2019年08月23日

反日不買運動のナンセンス

韓国カメラクルー.jpg

 韓国第一の公共放送、KBS韓国放送公社のクルーは、ソニーのカメラに富士フィルム製フジノン・レンズをつけて「行きません、買いません」のデモを取材している。 韓国中央日報傘下のテレビ局JTBC中央東洋放送は、パナソニックのカメラにフジノンのレンズで、「新しい慰安婦像」の取材中である。  ソウル首都圏のローカル・テレビSBSのクルーは、カメラ・レンズともにソニー、三脚も埼玉の平和精機製、光化門まえの「反日ティシャツ売り」を取材。 日本の共同通信にあたる聯合ニュースは、ソニーのボディに、レンズはキャノン、三脚は中野のベルボン製で、「日本製品踏みつぶし大会」を取材。

 みんな「行きません買いません」のTシャツをきて働いている。これらの情景は客観的にみれば「漫画」そのものだ。百歩ゆずっても「パロディ」にしかならない。どうせ国民的に反日大会をするなら、サムソン製のカメラとレンズでおやりになったらいい。韓国人の反日運動はどこか可笑しい。

 従軍少女慰安婦像も、吉田清治という嘘記者の報道に始まった朝日新聞のヘイト・ニュースだったということが判っても耳をかさない反日彫刻だが、世界中の街角に少女売春のシンボルを置きつづける神経が理解できない。性への倫理観はもちろんのこと、民度のひくい民族なのかもしれない。応募工問題も徴用工と言葉を置き換えて、国と国との条約を無視して、相手を攻撃しつづけるなど、常識もへったくれもないむちゃくちゃな民族だ。

 ハングル文字を整理して国語を整備したのも、学校制度をつくって半島のすみずみまで5000の学校をつくったのも、上下水道を整備したのも、みな日本が治世下の朝鮮に行った行為だった。植民地として搾取するなにもなかった朝鮮にたいし、日本は巨額の投資をして同化をはかったのだ。戦後の賠償も世界が驚くほどの金額を払った。
 そうした現実を見ないで、反日にはしる韓国は、「狂った民族」としか思えない。百田尚樹氏がいうように、頼まれもしないのにいろいと朝鮮に投資してごめんなさい。もう二度といたしません。韓国とは付き合わないのがいちばんです。
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2019年08月22日

眼を醒ませ57パーセント!!

ホルムズ海峡.jpg

 57パーセントがホルムズ海峡通行安全のための自衛隊派遣反対と共同通信が報じている。
 ならば日本のタンカーを守るのにはどうしたらいいのか。安倍首相がイランに飛んで最高指導者と会談し、友好を見せびらかしたにもかかわらず日本のタンカーは攻撃された。この事実をどう読むのか。
 反対をとなえる57パーセントの人間は、多分日本人ではないのだろう。石油がこなくなったらこの国がどうなるのか、まったく想像力にかける阿呆としかいいようがない。

 すでに英国、バーレーン、オーストラリアはタンカー防衛のための有志連合に参加を決定している。
オーストラリアは輸入される原油の15パーセント、精製された石油の35パーセントがホルムズ海峡を通過している、この有志連合に参加しない理由がない、といっている。
 有志連合を提唱しているアメリカは、いまシェールオイルの産出で、石油輸入国ではなく石油輸出国になっている。ホルムズ海峡がどうなろうと関係はない。がエネルギー問題がおよぼす世界の不安定を恐れて有志連合で海峡の安全を確保しようと動いている。

 ホルムズ海峡の恩恵をうけている最大の国は日本なのだ。もしこの海峡が通れ無くなったら、日本の産業構造はただちに崩壊する。中小企業はバタバタと音をたてて潰れる。家庭生活もまた立ち行かなくなる。石油に依存している日常は真っ暗闇になる。石油依存から脱却するには半世紀いや一世紀はかかるだろう。
 第二次世界大戦のきっかけは、アメリカ、イギリス、オランダなどによる対日石油全面禁輸だったということを忘れてはならない。エネルギー供給というのは、現代社会に於いてすべてに優先する課題なのだ。

 57パーセントの日本人が、本当に自衛隊派遣に反対とはどうしても信じられない。マッカーサー憲法を抱いて国が滅びてもいいのか。日本が自己責任を放棄すれば、どこかの国が助けてくれるとでもおもっているのか。この依存体質はいつまでつづくのだろう。
眼を醒ませ! 57パーセント!!!



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2019年08月21日

わが人生のプラネタリウム

プラネタリウム.jpg

 それは有楽町の駅前にあった。
 毎日天文館と書かれていた。毎日新聞と同じぐらいのおおきさだった。東京に初めてできたプラネタリウムは、宇宙へ旅することの出来る子供にとって夢の世界だった。
 丸いドームを見上げていると、天空の矢印が南十字星から北斗七星へと導いてくれた。季節が変わると宇宙もかわるということを初体験した。
 宇宙旅行など誰も想像しなかったあの頃、プラネタリウムは未知の世界をみせてくれた魔法使いだった。

 1951年にラジオ東京が開局することになった。劇団ユニットでドラマ収録の依頼をうけた。赤坂のスタジオはまだ出来ていず、毎日新聞社内に居候していた。今日のスタジオはこちらです、と案内されたのが、かって未知の星空に興奮したプラネタリウムの跡だった。東京大空襲で被災したといわれていたが、そこに丸天井も椅子も残っていた。廃墟となったプラネタリゥムで、どんな番組を収録したか忘れてしまったが、狭いスタジオよりはるかに幸せだったことを覚えている。
 廊下ではソニーの前身…東通工のテープコーダーを相手に、ずらりとならんで編集していたディレクターがいた。
 狭い廊下にメディアの明日がつまっていた。

 1957年に渋谷東急文化会館が駅東口にできた。その屋上に五島プラネタリウムができた。母と子の天文教室とか、星と音楽の夕べとか意欲的なプログラムを展開していたが、星と文学がないと抗弁し、当時の学芸員だった野尻抱影先生を動かして短詩系文学をセレクトし、四季の星空と詩の世界を演出した。世界最先端のプラネタリウムを小道具にしてのポエティカル・シアターは面白かった。

 今プラネタリアTOKYOなどのヴァーチャル映像や、ツィンドームの星空体験をみるにつけ、わずか7.80年のあいだにここまで変貌したプラネタリゥムに、やがて宇宙軍の戦闘が写しだされるのではないかと、心配はつきない。
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2019年08月19日

GE大不況は大丈夫か。

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 友人は横須賀にある米軍宿舎に住んでいた。
 宿舎のまえにはリンカーンのアメ車がおかれ、庭のスプリンクラーが音もなく芝生のみどりに霧をまいていた。三段ばかりの階段を上がって部屋に招き入れられたとき、一番さきに眼にとびこんできたのが、大きな冷蔵庫だった。白い曲面のドアの真ん中にジェネラル・エレクトリック……GEのマークが光ってみえた。友人はその冷蔵庫からコークを取り出し、「…暑いから」といいながら、すすめてくれた。
 これがアメリカ人の暮らしかと驚いたことを覚えている。当時の日本の家の冷蔵庫には氷がおかれ、井戸水で野菜を冷やしていた頃の話だ。

 発明王トーマス・エジソンと金融王モルガンによって設立されたGEは、伝説の電気会社だ。いまではアメリカを基点に原子力から航空機エンジン、家電、冷蔵庫から電球にいたるあらゆる製品を作っている巨大な多国籍企業である。30万人以上の従業員をかかえ、アメリカと中国における取得特許数では世界一といわれている。
 福島第一原発も、GEによって設計され創られた原発だった。

 その巨大なGEに巨額な不正経理の疑いが浮上した。会計監査の専門家ハリーマルコポロス氏とウオール街のヘッジファウンドが協力して調査し、175頁に及ぶ報告書が公表された。結果実に385億ドル、日本円にして4兆円に及ぶ不正経理が発見されたというのだ。その上まだ多くの子会社の経理不正があると睨まれている。

 この調査が正しく、不正経理が本当なら大変なことになる。当然CEOは退陣だろうし、処理を間違えば倒産も考えられる。その場合、GEの規模から考えてリーマン・ショック以上の経済連鎖をおこしかねない。 つまり世界不況の呼び水になる可能性すらあるのが、このGE不正経理発覚のニュースなのだ。


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2019年08月17日

弾丸うどん旅はいらない。

銭形砂絵.jpg

 久しぶりに「香川の女(ひと)」と言葉をかわした。
 学生時代、初めての船の旅は香川・高松だった。本州はどこもかしこも米軍の空襲で焼跡だらけだったが、はじめて四国に上陸したとき、ここは蓬莱山かと思うほど、清潔で美しく思えた。
 いちばんに足をむけたのは屋島だった。壇ノ浦に滅びた平家のものがたりが気になっていた。屋島の山頂から、あの辺りが安徳天皇の仮御所、あの岬の裏が平家の船隠し、那須の与一が見事に軍扇を射止めたのはあの辺と、源平の昔が目の前にあった。

 栗林公園を後に、瀬戸内の海を右に身ながら西へむかった。塩田の跡が行けども行けどもつづいていた。車に揺られながら、浦島太郎も桃太郎もみなこの香川の地から生まれたのが、不思議だった。後に演出の仕事をやるようになって、対峙した向田邦子も、安倍公房もみな香川に縁の深い作家だった。
 歌舞伎の名脇役市川團蔵の先代も、お遍路にでて香川の海に入水して役者人生を閉じた。 飴屋の五人百姓を横目に、金丸座では金毘羅歌舞伎など華やかに開かれているが、歌舞伎にとって香川の地は因縁あさからぬ土地でもある。

 三越劇場で初演出のとき、色々と教示してくださったのは劇作の会の斉田喬先生だった。丸亀城の一隅には斉田喬文学碑が建てられている。
 祇園の芸妓衆から夏のご挨拶に届けられる団扇に、あの見事な丸亀城の石垣にダブって、丸亀のうちわを思い出す。
 森鴎外の「金毘羅」も、志賀直哉の「暗夜行路」も、芦原すなおの「青春デンデケデケデケ」もみな本棚にあった。温暖な瀬戸内の海が文学を育てるのだろうか。

 直島の地中美術館に行ってみたい。琴弾公園の銭形砂絵を拝んでこなかったので、財布が軽いのか。プラヤ・カフェで瀬戸内の夕陽を見たい。夢はつきないが、多分犯行未遂におわるのだろう。一泊二日弾丸うどん旅はいらない。





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2019年08月15日

女子アナ達の天皇論

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 NHK、NTV、TBS、MBS、YTV、など8局の代表的女子アナを集めて、意見をきく会に遭遇した。
 議題は「女性天皇について」。
 参議院選挙も終わり、内閣改造がすめば、天皇即位の大嘗祭までの間に必ず議題に上って来る懸案である。すでに週刊誌上には、あちこちから観測気球が挙げられている。
 「この際、愛子さまでいいのではないか」「いや絶対に悠仁さまでなければならない」悠仁さまは学習院での帝王教育をうけていない、お茶の水女子大付属小学校で大丈夫なのか。そもそも秋篠宮殿下の本人任せの教育方針では、天皇はおろか皇族ですら満足に育てられないのではないか。眞子さま、佳子さまのふるまいを見ればわかる。

 女子アナの意見を聞いて驚いたのは、おおよそ日本の国体にたいする認識がない、世界でいちばん古い日本の王家・天皇家に対する認識が薄いことだった。
 日本の天皇家は男系男子相続、それ故万世一系の君として存在し、国家国民の最高祭祀者として、諸外国からも尊敬を集めている、という国家の文化的象徴であることを理解していない。
 八割の女子アナがキリスト教系の大学で教育を受けてきている実態なので、さもありなんかもしれないが、社会のオピニオン・リーダーたらんという女子アナ達の意見がこれではどうにもならない。

 いまは男女同権の時代だから、女性天皇ありだし、女系天皇だって一向に困らないわ。いっそ国民投票にしたらいいのに。日テレ出身の宮崎宣子の脳ミソは、共産党並みの国体破壊論だった。TBS出身の小島慶子も男系の血筋にこだわることない、女の時代に女子が天皇になってどこが悪い。ひどく浅い感情論で歴史認識皆無のマッカーサー直属のご意見だった。

 こうしたエリート女子たちが、政界に進出してきたらこの国も終わりだと絶望的な気持ちになった。
 マッカーサーは見事に植民地政策を成功させ、愚かな女子達の大量生産に成功したのだ。
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奇祭! 望月の榊まつり

榊まつり.jpg 

 鹿曲川にかかる望月橋から次々と松明が投じられる。橋いっぱいに広がって松明のナイアガラが降り注ぐ。
 8月15日の夜空に、山からおりてくる松明の火が点々と連なり、うねって見事な光跡を作り出す。中空から続く光の海が下界に降りて松明の滝をつくる。
 幻想的でダイナミックな「望月の榊まつり」である。
 佐久のみなみ望月の里に伝わる虫送りと除災招福の火祭りの始まりだ。古来望月は宮中に馬を献じてきた。望月の駒と呼びならわしてきた名馬の産地でもある。

 時を同じくして、望月の里のあちこちで、山から切り出した榊の木を神輿に見立てた引き回しが始まる。榊神輿にはそれぞれ元気な若者が乗り、荒ぶる神の様よろしく胴ずきをし、回しながら大きく揺らして荒々しく里を走り回る。
 火と榊の競演が人々の心をかき立て、望月の人達の活気と元気を盛り上げる。
 火によって不浄を追い払った。榊によって不幸を除いた。科学を拒否した信仰の力が人々の表情に明るさをもたらしている。
 榊まつりは信州だいいちの奇祭ともよばれている。

 明日には京都五山の送り火が待ち構える。右大文字、左大文字、舟形、鳥居、妙法の送り火に囲まれて、ご先祖を送る。念仏寺まで足をはこんで送り火のための護摩木を奉納してこようか。都の人は送り火は見るものではなく、ともに供養にくわわってこその通過儀礼なのだ。
 顔黒でツルテンの浴衣をきた日本娘は、何が悪いといった態度でビール片手に自撮りスマホに興じている。
 心配の種は台風だけである。

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2019年08月14日

異常予報は花盛り

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 ここ数年の日本の夏の異常気象は、この国の根幹に関わる大問題になってきた。
 四季に恵まれた温暖な日本列島と、教科書で教えられた日本はどこかにいってしまって、赤道直下の熱帯圏と変わらない温度が日々の天気予報に登場する。「熱いぞクマガヤ!」とか、意外な場所の熱帯夜など、東京でも33度、35度が当たり前になって、町中にミストのパイプをひいて、冷たい霧の噴射を日常化しなければならない状態になってきた。その度ごとに、専門家は太平洋の水温上昇を理由にもっともらしく解説してくれるが、解決策はだれもしめさない。

 ニュースの時間がいきなり天気予報から始まる。次から次へ、台風発生図、予想進路図、海温分布図を見せられ、結果台風はどこに向かうかわからない、と気象予報士はいうが、それならはじめからそんな不確実な情報を流すな、と言いたい。不安を煽って、結論はわからない、典型的なヘイトニュースではないか。
 「今すぐ自分の命を守る行動を起こしてください。異常な雨をもたらすマダラ低気圧が迫っています。海や川には絶対近寄らないでください」有難くご心配はうけとるが、土手がこわされるのも、橋が流されるのも、家がくずれるのも、みな人間の浅はかな智慧が、自然にあっさりと蹴散らされた結果である。人間の想像力ほどいい加減なものはない。

 週間天気予報図、お洗濯予報図、風向予想図、降雨量予想図、波浪予想図、海面水温図、地上温度図、お出掛け天気図、天気に関する図面が次々と登場し、テレビ・ニュースの主役になっている。世界中探しても天気予報で始まるニュースは何処の国にもない。日本はそれほど異常気象の宝庫になっている。こんなに沢山の天気図を見慣れている人間は、日本人のほかいないだろう。地上波テレビの天気に対する入れ込みは、それじたい異常なのだ。役者くずれの予報士、女子アナくずれの予報士、天気会社派遣の予報士、それに予報専門の当たらない大学教授等、つぎつぎとワイドショウに登場する。中央気象台を中心に民間天気予報会社が入り乱れて営業活動をしている結果ともいえよう。

 天気図の記念日までつくって煽っている気象関係者も、ビール、化粧品、などの煽動広告に同じ、ウオール街の犠牲なのかもしれない。
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2019年08月12日

夏グルメ・駒形どぜう

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 うなぎに満足すると、どぜうを思い出す。
 浅草には飯田屋と駒形どぜう二軒のどぜうやがあるが、足が向くのは駒形のほうだ。
 駒形には隅田川の川風がふいているような気がする。入り口の大柳がいつも揺れているせいかもしれない。
 駒形どぜうは1801年創業以来3度の火事にあっている。文化の大火、関東大震災、そして東京大空襲……その度ごとに火災の前の姿を忠実にたどって再建してきた。表の大路に面した二階には窓がなくメクラにしているのがその印、江戸の頃は大名を上から覗いたら、即座に斬捨て御免といったお触れにそった造りなのだ。

 壱・丸を商うべし(開くのは切腹を連想させ武士に嫌われた)
 弐・暖簾を表に出すな(入口の暖簾のことではなく、支店を出すなの意)
 参・武道をするべからず(商いに徹せよの意)
 初代越後屋助七のさだめたこの三訓が代々の店に伝わり、令和の今日まで続いてきた。が中には横紙破りもいて、3代目は鯨料理をだし、6代目は渋谷に支店をだしてしまった。7代目がそれまで「どぢゃう」と4文字だったのは縁起が悪いと「どぜう」に統一し、今日の「駒形どぜう」のイメージが確立した。

 みっちりとどぜうのまんまが敷き詰められた鉄の浅鍋が目の前に登場したら、まず江戸名物新宿ねぎをこぼれるほどに盛る。どぜうとねぎの相性は誠に良い。
 だしは味噌と水のみ、ちくま味噌の江戸甘味噌は創業以来のもの、今日では祖母の実家京都の本田味噌の赤辛味噌を一割ほどブレンドしているそうだ。
 くつくつと出汁が煮立ってきたら、仕上げは地元やげん堀の七味、江戸っ子のどぜう鍋が仕上がる。
 酷暑を乗り切る最高の江戸グルメと信じている。



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2019年08月11日

家元・海老蔵のこれから

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 酷暑のシブヤにいってきた。市川流三代襲名披露が8月3日から12日まで13回にわたって上演されたからだ。
 いままでの家元襲名披露といえば、まず国立劇場か、歌舞伎座に於いて、せいぜい3回公演ほどの日程だった。その恒例を破って、シアターコクーンというB級劇場での13回公演におよんだのは、いかにも海老蔵らしい選択だった。
 コクーンという劇場は面白い劇場だが、劇場の格として一流ではない。いわば実験劇場としての役割をになった中劇場である。客席と舞台の距離の近さからいっても、出演者の芸をじっくり味合う劇場なのだ。それ故あの空間を選択した海老蔵には、よほどの自信があったのだろう。

 その上襲名披露の長期化は歌舞伎においては当たり前のこと、歌舞伎座で一か月、または二か月、その後名古屋、京都、大坂、博多などで一年、二年にまたがることもある。ただ日本舞踊に於ける長期公演は珍しい。祇園井上流のみが明治の始めから、都をどりに名をかりて150年に及ぶトラディショナル・ダンスを成功させてきた。戦後先代の吾妻徳穂が「あずま歌舞伎」の名のもとにヨーロッパにおける長期公演を試みた例があるのみだ。舞踊協会もいろいろと努力しているようだが、なかなか舞踊家のプロ化は進んでいない。

 今回の市川流三代襲名披露を10日間にわたってやったということは、ある意味流派の商業化をねらったのかもしれない。新たに家元になった海老蔵の今後の舞踊活動に注目していきたい。
 当主海老蔵を中心に、叔母の市川寿紅、妹の市川翆扇、娘の市川ぼたん、息子の堀越勘玄と、一家揃い踏みの披露は梅沢冨美男一座の公演と変わらないにほんならではの興行形態だった。
 舞踊界の多くが予想していた市川翆扇の家元襲名ではなく、海老蔵の家元襲名には多くの関係者も驚きをかくさなかった。このところ進境著しく活躍していた市川翆扇が家元にならなかったのは何故か、團十郎襲名を前にして市川流は妹にまかせ、海老蔵は宗家として流派を総覧したほうが、はるかに良かったのではないか、そんな声も聴こえた客席だった。

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2019年08月09日

長崎原爆忌と隠れキリシタン

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11時02分 NAGASAKI この時を迎えるたびに、初めて長崎を訪ねたあの夏の終わりを思い出す。
 爆心地の浦上天主堂あたりは、隠れキリシタンの多かった地域で、海を渡ってきたキリスト教を熱心に信じていた人々が、クリスチャンによって作られた原子爆弾の洗礼を受け、7万4000人の同胞とともに命を失った11時20分は、歴史上もっとも皮肉な惨劇だつた。
 信じていた心の故郷に裏切られ、一瞬で命を失ったのが、長崎隠れキリシタンの子孫たちだった。

 長崎を知りたければ、まず湾をはさんで対岸にあるの諏訪神社の丘から町を見たらいい、と教えられお諏訪様の長坂へ。
 長崎のすべてが鳥瞰できた。対岸の左手には浦上天主堂を中心にキリシタンの町、手前の出島、中央の山の斜面には九州最大の同和地区、山肌にそって低い家並みの群落、役割は隠れキリシタンの監視と犯罪人の探索など、長崎県で被差別部落がないのは、五島列島だけと教えられた。
 あの長崎くんちに見る異国情緒、豪華絢爛な表の表情とはまったく異なる長崎の町があった。

 「コッコデショ、コッコデショ、コッコデショ」五色の大きな布団に飾られた太鼓山、鯨の潮吹き、龍踊、ご朱印船、唐人船、オランダ漫才、等々……にほんの祭りのなかで最も色彩豊かなまつりが長崎くんちである。その長崎くんちが見たくて長崎にいったのだが、出町より、しっぽくより、花月よりも心にきざまれたのが、隠れキリシタンと同和のものがたりだった。

 オランダ坂を登り、グラバー邸にあそんで、蝶々夫人のメロディをくちずさむのもいいが、歴史の裏側に触れて慄然とする旅も捨てがたい。


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2019年08月08日

クリステルはファースト・レディになれるか?

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 吉本闇営業、韓国ホワイト国外す、広島原爆忌、猛暑来る、浅間山噴火のニュース繁多の真ん中に割って入ってきたのが、小泉進次郎議員と滝川クリステルの結婚騒動であった。父小泉純一郎に似てなかなかの選択、将来のファースト・レディをみこした見事な配役というべきか。記者会見も官邸を使うなど、芸能プロ顔負けの進行ぶり、メディアのツボを押さえた小泉進次郎だった。

 戦後歴代総理大臣の妻、ファースト・レディについて思いを致してみた。
 ファーストレディという海外での呼称は戦後しぱらくは皆無だった。つまり二人揃って空港のタラップを昇り降りしてこそのファースト・レディだから戦後何年かはひたすらマッカーサーのもとにあり、ファースト・レディという存在はなかった。

 戦後の日本を背負って総司令部と対峙したのは、吉田茂だった。夫人と死別し総理大臣を辞したのち、新橋の名妓小りんを伴って大磯に隠居した。が大磯詣の政治家はひきもきらず、小りんの聡明さと気働きは世に喧伝され、その後のどの総理夫人よりも高い評価をえている。

 所得倍増の総理池田勇人の妻満枝こそ、初めてのファースト・レディだった。池田勇人に寄り添ってアメリカ訪問を成し遂げた。一年前から猛勉強した英会話を、ついにひと言も話すことなく帰国したのが残念だった、と後に告白している。

 鳩山由紀夫の幸夫人あたりからファーストレディも大分軽くなった。仲間でトリオを組んで下手な唄を唄って喜んでいた。総理は宇宙人、女房は芸能人といった類なきカップルだった。

 最近の傑作は安倍晋三首相の昭恵夫人だ。森永キャラメルの娘で、電通に務めていたという経歴が見事に生きて、神田の裏露地で居酒屋をやったり、大麻解禁に賛成したり、はては森友学園の名誉校長をひきうけたり、安倍首相の足を引っ張り続けている。ファースト・レディの重みがいまだにわかっていない。コシノ・ジュンコをつれて海外にいくなど、あの下品なファッションはファースト・レティにもっともふさわしくない衣裳だということすら理解できていない。
 安倍さんは総理の座にいる限り、アッキーの我がままに悩まされるだろう。

 さて話題のクリスタルだが、「お・も・て・な・し」はイギリス人のオリンピック・コォーディネーターが考えた言葉で、振付通りに演じたのが、クリステルならぬクリスタルということを忘れてはならない。過度の期待はせず、無事に生まれるであろう男の子をしっかりと育てることだ。
 昭恵夫人のごとく旦那の足を引っ張るファースト・レディにならないことを祈っている。
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2019年08月07日

八月の「おいど」

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 夏の「おいど」は元気になる。
 冬のあいだ、かくまわれ、大事にされてきた「おいど」が突然に存在を主張し、誇張して、見せつけてくる。もう「おいど」ではない。「ヒップ」というべきか。舶来品のごとき表情をうかべ、堂々として羞恥心を失い、生き生きと存在をあからさまに動きまわる。
 花見小路よりは、原宿竹下通りが良く映る。ついこの間まで子供の領分だったショート・パンツが、若い女性に奪われ、ストリート・ファッションに変身する。
 男どもはその危ない短さに、目線をかき乱されながら猛暑の時間を過ごす。

 京都では、尻とは言わず、ケツとも言わず、「おいど」といってきた。昔は御居所とかいて、いどころ、座るところを現した中世の女性語だといわれる。 おいどは優しく、色っぽいところがステキなのだ。

 「おいど」をもっとお下げやす といわれれば、京舞井上流のお稽古ときまっている。お尻をさげ、やや中腰のていから舞が始まる。東京の流儀舞踊はほぼ腰高の位置から始まる踊りだが、京舞は御所のしきたりと座敷舞の優雅さが主役となり、腰を降ろした様が基本となった。
 日本の踊りの中では、沖縄の踊りが同じ「おいど」を降ろしたポーズが基本になっている。
 能と京舞と琉舞が共通の目線をもっているのが、面白い。

 「大きいおいどやこと」ケツの穴が小さいといわれるより、ずっといい。尻にしく、尻が重い、ケツを割る、オイドに関する表現は多々あるが、単純に下品とは言い切れない多様な意味を含んでいる。
 池田満壽夫さんは「お尻の美学」をかいて、おいどの魅力に注目した。

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2019年08月05日

イワナもヤマメも死んだ

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 犯人は太陽光発電である。
「日本の未来に貢献する」とはなやかに打ち出した太陽光発電、建売の新築の屋根にのせて、電気代がやすくなりますとチラシ営業している頃はまだしも、大手企業が金儲けを企んで、全国の山林に眼をつけて事業展開をするようになると、問題が次々と噴出してきた。
 福島原発事故のあと、当分使用不能になった山林は、業者の高値につられてあちこちが太陽光発電所になった。

 太陽光発電を始めれば、荒廃した山を宝の山に変えられます。キャッチフレーズに乗った地元民が見た夢が、あっという間にかわってしまった十王川、毎年春にイワナやヤマメを放流して釣り客を誘致、200人の組合員は日釣り券の売上げで生活のたしにしてきた。
 ところが川に放った小魚たちが一匹残らず死んでしまったのだ。稚魚たちはエラに工事の土砂がつまって窒息死してしまった。
 粘土質の泥で川は死に、田圃にも土砂が流れこんで、農民の生活は一変、施工主の京セラから120万円の補償が漁協に支払われただけで、なしのつぶて。

 県の指導では、山林を伐採すると山の保水力がなくなるので、まず調整池を作れ、ということだったが施工主は無視、出た泥水をそのまま川にながすという暴挙にでた。業者は経験にとぼしく、目先のソロバンだけがたよりのフロント企業だった。

 再生可能エネルギーという言葉に浮かされる前に、工事の安全性や自然破壊について考えねばならない。
 軽井沢発地の山の上にも何万坪かの太陽光発電所があるが、当時のキャッチ・フレーズに踊らされ賛成した町議会、あとになって困ったことにならなければいいが、少々心配である。
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2019年08月04日

慰安婦像を展示したかった愛知芸術祭

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 愛知トリエンナーレとは、税金を使って日本人と日本の歴史を貶める祭事とは知らなかった。
 芸術の名をかりて「従軍慰安婦少女像」を展示するなど、主催者の神経を疑う。少女像は韓国の反日運動のシンボルとして、世界中に建てられすでに200近くにもなっている政治的モニュマンである。
 さらに言えば、朝日新聞の嘘に始まったなんの根拠もない従軍慰安婦のリアル像ではないか。この像の撤去を推進する運動ならば許されるが、さらに表現の不自由のシンボルに仕立てあげるなど、主催者側の見識を疑う。
 アートディレクターの津田大介なる人間の素性はしらないが、底の浅い自称芸術家か、歴史しらずの反日日本人であることは確かだ。

 愛知トリエンナーレでは、慰安婦少女像のほか、昭和天皇に擬した「焼かれるべき絵」や、九条守れの俳句、さらに米軍へり墜落のモニュマンまであった。まるで共産党、立民の政治偏向展示会の様相をていしていたのだ。表現の不自由展とはよくもいったり。韓国、北朝鮮の代理イベントに成り下がっていた。

 幸い多くの日本人の声がとどき、従軍慰安婦少女像展示は中止になった。
 実行委員会の大村秀章愛知県知事も、おひざもと河村たかし名古屋市長の反対の声にたじろいだ。公権力が表現の不自由をつくったと主張する田島康彦なる大学教授もおかしいし、検閲につながると声明をはっした日本ペンクラブもみんなおかしい。
 輸出規定見直しでホワイト国から除外された韓国に対し、日本が悪いと声明を発した78人の大学教授、弁護士、医者、マスコミ関係者など、いずれも日本人の衣をきて、日本を貶める反日運動家の在所がすこしずつ明らかになってきた。
 いまこそ日本人のプライド、日本人の欣嗣をとりもどすべきだろう。
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2019年08月03日

中学3年の富士山ひとり旅

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 「六根清浄、お山は晴天、……六根清浄、お山は晴天」
金剛杖を片手に無心にこの題目を唱えながら登った。はるかにしたに見える小さく見える河口湖からたまさか花火が上がる。湖は斜めの大地に張り付いたようにも見えて、打ち上げ花火が開いたさまは、天上から見た地上の楽園とも思えた。
 あぁやっと戦争が終わった。こうして富士さんに登れるのも、訪れた平和のおかげとかみしめながら、初めての富士登山ひとり旅だった。
 それは敗戦のあくる年、中学3年生の夏だった。

 富士吉田まで直行し、登山地図と金剛杖をまず求めた。夏の富士吉田はどことなく落ち着かず人々の往来が多かった。
 先ず登りと下りのコースを選択しなければならない。帰りは須走コースを飛ぶように駆け下りたいと心にきめていたので、登りをどうするかだったが、富士吉田にいるのだから、吉田口から登るのがいちばんと思えた。
 まず登山の無事を願って浅間神社にお参りした。そして鳥居前の駄菓子屋で小さな缶に入ったドロップをかった。甘いものがまったく無かったあの当時、ドロップは貴重だった。カラカラと缶をふって一粒手のひらにとりだす。赤いドロップが欲しかったけれど、白いドロップがでてきた。刺激剤にもなるハッカをなめながら、神社のよこの吉田口から登り始めた。

 「六根清浄、お山は晴天…」…三合目までくると女の人達は帰らねばならなかった。「女人天上」と言われ、阿弥陀堂にお参りして女性は下山していった。これより上に女性が登ると山の神様が怒るといわれ、セクハラなどとは露ほども思わず、黙々と中学三年生は登った。
 5合目から6合目あたり、背の高い木はなくなり、低い草木ばかりと岩場の景色になってきた。クネクネと頂上につづく登山道にヒカリの帯が続いていたことはおぼえているが、自分の光はなにだったか全く覚えていない。六合目の山小屋でいただいた具のない味噌汁の美味しかったこと、いまだに覚えている。

 御来光まで後50分と、追い越していった大人に知らされ、胸突き八丁をゼイゼイ言いながらやっとのことで頂上にたどりついた。御来光にはわけもわからずただ涙があふれた。お鉢廻りも無事済ませ、あとは飛んで飛んで一気に須走を駆け降りた。
 須走口の小学校の庭にあった水道を頭からかぶり、じゃりじゃりと鼻や口に詰まった砂をおとして、ようやく中学3年の六根清浄は終わった。
 いっぱいの焼印が押された金剛杖、大事にとってあったドロップの缶は、行方知らずである。
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2019年08月01日

感謝と妊娠の八朔

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8月1日、八朔の日は夏のお正月である。
 農村信仰では一年の半分を無事過ごせたことを神に感謝し、残りの半分もまた稔り多く無事に過ごせるよう神に祈る祭りなのだ。

 徳川家康は秀吉の策謀によって江戸を知行としてあたえられ、江戸に入府したのが天正18年8月1日だったので、正月に次ぐ祝日として8月1日を大名総見の日とした。江戸っ子にとっての八朔は、徳川さまのご入来だった。

 京都祇園町ではそもそもの俗信が根付いて、八朔のご挨拶は夏のお正月になっている。朝からお姐さんの家に集まった芸妓衆はみな絽の黒紋付に身を包んで、門前のお家元に日頃の感謝と芸道精進のご挨拶に出掛ける。それが済むと普段ご贔屓にあずかっているお茶屋をまわっておかあさんにお礼のご挨拶、花見小路は粋な黒紋付の左褄と、カメラおじさんでいっぱいになる。

 民間信仰で多いのは、嫁いでも子供のできない女性のために、子孕みの祈りが日本各地にある。改めて八朔に祈るところがみそなのだ。
 福井の八朔祭では、男性のシンボルを模ったご神体を抱えた天狗さまが、女性のおなかをたたいて歩く。 信州小谷村千国のまつりでも、男のささらすりが真っ赤な男根をみせびらかし、女たちをたたいて歩く。恥じらいを失ったおばさんは男根を握りかえすが、若嫁さんたちはキャアキャアと奇声をあげて逃げまどい、子孕みを願う。

 超高額の不妊治療に通うより、八朔の信心に励んだ方がはるかに妊娠の可能性があるかもしれない。



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2019年07月31日

エロいが正しい「ハイぶりっ子ちゃん」

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 「ハイぶりっ子ちゃん」が評判を呼んでいる。
 始まりは信州小諸から山梨北斗を結ぶ海抜日本一の高原鉄道、小海線を走るハイブリット車両「キハE200系」を記念してのお祝いキャラクターだった。
 沿線の途中駅中込の駅前商店街が中心となって、ハイぶりっ子ちゃんが誕生した。佐久市に公認を申請したが、市役所にはハイぶりっ子ちゃんの魅力を感じる職員はいなかった。公務員には不感症が多い。
 いまになって地団駄ふんでも遅い。市が作ったユルキャラは人気がないが、ハイぶりっ子ちゃんは、群がって写真大会である。
 ハイぶりっ子ちゃんは瞬く間に人気者になった。地元のお祭りでも、鉄道フェスタでも、馬子唄道中でも、町で製作したルイーザちゃんを呼ばないで、ハイぶりっ子ちゃんをよんでいる。信州の田舎で唯一の人気キャラクターが誕生した。

 ハイぶりっ子ちゃんの本体は、頭の部分の電車とうさぎの顔の被り物が中心のハイブリット生命体、、首から下は乗務員と呼ばれてブルーのレオタードに黄色のベルトをしめている。白の手袋に白のロングブーツ。3人または4人で行動するが、どのハイぶりっ子ちゃんもプロポーション抜群で、中込には20数人生息しているという。
 鉄ちゃん、鉄オタはもちろんのこと、子供達にも大人気、ボン・キュッ・パッにひかれてオジサン達にも人気がある。かなりエロいのだが、肌の露出はないのでいやらしくない。マツコの番組に取り上げられてさらに人気倍増した。

 ハイぶりっ子ちゃんの軌道外活動は、乗務員が原動力となる。何故かユーロビート調のテーマソングやら、ダンスも踊る。性格や趣味趣向、サイズは乗務員それぞれで異なる。
 カラダの線をはっきりと見せる人型妖精は、近頃の進んだ女性たちの共感もよんで、応募者もたえないと聞く。 餓鬼相手の安っぽいユルキャラより、女性の存在をしっかりとアピールしているハイぶりっ子ちゃんははるかに魅力的なのだ。
 子供といえば免罪符の最近の風潮に、一石を投じた大人の女性ユルキャラがこの信州に生まれたというのが意味深い。



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2019年07月30日

牛乳パンはケーキである。

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 牛乳パンの噂を度々聞くようになった。
 超高級食パンの間をぬって、長野発ご当地パンの話題があちこちにでている。東京の大学に入ったデスクのお嬢さんは、牛乳パンを長野限定とは知らず、学校の近所を探し回って絶望のある日を過ごしたそうだ。牛乳パンはさほどに長野県人のソールフードになっている。

 牛乳パンのパッケージは田舎発にふさわしく、透明または半透明のビニール袋に「牛乳パン」と大きく印刷されている。大正ロマン風とか、昭和レトロの雰囲気などと理屈はつけているが、いちいち書かないと満足しないヤボな信州人にふさわしい。
 外国渡りのパンには、ひとつひとつ袋に入れて名前を書く風習はない。そもそも焼き立てのパンはすぐ食べるのがお約束なのだから。ひとつひとつ袋にいれて名前をかくパンに外国人はびっくりする。

 牛乳パンの名前から間にはさまれたクリームに牛乳が入っていると勘違いしている人が多いが、実は牛乳はパン生地に入っている。パン生地を作るのに牛乳でこねるので、牛乳パンなのだ。ヤマザキとヤツレンの牛乳パンには、湯捏ね牛乳入りとかかれている。
 牛乳パンのパン生地は、まず座布団ほどの大きなパンを焼く、ふわふわの生地を上下にわけてホワイト・クリームをしっかりとのせ、しかるのち四角または三角に切り分ける。そしてタイトル付きの袋にいれる。すべて手仕事なので、数量に限度があり、それぞれのご当地パンが生まれる。

 松本には大正10年創業の小松、小布施の岩崎、岩村田のキキョーヤ、佐久の田村屋などご当地パンの担い手である。こうしたささやかなご当地パンの世界に、パスコやらヤマザキやらの大メーカーが参入するのはルール違反といえよう。企業モラルの欠落としか思えない。田舎のパンは田舎に任せる度量が欲しい。

 牛乳パンはとても美味しい。パンというよりケーキである。色付きのデコったケーキより、はるかに美味しく体にやさしい。
 なによりも「インスタ映えしない」ところがイチバンいい。

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2019年07月29日

プレバトに投影するわが人生

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木曜午後7時の「プレバト」は毎週楽しみにしている。
「使える芸能人はだれだ!? プレッシャー・バトル」という正式題名があるとは知らなかった。
 なかでも才能査定ランキングが楽しい。本人は一流芸能人と思い込んでいる芸人が次々と登場し、順番に恥をかいていく番組のつくりなのだが、時に芸人にかくれた才能を発見し、こんな才能があるのなら芸人なんぞにならなければよかったのに、と思わせるタレントもいる。

 俳句、生花、水彩画、消しゴムハンコ、絵手紙、料理の盛付と、駅前のカルチャア・センター風な構成も面白い。が先生に人を得ないと全く盛り上がらない。
 料理の土井先生は生真面目だし、絵手紙の花城先生はいたいたしい、水彩の野村先生は巧すぎてつまらない。消しゴムハンコの田口奈津子先生は美人すぎて気が散る。なんといっても圧巻は俳句の夏井組々長夏井いつき先生である。松山に住まう俳句のおばさんの破壊力が凄い。テレビの着物姿は私のコスプレだからと豪語する少し安手のきものにつつまれた夏井先生には、何物も恐れない痛快な俳句愛がある。

 旅芸人まるだしの梅沢冨美男とのヤリトリ、東国原英夫の思わぬ発想力、志らくの噺家世界、村上健志、藤本敏夫、千賀健永らの新鮮な句吟力、鈴木光の勉強力、中田喜子の女性力と、ミッツのカマちから、それぞれの隠された才能が見えて嬉しい。
 自信過剰な芸人たちを、才能アリ・凡人・才能なし と断じる夏井先生とやんちゃな浜ちゃんが進行する司会ぶりも楽しい。
 俺のおかげでこの番組はもっている と豪語する梅沢のヤクザな態度と、軽くあしらう夏井先生、内容に関係なく権力で進行する浜ちゃんと、毎日放送プロデューサーの腕もなかなか。在京地上波にはなかなかこうした製作力をもったプロデューサーは見あたらない。

 昇格か、現状維持か、降格かと迫られると、わが人生は如何ばかりと、反省するのである。

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