2019年10月11日

「プレバト」しか見ない。

プレバト.jpg

地上波のテレビでは、唯一「プレバト」を見る。
夏井先生の芸人に媚びない姿勢がいい。
俳句を学ぶには「プレバト」を見るに限る。大学時代の草田男先生以来のことである。

金秋戦決勝のお題は「歩行者信号」。一見無機質とも見えるこのテーマに対する芸人たちの作品が面白かった。

優勝  東国原英夫   信号の点滅は 稲妻への合図   Ж秋の始まりが凄い
第二位 藤本敏史    信号待つ 騎馬警官の 背のさやか   Жニューヨークにて
第三位 横尾渉     天泣の プラチナ通り 檸檬の香   Ж天泣は天気雨で
第四位 中田喜子    横断の人波 秋光を放つ   Ж即位の日の宮城前
第五位 千原ジュニア  台風や ぐぅわんぐぅわんと 信号機   Ж擬音のリアル
第六位 石田明     我だけを 停める信号 秋あかつき    Ж我のみを、で
第七位 村上健志    廃校の名の信号機 秋の蝶      Ж名前だけ残った
第八位 梅沢冨美男   徒歩で行く 免許返納 秋の風   Ж免許返納はつきなみ

自信過剰の梅沢冨美男の悔しがること、俺が出なかったら視聴率は取れないぞ! と大時代の啖呵がなんとも古めかしく、すでに置いてけぼりをくらっている、地上波テレビの末期がみえない悲しい芸人が見えた。
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2019年10月10日

踊る「まいたけ」

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 そろそろ里山に茸が顔を出す季節になってきた。
 昨年は軽井沢の別荘族に参入した知人の歓迎をかねて、別所平の松茸山にでかけた。たくさんの松茸に舌鼓をうち満足したのだが、山小屋のなかはカメムシの天国であり、松茸のてんぷらにカメムシを払い、松茸の鍋にカメムシを遠ざけ、松茸ご飯にカメムシを追い出しながらの悪戦苦闘だった。松茸は喰いたいが、カメムシは要らないという訳で、目下考慮中である。

 舞茸について面白い記述があった。
 今は昔、京に住むキコリが仲間とともに山へはいった。すると山奥から美しい尼さんが数人舞い踊りながら降りてきた。キコリ達は一瞬凍りつき、鬼の仕業か天狗のイタズラかと疑がったが、尼さんたちはますます陽気に踊りながら近ずいてきた。キコリは思い切って踊る尼さんに尋ねると、「私たちは妖しいものではありません。京の何処そこに住む尼で、花を摘んで仏に供えようと連れ立って山に入ったのです。道に迷い立ち往生していたところ、キノコが生えていたのでおもわず食べてしまいました。少し食べて余りの美味しさに焼いてたべたところ、身体が踊らずにいられなくなったのです。」キコリ達もお腹がすいていたので焼き茸に手をだしたら、その気もないのに踊りだし、尼さんともどもキコリ達も楽しく笑いあいながら踊り狂った。暫らくたって吾に帰ると、それぞれの家に帰っていた。
 それからその茸は「舞茸」という名でばれるようになったというお話。

 舞茸はついこの間まで珍しいキノコで、なかなかお目にかかれなかったが、長野ではホクトなどの努力で市場にでまわるようになった。
 血圧をさげ、糖尿病の予防に役立ち、心臓機能の助けにもなるという貴重な山の恵みである。
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2019年10月09日

人気の「廃業おくりびと」

シャッター街.jpg

 かって創立50年のとし、100に近いブランドのアイランドを創り、センターに映像によるファッション・タワーを構成し、さらにファッション・シアターをつくってイベント化した、あのオンワードが危ないという情報に接した。サンローランを頂点にビジネス・スーツからゴルフウェアまであらゆる衣料をブランド展開していた巨人に落日がおとずれているのだ。
 前世紀末といってもほんの20年ほど前だが、ユニクロを初めとするストリート・ファッションが登場してきた時、いち早く市場変化に反応できなかったことが原因だろう。
 1970年代から数々のビッグプロジェクトを制作・演出してきたが、カネボウも、オンワードも、レナウンもみな崖っぷちにたっている。あのゾゾタウンですら明日倒産しても不思議ではない。友人の息子さんは、オンワードをやめてどこかのIT企業に転じると聞こえてきた。

 長野の真ん中ではアゲインが倒産し、年末には権堂のイトーヨーカドーも閉めるという。駅前の平安堂も消えて、ドンキホーテのネオンが図々しく輝いている。ついこの間の長野オリンピックの痕跡すらない。もはや都市の中核風景が変わってしまうのだ。

 会社が、中小企業が、商店が、人知れず消えていく。
 去年は46.000件の中小企業が廃業に追い込まれた。これからの一年、廃業・倒産の危機にあるのは310.000社と予測されている。日本列島はいまや廃業列島であり、大倒産列島になっている。

 人口が減り続け、もはや家業が維持できないという中小企業だらけ。後継不足、地域経済低下、地盤沈下を前にしても、現実はラクビー熱狂、オリンピック万歳、今日はサッカー、明日は野球、の声にかき消され、真実は見えない。先進国が植民地支配のもっとも有効な武器はスポーツであると、喝破した意味がよくわかる。

 従業員に迷惑をかけず、取引先にも争うことなく、銀行の理解をえて廃業するために、いま多忙をきわめているのが「廃業おくりびと」なる職業。円満な自己破産のため、いい終わり方をするにはどうしたいいか、藁をもつかむ思いで「廃業おくりびと」のもとに駆け込むという。
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2019年10月07日

スポーツ界は多民族国家

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 この国はもはや「多民族国家」になったと思わせてくれるのが、最近のスポーツ報道である。
 長いこと聞かされてきた「日本は島国で単一民族だから、」という説明は死語になったような気がする。

 大阪なおみ(テニス) 八村塁(バスケット) リーチ・マイケル(ラグビー) 御嶽海(相撲) 杉山マルコス(バレーボール) 赤田龍一郎(野球) 高橋裕治(サッカー) ケンブリッジ飛鳥(陸上) サニーブラウン(陸上) オコエ瑠偉(野球) 高松望ムセンビ(陸上) 渡嘉敷来夢(バスケット) ヘンプヒル恵(陸上) 中村優花(バスケット) 石田アンジェラ(ビーチバレエ) 出口クリスタ(柔道) 朱里(キックボクシング) 堀川真理(バレーボール) 宮城ナナ(テニス) 瀬間友里加(テニス) 杉山マルコス(バレーボール) 辻元賢人(野球) 高安(相撲) 貴源治(相撲)……等々、混血、ハーフの花盛り、もはやスポーツの世界は完全に多民族国家の態をなしている。

 アメリカのスプリンター遺伝子の解析結果によれば、父方がアフリカ系、母方が非アフリカ系のミックスがもっとも優れた成績を出している。学問的に瞬発性運動能力の研究では、ハーフの遺伝子がもっとも優れているという結果もでている。
 ただ理科系、文科系になるとそうはいかない。ノーベル賞受賞者にはアフリカ系は圧倒的に少ない。

 人間のみならずお魚の世界でも、在来種は皆弱く、外来種ほど強いという現実がある。単一民族というのはお伽話しの世界になりつつあるが、筆者のようにかたくなに「江戸っ子」をかかげて生きていても希少絶滅種なのだ。東京にも六本木にも江戸っ子はみあたらない。ほとんどが地方からの家出人によって東京は占拠されている。
 人類がみんな仲良く助け合って生きていくのは賛成だが、風土愛だけは堅持してほしい。日本に住み、日本を愛し、この国の文化に馴染んでこそ仲間になりうる。まま見られる無国籍主義の日本人では、伝統も歴史も破壊されて意味がない。
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2019年10月05日

高橋の手帳と伊東屋のカレンダー

伊東屋カレンダー.jpg

 10月の声をきくと、さて来年の手帳は、来年のカレンダーは、どうしようという思いが膨らむ。
 かっては手帳売り場や、カレンダー売り場が混みあう師走までほっといたが、ここ10年ぐらい前から10月が新年への節句になった。

 10月になれば、銀座伊東屋のカレンダー売り場も本気度が顕著になるし、最近では手帳も11月からスケジュールが乗っている。とすれば10月にはいったら来年付き合う手帳も決めなければならないし、カレンダーも掲示するものをあらかじめ入手しなければならない。

 カレンダーは伊東屋の極めて情報量の少ないカレンダーに決めている。
 日にちの数字と英文でSUN、MON……邦文の情報は極めて小さな文字で、一月には元日、小寒、成人の日、土用、大寒しかない。それらの事柄が縦一列に75cm、幅8cmの超タテナガに印刷されている。このノッポなカレンダーがトイレとキッチンにさげてある。これには赤とブルーと透明のちいさな物干しばさみの形のクリップがとめてある。透明は今日を示し、赤は相方の予定を示し、青は僕の予定だ。具体的にはなにも書かないが、指し示す日時をみて想像する。
 細かく書き込むのは3段3ケ月の日時が判るカレンダーの方だが、これは仕事部屋にかけている。いつもデスクがプレゼントしてくれるので、伊東屋まで足をはこばなくともいい。

 手帳はここ数年「高橋の263番リベルデュオ」と決めている。
 高橋の手帳はとにかく薄い。そしてスリム、スーツのポケットにいれてもかさばらないし、うっかりすると入れていることさえ忘れる。手帳の厚いのはいけない。スケジュールに追われて暮らしているような、スケジュールの手下になったような気分に襲われる。
 そのうえ高橋の手帳のいいところはカバーと中味が出し入れ自由でどうにも組合せられる。その上重要事項のメモ帖がきりはなしてあるのでいちいち書き直さずとも新しい年のケースに引越せばすべて事足りる。日本人のライフスタイルを真面目に研究していることだ。
 10月に悩むのは、手帳の色ぐらいか。今年は赤だったから、来年はブルーにしよう。ブルーは透明ケースに青い紙がはいっているだけです。それでもいいんですか、と厳しい叱咤がデスクから飛んできた。
 ……うーん、この際高橋の手帳を信じよう。明日のヨドバシ便が楽しみだ。
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2019年10月04日

慰安婦像に補助金不要

慰安婦像.jpg

 朝日新聞は少女慰安婦像をどうしても愛知トリエンナーレに展示したかった、と受け止めるしかない。
 みずからの誤報に始まって世界中にばらまかれた戦争中の日本軍の不道徳な行い、まったく捏造された慰安婦強制という神話を正当化したかったのだろう。
 9月27日の一面大ミダシに「芸術祭に国補助不交付・異例の対応 萎縮懸念」と銘打って、文化庁の補助金不交付についてあたかも弾圧ともうけとれる記事を書いている。


 補助金不交付を異例の対応と書き、乱暴の感はいなめないと報じているが、いつから日本に韓国の反日プロパカンダに交付金をだす義理が発生したのか。
 慰安婦像を芸術と受け止める朝日新聞は、頭がおかしい。表現の不自由展などと、もっともらしくタイトルをつけているが、慰安婦像は芸術でもなんでもない。韓国の反日活動のシンボルではないか。
 世界中の街角にそれも日本大使館や領事館のまえに設置して、さも日本人の不道徳を訴えるような嘘と不実で固めた韓国人反日運動の浅ましい立体なのだ。
 これを表現の不自由などと称して芸術祭にもちこむとは、あきれてものもいえない。アート・ディレクターは韓国人なのかと一瞬疑った。

 愛知トリエンナーレは反日政治運動の拠点と化している。愛知県知事の大村秀章もおかしい。芸術と政治的プロパカンダの区別もつかない。
文化の現場に萎縮が広がることが強く懸念されるという朝日新聞も論理のすり替えで、民意をゆがめようという態度がありありとみえる。

 日本人の税金をこんなものに支出する理由はどこにもみあたらない。文化庁の不交付決定を「至極まっとうな判断」とした評価した河村名古屋市長は日本人としての健全な常識をもっている。
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2019年10月01日

なべおさみという祈祷師

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 芸能人ほど弱いものはない。ある日仕事がなくなれば、即座に路頭に迷う。
 ましてや病気でも患えば、とんでもないことになる。大手プロダクションに所属していれば、保険にはいっているが、弱小プロダクションでは保険など夢のまた夢なのだ。
 収入はなくなる保険もない、突然に癌になった。途方にくれた芸能人を何人か知っている。

 そうした現実につけこんだ祈祷師のひとりが「なべおさみ」である。
「病巣に存在している悪いものを、一度私の体に移動させて、それを私が滅してしまう」彼の自書本に書かれていることだ。気を送るとか、施術、などと称して、怪しげな民間療法を施す。
 王貞治さんを救ったとか、田岡組組長の倅をすくったとか、政治家の名前などを武器にたくみに自己宣伝をする。小林麻央を引っ張り込み、結果治療遅れで死なしてしまったことなど、全く反省せず「私の治療は50パーセントです。半分は天が許してくれないのです」なかなか立派な言訳が用意されている。

 なべおさみは今競泳の池江璃花子にからんでいる。折角19歳の天才少女が闘病をつづけているのに、途中から奇妙な民間療法に憑りつかれては、と心配に襲われる。
 なべおさみ等という三流芸能人のオカルト療法は、追放しなければならない。
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銀座の賑わいは文化の賑わい

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 日本一の旦那衆の温習会が今年も無事開かれた。
 銀座くらま会が95回を迎え、新橋演舞場は着物姿の客に溢れた。日本の真ん中にある東京銀座の旦那衆が年に一度の温習会、日本中の商店街から活力が失せても、東京銀座だけは世界の銀座として活気を持ち続けて欲しいという願いもある。
 江戸っ子にとって、銀座の柳のむかしからカタカナと英語の銀座まで、変わらぬ座標軸なのだ。

 中央通りのコマツ・ストアー小坂敬さんは一中節で「花の段」を、資生堂一族の福原有一さんは小唄で「移り香、お互いに、夏景色」、ゴルフ会員権の先駆け桜ゴルフの佐川八重子さんは「ほたる茶屋」、落ち着いた銀座の夜を演出する名門クラブの鮎川壽枝さんは清元の「助六」と先代翠扇作詞の「かまわぬ」を、新橋花街の元締金田中の岡副真吾さんは「都見物左衛門」を、そして仁科恵敏さんは合奏曲「虫の音の手事」をと、それぞれ自慢の腕を披露した。次代若手のからす天狗もおおいに張り切って「さわぎ」の楽しさを盛り上げた。

 毎回後半の立方を務める新ばしの芸妓衆もご苦労様である。きみ鶴、喜美勇、喜美弥、加津代、あや、千代加、のりえ、民、秀千代、ぼたん、たまきの皆さん、花柳やら西川のお稽古にご苦労様なこと。

 鳴物には人間国宝の藤舎名生師も出演し、豪華な裏をつとめていた。さすが銀座くらま会と多いに楽しませていただいた。
 銀座に数多の海外ブランドができても、この伝統的な温習会には手も足もでない。
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2019年09月29日

バカップル! 進次郎とクリステル

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 小泉進次郎と滝川クリステル……令和最初のビッグ・カップルは、ジェットコースターに乗って、人気下降の坂道を転げ落ちている。
 いつも自らをケネディーになぞらえていた進次郎は、中味不在の玉ねぎ政治家だったことがばれ、斜め45度の女子アナ滝クリも見栄っ張りのオバカがばれ、軽井沢高原教会での挙式にいたって、ついに普通のバカップルだとレッテルを貼られてしまった。

 結婚によってこれほど人気の堕ちた政治家をみたことない。二人ともがあまりにもメディアを相手にパフォーマンスをしてきた過去からしっぺ返しを受けたということだろう。
 環境大臣になった進次郎は、前大臣がやっとの思いで口にした福島汚染水の海洋投棄について、世界の原発国が総て海洋投棄で対処しているという事実をとばし、すべての福島難民に寄り添うと口当たりのいい美辞麗句で現地訪問をした。
 福島原発の汚染水を心配する良心にとって、この大臣はダメだ、真実に向かう勇気も度胸もなく、ただ目の前の国民に媚びる尻軽政治家と認識された。

 国連の環境会議に出席し、日本の石炭火力のCO2削減についてどう対処するのかと質問を受け、「……この問題は楽しく、クールに、セクシーに処理していかねばならない。」と答え、世界中の人々を?マークに追い込んだ。環境庁の役人からよほどシカトされ、なんのレクチャーも受けずにニューヨークに行ったのかと思ったが、そうではなく単純に勉強しなかっただけと聞いて、二度あきれ果てた。

 選挙区の50代の女性は「もう少し勉強して発言してくれたらよかったのに……」と苦笑していた。
 令和のビックカップルは、ただのバカップルだったというお粗末な事件であった。
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2019年09月26日

「さとうのご飯」はオコメではない?

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 全国おこめ券なるものをいただいた。
 独身状態や、仕事の合間のカレー・ランチの折などは「さとうのご飯」で済ますので、スーパーへ行けば「おこめ券」でさとうのご飯が買えるかと思ったらあっさりと断られた。
 「つるや」という軽井沢最大のスーパーの担当者に言わせると、さとうのご飯はおこめではないのだそうだ。
 お米というのは焚いてない固い米粒をいうので、さとうのご飯をたべてもお米をたべたことにはならない、というお役所風な答えがかえってきた。半分納得したが、半分なっとくできずにもうひとつのスーパーにいった。

 「デリシア」という最近できたスーパーでたずねたところ、「はい、結構です。さとうのご飯でも、お米でもどちらでも使えます。」という答えが返ってきた。つまりデリシアでは、お米もチンご飯も等しくおこめの領域と認めてくれた。
 お米の炊き方にはいろいろあるが、近頃では電気窯で焚くだけでなく、土鍋でたいたり、電子レンジの2分だったり、それぞれのライフスタイルに応じて、いろいろに食べ方や調理法に工夫している。

 全国おこめ券を発行してお米消費を促進したければ、そのあたりの調整を計ってから発行してしかるべきだろう。生のコメだけが対象のおこめ券をいくら印刷してもオコメの消費にはつながらないと自覚すべきだ。オコメ消費の現実がどこにあるか、もっと勉強したうえでおこめ券を作れ、といいたい。

 さとうのご飯には、「つや姫」から「晴天の霹靂」「魚沼のこしひかり」「新之助」「あきたこまち」「ひとめぼれ」「つがるロマン」「きらら」と日本中のブランド米が揃っている。
 さらに加工技術がすすめば、みんな焚くことをやめてチンでご飯をたべるようになるのは、時間の問題なのだから。
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2019年09月25日

海に生きた安曇族のお船祭り

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 安曇野に穂高神社がある。
 穂高神社は安曇野一帯にすみついた安曇族の守り神であると同時に、上高地から北アルプス穂高岳山頂に至る一帯の守護神でもある。安曇族はもとは北九州にすみし、海洋民族だったという説があり、今に残る習俗には興味深い海のものがたりが多い。

 9月26、27日におこなわれる「お船まつり」もそのひとつだ。全長12.3mの男腹、女腹の大小5艘の船が出て、壮絶なぶつけ合いをする。
船の帆先には何十枚のキモノが飾られ、中央部には等身大の穂高人形と舞台がかざられている。大海の大波に耐えられるほどの背の高い山車である。
 その昔、朝鮮半島百済救援のドキュメントが、祭の本行ときいては、気の遠くなるような歴史絵巻なのだ。海神に仕えたわだつみ族の子孫が安曇族と聞かされても、どこをどう通ってこの北アルプスの麓にたどりついたのか、頭のなかのハテナ・マークは消えない。

 穂高神社の奥宮は、上高地明神池のほとり、河童橋から4キロ程歩いたところ、山小屋のレジェンドである嘉門次小屋のすぐ側に奥社はある。
10月8日の明神池には雅楽が流れ、北アルプスの伏流水をあつめた水面に、平安絵巻のような龍頭鶏首に飾られたお船が行く。お船神事である。
 平安装束の神職たちはお船に立ち、一の池二の池をまわって、四海平穏と山神無事を祈り、邪鬼を払って祭りは終わる。
 北アルプスの山懐でこうしたお船神事があることで、マイ・脳ミソは安曇族にまつわる伝承を信じざるをえなくなるのだ。

 そして穂高神社にまつわるロマンは果てしなく続く。奥宮のその更に奥に峯宮がある。なんと海抜3190メートルの奥穂高岳山頂に峯宮が鎮座している。日本の屋根、北アルプスの頂点をも神域にしているのが穂高神社なのだ。

 里宮の境内を支配しているのは色とりどりのニワトリ達。黒、赤、緑、烏骨鶏も混ざって彩ゆたかなニワトリ達が悠然と境内をあるいている。
古事記に書かれた天の岩戸の情景がそこにある。
 鳥居をでれば、この世のものとは思われない名店「小笠原わさび店」のワサビ漬が待っている。

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2019年09月23日

剛力彩芽の無知と欲望

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 ITビジネスで派手な経営をし、世にパフォーマンスを見せつける人を信じない、というのは一般常識かと思っていたが、芸能界では反対のようだ。とくに女優と女子アナは、そうした行為をみせつけられると簡単に落城する。
 「現代アート、聖地巡礼」取材のためパリへ。ZOZOの前澤友作は毎回お気に入りの女優をともなって海外のアーティストをたずねる企画だった。米倉涼子、栗山千明、広瀬アリスなどなど、幻冬舎の雑誌企画に便乗して前澤は女優漁りをしていた。往復彼のプライベート・ジェットで行く、というところが味噌だが、前澤にとっては女達への承認欲求最大の手段だった。

 先ずZOZOの広報担当の女性がひっかかった。彼女は彼との間に二人の男の子を生んだといわれている。
 二人目は東京ガールズコレクションにモデル派遣をしていた女性、彼女はひとりの子供を産んだ。「結婚はしない。未婚の母親でいいのか、」と言われても、彼の財力に一生を託した二人の女がいた。
 間もなく「俺の宣伝のために紗栄子と付き合うから…」そんな言訳といもに、紗栄子とのスキャンダルは前澤友作を一気に有名人にした。それとともにZOZOという通販サイトの話題もふくらんだ。紗栄子は彼との交友を隠すことなく、プライベートジェットでのデートをSNS上に次々とアップしていた。

 そんな前澤の女漁りの頂点が剛力彩芽だった。オスカー社長の異常なこだわりで、剛力はコマーシャルの女王になったが、ドラマではまったく成功しなかった。カン違いの踊り自慢で、タイトルシーンなどやらせたが、踊り過ぎるばかりでスターの踊りにならない。
 そんな時、前澤からの「現代アート、聖地巡礼」のお誘いは、剛力にとってチャンスの神様にうつったのだろう。プライベートジェットでのロス取材を終えたのち、「これからフロリダに飛んで、宇宙旅行の契約サインをしに行くんだけど、一緒にこない?」異国での契約サインを見せつけられた剛力は、その瞬間に恋に堕ちたと伝えられる。
 前澤の手練手管に翻弄された剛力の人気はあっという間に坂道を転がるように堕ちた。 12本あったCMはゼロとなり、プロデューサーは誰も彼女を使おうとしなくなった。

 その頃ZOZOにじわじわと危機が迫っていた。社長の乱脈ぶりにオンワードを始め大手のファッション・メーカーが手を引き出した。前澤友作はヤフーの孫正義に泣きつき、会社をひきとってもらった。あちこちに買い散らかした不動産も、ボンバルディアのジェット機も、バスキアの絵画も、リシャール・ミルの腕時計もまもなく総てを手放さなければならない。自社に買い取らせた株式は、背任行為の証拠として刑務所送りの動かぬ証拠となる。
 その時、剛力彩芽はなんと言訳するのか、彼女に内在する無知と欲望と破廉恥があらわになる。
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2019年09月19日

覆面レスラーを議員に選んだ長野市民

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 長野市議会議員選挙の結果を見てのけぞった。
 普段教育県をもって任じ、議論好きの長野の県都の議員投票結果が、これだとは信じられない。
 覆面レスラーの「グレート無茶」なる人間がぶっちぎりのトップ当選だ。315.528人の長野市有権者のうち40.31%しか投票しなかったが、なにはともあれ6.231人が投票したのが、覆面レスラー「グレート無茶」というお粗末きわまりない結果だった。
 そのうえメディアの話題は、当選したあかつきに覆面で登院するやいなやの賛否両論である。どこまで阿呆なのか、立候補したやつも、投票した人間も、メディアも、まとめてアキレタ族である。

 グレート無茶は6000人の人が投票してくれたのだから、覆面マスクで議会に出ないと礼儀に欠けると訳の分からないことを言っている。議会側は委員会を開いて議論すると答えている。一回開いたが結論がでなかったので再び委員会を開いて審議する。いい加減にしてほしい。市民の負託に答えて議論する議会に、商売道具の覆面マスクをつけてでてくるなど正気の沙汰に非ず、議論の余地はない。
 品位がないとかいっているが、常識がないのだ。

 岩手県議会議員に選出された学歴詐称の「ザ・グレート・サスケ」、大分市議会議員に選ばれた「スカルリーバー・エイジ」、大坂和泉市議会議員に当選した「スペル・デルフィン」についで、四番目に覆面議員選出都市になったのが「長野市」。議会もどん底まで落ちて馬鹿にされたと認識すべきだ。

 議会とリングの区別がつかないスポーツ馬鹿が大手を振って歩いている。マスクの下が本人かどうか確認できないので、という議会事務局の見解は洒落のつもりか。
 長野市民の民度は地に堕ちたと、いわれても致し方ない。
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2019年09月18日

米寿御祝いに戸惑う

お米 写真.jpg

 軽井沢町藤巻町長とあいたいで写真を撮った。
 子供の描いた虹の絵をいただいた。お米券もどっさりついてきた。
 どうやら僕は老人のアイテムに入るらしい。おめでとうございます、といわれ、答えに戸惑った。ありがとうございます、と答えなければならない。
 老人は老人ホームに入らなければならないらしいが、今のところその予定はない。

 英国ドーセット ブリットポートから、帽子のケーキにローソクがいっぱいのカードが送られてきた。今日は「帽子デー」といって町中皆帽子をかぶってマーケットへ行かねばならないのだそうだ。
 プレゼントは別送すると書いてある。英国貴族はプライドが高い。老人扱いは禁物だ。

 つや姫、新之助、ゆめぴりか、銀河のしずく、こしひかり、そして雪蔵今摺り米など豪華七種のお米詰め合わせが送られてきた。
 鯛と湯葉のお吸い物までついている。 さすが都育ちの心使い、西ノ京御陵の桂さんと、祇園の照豊さんである。
 20数年前からのお付き合いだが、折にふれての届けものに感謝する。女盛りの今をさぞ幸せに過ごしていられるのだろう。
 贈り物にはその人の生活環境が映し出される。

 桜の木の禎子さんからは、只今関西へ移動中という近況報告からお祝い電話をいただいた。
 新婚の明嗣君からは子供が無事生まれたという声、相方は美女なので多分ジャニーズ系男子に育つだろうと想像、世代交代を告げられたような複雑な気分である。

 デスクの高橋さんからは、早々と来年のカレンダー一式である。
           ……くたばらずに来年も働けという叱咤激励なのだろう。

posted by Kazuhiko Hoshino at 10:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月17日

台風と電気とマッチと

倒れた電柱.jpg

少し強い台風がきたので
たくさん鉄筋の入ったコンクリートの電柱が倒れた
一本倒れた
二本倒れた
三本倒れた
四本倒れた
五本倒れた
六本倒れた
七本倒れた
八本倒れた
九本倒れた
十本倒れた
その後は数えきれない

沢山倒れたのでお風呂が沸かない
沢山倒れたのでテレビがつかない
沢山倒れたのでスマホの充電ができない
沢山倒れたのでゲームができない
沢山倒れたのでチンご飯が食べられない
沢山倒れたのでエアコンがうごかない
沢山倒れたのでトイレは流れない
沢山倒れたのでシャッターが動かない
クルマは車庫で死んでいる

電気会社と電信柱のメーカーは大噓ツキ
…… 電線を地中に埋めると儲からない

 
そこで昔ながらの扇子と団扇が有難い
そこで昔ながらの自転車が有難い
そこで昔ながらのマッチと薪が有難い


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2019年09月14日

牡蠣に始まり牡蠣に終わる

牡蠣.jpg

 80年食べ続けて少しも飽きない定食メニューがある。
 「牡蠣フライ」である。冬になって「牡蠣フライ」始めました、の貼り紙をみると周りのメニューが眼にはいらなくなる。
 有楽町のガード下でも、三田の田町通りでも、六本木の俳優座裏でも、いろいろな「牡蠣フライ」をたべてきた。不思議なことに牡蠣フライには不味い牡蠣フライがない。スーパーの片隅に並べられている牡蠣フライも結構いける。あるレベルを維持しているのは牡蠣の力だろうか。
 大きな差がでるのは、添えられたタルタルソースである。丁寧に作られたタルタルと、工場で大量に作られたタルタルには大きな差がある。
 だから出された牡蠣フライの一皿は、タルタルソースのお試しに始まる。タルタルが美味いとその日いちにち幸せな気分になる。

 レストランの店頭に砕かれた氷のうえに丸く並べられた牡蠣をみた。60年前の冬のパリの街角だった。店の中ではなく、店の外にずらりと並んだ牡蠣の姿にパリジャン達の異常な牡蠣好きをみた。恋人同志レストランの店頭で牡蠣の立ち食いだ。見つめ合いながら、たまにベーゼを交わしながら、手にとられた牡蠣にレモンを絞りあったりして、冬牡蠣を楽しんでいた。

 数年後パリでは牡蠣が食べられなくなった。店頭の冬牡蠣が姿を消した。牡蠣が病気になって全滅した。その時、フランスに母牡蠣を送って助けたのが、宮城南三陸町だった。南三陸の牡蠣は世界でいちばん病気に強い牡蠣だった。
 3.11の東北大震災のあと、いち早く牡蠣の種をおくってくれて、三陸に牡蠣の復活をもたらしてくれたのはフランスの牡蠣業者だった。こうして日本とフランスの牡蠣好きはしっかりとした絆でつながっている。

 いま市川、江戸川の河口には牡蠣殻の貝塚が次々とできて困っている。中国の人々が連日押寄せて牡蠣をとり、その場で中味を取り出し殻を捨てて帰る。そのため牡蠣殻が山をなしているというのだ。
 江戸川の牡蠣には漁業権が設定されていない。日本人はこんなに美味いものを何故たべない。よもや汚れた川の牡蠣をとりに中国人が集まるということなど日本人は想像もしていなかった、ということなのだろう。
 江戸川は中国の人には宝の川に映っている。
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2019年09月13日

村山槐多とゴヤの衝撃

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 初めて「村山槐多」の奇作にであったのは、信濃デッサン館だった。
 作家水上勉さんの子息・窪島誠一郎さんが自費で建設した美術館で、夭折した作家の作品を集め、信州別所平の山懐にシックなたたずまいをみせていた。
 その美術館の目玉が「尿する裸僧」だった。僧侶が合掌しながらみずからの拓鉢にむかって放尿するという衝撃の作品だった。そのシチュエーションの大胆さにどうむきあったらいいか一瞬ためらいに襲われた。

 前年、イタリア美術探訪のついでに、スペインマドリッドを訪れた。プラドー美術館でゴヤの作品がみたかった。薄暗い一室にゴヤの作品だけが集められていた。
 息をのんだのは、「我が子を喰うサトゥルヌス」、自分の子に殺されるという予言に恐れたサトゥルヌスが、自分の5人の子供を次々と頭から食い殺す、その情景がリアルに描かれている。ぞっとしてその絵のまえにたちすくんだ。震えが止まらなくなった。
 あの時の慄然とした気分をおもいだしたのが、槐多の「尿する裸僧」だった。

 ミケランジェロだけを見て歩いたイタリアの旅、パリ、アンティーブ、バルセロナと回ったピカソの旅、ノルマンディを巡った印象派の旅、アートに惹かれた旅はいろいろとしたが、感動感激につつまれても、衝撃にやられる旅はそんなにない。その数少ない体験を味合わせてくれたのが、ゴヤと槐多だった。、

 ゴヤは壮絶だが美しかった。槐多は土臭く美しくない。民画のような骨太さは野暮ったく疲れるので、僕のなかでは余り評価しない。それより詩人としての村山槐多にひかれる。詩人として中原中也を超えている、とさえおもうことがある。

 槐多没後100年のことし、新たに発見された140点の作品の真贋騒動が美術界をにぎわしている。評論家と画商のあいだで如何にもの贋作騒動、話題が高値をよんで美術流通が活気ずくという日本独特の不思議である。
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2019年09月12日

いろいろなお金の支払い

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 「お買い上げの衣類は篭にいれて、その台のうえにおいてください。左の画面にお買い上げ一覧がでますので、よろしければ次をタッチしてお支払い画面にお進みください。」買った方も売った方も商品には一切手をふれていない。すべて機械がやってくれる。ついこの間まで、一列にレジにならんでいたが、そのレジが無くなってしまった。レジの無人化である。客は機械の言うとおりに支払をすませ、画面上に「アリガトウゴザイマシタ」とでたら、自分で買い求めた衣類をレジ袋にいれて帰る。
 欲しいものを買い求めたという気分より、必要衣類を補充したといった気分である。

 紀伊国屋は買い求めた商品をレジでチェックして、支払いをすると、店員さんが、レジ袋に入れて手渡してくれた。親切が嬉しかった。
 最近のデリシアは階上げ商品の読みとりを店員さんがして、支払は次のカウンターで自分がする。レジ袋にいれるのは客自身の仕事である。

 アウトレットのファッション・ブティックでは、告げられた金額を直接レジのおねえさんに払うと、オネエサンはロゴ入りのショッピングバックにお買い上げ商品を丁寧に入れて、戸口までもってきてくれる。またのお出でをお待ちしますと言ったスタンスだ。

 ユニクロで、パンツとクツシタを買ったオジサンが、普通のキャッシャーは何処だ? と怒鳴っていた。若い店員さんが駆けつけて、お詫びしながら自動キャッシャーの代行をしていた。不思議な気分におそわれた。

 明日の社会を生きるには、いろいろなお金の支払い方を勉強しなければならない。 
 クワバラな世の中である。

posted by Kazuhiko Hoshino at 11:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月10日

水に生きる

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 少女はいつも水を飲んでいた。
 仕事に入る前には必ず水をのんでいた。どこか遠くにでかける時も、必ずといっていいほど水をのんでいた。始めは喉がかわくものを食べたに違いないと、おもっていたが、その内にいやそうではない、少女にとって水はエネルギーのもと、水をのまないと少女は壊れてしまうのではないか、と思えるようになった。だから少女と仕事を共にするときは、水をあらかじめ用意するようになった。

 少年時代、「水を買う行為」など想像もしなかった。東京では水道の蛇口をひねれば、少し臭い水がいくらでもでてきた。
 どこの家にも井戸があり、夏休みの西瓜はいつも井戸に浮かんでいた。神棚にあげる水は、井戸水に限られていた。水道の水を神様や、仏様にあげては罰があたると教え込まれてきた。 だから井戸のかたわらには水神様が祀られていた。

 学校の廊下に一列に並んだ水道があった。そこで手をあらった。掃除のあとの雑巾もすすいだ。
 防空演習のときはバケツにいっぱいの水をそそいで、バケツリレーをした。それでアメリカに勝てると信じていた。 並んだ蛇口の前には鬼畜米英と書かれていた。
 その水道の水を飲んで育った。

 広島に原爆が落とされ、人々は「水を、水を……」と云いながら息絶えていったという記事をよみ、初めて「命の水」を認識した。
 美しかった水は、敗戦とともに泥水にかわっていた。

 いま、隣のデスクの女性は、コストコのカークランドというアメリカ製の水を飲んでいる。僕はヴォルビックというフランス製の水である。ネットでは伊豆半島沖の海洋深層水とやらを集団飲水している。
 齢とともに水の重さに耐えられなくなった。アマゾンなら戸口まで水を運んでくれる。
 やはりアメリカに生かされている毎日である。
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2019年09月08日

京都にチャイナタウンができる?

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 「うわぁ、この街は長安の都だ」「なんでここに長安があるんだ!」
 観光の来日中国人が例外なく感動するのは、「京都」の街並みや「寺社仏閣」のたたずまい、さらに「京都御所」などに歩を進めると、中国の古都長安が失ったものが、京都にあるというので感動するという。
 考えてみればあたりまえのこど、1000年のむかし京都は、長安を下敷きにして築かれた都そのものだからだ。大和の国にとって新しい文化は中国にあったのだから、先人たちが長安の都にならって平安京の設計図をひいたのは極あたりまえのことだったといえよう。

 神戸には古くからチャイナタウンがある。皇蘭の豚まんや、仙翁閣の焼売にお世話になった方も多いだろう。長崎にも横浜にもチャイナタウンがある。長崎なら江山楼の特上チャンポン、お土産には蘇州林の月餅、横浜のチャイナタウンは沢山ありすぎてかけないが、学生時代は重慶飯店、中年すぎたら謝伝記のおかゆ、金鳳酒家のふかひれなどと偏ってきた。

 中国人は世界中どこへいっても自分達だけの城をきずこうとする。名古屋では民族主義の河村市長にあっさりと蹴られて失敗に終わった。
 いま着々と企んでいるのが、長安にそっくりな京都にチャイナタウンを作ろうという計画だそうだ。既に川端康成の別荘であった下鴨泉川亭は、レオパレス21によって中国の大富豪に売られた。あちこちの町家も着々と中国人にかわれていると、伝えられる。

 この中国人のチャイナタウン計画に、中華思想にも似た京都モンロー主義の人々が、どういう反応を示すか、息をひそめて見守っている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする