性科学者、メルケルは牧師の娘、フラウト・ペトリーは牧師と離婚した女、という一卵性双生児のような反対勢力が伸びている。ドイツのための選択肢AfD いい移民・悪い移民を選別せよ、という極右政党である。

 ヨーロッパはいま極右思想と女性政治家に揺れている。小池百合子にヨーロッパの風が吹いている。

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2017年03月16日

オスプレイが飛んでどこが悪い

オスプレイが飛んでどこが悪い

 県の防災ヘリコプターが墜落した。第一面のトップに書かれている。
 左半分にはそれより大きな活字で、オスプレイが県内を飛んだというニュースだ。日米共同訓練中だが、事前の連絡はなかったしあちこち自由に飛んでもらっては困る、ということなのだろう。県内の住民からも近所の山の上を飛んだとか、千曲川の下流方向に飛んで行ったとか迷惑情報が寄せられている。
 どこかの町の議会は、あらためてオスプレイ配備反対決議をした、と書かれている。どういう訳かオスプレイはまるで犯人あつかいである。

 日本はいま国土の防衛についてアメリカに依頼している。丸腰では現在の国際情勢をみれば、無事ではいられないこと位は、日本国民は判っている筈だから。その米軍が巨費をかけて開発したのが、オスプレイだ。
 オスプレイは垂直に離着陸する機能と、飛行スピードの速さ、航続距離において圧倒的に優れている。
CH46という従来のヘリに較べたら、行動半径は4倍以上、空中給油を一回しただけで8倍の距離を飛ぶことが出来る。
沖縄を基地とすれば、尖閣は勿論のこと、中国は上海まで、韓国のソウルまでとんでいける。倍の兵士と6倍の貨物を積んで飛行できる。災害救援にも離島防衛にも人道支援にもこんな頼もしい飛行機はない、ということ位素人でも理解できる。
反対運動の人々は事故率を上げているようだが、兵器というのは押しなべて初期はいろいろのトラブルが起きる。すべて時間とともに解決していく。実戦配備してからのオスプレイ事故率は10万時間当たり1.93回、現在使われているヘリコプターCH53Dの4.15よりもはるかに低い。騒音も従来機より6倍も静かなのだ。

 そうした客観的データーを無視して、とにかく反対反対という人たちの感情論が理解できない。
 中国は尖閣は核心的領土といい、沖縄すらも領土だと言い放っている。北朝鮮は日本の米軍基地が目標だと
ミサイルをむけている。日本人は日本の米軍基地は日本なのだ、ということが理解できていない。
 オスプレイが配備されることを最も嫌っているのは中国と北朝鮮、オスプレイ反対の人たちはひょっとして中国共産党の回し者かと疑ってしまう。
 いい加減にオスプレイ反対ごっこ、万年野党ゴッコから、メディアも庶民も卒業すべきだろう。
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2017年03月15日

鯛焼きは天然物にかぎる

鯛焼きは天然物にかぎる

 「たい焼きは、しっぽまで餡が入っているのが美味しい」と四谷の作家安藤鶴夫が新聞紙上で発言したところから、論争になった。いやたい焼きのしっぽは、指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に棄ててしまうものだから、餡の入ってないのが正しい。そんな反論まで飛び出したが、たい焼きを愛する庶民の立場からは、やっぱり尻尾まで餡が入っていたほうが、嬉しいし得した気分にもなる。

 四谷のアンツルさんのいったたい焼きは、四谷見附にある「わかば」のたい焼きのことだ。それまでたい焼きは麻布十番の浪花家だとか、人形町の柳屋だといっていたが、安藤鶴夫の発言以来すっかり「わかば」のたい焼きは名品となった。わかばのそれはガツンとあんこ、パリパリ薄皮の天然物であり、なによりも化粧裁ちがしっかりとしてあった。
 女優佐久間良子さんの差入れはいつも「わかば」のたい焼きが粋な竹籠に100匹程もはいっていた。徹夜で働いて甘味不足のスタジオの若者たちにとって、尻尾まで餡のつまった「わかば」のたい焼きはなによりの差入れだった。

 あの頃ドラマ収録の現場での差入れ人気ベストテンは、「おつな寿司のいなり」「五十番の豚まん」「まい泉のかつサンド」「千疋屋のフルーツサンド」などだっが、「わかばのたい焼き」は断トツの人気だったような気がする。

 麻布の浪花家は、子門真人の「およげ、タイヤキクン」のモデルになったことから有名になったが、その昔は元祖とも100年の伝統ともいってなかった。麻布十番のちいさな駄餅やさんの一隅でささやかに焼いていた。
 たい焼きには、鉄の焼き型一本一本で焼く天然物と、複数同時に焼く養殖物の二種類ある。ずらりと炭火の上に並んだ一丁焼きの鋳物同志がひっくり返すたびごとにぶつかる音の風情がたまらないという人もいる。
 高村光太郎の一文から、吉本隆明は「たい焼きは男のせつなさの象徴である」とまでいったが、良き時代のノスタルジックなスイーツなのかもしれない。

 近頃では餡を入れずに、ベーコン、チーズ、チョコレートなど具材にした新製品やら、パンケーキミックスをつかったふわふわとやわらかいたい焼きも存在するようだが、あれはたい焼きと呼んではいけない。ほかほか、ぱりぱり、もちもち、こしのある餡と香りこそが江戸のたい焼きと認識している。
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2017年03月14日

さようなら、A5ランクの牛達

さようなら、A5ランクの牛達

 「肉はA5に限る」誰が言い出したのか知らないが、最近この表現に反発する勢力がでてきた。
 「A5の肉はいらない。脂過剰で決してうまい肉ではない。うちではA4等級以下で充分美味いすき焼きを提供します」宣言したのが、明治13年から雷門に店を構えるすき焼きの名店「ちんや」の社長である。

 「ちんや」は、東京風な割下でたくすき焼きで、値段ばかりが高いA5ランク信仰に我慢ならなかったのだろう。戦前は美味い肉は赤身だった。ヒレ肉の中心にあるシャトーブリアンは、ヨーロッパでも日本でも、香り、旨み、食感で最高とされてきたのだが、何時の頃からかサシばかりが過剰に入ったA5肉に人気が集まるようになった。
 食肉業者の戦略だったのだろうが、「当店の肉はA5ランクの最高級○○牛」と書きだした食堂・レストランだらけとなり、調理の腕も棚上げの宣伝合戦となった。

 「ちんや」では、霜降り肉といわず「適サシ肉」と表示するようになった。
 脂肪の量は4等級(そのほうが身体にもいい)で、なによりも脂肪の溶け方がよく、赤身の旨みと脂の甘みのバランスがとてもいい。香りも立ち、胃もたれもしない、いいとこずくめなのだ。
 サシの入り方が細い小サシと言われる状態は、加熱するとサシと赤身の境界から「和牛香」と言われる香りがでて、なんとも美味そうな食欲を促進する香りにみたされるという。時の流れとはいえ、バブリーなキャッチに踊らされ、脂身だらけの肉を食してきた我々自身の食に対する意識が問われている。

 「ちんや」では肉の適正化とともに、溶き卵の改良も発表している。
 名匠小津安二郎が好んだカレーオイル入りの卵と、酸味を加えたヨーグルト入り卵の二種である。
 溶き卵の革命と「ちんや」は云っているが、いずれの折に試食してみたい。
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2017年03月13日

「カモフレ」いま話題の男女関係

「カモフレ」いま話題の男女関係

 「カモフレにならない」「カモフレならいいわよ」そんな会話が流行っているそうだ。
 カモフレとは、「カモフラージュ・フレンド」のこと。 恋人同士のフリをしあう男と女。恋人同士のように繊細な神経をつかう必要がない。気を使わないで、お互い都合のいいときにデートする関係であるらしい。
 無論恋人同士なのだから、手をつなぐこともあれば、キスすることもある。関係はそこまで。

 寂しい時には、恋人のフリをして寂しさをまぎらわしてくれる。
 少々のわがままは聞いてくれる。同性でどうしても満足できないとき、異性でもただのともだちでは充たされないとき、カモフレなら満足させてくれる。
 疑似恋愛、疑似デートに応じる心のゆとりがなければならない。
 恋愛ヒク嫉妬ヒク打算ヒクセックスイコール「カモフレ」 という公式が成り立つ。
 恋愛のわずらわしさがなく、ほど良い距離感でつきあう男と女のあいだに成り立っているのが「カモフレ」である。

 疑似夫婦からスタートした「逃げるは恥だが役に立つ」あたりから、主婦代行より疑似恋人のほうがいい、という意識が育ってきたという向きもある。「東京タラレバ娘」のごとくいちいち本気になったら疲れてしまう。「奪い愛、冬」のごとく、怨念で恋したらたまらない。もうすこしゆるく楽しく青春を楽しみたい人々には、なんとも有難く適切な人間関係、それが「カモフレ」である。

 結婚に憧れている人にはカモフレは無理だが、それまでの経過措置としての「カモフレ」はありかもしれない。既婚者でも不倫地獄に陥ることなく、家庭から解放され、固定化した男性観にすこし新しい風を吹き込むには、「カモフレ」の関係は絶妙である。
 新しい出会いに、恋人関係を選ぶか、「カモフレ」を選ぶかは貴女次第なのだ。
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2017年03月12日

神道教育は悪くない

神道教育は悪くない 神道教育は悪くない

 ようやく森友学園問題も、小学校設立申請の取り下げと、理事長辞任で落し処がみえてきた。
がここ何週間のあいだのメディアのはしゃぎようは、全く狂気の沙汰だった。

 はじめにメディアがくいついたのは民族教育、「君たちはなに人ですか」「日本人です」「日本民族です」
そのことがいかにも反社会的行為のごとく、新聞やテレビが騒ぎ立てた。
 そんなことは「中国」でも「韓国」でも「アメリカ」でもやっていることで、国家に殉ずる国民をつくることは、どこの国でも義務教育の基本になっている。マツカーサーに肝を抜かれた日本は、戦後ずっと義務教育から民族教育が抜け落ち、無国籍な自由平等教育こそが正しいという錯覚のまま今日を迎えた。それ故にディズニーランドこそ憧れの地で、尊敬する人物はウォルト・ディズニーなどという信じられない日本人が誕生してしまったのだ。
 野党を始め左翼知識人もそうした無国籍教育こそ正しいとして、無責任な声を上げてきた。

 女子のエリート学校には、キリスト教系が圧倒的に多い。男子には仏教系やら、新仏教系も多々あるなか、どうしたことか神道系の学校はすくない。皇學館、国学院ぐらいで、世が世なら学習院もそうであるはずなのが、敗戦後のにほんで占領軍に牙をぬかれ、ただのプチブル学校になってしまった。そうした意味から神道系の学校ができることは、歓迎すべきだったのに、今回は経営者の資質から挫折してしまった。

 国有地の払下げ問題もつつけばきりがない。朝日新聞は築地本社の国有地払下げで、時価の四分の一と言われる値段で入手している。大蔵省を巻き込んだ読売、サンケイの国有地払下げ騒動も八分の一の値段だった。それぞれの言い分はみな自己都合で、メディアは大見得をきれるような立場にない。
 もう少し頭を冷やして遊休地がいいのか、小学校がいいのか、それとも朝鮮学校なのか、中国へ売るのか、そちらを論じたほうがいいだろう。

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2017年03月10日

メシの味より「飯盛り女」

メシの味より「飯盛り女」

 軽井沢の南、発地という田園地帯につぎつぎと新しいレストランが出来ている。
 美味いものは大歓迎なので、できたという情報に接すると、食い意地もいやしく早々に客となる。

 かって塩沢の入口近くの民家で、釜戸焚きのメシをうりものにしたレストランがあった。商業建築の安普請よりは民家のほうがましと思い、釜戸焚きのメシを目当てに足を向けた。メシはそこそこだったが、味噌汁の不味さに驚いた。そのうえ味噌汁の椀が安っぽいプラスティックだつたことに落胆し、そのレストランから遠ざかった。

 あのメシやが発地の大通りに立派な民家風をつくったという噂だった。
 あの時から味噌汁も反省して美味くなり、繁盛のすえの新築開店と合点して、スタッフとともに店を訪れた。
田園風景のなかの新築の佇まいは、魅力的な民家レストランに見えた。座敷に上がり、メニューをひらいた。目の前に広がるホタルの里、ご飯は釜戸炊き自慢のとろろ御膳と、福見鶏御膳を頼んだ。主菜はそれぞれにとろろと福見鳥だから、さぞやと期待したが、副菜の煮ものよりも少なく貧弱な鳥と、出汁でのばしたとろろをさらにお湯でのばしたような情けないとろろ汁がでてきた。
 器は民芸風な趣味のいいうつわを揃えているのだが、汁椀は相変わらずのプラスティック、食器の揃え方が出鱈目なのにはあきれた。その上ひどかったのは、肝心のメシが不味かったこと。「さとうのごはん」のチンにも劣る、メシさえ美味ければ玉子ひとつあれば食べられるのだが、これにはびっくり。煮物はうすい出汁で煮ているが、煮込みが中途半端でこれまた味が滲みてない。
 数日前、やはり発地に開店した食堂にいったが、ここもまたメシの不味さに辟易としたのだが、どうも軽井沢では美味いメシにありつくのは至難の業のようだ。

 その土地の民度と食のレベルは平行するといわれるが、中山道の宿場から今日を迎えた軽井沢は、食に関してはかなり恥ずかしいレベルだということを再認識した。 宿場時代の軽井沢は「飯盛り女」の色香で食べさせていたのかもしれない。
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2017年03月09日

物忘れ外来の昨日今日

物忘れ外来の昨日今日

物忘れ 忘れたことを また忘れ
思い出す 三歩歩いて なんだっけ
久しぶり 顔はわかるが 名前がね
あれこれで 通じる妻が ありがたい
物忘れ 晩酌だけは わすれない

「物忘れ」という現象は誰のところにもやってくる。
 最近ではジュリーこと沢田研二が、途中で歌詞を忘れ3600人のファンの前で土下座したというニュースがあった。紅白歌合戦で歌詞を忘れたのは細川たかし、十八番の「浪花節だよ人生は」で二度も忘れている。大御所北島三郎も「根っこ」という曲の「忘れるな」というフレーズを忘れた。洒落のきつい物忘れだ。
 歌手の場合、つい気が緩んでというのと、レコーディング間もないので歌詞がまだちゃんと入っていない、というのがある。そのため新曲の場合は、マネージャーが大きなカンペを作って、カメラの横やらオケボックスに待機している。カンペの出し方の下手なマネージャーはいじめられ、カンペの上手いマネージャーは、のちに歌手となり、スターとなった例もある。

 我々庶民の物忘れは、加齢とともに進む脳の老化が圧倒的に多い。
 ストレスや、睡眠不足でも物忘れは発生する。寝ることによって人間の身体は再生し、回復するのだ。食生活の欧米化も原因に数えられている。肉をたべず、マグロ、サバ、など青魚を食べていれば、DHA、EPAなどが適度にとれ、脳の劣化を防いできた。それがいまでは肉食中心となり、脂質、コレステロール、飽和脂肪酸を発生させて物忘れ……つまり馬鹿が次々とふえつづけているそうだ。
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2017年03月08日

猿若祭のふたり桃太郎

猿若祭のふたり桃太郎

 江戸歌舞伎390年と謳い、猿若祭大歌舞伎と謳っている。
 ならば初幕のまえには、柿、白、黒、三色の引幕にして欲しかった。
  守田座方式の萌黄、柿、黒の定式幕では気分が盛り上がらない。
 物語のある柿、白、黒の幕にしてこそ、390年前の安宅丸による歌舞伎の江戸乗り込みを彷彿とさせる。
櫓拍子を揃えるために船の舳先に立ち、金の采配をふって江戸の港にはいってきた初代中村勘三郎の心意気が見える船覆いの幕こそが、柿、白、黒の三色に象徴されているのだ。

 猿若祭では勘太郎・長三郎の初披露もあったため、そちらの祝い幕を優先させたのだろうが、まずもって猿若座の気分こそ江戸っ子にとっては晴れがましく嬉しい。
 猿若という道化の役どころは、阿国歌舞伎とともに、出雲、京都、江戸に伝わった狂言回しとして、歌舞伎百般にまつわる名前なので、役者の家の名のうえにきて当たり前である。

 さて三代目中村勘太郎、二代目中村長三郎初舞台は恒例記者会見に始まった。
 同時に発表されたのが、「二人桃太郎記念田んぼアート」と題された田植えと稲刈りイベント。まず五月に松本の田んぼで田植え、秋には稲刈り、18世勘三郎の鏡獅子と日本一の幟をもったふたりの桃太郎が稲田にうかぶ。ひとつのイベントで三度宣伝に絡むイベントだった。
 次は桃太郎ゆかりの鬼ヶ島へ。鬼の洞窟のまえでの親子三人の見得写真。さらに岡山吉備津神社にまいり、鬼の首の埋まっている竈のうえの窯を炊き、鳴り響く音で吉凶を占う鳴窯神事、そして最後は浅草浅草寺における猿若祭お練り、と宣伝大車輪の興行だった。テレビ時代に呼応し、子供二人の一年間密着レポートと水も漏らさぬ中村屋ご家芸の宣伝戦だった。
 かくて歌舞伎座客席にはマスクをし、キャリーバックを引き、芝居中も平気で弁当をひろける無法者があふれたのだった。   ……目出度し、目出度し。
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2017年03月07日

伝統食おにぎりの改良

伝統食おにぎりの改良

 50年前、おにぎりの差入れを度々したことを思い出した。
 神楽坂の細い路地にその店はあった。
 おばあちゃんが一人でやっていたのだが、歌舞伎座でも新橋演舞場の楽屋でも届けてくれた。
忙しい舞台裏でポンと頬張って食べれるおにぎりは、意外に人気があった。
おばあちゃんのおにぎりは、醤油の香ばしい焼きおにぎりだった。
手のついた粋な篭に入れ、漬物を添え風呂敷に包んで届けてくれた。
名代の役者衆はともかく、お弟子さん、部屋子さん達に殊のほか喜ばれた。
 おばあちゃんの店はあるとき、火事をだし閉店してしまった。

 その頃から、コンビニのおにぎりが進出してきた。
テレビでは、どこのおにぎりがいちばん早くむけるか、などという競争を番組にしていた。
田中康夫が自慢げにおにぎりの皮をむいて、うんちくを語っていた。

 本家アメリカのコンビニにはなかったおにぎりの開発にはいろいろの問題があったのだろう。
 米と具とノリしか使わないメニューだが、お米の選択から具の選び方、鮭、梅、ツナマヨ、こんぶ、明太子
 それぞれに特徴がある。年間21億個も売れるいまのコンビニおにぎりは、日本人の味覚の集大成のようにも 思える。

 パリッとしたのりの感触を保つためにもいろいろの包み方が試みられた。
 レンジで少し温めると、抜群に美味くなるおこわシリーズ等、中高年には絶対的な人気だという。
 おこわのモチモチ感にフックラが加わって、たまらない美味さを演出している。
 なかでも「赤飯おこわおむすび(税込130円)」と、「鶏五目おこわおむすび」は永遠のベストセラーだと  か。
 ごはんにぎりは三角に、おこわにぎりは丸にしないと売れないという都市伝説もある。
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2017年03月06日

新天皇の「おひとりさま公務」

新天皇の「おひとりさま公務」

 天皇の引退、譲位のことが最終段階に入った。
 天皇の一番の悩みは、皇太子とその妻雅子妃殿下のことだと、報道にもれている。宮中祭祀にまったく興味を示さない雅子妃に対しての不安が、明日の天皇家の存在に影を落としていると悩まれている。
 国民の生活に寄り添い、いつも謙虚に祈ることが天皇家の役割と認識されて、それこそが天皇と美智子妃にとっての役割だった。
 ところが皇太子は雅子妃殿下の不安を包み込み、親子3人でのスキー旅行以外は、お一人様公務があたりまえになっている。
 札幌で開かれた冬季アジア大会開会式も「おひとりさま」公務だった。大会プログラムには、雅子妃殿下の名前があったにもかかわらず皇太子は「おひとりさま」で出掛けられた。
 新しい時代の公務の在り方として、皇太子自身がそれでいいと考えているとしたら、とても不幸なことだ。

 憲法学者は「憲法には世襲天皇の役割しか規定してありません。公的行為でも皇后のご同行は必須ではないのです」と説明しているが、国民は当然のごとくに天皇皇后お二人の出席を望んでいる。
 当日の朝まで出席予定だったのが、直前になって「本日皇后のお出ましはありません」で国民は納得するだろうか。
 皇室の国民軽視として、少しずつ心が離れ、挙句の果ては「皇室いらない」に、つながりかねない。
 雅子妃の身勝手が皇室の悲劇をまねき、2000年の歴史が壊されてしまうかも、と考えるのだ。。

 コミュニケーションの薄れた現代社会にあって、皇室のみならず一般女性達のあいだにも「おひとりさま思考」がふえている。 ひとりカフェ、ひとり映画、ひとりラーメン、ひとりカラオケ、ひとり居酒屋、辺りまではともかく「ひとり海外」「ひとりキャンプ」から遂に「ひとり高級フレンチ」「ひとり料亭」になると、4割以上の男性も引いているという結果がある。
 「ひとり天皇」も「ひとり熟女」も、時代を生き抜けるという保証はどこにもない。
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2017年03月05日

毒殺! その時歴史は動いた

毒殺! その時歴史は動いた 毒殺! その時歴史は動いた

 金正男毒殺事件が、世界を騒がしている。が世界史をひもとけば、歴史の転換期にまま毒殺事件はおこつている。

 トランプのクラブのキング……となつた古代マケドニア王のアレキサンドロス大王は紀元前323年に毒殺されている。両性愛に生きた大王は華やかな宴席のさなか、癲癇状の発作を起こして殺された。彼のワインにはクリスマス・ローズの毒が盛られていたと伝わっている。

 1791年には天才モーツアルトが、わずか35才で夭折した。食事のポークカツに毒を盛られ、その毒が体内を駆け巡り、全身に毒が回って、身体が腫れ、ひどい苦しみと痛みのなかで死を迎えたといわれている。音楽上のライバル…宮廷作曲家サリエリが毒殺の犯人と疑がわれた。

 ナポレオンの毒殺は1821年、100年後、付添の看護婦の日記が発見され、英国グラスゴー大学が彼の遺髪から高濃度のヒ素が検出した。死亡前半年余りヒ素を飲まされていた、という暗黒の歴史が浮かび上がった。

 帝政ロシアの末期、権勢を誇った怪僧ラスプーチンにも、青酸カリによる毒殺未遂事件があった。ワインに盛った毒が効かず銃弾を撃ち込んでも復活、ついに凍った河に沈めて殺したと、犯人ユスポフ公爵が書き残している。

 日本でも徳川末期、13代将軍家定は34才の若さで没したが、遺体の状態からヒ素による毒殺といわれ、犯人は妻篤姫て゜はないかと言われてきた。最近のオーム真理教による地下鉄サリン事件、さらにアラファトPLO議長の高濃度放射性物質ポロニウム210検出事件、歴史の小道具としてつねに毒物は登場している。


posted by Kazuhiko Hoshino at 17:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

品性にあふれた谷口愛子のショート・ヘア

品性にあふれた谷口愛子のショート・ヘア

 谷口愛子というヘア・デザイナーがいる。
 銀座四丁目、和光から少し有楽町よりのビルを見上げると、美容室谷口愛子の文字に出逢う。昔から新派の女優さん、歌舞伎俳優の奥様方に絶対的な信頼があった。ご本人の出目は知らないが、話をかわすとさっぱりとした江戸っ子気質でたいへんに気分のいい女性だった。
 付け焼刃で髪をいじるのではなく、歴史や芸能にふれ、民俗の気分をきっちりと髪型に表現するのだ。劇場に足を運び、田舎も海外も飛び回って、いつも眼を肥し、腕をみがいている。人間的にも優しい温かさをもち、超絶技巧をもちながら控えめな人柄が素晴らしい。数多くのイベントやプレスにもひっぱりだこで、この国のアップの第一人者である。 それ故美容界のレジェンドといわれたり、多くの学校に招聘されたり、とにかく日本一のヘア・デザイナーなのだ。

 いまを時めく小池百合子東京都知事も絶大な信頼を寄せ、当選の暁の断髪式から、日常のヘアまですべて彼女にまかせている。
 彼女のデザインでなによりも素敵なのは、つねに品のあるバランスとシルエットを保っていることだろう。
ショートを創っても生意気にならない。ひけらかす知性ではなく、エレガントなショートになる。ヘアにおけるラインとバランスは、すこし崩れると日本人ではなくなる。その微妙なところをしっかりと抑え、つねに品位をたもつというのは容易なテクニックではない。
 歌舞伎の奥様方が劇場の廊下に並んでご贔屓を迎えても、決して悪目立ちせず清潔感のある優雅な雰囲気を創っている。昨日今日でてきた原宿あたりの美容師とは全く異なる。
 「さりげなく個々に美しく」それが彼女のクリエイティブをささえている。

posted by Kazuhiko Hoshino at 12:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする