2017年10月22日

フランス映画の美貌・ダニエル・ダリュー

 ダニエル・ダリューが亡くなった。
 彼女の名前のうえには常に「フランスの名花」というキャッチがついていた。

 ダニエル・ダリューの名前をフルネームで書くととんでもないことになる。

「ダニエル・イボンヌ・マリー・アントワネット・ダリュー」
 なるほどこの名前なら美人に決まっている。
 美しくなければならない宿命の名前だともいえる。

 パリ郊外のボア・ル・ロアで100歳の天寿をまっとうした。
 いつも美しく、気品にみちて、たまにちらっと見せるコケットな表情が抜群だった。
 フランス古典派の美人女優といわれたが、もっぱら文芸作品のヒロインとしてフランスは勿論のこと
 アメリカでも日本でも、大人の映画ファンの心をつなぎとめた女優だった。
 カトリーヌ・ドヌープは、年齢を忘れたただ一人の女性、それがダニエル・ダリューだと羨望していた。

 14歳のデビューだったが、シャルル・ボアイエと共演した「うたかたの恋」によっていっきに
 スターへの道をのぼりつめた。
 戦後、1950年には「輪舞」
    1654年には「赤と黒」
    1955年には「チャタレイ夫人の恋人」とたてつづけに話題作に主演したが、音楽学校を出た彼女  には、いつも音楽への秘めた情熱があった。
 1970年には、キャサリーン・ヘップバーンの代役としてミュージカル「ココ」のシャネルを演じた。
 シャネルの知的な表情から情熱的なまっすぐの気性、ダイナミックでヒステリックな仕事の顔まで、
 ヘップバーン以上に演じきったと評判を得た。それでも彼女はあっさりとアメリカをふり、さっさとフランス へ 帰ってきた。ボルドーで生まれ、パリの水に育った彼女には、パリこそが故郷だった。
 
 三度の結婚を繰り返したが、最後はロアの森で家族にかこまれ、静かに天国に召されたと伝えられている。
 フランス映画の歴史をつくった憧れの美しき女優だった。
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2017年10月21日

韓国軍の蛮行・ライダイハンの真実

 「日本の慰安婦問題を国際問題化しようとする文在寅大統領に巨大なブーメラン!」
 韓国人の執念は世界中に少女慰安婦像をつくり隣国日本を貶めることだ、というが、今あまりの醜さにブーメランに見舞われそうになっている。
 イギリスのピーター・キャロルを中心にベトナムにおける韓国軍兵士の蛮行を世界に知らしめる目的で、「ライダイハンのための正義」という市民団体が結成された。
 この団体は「ベトナム戦争において韓国兵士からの性的暴行に遭った女性たちが過酷な人生を送って」いう事実を検証するためイギリス議会に調査委員会設置することを求めている。
 彫刻家レベッカ・ホーキンスさんは被害女性とその子供たちによる「ライダイハン像」を制作し、在ベトナム韓国大使館前に設置して世論喚起しようという計画が進められている。
 日本軍の少女慰安婦像をつくって世界中にばらまいている間に、肝心の韓国人による蛮行を忘れていたためのブーメランがやってきたという構図である。

 ベトナムでは、多くの村々に「ダイハンの残虐行為は忘れない」という碑が建てられ、あの韓国軍の非道は決して忘れない、と主張する人々がいる。
 韓国の歴史学者ク・スジョン氏は当時の資料をベトナムから入手し検証している。
 例 ★老人、子供、女性を一か所に集め、機関銃を乱射して殺戮した。
   ★女性を強姦しながら拷問にかけ、その後殺害した。
   ★妊婦の腹を踏みつけ、胎児が破れ出るまで拷問にかけた。
   ★村人全員をトンネル内に追い詰め、しかる後毒ガスで殺した。……等々
 ニュース・ウイーク誌には報道されたが、韓国国内では一切報道されず、ベトナム戦に従軍した退役軍人たちは「俺たちは国家のために戦った。戦友を冒涜するな」とこれを報じたハンギョレ新聞社におしかけ、社屋機材の破壊蛮行に及んだと伝えられる。

 韓国大統領文在寅は、これらの事実にたいし一切公式の謝罪はせず、賠償も知らん顔、それにふれることすらせず、ひたすら日本軍の従軍慰安婦問題だけをあげつらっている。
「ライダイハン」とは、韓国兵がベトナム女性に産ませた子供たちのこと、2万人から3万人いるともいわれている。
 従軍慰安婦問題に熱心な韓国人と韓国政府、そして朝日新聞はこのことにたいし、どのような態度をとるか、興味がもたれる処である。ケント・ギルバート氏は「韓国はベトナム女性に謝罪する像」を建てるべきと主張している。
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2017年10月20日

ゲノム編集によって人間がつくられる

 「ゲノム編集」の実用化が始まっている。
 こまかいことはともかく、人間ならびに植物の形状だったり、内容を自由に編集できるということだ。つまり病気になりたくない、死ぬまで健康でありたい。もう少し美人に生まれたかった、より背丈の高い男に生まれたい。これらはみな「ゲノム編集」の対象になりうるという話だ。
 編集といえば、画面の繋ぎ合わせで完成する映画の技術として認識していたり、テレビ番組のつなぎや、雑誌のページ構成のための技術として、コアな人たちにかかわることと思っていた人たち自身の問題として登場してきた。これからの人間はすべて「ゲノム編集」によってより優秀な人に生まれる、という期待ももてる。

 つい先日、北海道大学が大豆のゲノム編集に成功したと伝えられた。大豆が従来のものより150パーセントの大きさになり、味も落ちず、収量もより大きくなった。居酒屋のオヤジさんにとって朗報なのか、訃報なのかよくわからない。
 英国ではエイズや白血病の患者から細胞を取り出し、ゲノム技術で遺伝子を修復する研究が進んでいる。
 先端医療技術の分野でも、血友病について病気遺伝子をゲノム編集し、マウスの体内にもどして成功したと伝えられている。
 国際会議では、ゲノム編集は体細胞を基本にし、生殖細胞のゲノム編集については基礎研究に限り、ゲノム技術によって改変した生殖細胞は子宮には戻さない、という決定がなされたと伝えられる。

 日本ではようやく学術会議が、ゲノム研究のルールを検討する分科会を置くことを決め、内閣府の生命倫理調査会が、ゲノム技術の受精卵への応用は基礎研究に限って容認する、という決定をくだした。
 筆者はすでに人生のあらかたを消費してしまったので、いまさらゲノム編集に用はないが、あと10センチ背高に生まれ、もう少し記憶力のいい人間だったら、かなり異なる人生が送れたのではないか、という思いはある。
 A1や人工頭脳にまして、このゲノム編集の技術は、人間についての倫理を問いただす21世紀最大の課題であろう。
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2017年10月15日

メード・イン・ジャパンの崩壊

メード・イン・ジャパンの崩壊
 データ改ざん、最近の嘘だらけは余りにもひどい。いつからこんな国になってしまったのか、情けない限りだ。かってこの国は、正直で礼儀正しい国と世界中から認識されていた。戦争に負け、アメリカこそ自由と平等の理想の国と思い込んだあたりから、嘘も方便の植民地になりさがったのかもしれない。

 タカタのエアバックデータ偽装は、一気に日本の部品メーカーの信用を落とした。世界中のエアバック供給国から訴訟され、市場はヨーロッパに奪われてしまった。
 三菱自動車の燃費データ偽装がばれ、三菱グループすべてから厄介者扱いをうけ、つまるところ日産に吸収されたのは、ついこの間のこと。
 その日産がまた嘘でかためていた。自動車の最終検査員をここ何年にもわたって検査資格のない一般工員にやらせていたというのだ。舶来のゴーン社長のもと、コストカットこそ最上の自動車製造とばかり、メーカー本来の厳しい製品管理がよこにおかれていたのだろう。
 「ヤッチャエ!ニッサン」 と上から目線のCMが流れ始めたあたりから、ユーザーと向かい合うメーカーのポジションを忘れ、宣伝テクニックに傾斜した危うさが見えはじめていた。

 そして名門神戸製鋼の製品データ偽装、データ改竄が表面化した。影響は限りなく大きい。自動車産業のすべて、新幹線のすべて、航空機産業のすべて、電気産業のすべて、ほとんどあらゆるジャンルに鉄やアルミは供給されていする。日本ばかりではない。世界中に取引先をもつ日本を代表するメーカーなのだ。納期や規格要求の厳しさにたえきれず、データ改竄にはしったと言い訳しているが、メーカーとしてのプライドもモラルも失って、金儲け一辺倒の会社に成り下がっていたのだ。
 日本一の電気メーカー東芝も何年かにわたる決算不正で解体の危機にある。シャープはもはや台湾企業になってしまった。経団連はいまこそ「企業モラルのルネッサンス」に声を揚げるべきだろう。

 「メード・イン・ジャパン」の崩壊、危機が迫っている。働き方改革などと念仏を唱えている時間はない。
産業界に性善説は通用しない。性悪説にたって産業界の総点検をしなければ、日本の財界に明日はない。
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2017年10月14日

絶滅危惧種のレビューが復活した

絶滅危惧種のレビューが復活した

 「STAS REVUE 秋のおどり」絶滅危惧種の踊りである。
 結論からいうと2.3の景を除いて全体にとてもいい、とても気分のいい舞台だつた。このレベルの舞台はかってラウンジ・ショーとしてラスベガスにあったが、いまは絶滅してしまった。モンマルトルの麓にあるいくつかのナイト・ショーよりははるかに楽しめるレビューになっていた。
 当初、かってのグランドだつた国際劇場のつくりからなかなか脱却できず、中途半端な大道具や舞台作りが邪魔だったが、この浅草ゆめまち劇場に落ち着いてから、やうやくレビューの本質に近ずいてきたような気がする。

 なによりも印象が変わったのは、大劇場向けのメークアップから、アンチームなゆめまち劇場向けのメークになって、キャストがみな美しくなった。眼の前で踊られても当惑しなくなった。一様に肌色もよくなって美人集団にかわったのだ。若い女性が集まって舞台を作っているのだから、デートに出かけるときのような、綺麗な充実感に輝いていなければ意味がない。重ね倒した目張りや、巨大なうそ眼がめだつような、場末のキャバ嬢にも見えるメークアップは絶対に許されない。

 衣装も今回はとてもよかった。色ずかいがシンプルになって洗練されてきた。白と黒とか、紅ひといろとか、ゴールドだけとか、基調色に少しのアクセント・カラーでよりモダーンな色彩感にあふれていた。多色使いになるとまだ少しばかり問題がのこる。男役のスタイルになると、まっくろなレトロになるが、少女歌劇の幻想に囚われていてどうにもならないのだろう。

 いちばんの功労は構成と振付が非常にこなれてきたことだ。観客に不安な気持ちを抱かせずスピーデイに楽しく情景が展開していく。伝統とコンテンポラリーとモダーンが程よくミックスされている。ときにオバケが顔を出すが、これさえなければ第一級のショー・チームといえるだろう。
 SKD由来スタスの魅力は、アップテンポでチャーミングなのだ。 絶滅危惧種は見事に復活をとげていた。
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2017年10月13日

鍋の季節がきた

鍋の季節がきた

 もはや鍋の季節の足音がきこえてきた。
上田別所平の山のうえでは、まだ「松茸鍋」が奮闘している。よしず作りの簡素な山小屋で松茸のいろいろをふるまってくれる。人間とは強欲なもので、松茸の香りを味わいながら、思いははやくもフグすなわち「フグ鍋」に思いはとんでいる。

  ふぐちりにしようか、やはり大皿いっぱいに広がったふぐ刺しからいこうかと、食欲が独り歩きする。
 ふぐについては食欲というより、通過儀礼に近い。だから本場では「福」と敬称されている。大分臼杵産の天然とらふぐを腹いっぱい食して福を頂きたい。
 本場からきた丸の内の山田屋も、銀座の福和も、ともに臼杵のふぐを売りものにしている。

 魚の鍋に君臨するのが「ふぐ」とすれば、鳥の鍋ではやはり琵琶湖の「かも鍋」にとどめを刺す。
 鴨だけではだめどす、水菜の旬がきたらご案内します、という祇園の冨美代さんが、忘れられない。 ゆったりとした座敷で鴨と水菜だけのシンプルな鍋が嬉しい。

 極端だが、江戸っ子としては冬の「どぜう鍋」もはずせない。せっかちな江戸っ子のために火の通りの早い浅い鉄鍋に、ネギの刻みをいっぱいのせて食すどぜうの丸が、寒さを吹っ飛ばしてくれる。
 江戸風情の大座敷の活気にあふれた浅草・駒形どぜうがぜひもの。

 冬の鍋の国民食はやはり「すき焼」にとどめを刺す。家でやってもよし、外食でもよし、すき焼きは幅が広い。アメリカン・ビーフから米沢牛・松阪牛まで、懐ぐあいでどうにでもなる。
 出汁で炊いてしまう関東風よりも、肉の一枚、一枚を丁寧に焼き上げる関西風のほうが好みだ。
 鍋類も概して関東のものより関西のほうが美味いのは何故だろう。
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2017年10月10日

パリ12区にヌーディストの森現る

パリ12区にヌーディストの森現る

 パリの東に隣接してヴァンセンヌの森がある。
 ナポレオン三世から譲られたこの森は995ヘクタールもあり、西のブローニュの森に対して、パリのもうひとつの森として人気が高い。睡蓮の泉や花の谷のあるパリ・フラワー・ガーデンがあるから、花好きのパリジェンヌにとっても花の聖地になっている。
 それだけではない。標識14番のあたりには、自然を愛するゲイたちの集まるホモエリアもあって、LGBTのパリジャンにとっても解放区になっている。

 そのヴァンセンヌの森に、期限付きながら「ヌーディストの森」が現出した。
 パリ市が10月半ばまで、朝8時から夜の7時30分まで、ヴァンセンヌの森の一部7.300uをヌーディストのために開放したのだ。市当局は都市の開放性を強調し、緑地の新しい活用法として、これからも毎年夏から秋にかけて実施していく方針のようだ。
 パリの市民プールでもすでに週3日ヌーディスト・デーを実施しているところがある。アパートの屋上でも、ニースの海岸でもヌーディストは多く、パラソルの下でなにげに美しい裸女が本を読んでいたりして驚くことがある。 裸は隠すものではなく開放すべきもの、というフランス人の考え方が見えて嬉しい。

 東京で言えば深川の向こうにヌード村をつくるようなことなので、都民は到底賛成しないだろうが、ごく身近の森で、家族連れのファミリーや、若い恋人たち、老境にさしかかった夫婦などが、裸になって太陽のひざしをあびているのは、そんなに排除すべき光景ではないように思う。
 一方ではテロに備えてマシンガンをもった兵士が町を見回り、そのすぐそばではヌーディスト達が太陽を楽しんでいる。 …… いかにもフランスらしい風景ではある。
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2017年10月09日

絢爛・マハーバーラタ戦記を観た

絢爛・マハーバーラタ戦記を観た

 マハーバーラタと言われても身近に感じる人はすくないだろう。もう一つのヒンドゥー教の聖典、ラーマーヤナのほうが多くの日本人には馴染みがある。
 がこの聖典はイーリアス、オデッセイとともに世界三大聖典とよばれ、古代インドに於ける宗教的、哲学的、神話的叙事記として人々に伝えられてきた。長さは聖書の約四倍、18編、10万詩節に上る長編なのだ。バラタ族の内紛、大戦争を通じて、自由に時間をとび、空間をとんで、ダイナミックに展開する思想と事象のせめぎ会い、それ故に賢者は呪い、神の子が戦うという、壮大な史記が出来上がったのだろう。

 そのマハーバーラタの歌舞伎化について、3年前から努力してきたのが、音羽屋の若獅子尾上菊之助、彼の生真面目さと努力が実って、この芸術祭10月大歌舞伎に上演された。
 間口の広い原作からどの部分をとりだすか、戯作者は悩んだに違いないが、第一作としては大成功というべきだろう。菊之助扮する迦楼奈と松也扮する阿龍樹雷王子の話により絞ったほうが、芝居の密度は上がったにちがいないが、作品の背景にあるスケール感をかんがえると、そうもいかなかったのだろう。

 音楽では歌舞伎の下座と併用したガムラン風の打物、打楽器が絶妙な効果をもたらしていた。振付についてはもう少し時代を遡るか、民族舞踊にある手法のほうがより作品に密着したように感じる。照明はいつもの歌舞伎照明よりはるかにエッジの効いた空間をつくりだしていた。衣装は神々のきらびやかな工夫とにほんの着物が意外に違和感なく見られたのが不思議な体験だった。日本のきものと北インドにある呉服の共通点を考えたとき、当然のことだったのだろう。

 最大の見せ場は戦争のスペクタクルだった。菊五郎劇団の国立劇場に於ける見事な殺陣をみているせいか、よりダイナミックな殺陣を期待したが、京劇風な旗を取り入れたり、馬や象の演出に気をとられて、殺陣の爽快感を表現するところまではいかなかった。
 さらに練り直してより良い作品に昇華されることを願っている。芸術祭大賞は決まり、の歌舞伎座だった。
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2017年10月07日

小さい秋が見つからない

小さい秋が見つからない

 中田喜直先生の名曲に「ちいさい秋みつけた」という小品がある。
 〽誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた / ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
 という繰り返しに始まるサトウハチローの詩によるかわいい童謡だ。
 わずかに兆し始めた秋のかけらを見つけ、その秋に対する思いをそっと歌った名曲であり、かっての日本人の心のかたすみにあった秋という季節への讃美歌でもある。

 縁あってこの「ちいさい秋みつけた」を映像化しなければならないことになった。
 第1集では、軽井沢の白鳥の湖と言われてきた、雲場の池の色ずいた紅葉を素材にした。さいわいセレクト版を作ることとなり、「ちいさい秋」を再撮影することになった。楽曲の3番ではこう歌っている。
 〽むかしむかしの 風見の鳥の / ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ 
 やはり「はぜの葉」を見つけるしかない。軽井沢ならいくらでもあると思い、撮影に出かけて驚いた。森から森につながる別荘地にはまったく見当たらない。
 いちばん先にちいさな秋をみせるはぜの木はすっかり嫌われてしまっていた。紅葉の大きな秋はあちこちにあるが、ひっそりとちいさな秋をみせるはぜの木が見つからない。

 ちいさな秋を探して何日か費やしたあと、そうだ峰の茶屋のむこうの浅間山と対峙する六里ヶ原へ行けば、と思い立ちようやくはぜの葉の見事な紅葉と出会うことができた。
 迷惑な猿にくらべ、庭の片隅に寄生するはぜの葉など、秋のさきがけとしてとても可愛いと思うが、かぶれたらのママ・クレーマーの声に植木屋さんも従わざるを得ないという現実があった。
 
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2017年10月04日

プレイボーイ・ヘフナーの終焉に想う

プレイボーイ・ヘフナーの終焉に想う

 占領軍の強制により、初めて日本映画にキスシーンが登場したり、新宿帝都座においてストリップ・ショウが始まったり、武士道教育に育った日本人にとって女性のヌード解禁というのは、驚天動地の出来事だった。
 アメリカ文化は右手にハリウッド映画、左手に女性ヌードへの賛美を掲げてこの国にに上陸した。

 女性賛美のアイコンは、なんといっても美女のヌードグラビアに飾られた「プレイボーイ」の日本発売だった。創刊号を飾ったマリリン・モンローは名実ともにハリウッドの頂点にのぼりつめ、毎号巻頭を飾ったプレイメートは女性美の憧れだった。

 ある日突然に、TACの社長室からお呼びがかかった。TACはあの頃、VAN、JUN とともに男のカジュアル・ファッションの先頭を走っていた。
 日本でPLAYBOYブランドの全面展開をすることになった。ついてはPLAYBOYブランドの展開オペレーションの演出を頼むという依頼だった。社長室はすでに、プレイボーイ・カラーのゴールドとブラックに装われ、六本木のペントハウスにオープンしたプレイボーイ・クラブとともに巷の話題になっていた。アプレゲール達はみなプレイボーイの影響をうけ、ウサギちゃんのいるクラブに夜な夜な押し掛けた。

 ベルエアの友人に連絡すると、ならば直ぐロスへ来い、ヒュー・ヘフナーに会わせる、という託宣、ビバリーヒルズの麓にあるプレイボーイ・マンションに連れていかれた。緑に囲まれた数千坪の庭園に600坪の屋敷は、外目にはさほど華やかではなかったが、招き入れられてびっくりした。文字通りヒュー・ヘフナーの金黒趣味と美女たちの天国だった。そこに泳いでいたプレイメート達は、絵にかいたような美しき女たちで、現実のものとは到底信じられなかった。……あのヘフナーに人並みの死が訪れたとは。

 マリリン・モンローが疑惑の死をとげたとき、無一文の彼女の遺体は、ポストと呼ばれるダウンタウンの公共墓地の一隅の安置された。モンローをこよなく愛したヘフナーは、その隣のポストを数億で押え、いつか自分に死がやってきたら、モンローとともに永遠の眠りにつく、といっていたが、果たして31歳の若き愛人は、ヘフナーの思いのままに埋葬したかどうか、すこしばかり気になっている。
 20世紀の女性にたいして、ヘフナーの残したプレイボーイ文化の影響は余りにも大きかった。
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2017年10月03日

マリー・アントワネットの四角いハンカチ

マリー・アントワネットの四角いハンカチ

 ものにはすべて形がある。
 クロアッサンは三日月と決まっている。ウィーン王朝が侵攻してきたトルコ軍を撃退した記念に、トルコ国旗の三日月をとってパンにしたといわれる。 赤鉛筆は丸い。芯が弱いので、持ちやすい六角形を避け、周りの力を均等に散らす丸い軸の赤鉛筆が生まれたといわれる。 蚊取り線香は渦を巻いている。普通の線香と同じく棒状だつたが、少しでも長持ちさせるため渦巻き状になったそうだ。

 で主題はハンカチのかたち。
 シェークスピアの四大悲劇のひとつ、「オセロー」は、ほかの男が持っていた妻のハンカチから、不倫を疑われ、最後は殺されてしまう、というお話だが、中世では婚約のしるしとして、女性から男性に贈られたのが、ハンカチだった。 ルイ王朝時代のフランスでは、このハンカチ文化が異常に盛り上がり、上流貴族の婦人たちは数千枚ものハンカチをコレクションするようになった。宝石や刺繍を施したゴージャスなハンカチ、さらに丸、三角、四角、長方形やらレースをふんだんに使ったハンカチまで競って見せびらかしたと伝えられる。

 そうした風潮に腹を立てたのが、ルイ16世夫人マリー・アントワネット、彼女は夫に「フランスのハンカチは、すべて正方形にするべきです」と進言、ルイ16世はいわれるままに「ハンカチの形は、縦横同一たるべし」という法令を布告、以来ハンカチは正方形におちついたといわれている。
 それ故ハンカチーフの日は、マリー・アントワネットの誕生日に近い祝日から、11月3日に決められた。

 デパートの店頭には、ディオール、カルダン、ジバンシー、サンローランから森英恵、コシノジュンコまで、デザイナー・ブランドのハンカチが大量に売られているが、外国には存在しないこの国独自の珍風景だ。本場オートクチュールの洋服は着れないが、せめてあちらの高級品にちなんだハンカチでもいい、という日本人のさもしさにつけこんだ日本のメーカーだけのライセンス商品なのだ。デパートでクチュール・ブランドのハンカチを見るたびに、戦後日本の貧しさはまだ終わっていない、と感じてしまうのは筆者だけだろうか。
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2017年10月02日

漱石・碑林・ランポー 歩かない文学

漱石・碑林・ランポー 歩かない文学

 愛媛・松山の道後温泉、旅館道後館のひと部屋に、部屋本「坊ちゃん」が登場した。客室のひとつに夏目漱石坊ちゃん全文がプリントされている。部屋を開けた途端、椅子にもテーブルにも、床の間にもテレビのうしろにも、障子にも襖にも坊ちゃんの小説が踊っている。
 日本では句碑というのは何処に行っても遭遇するが、ひと部屋まるごと小説は珍しい。近頃は携帯だったり、スマホだったり、簡単に移動できるものだらけだが、その昔のように場所に定着して読む、というのもいいだろう、というオーナーの声、これは見る本というより体感する本です。
 そのうえ、見せてやるけど見料1500円というのも、いかにも日本らしくケチな料簡が似合う。

 中国には900年前から、西安の都近くに石に彫られた歴史を集めて、「碑林」というとてつもない書庫がある。漢から清の中国の歴史に係わる記録が書かれた碑石が約1000基以上、雨にも雪にも強い3メートルから5メートル内外の碑石群は、ダイナミックな中国の歴史そのもののように見るものに迫ってくる。石に刻まれた歴史は1000年でも2000年でも風説に耐えて語り継いでいくだろう。欲しければいつでも拓本を取ってくれる。近隣には始皇帝の墓も、楊貴妃の風呂もあって中国4000年の歴史を語るにふさわしい処なのだ。

 フランス・パリにはサン・シェルピス広場からリュクサンブール公園に抜けるフェルー通り、300平方メートルの壁がアルチュール・ランボーの壁詩になっている。彼は1871年9月30日、初めてこの広場のカフェの二階で処女詩の朗読をしたという故事に由来している。
 ランボーの処女作「酔いどれ船」がカリグラファーの手書きで彫り込まれている。
 …夜明けが痛い 月は残忍で太陽は昇るたびに辛辣だ  愛が俺を飲み込んで麻痺させる……
 波よお前の倦怠に漬かってしまった俺は もはや綿を運ぶ航海に出ることはできぬ
 旗やペナントをはためかして走ることも 廃船を尻目に航海することも出来ぬ……
 ランボー16歳の処女詩には、パリコミューン挫折体験が生々しく、託された言葉がこの壁から風に乗って、パリの街角に流れていく。
 私の机の傍らには、この詩壁のまえに立った鈴木京香のTページが、ピンアップされている。
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2017年10月01日

女性有名人の不倫相手になれる笑論

女性有名人の不倫相手になれる笑論

 女性の浮気、不倫が派手に報道されている。 浮気がばれた女性政治家や女性芸能人たちは、世のお母さんや女性たちから盛大にバッシングされ、メディアの餌食になっている。
 何年か前までは、浮気・不倫スキャンダルは、男性の聖域になっていた。ところが、男女平等均一労働法やら、働き方改革の潮流のなかで、女子の社会的立場が上がるとともに、女子の不倫スキャンダルの日常化が当たり前になってきた。誠にご同慶の至りだ。 一般女性も女性有名人の不倫報道に接し、エセ道徳な非難をやめて、これでようやく私たち女性の地位も男性並みになったと喜んだほうがいいのかもしれない。
 人はなぜ不倫をするか、などの設問は、フランス人には一笑に付されるが、日本人のピューリタン願望にとっては、いつまでも井戸端会議の主役として生き続けるのだろう。

 ところで、そうした高嶺の華のフリンターの相手に選ばれるには、一定の条件を満たさなければならない。見た目に男前というよりも、より大切な案件がある。
 まず第一に、絶対に女性の財布をあてにしないこと。女性のお金をあてにしたのでは、ただのヒモになってしまう。ヒモは一流の女の対象にならない。ホスト・クラブで間に合わしたほうがずっと楽だし、後腐れがない。
 第二に女性の知名度を利用しない。女性の知名度にたよらなくともそれなりのフィールドを持っている。
 そして第三に自由な時間を持っていること。いつでも女性の時間に合わせられることが重要な条件となる。社会的に活動している女性にとっては、男性都合の時間は絶対にもてない。。だからいつでも女性都合の時間に合わせられることが必要条件となる。
 そしてさらに第四の条件、口が堅いということ。男性から事がおおやけになることは絶対にない。メディアにばれたときにも、現場を押えられない限り、一線は越えていない、と最後まで主張しなければならない。
 以上の条件をみたしてこそ、初めて選ばれる男となるが、これらのマニュアルのほかに絶対的に必要なことがある。 「空気を読まない情熱」をもっているか。「あの頃、僕はあなたが好きだった。あなたは今でも素敵だ。心乱さないでください。」「ぼくはずっとファンだったんです。」まわりにはペコペコしたり、ご機嫌伺いの媚びた男性ばかりのなかで、直球でくる空気をよまない男に弱いという現実がある。
 さすれば週4回のホテル、新幹線の手つなぎ、夢のようなベーゼの時が訪れるのだ。
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2017年09月29日

小池百合子に於ける爺転がしと終着駅

小池百合子に於ける爺転がしと終着駅

 小池百合子がとうとう仮面を脱いだ。
 いままでも政界の爺殺しとして、つとに評判は高かったのだが、東京都知事になって以来の彼女の手口がバレバレになり、希望の党に逃げ込んだのが真相のようだ。

 豊洲は活かし、築地も生かす、といった発言は、何千億かのむだ金をつかったあとで、ようやくたどり着いた愚策だ。小渕・森内閣において経済企画総括政務次官をつとめた人の方針とは到底おもえない。オリンピック会場問題でも、あちこちにいって思わせぶりの発言をかさねた上で、なにも変わらなかった。首都高建設の計画もストップしたまま、すべてとっ散らかしてすべては無駄ずかい、イメージ作りだけのポピュリストではないか。その面からは、ヒトラーとトランプに共通したパフォーマーともいえる。

 彼女の政党遍歴を見てみよう。壇ノ浦の八艘飛びならぬ、霞が関の七艘飛びなのだ。
 日本新党から新進党、新進党から自由党、自由党から保守党、保守党から自由民主党、自由民主党から都民ファーストの会、都民ファーストの会から希望の党、……。お見事としか云いようはない。この間、細川護熙から小沢一郎、そして小泉純一郎と政界爺転がしをしてきた。そこで得た役職は総務政務次官を皮切りに、経済企画政務次官、環境大臣、内閣府特命大臣、防衛大臣、そして自由民主党総務会長であり、広報本部長だった。この経験の総てが生きて東京都知事になったのだが、彼女の野望はどうやら日本最初の女性宰相にあるようだ。

 民進党の解体なだれ込みにたいして、希望の党はひとりひとりの身体検査をしたうえで認めると発言している。憲法改正、安保法案、原発廃止をバリアに受け入れると伝えられるが、連合左派の丸抱えできた民進党のメンバーがどこまで入党を許されるか、それが問題だ。
 大儀大儀と連発しながら、政治家の就活運動ほど、醜く滑稽なものはない。
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2017年09月28日

富岡八幡は江戸っ子のものだ

富岡八幡は江戸っ子のものだ

 深川の八幡様といえば、江戸っ子の拠り所「富岡八幡宮」と決まっている。
 赤坂山王さんと神田明神、合わせて江戸三大祭りともいうが、三代つづいた江戸っ子にとっては、深川の八幡様はもっとも身近な八幡様だ。
 国技である江戸勧進相撲は富岡八幡の境内からはじまった。100年にわたって勧進相撲がこの地で開かれ、のちに両国回向院に移った。それ故、歴代の横綱碑も、大関碑もすべて深川八幡の境内にある。力持碑、木場の角乗碑など、江戸っ子の自慢はみなこの富岡八幡に集まっている。

 三年に一度の本祭りでは、130台の大神輿がでて沿道の水を浴びながらの壮大なお練りとなる。若衆が江戸百町の大提灯をかかげ、宮中に大回向を敢行したこともある江戸最大のまつり。一宮の黄金神輿には30カラットのダイヤモンド、2010個のルビー、純金24キログラム、プラチナ、銀、無数の宝石類がつかわれた名実ともの日本一の神輿だし、二宮の神輿すら鳳凰の眼には5カラットのダイヤが入っている。
 江戸っ子の心意気がそのまま神輿に具現化している。

 その富岡八幡がいま神社本庁から脱退し、独立しようという騒動になっている。先代宮司が病身だつたため、長男の娘が宮司代行をしてきたが、たびたび宮司の申請をだしても神社本庁が許可しないので、とうとう独立を図ったという経緯のようだ。
 神社本庁は神道の本局として、祭事、広報、改修補助、宮司任命についての責任を負っているのだが、宮司の女系は基本的にみとめていない。
 このことは女性天皇や女性宮家にも共通することだが、一旦女性宮司をみとめてしまえば、血統の正統性が失われ、結局は滅びてしまうという危機感からきている。婿に来る男性には制限をつけることができず、極端にいえば犯罪者や渡来人が入り込んでしまうことすら、可能になるという現実からきている。
 左翼系メディアによる女系宮家の創設推進論も、男女同権の美名に隠れた国体破壊の思想が隠されていると、読まれているのだ。富岡八幡の神社本庁脱退の動きも、近い将来に必ず禍根を残すだろう。
 深川の八幡様は、宮司個人のものではなく、江戸っ子すべての魂のよりどころなのだから。


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2017年09月27日

素麺との別れがつらい

素麺との別れがつらい

 九月も終わりに近ずくと、ああ今年も素麺との別れがきた、と悲しくなる。
 夏の呼び声とともにやってきた素麺は、たつ秋風とともに勝手に去っていく。

 素麺との初めての出会いは貴船の谷あいだった。それまで家の食卓でたべていた素麺は、素麺ではなかった。貴船の川床で竹の道を流れ下る流しそーめんに出会ったとき、ああこれが素麺だと感激した。岩のあいだから流れ落ちる冷たい水には霊力がこもって素麺の味をいっそう引き立ててくれた。谷川のしぶきを背に聞きながら、眼の前を流れ下る素麺を箸で受け止め口元に運ぶ。暑さを忘れ、夏の疲れを吹き飛ばしてくれた。

 以来素麺には環境が大事と思うようになった。
 フローリングのダイニングでいただく素麺には、バカラのガラスのどんぶりがよく似合う。染付の大きな器でもブルーが素麺の繊細な細さをバックアップしてくれる。
 我が家では、尺二寸ほどの桶の手付きを使っている。外側は黒漆の溜塗で、なかは金箔仕上げである。若い楓などをあしらって素麺を流し入れると、立派なご馳走にみえる。夏の来客のための手抜きのもてなしである。

 カルチャー・ショックだったのは、長い麺を畳んで固めた大門素麺との出会いだった。青山の紀伊国屋で遭遇した。すこし太めながら小麦の味がしっかりと伝わり、越中砺波の冬の厳しさがしっかりと伝わった。当時のガールフレンドが、越中育ちで故郷を語りながらのソーメン付合いだった。奈良の三輪素麺にもずいぶん世話になった。香川の小豆島素麺、愛媛の五色素麺、そしていまでは兵庫の揖保乃糸寒造り特級品に助けられている。
 梅雨を三回越さなくとも、充分に歯ごたえもよく喉こしのいい素麺を楽しんでいる。

 来年もまた素麺の至福に出会えることを信じて、秋を待ち構えている。
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2017年09月26日

喜美弥・きみ鶴・藤舎名生・くらま会

喜美弥・きみ鶴・藤舎名生・くらま会

 銀座旦那衆の心意気である「銀座くらま会」のお招きを受けた。
 今年で93回を数え、ますますお元気にて芸道精進の趣き、結構なことであった。新橋花街の東おどりと銀座くらま会の時の新橋演舞場は、わが意を得たりとばかりの表情をみせる。なんといってもこの劇場を支えてきた旦那衆と芸者衆の本科が見えるからだ。客の悪い若手歌舞伎や、タレント公演とは異なる芝居小屋の生き生きとした表情が蘇る。
 くらま会は客がいい。新橋の芸者衆だけでなく、銀座という日本一の街に生きる旦那やその家族の趣味や教養が客席を活気ずける。小屋が興行会社の手元からはなれ、小屋を必要とした町衆の手にその日いちにち主を変えるのだ。

 小唄、常磐津、河東節、尺八、歌沢、一中節、清元、長唄 と江戸から明治への邦楽が次々と登場する。 さすが銀座にふさわしく、文科省の教科書からは追放されてしまったにほんの音楽が脈々といきている。元はといえば、田舎者の明治政府のせいで断絶を余儀なくされた伝統音楽の生き残りなのだが、町衆の好んで歌い継がれてきた音楽には、民衆の時々の喜びや悲しみがにじんでいる。

 さて仁科恵敏さんの「八千代獅子」なかなかに楽しかった。獅子の持つ霊力が尺八をとおして民衆のまえに姿を現す。アンサンブルはいかにもの仁科流だったが、後半のトップを飾る白眉の舞台だった。
 立方の喜美弥ときみ鶴が気をはいて舞ぶりが素晴らしかった。新橋を背負って立つ心意気が男と女の相対舞のなかにしっかりと取り込まれ、新ばしに喜美弥・きみ鶴ありの風格ある舞台だった。三段目には仁科さんが演奏しながら舞台中央に立ち、立方がからんでの奏楽姿を想像しながら楽しんだ。

 鳴り物に藤舎名生の名があったのも嬉しい。ともに多くの舞台をつくり、海外でもともに舞台をつくった仲間だが、いまや日本一の名生である。笛のもつ能力を最大限に引き出し、伝統から前衛まで、幅広く奥深く演奏できる笛のスーパー名人、華厳の笛、銀座くらま会にはもっともふさわしく、もっとも贅沢な助っ人であった。
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2017年09月23日

安室奈美恵を分解する

安室奈美恵を分解する

安室奈美恵が引退を宣言した。
テレビでは大騒ぎしているが、それほどの感興がわかない。何故か考えてみた。長い間折にふれて彼女の活動は見てきたし、音楽も聴いてきた。がそこにあった彼女はつねに異邦人の趣きだった。アメリカの植民地と見まごうばかりの沖縄で生まれ育ち、彼女の肉体には日本語が住んでいない。

安室奈美恵の左腕にある入れ墨は英語ばかりだ。
JUN.30in1950 My mother's love live with me Eternally in my heart R.I.P MAR.17 in 1999
右腕にも入れ墨はある。 Love Peace World もしも彼女が有名人でなかったら、公衆浴場や温泉にははいれない。身体にタトーのある方のご入浴はご遠慮下さい。日本の常識社会をはみ出している。

 彼女が何百億か稼せいだ楽曲を見てみよう。
 例えば TRY ME / Don't wanna cry / a walk in the park / CAN YOU CELEBRATE? / NEVER END 等々…… あれだけ多く歌ったにも係わらず日本語の歌は一つもない。日本語が嫌いだったのか、日本語の教育を全く受けなかったのか、それとも英語で歌うことがカッコいいという単純な理由からか、いずれにしても彼女の生活に日本語はなかった。

 ファッション・アイコンとしての安室奈美恵を見てみよう。
 先ず異常に細い眉、作為に満ちたこの眉はたちまち若者を虜にし、美容院や床屋をうるおした。茶髪そしてロング・ヘア、デザインいらずのロングでは美容師の腕は落ちたが、サロンは毛染めで多いに稼いだ。
 バーバリーのミニスカートは、ライセンシーの三陽商会を好況にしたが、いま三陽はバーバリーからライセンスを取り上げられ危機に瀕している。
 そしてタトー・シールや眉毛プレート、厚底のロングブーツなど、一時的に産地をうるおしたが、所詮バブル期の仇花、失われた10年の象徴といわれた。
 カジュアル・ファッションのパイオニアだったが、アムラーからマムラーへ、エレガンス不在のファッションを形ずくったアイコンだった。

 結局、安室奈美恵は沖縄という不幸な地に生まれ育った、無国籍なブラック・ミュージッシャンだったといえよう。

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2017年09月21日

日本の名物・カレーパン

日本の名物・カレーパン

 「コンビニだけで一日に数十万個、多い時には数百万個単位で売られている。加えてホテルやデパート、町のパン屋で売られている数を考えたら、その市場規模は非常に大といえます。」カレー総合研究所の井上岳久所長の弁である。
 カレーパンのことだ。日本人の好きな洋食、不動のベスト3にはいるカレーと、揚げパンの組み合わせは、総菜パンの人気でもつねにベスト3に入っている。

 そんな人気に乗じ、西武デパート池袋本店では月末に「カレーパン博覧会2017」が開催される。西武線、山手線沿線を中心に、町のパン屋さんからホテルメイドまで、全国から180種類以上、約30.000個のカレーパンが登場する。
 なかには、神戸牛カレーパンや、ミシュラン三つ星のジョエル・ロプション作る超高級カレーパンなども売りだされるという、カレーパン好きにはたまらないイベントになっている。

 東京のカレーパン第一位はなんといっても、深川森下町の名花堂(現カトレア)の元祖カレーパンだ。 7時、11時、15時の焼き上がり時間には行列ができる。甘口と辛口があり、関東大震災のあとの江戸っ子に支持された。
 第二位は練馬のデンマークブロード、カレーサンドからカレーパンを作った老舗である。
 第三位はインド独立運動の志士チャンドラ・ボーズが持ち込んだといわれる新宿中村屋のカレーパン。
 第四位は築地木村屋の少し高い「牛すじ玉ねぎ入りカレーパン」一個260円である。
 そして第五位が浅草豊福の「黒毛和牛カレーパン」、もも肉、すね肉、ばら肉、にワインとスパイスが加わって8時間以上煮込んだ逸品、ビート・たけしの差し入れに主役を務めるカレーパンである。

 いまやカレーパンは日本の代表的総菜パンのドンにのしあがった。
 たかがカレーパン、されどカレーパンなのだ。


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2017年09月20日

京友禅はインクジェットで

京友禅はインクジェットで

 オリンピックを睨んで、日本の仕事や民族遺産を強調する番組がやたら制作されている。
海外の仕事師を呼んできて、現場に連れていき、びっくりしたニッポン素晴らしい、という型通りの作り方だが、その裏にある問題点には全く迫らない。表面だけの観光チラシのような薄っぺらな作り方である。

 さて伝統衣装のなかでも、京友禅といえば最高の位置にあるが、その友禅が滅亡の危機にあるという。
 現実のライフスタイルのなかでキモノが廃れていくのは仕方ないにしても、この国の歴史に生きてきた服飾の文化そのものが忘れられ退化していくのは見逃せない。
 結婚式を始め人生の通過儀礼のなかで、式服としての友禅は貴重な文化であることは議論の余地がない。

 京友禅は加賀友禅や江戸友禅にたいして、圧倒的な華やかさと格調をもっている。京都という千年の歴史のなかで育ってきた美意識が、宮崎友禅斎の手をかりて華開いたとも言えよう。
 「ゆのし」から始まって、露草の花粉から抽出した「青花」での下絵かき、糊置き、地染め、蒸し、水洗いなどの仕事をえてやうやく「挿し友禅」となり、金銀箔、刺繍をへて仕立てにいたるのに26工程を要する。
 エルメスのスカーフはプリントだけで20工程と言われているが、型染めの機械が20回働いたというに過ぎない。
 京友禅は絵師である芸術家と、きもの職人が入り乱れて仕事を手渡しながらの26工程を必要としている大変な衣裳なのだ。

 近頃の若者はそんな面倒なことはいらない。「インクジェットでやればいい」10工程は節約できる。なによりもそのほうがコスパがいいと、簡単に利益のあがるほうになびいていく。
 いまや京都の友禅の80パーセントはインクジェットになっている、という現実をきいてガックリした。成人式の下品なキモノはほとんどインクジェットの見せかけの振袖なのだ。
 インクジェットと手描き友禅の差がわかる母親もどんどん減っている。日本文化をしらない日本人だらけになってアメリカンな日本になっていくのだ。
 経済第一主義は世界一の服飾文化を滅ぼしていく。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする