2019年08月15日

奇祭! 望月の榊まつり

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 鹿曲川にかかる望月橋から次々と松明が投じられる。橋いっぱいに広がって松明のナイアガラが降り注ぐ。
 8月15日の夜空に、山からおりてくる松明の火が点々と連なり、うねって見事な光跡を作り出す。中空から続く光の海が下界に降りて松明の滝をつくる。
 幻想的でダイナミックな「望月の榊まつり」である。
 佐久のみなみ望月の里に伝わる虫送りと除災招福の火祭りの始まりだ。古来望月は宮中に馬を献じてきた。望月の駒と呼びならわしてきた名馬の産地でもある。

 時を同じくして、望月の里のあちこちで、山から切り出した榊の木を神輿に見立てた引き回しが始まる。榊神輿にはそれぞれ元気な若者が乗り、荒ぶる神の様よろしく胴ずきをし、回しながら大きく揺らして荒々しく里を走り回る。
 火と榊の競演が人々の心をかき立て、望月の人達の活気と元気を盛り上げる。
 火によって不浄を追い払った。榊によって不幸を除いた。科学を拒否した信仰の力が人々の表情に明るさをもたらしている。
 榊まつりは信州だいいちの奇祭ともよばれている。

 明日には京都五山の送り火が待ち構える。右大文字、左大文字、舟形、鳥居、妙法の送り火に囲まれて、ご先祖を送る。念仏寺まで足をはこんで送り火のための護摩木を奉納してこようか。都の人は送り火は見るものではなく、ともに供養にくわわってこその通過儀礼なのだ。
 顔黒でツルテンの浴衣をきた日本娘は、何が悪いといった態度でビール片手に自撮りスマホに興じている。
 心配の種は台風だけである。

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2019年08月14日

異常予報は花盛り

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 ここ数年の日本の夏の異常気象は、この国の根幹に関わる大問題になってきた。
 四季に恵まれた温暖な日本列島と、教科書で教えられた日本はどこかにいってしまって、赤道直下の熱帯圏と変わらない温度が日々の天気予報に登場する。「熱いぞクマガヤ!」とか、意外な場所の熱帯夜など、東京でも33度、35度が当たり前になって、町中にミストのパイプをひいて、冷たい霧の噴射を日常化しなければならない状態になってきた。その度ごとに、専門家は太平洋の水温上昇を理由にもっともらしく解説してくれるが、解決策はだれもしめさない。

 ニュースの時間がいきなり天気予報から始まる。次から次へ、台風発生図、予想進路図、海温分布図を見せられ、結果台風はどこに向かうかわからない、と気象予報士はいうが、それならはじめからそんな不確実な情報を流すな、と言いたい。不安を煽って、結論はわからない、典型的なヘイトニュースではないか。
 「今すぐ自分の命を守る行動を起こしてください。異常な雨をもたらすマダラ低気圧が迫っています。海や川には絶対近寄らないでください」有難くご心配はうけとるが、土手がこわされるのも、橋が流されるのも、家がくずれるのも、みな人間の浅はかな智慧が、自然にあっさりと蹴散らされた結果である。人間の想像力ほどいい加減なものはない。

 週間天気予報図、お洗濯予報図、風向予想図、降雨量予想図、波浪予想図、海面水温図、地上温度図、お出掛け天気図、天気に関する図面が次々と登場し、テレビ・ニュースの主役になっている。世界中探しても天気予報で始まるニュースは何処の国にもない。日本はそれほど異常気象の宝庫になっている。こんなに沢山の天気図を見慣れている人間は、日本人のほかいないだろう。地上波テレビの天気に対する入れ込みは、それじたい異常なのだ。役者くずれの予報士、女子アナくずれの予報士、天気会社派遣の予報士、それに予報専門の当たらない大学教授等、つぎつぎとワイドショウに登場する。中央気象台を中心に民間天気予報会社が入り乱れて営業活動をしている結果ともいえよう。

 天気図の記念日までつくって煽っている気象関係者も、ビール、化粧品、などの煽動広告に同じ、ウオール街の犠牲なのかもしれない。
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2019年08月12日

夏グルメ・駒形どぜう

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 うなぎに満足すると、どぜうを思い出す。
 浅草には飯田屋と駒形どぜう二軒のどぜうやがあるが、足が向くのは駒形のほうだ。
 駒形には隅田川の川風がふいているような気がする。入り口の大柳がいつも揺れているせいかもしれない。
 駒形どぜうは1801年創業以来3度の火事にあっている。文化の大火、関東大震災、そして東京大空襲……その度ごとに火災の前の姿を忠実にたどって再建してきた。表の大路に面した二階には窓がなくメクラにしているのがその印、江戸の頃は大名を上から覗いたら、即座に斬捨て御免といったお触れにそった造りなのだ。

 壱・丸を商うべし(開くのは切腹を連想させ武士に嫌われた)
 弐・暖簾を表に出すな(入口の暖簾のことではなく、支店を出すなの意)
 参・武道をするべからず(商いに徹せよの意)
 初代越後屋助七のさだめたこの三訓が代々の店に伝わり、令和の今日まで続いてきた。が中には横紙破りもいて、3代目は鯨料理をだし、6代目は渋谷に支店をだしてしまった。7代目がそれまで「どぢゃう」と4文字だったのは縁起が悪いと「どぜう」に統一し、今日の「駒形どぜう」のイメージが確立した。

 みっちりとどぜうのまんまが敷き詰められた鉄の浅鍋が目の前に登場したら、まず江戸名物新宿ねぎをこぼれるほどに盛る。どぜうとねぎの相性は誠に良い。
 だしは味噌と水のみ、ちくま味噌の江戸甘味噌は創業以来のもの、今日では祖母の実家京都の本田味噌の赤辛味噌を一割ほどブレンドしているそうだ。
 くつくつと出汁が煮立ってきたら、仕上げは地元やげん堀の七味、江戸っ子のどぜう鍋が仕上がる。
 酷暑を乗り切る最高の江戸グルメと信じている。



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2019年08月11日

家元・海老蔵のこれから

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 酷暑のシブヤにいってきた。市川流三代襲名披露が8月3日から12日まで13回にわたって上演されたからだ。
 いままでの家元襲名披露といえば、まず国立劇場か、歌舞伎座に於いて、せいぜい3回公演ほどの日程だった。その恒例を破って、シアターコクーンというB級劇場での13回公演におよんだのは、いかにも海老蔵らしい選択だった。
 コクーンという劇場は面白い劇場だが、劇場の格として一流ではない。いわば実験劇場としての役割をになった中劇場である。客席と舞台の距離の近さからいっても、出演者の芸をじっくり味合う劇場なのだ。それ故あの空間を選択した海老蔵には、よほどの自信があったのだろう。

 その上襲名披露の長期化は歌舞伎においては当たり前のこと、歌舞伎座で一か月、または二か月、その後名古屋、京都、大坂、博多などで一年、二年にまたがることもある。ただ日本舞踊に於ける長期公演は珍しい。祇園井上流のみが明治の始めから、都をどりに名をかりて150年に及ぶトラディショナル・ダンスを成功させてきた。戦後先代の吾妻徳穂が「あずま歌舞伎」の名のもとにヨーロッパにおける長期公演を試みた例があるのみだ。舞踊協会もいろいろと努力しているようだが、なかなか舞踊家のプロ化は進んでいない。

 今回の市川流三代襲名披露を10日間にわたってやったということは、ある意味流派の商業化をねらったのかもしれない。新たに家元になった海老蔵の今後の舞踊活動に注目していきたい。
 当主海老蔵を中心に、叔母の市川寿紅、妹の市川翆扇、娘の市川ぼたん、息子の堀越勘玄と、一家揃い踏みの披露は梅沢冨美男一座の公演と変わらないにほんならではの興行形態だった。
 舞踊界の多くが予想していた市川翆扇の家元襲名ではなく、海老蔵の家元襲名には多くの関係者も驚きをかくさなかった。このところ進境著しく活躍していた市川翆扇が家元にならなかったのは何故か、團十郎襲名を前にして市川流は妹にまかせ、海老蔵は宗家として流派を総覧したほうが、はるかに良かったのではないか、そんな声も聴こえた客席だった。

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2019年08月09日

長崎原爆忌と隠れキリシタン

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11時02分 NAGASAKI この時を迎えるたびに、初めて長崎を訪ねたあの夏の終わりを思い出す。
 爆心地の浦上天主堂あたりは、隠れキリシタンの多かった地域で、海を渡ってきたキリスト教を熱心に信じていた人々が、クリスチャンによって作られた原子爆弾の洗礼を受け、7万4000人の同胞とともに命を失った11時20分は、歴史上もっとも皮肉な惨劇だつた。
 信じていた心の故郷に裏切られ、一瞬で命を失ったのが、長崎隠れキリシタンの子孫たちだった。

 長崎を知りたければ、まず湾をはさんで対岸にあるの諏訪神社の丘から町を見たらいい、と教えられお諏訪様の長坂へ。
 長崎のすべてが鳥瞰できた。対岸の左手には浦上天主堂を中心にキリシタンの町、手前の出島、中央の山の斜面には九州最大の同和地区、山肌にそって低い家並みの群落、役割は隠れキリシタンの監視と犯罪人の探索など、長崎県で被差別部落がないのは、五島列島だけと教えられた。
 あの長崎くんちに見る異国情緒、豪華絢爛な表の表情とはまったく異なる長崎の町があった。

 「コッコデショ、コッコデショ、コッコデショ」五色の大きな布団に飾られた太鼓山、鯨の潮吹き、龍踊、ご朱印船、唐人船、オランダ漫才、等々……にほんの祭りのなかで最も色彩豊かなまつりが長崎くんちである。その長崎くんちが見たくて長崎にいったのだが、出町より、しっぽくより、花月よりも心にきざまれたのが、隠れキリシタンと同和のものがたりだった。

 オランダ坂を登り、グラバー邸にあそんで、蝶々夫人のメロディをくちずさむのもいいが、歴史の裏側に触れて慄然とする旅も捨てがたい。


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2019年08月08日

クリステルはファースト・レディになれるか?

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 吉本闇営業、韓国ホワイト国外す、広島原爆忌、猛暑来る、浅間山噴火のニュース繁多の真ん中に割って入ってきたのが、小泉進次郎議員と滝川クリステルの結婚騒動であった。父小泉純一郎に似てなかなかの選択、将来のファースト・レディをみこした見事な配役というべきか。記者会見も官邸を使うなど、芸能プロ顔負けの進行ぶり、メディアのツボを押さえた小泉進次郎だった。

 戦後歴代総理大臣の妻、ファースト・レディについて思いを致してみた。
 ファーストレディという海外での呼称は戦後しぱらくは皆無だった。つまり二人揃って空港のタラップを昇り降りしてこそのファースト・レディだから戦後何年かはひたすらマッカーサーのもとにあり、ファースト・レディという存在はなかった。

 戦後の日本を背負って総司令部と対峙したのは、吉田茂だった。夫人と死別し総理大臣を辞したのち、新橋の名妓小りんを伴って大磯に隠居した。が大磯詣の政治家はひきもきらず、小りんの聡明さと気働きは世に喧伝され、その後のどの総理夫人よりも高い評価をえている。

 所得倍増の総理池田勇人の妻満枝こそ、初めてのファースト・レディだった。池田勇人に寄り添ってアメリカ訪問を成し遂げた。一年前から猛勉強した英会話を、ついにひと言も話すことなく帰国したのが残念だった、と後に告白している。

 鳩山由紀夫の幸夫人あたりからファーストレディも大分軽くなった。仲間でトリオを組んで下手な唄を唄って喜んでいた。総理は宇宙人、女房は芸能人といった類なきカップルだった。

 最近の傑作は安倍晋三首相の昭恵夫人だ。森永キャラメルの娘で、電通に務めていたという経歴が見事に生きて、神田の裏露地で居酒屋をやったり、大麻解禁に賛成したり、はては森友学園の名誉校長をひきうけたり、安倍首相の足を引っ張り続けている。ファースト・レディの重みがいまだにわかっていない。コシノ・ジュンコをつれて海外にいくなど、あの下品なファッションはファースト・レティにもっともふさわしくない衣裳だということすら理解できていない。
 安倍さんは総理の座にいる限り、アッキーの我がままに悩まされるだろう。

 さて話題のクリスタルだが、「お・も・て・な・し」はイギリス人のオリンピック・コォーディネーターが考えた言葉で、振付通りに演じたのが、クリステルならぬクリスタルということを忘れてはならない。過度の期待はせず、無事に生まれるであろう男の子をしっかりと育てることだ。
 昭恵夫人のごとく旦那の足を引っ張るファースト・レディにならないことを祈っている。
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2019年08月07日

八月の「おいど」

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 夏の「おいど」は元気になる。
 冬のあいだ、かくまわれ、大事にされてきた「おいど」が突然に存在を主張し、誇張して、見せつけてくる。もう「おいど」ではない。「ヒップ」というべきか。舶来品のごとき表情をうかべ、堂々として羞恥心を失い、生き生きと存在をあからさまに動きまわる。
 花見小路よりは、原宿竹下通りが良く映る。ついこの間まで子供の領分だったショート・パンツが、若い女性に奪われ、ストリート・ファッションに変身する。
 男どもはその危ない短さに、目線をかき乱されながら猛暑の時間を過ごす。

 京都では、尻とは言わず、ケツとも言わず、「おいど」といってきた。昔は御居所とかいて、いどころ、座るところを現した中世の女性語だといわれる。 おいどは優しく、色っぽいところがステキなのだ。

 「おいど」をもっとお下げやす といわれれば、京舞井上流のお稽古ときまっている。お尻をさげ、やや中腰のていから舞が始まる。東京の流儀舞踊はほぼ腰高の位置から始まる踊りだが、京舞は御所のしきたりと座敷舞の優雅さが主役となり、腰を降ろした様が基本となった。
 日本の踊りの中では、沖縄の踊りが同じ「おいど」を降ろしたポーズが基本になっている。
 能と京舞と琉舞が共通の目線をもっているのが、面白い。

 「大きいおいどやこと」ケツの穴が小さいといわれるより、ずっといい。尻にしく、尻が重い、ケツを割る、オイドに関する表現は多々あるが、単純に下品とは言い切れない多様な意味を含んでいる。
 池田満壽夫さんは「お尻の美学」をかいて、おいどの魅力に注目した。

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2019年08月05日

イワナもヤマメも死んだ

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 犯人は太陽光発電である。
「日本の未来に貢献する」とはなやかに打ち出した太陽光発電、建売の新築の屋根にのせて、電気代がやすくなりますとチラシ営業している頃はまだしも、大手企業が金儲けを企んで、全国の山林に眼をつけて事業展開をするようになると、問題が次々と噴出してきた。
 福島原発事故のあと、当分使用不能になった山林は、業者の高値につられてあちこちが太陽光発電所になった。

 太陽光発電を始めれば、荒廃した山を宝の山に変えられます。キャッチフレーズに乗った地元民が見た夢が、あっという間にかわってしまった十王川、毎年春にイワナやヤマメを放流して釣り客を誘致、200人の組合員は日釣り券の売上げで生活のたしにしてきた。
 ところが川に放った小魚たちが一匹残らず死んでしまったのだ。稚魚たちはエラに工事の土砂がつまって窒息死してしまった。
 粘土質の泥で川は死に、田圃にも土砂が流れこんで、農民の生活は一変、施工主の京セラから120万円の補償が漁協に支払われただけで、なしのつぶて。

 県の指導では、山林を伐採すると山の保水力がなくなるので、まず調整池を作れ、ということだったが施工主は無視、出た泥水をそのまま川にながすという暴挙にでた。業者は経験にとぼしく、目先のソロバンだけがたよりのフロント企業だった。

 再生可能エネルギーという言葉に浮かされる前に、工事の安全性や自然破壊について考えねばならない。
 軽井沢発地の山の上にも何万坪かの太陽光発電所があるが、当時のキャッチ・フレーズに踊らされ賛成した町議会、あとになって困ったことにならなければいいが、少々心配である。
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2019年08月04日

慰安婦像を展示したかった愛知芸術祭

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 愛知トリエンナーレとは、税金を使って日本人と日本の歴史を貶める祭事とは知らなかった。
 芸術の名をかりて「従軍慰安婦少女像」を展示するなど、主催者の神経を疑う。少女像は韓国の反日運動のシンボルとして、世界中に建てられすでに200近くにもなっている政治的モニュマンである。
 さらに言えば、朝日新聞の嘘に始まったなんの根拠もない従軍慰安婦のリアル像ではないか。この像の撤去を推進する運動ならば許されるが、さらに表現の不自由のシンボルに仕立てあげるなど、主催者側の見識を疑う。
 アートディレクターの津田大介なる人間の素性はしらないが、底の浅い自称芸術家か、歴史しらずの反日日本人であることは確かだ。

 愛知トリエンナーレでは、慰安婦少女像のほか、昭和天皇に擬した「焼かれるべき絵」や、九条守れの俳句、さらに米軍へり墜落のモニュマンまであった。まるで共産党、立民の政治偏向展示会の様相をていしていたのだ。表現の不自由展とはよくもいったり。韓国、北朝鮮の代理イベントに成り下がっていた。

 幸い多くの日本人の声がとどき、従軍慰安婦少女像展示は中止になった。
 実行委員会の大村秀章愛知県知事も、おひざもと河村たかし名古屋市長の反対の声にたじろいだ。公権力が表現の不自由をつくったと主張する田島康彦なる大学教授もおかしいし、検閲につながると声明をはっした日本ペンクラブもみんなおかしい。
 輸出規定見直しでホワイト国から除外された韓国に対し、日本が悪いと声明を発した78人の大学教授、弁護士、医者、マスコミ関係者など、いずれも日本人の衣をきて、日本を貶める反日運動家の在所がすこしずつ明らかになってきた。
 いまこそ日本人のプライド、日本人の欣嗣をとりもどすべきだろう。
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2019年08月03日

中学3年の富士山ひとり旅

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 「六根清浄、お山は晴天、……六根清浄、お山は晴天」
金剛杖を片手に無心にこの題目を唱えながら登った。はるかにしたに見える小さく見える河口湖からたまさか花火が上がる。湖は斜めの大地に張り付いたようにも見えて、打ち上げ花火が開いたさまは、天上から見た地上の楽園とも思えた。
 あぁやっと戦争が終わった。こうして富士さんに登れるのも、訪れた平和のおかげとかみしめながら、初めての富士登山ひとり旅だった。
 それは敗戦のあくる年、中学3年生の夏だった。

 富士吉田まで直行し、登山地図と金剛杖をまず求めた。夏の富士吉田はどことなく落ち着かず人々の往来が多かった。
 先ず登りと下りのコースを選択しなければならない。帰りは須走コースを飛ぶように駆け下りたいと心にきめていたので、登りをどうするかだったが、富士吉田にいるのだから、吉田口から登るのがいちばんと思えた。
 まず登山の無事を願って浅間神社にお参りした。そして鳥居前の駄菓子屋で小さな缶に入ったドロップをかった。甘いものがまったく無かったあの当時、ドロップは貴重だった。カラカラと缶をふって一粒手のひらにとりだす。赤いドロップが欲しかったけれど、白いドロップがでてきた。刺激剤にもなるハッカをなめながら、神社のよこの吉田口から登り始めた。

 「六根清浄、お山は晴天…」…三合目までくると女の人達は帰らねばならなかった。「女人天上」と言われ、阿弥陀堂にお参りして女性は下山していった。これより上に女性が登ると山の神様が怒るといわれ、セクハラなどとは露ほども思わず、黙々と中学三年生は登った。
 5合目から6合目あたり、背の高い木はなくなり、低い草木ばかりと岩場の景色になってきた。クネクネと頂上につづく登山道にヒカリの帯が続いていたことはおぼえているが、自分の光はなにだったか全く覚えていない。六合目の山小屋でいただいた具のない味噌汁の美味しかったこと、いまだに覚えている。

 御来光まで後50分と、追い越していった大人に知らされ、胸突き八丁をゼイゼイ言いながらやっとのことで頂上にたどりついた。御来光にはわけもわからずただ涙があふれた。お鉢廻りも無事済ませ、あとは飛んで飛んで一気に須走を駆け降りた。
 須走口の小学校の庭にあった水道を頭からかぶり、じゃりじゃりと鼻や口に詰まった砂をおとして、ようやく中学3年の六根清浄は終わった。
 いっぱいの焼印が押された金剛杖、大事にとってあったドロップの缶は、行方知らずである。
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2019年08月01日

感謝と妊娠の八朔

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8月1日、八朔の日は夏のお正月である。
 農村信仰では一年の半分を無事過ごせたことを神に感謝し、残りの半分もまた稔り多く無事に過ごせるよう神に祈る祭りなのだ。

 徳川家康は秀吉の策謀によって江戸を知行としてあたえられ、江戸に入府したのが天正18年8月1日だったので、正月に次ぐ祝日として8月1日を大名総見の日とした。江戸っ子にとっての八朔は、徳川さまのご入来だった。

 京都祇園町ではそもそもの俗信が根付いて、八朔のご挨拶は夏のお正月になっている。朝からお姐さんの家に集まった芸妓衆はみな絽の黒紋付に身を包んで、門前のお家元に日頃の感謝と芸道精進のご挨拶に出掛ける。それが済むと普段ご贔屓にあずかっているお茶屋をまわっておかあさんにお礼のご挨拶、花見小路は粋な黒紋付の左褄と、カメラおじさんでいっぱいになる。

 民間信仰で多いのは、嫁いでも子供のできない女性のために、子孕みの祈りが日本各地にある。改めて八朔に祈るところがみそなのだ。
 福井の八朔祭では、男性のシンボルを模ったご神体を抱えた天狗さまが、女性のおなかをたたいて歩く。 信州小谷村千国のまつりでも、男のささらすりが真っ赤な男根をみせびらかし、女たちをたたいて歩く。恥じらいを失ったおばさんは男根を握りかえすが、若嫁さんたちはキャアキャアと奇声をあげて逃げまどい、子孕みを願う。

 超高額の不妊治療に通うより、八朔の信心に励んだ方がはるかに妊娠の可能性があるかもしれない。



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2019年07月31日

エロいが正しい「ハイぶりっ子ちゃん」

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 「ハイぶりっ子ちゃん」が評判を呼んでいる。
 始まりは信州小諸から山梨北斗を結ぶ海抜日本一の高原鉄道、小海線を走るハイブリット車両「キハE200系」を記念してのお祝いキャラクターだった。
 沿線の途中駅中込の駅前商店街が中心となって、ハイぶりっ子ちゃんが誕生した。佐久市に公認を申請したが、市役所にはハイぶりっ子ちゃんの魅力を感じる職員はいなかった。公務員には不感症が多い。
 いまになって地団駄ふんでも遅い。市が作ったユルキャラは人気がないが、ハイぶりっ子ちゃんは、群がって写真大会である。
 ハイぶりっ子ちゃんは瞬く間に人気者になった。地元のお祭りでも、鉄道フェスタでも、馬子唄道中でも、町で製作したルイーザちゃんを呼ばないで、ハイぶりっ子ちゃんをよんでいる。信州の田舎で唯一の人気キャラクターが誕生した。

 ハイぶりっ子ちゃんの本体は、頭の部分の電車とうさぎの顔の被り物が中心のハイブリット生命体、、首から下は乗務員と呼ばれてブルーのレオタードに黄色のベルトをしめている。白の手袋に白のロングブーツ。3人または4人で行動するが、どのハイぶりっ子ちゃんもプロポーション抜群で、中込には20数人生息しているという。
 鉄ちゃん、鉄オタはもちろんのこと、子供達にも大人気、ボン・キュッ・パッにひかれてオジサン達にも人気がある。かなりエロいのだが、肌の露出はないのでいやらしくない。マツコの番組に取り上げられてさらに人気倍増した。

 ハイぶりっ子ちゃんの軌道外活動は、乗務員が原動力となる。何故かユーロビート調のテーマソングやら、ダンスも踊る。性格や趣味趣向、サイズは乗務員それぞれで異なる。
 カラダの線をはっきりと見せる人型妖精は、近頃の進んだ女性たちの共感もよんで、応募者もたえないと聞く。 餓鬼相手の安っぽいユルキャラより、女性の存在をしっかりとアピールしているハイぶりっ子ちゃんははるかに魅力的なのだ。
 子供といえば免罪符の最近の風潮に、一石を投じた大人の女性ユルキャラがこの信州に生まれたというのが意味深い。



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2019年07月30日

牛乳パンはケーキである。

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 牛乳パンの噂を度々聞くようになった。
 超高級食パンの間をぬって、長野発ご当地パンの話題があちこちにでている。東京の大学に入ったデスクのお嬢さんは、牛乳パンを長野限定とは知らず、学校の近所を探し回って絶望のある日を過ごしたそうだ。牛乳パンはさほどに長野県人のソールフードになっている。

 牛乳パンのパッケージは田舎発にふさわしく、透明または半透明のビニール袋に「牛乳パン」と大きく印刷されている。大正ロマン風とか、昭和レトロの雰囲気などと理屈はつけているが、いちいち書かないと満足しないヤボな信州人にふさわしい。
 外国渡りのパンには、ひとつひとつ袋に入れて名前を書く風習はない。そもそも焼き立てのパンはすぐ食べるのがお約束なのだから。ひとつひとつ袋にいれて名前をかくパンに外国人はびっくりする。

 牛乳パンの名前から間にはさまれたクリームに牛乳が入っていると勘違いしている人が多いが、実は牛乳はパン生地に入っている。パン生地を作るのに牛乳でこねるので、牛乳パンなのだ。ヤマザキとヤツレンの牛乳パンには、湯捏ね牛乳入りとかかれている。
 牛乳パンのパン生地は、まず座布団ほどの大きなパンを焼く、ふわふわの生地を上下にわけてホワイト・クリームをしっかりとのせ、しかるのち四角または三角に切り分ける。そしてタイトル付きの袋にいれる。すべて手仕事なので、数量に限度があり、それぞれのご当地パンが生まれる。

 松本には大正10年創業の小松、小布施の岩崎、岩村田のキキョーヤ、佐久の田村屋などご当地パンの担い手である。こうしたささやかなご当地パンの世界に、パスコやらヤマザキやらの大メーカーが参入するのはルール違反といえよう。企業モラルの欠落としか思えない。田舎のパンは田舎に任せる度量が欲しい。

 牛乳パンはとても美味しい。パンというよりケーキである。色付きのデコったケーキより、はるかに美味しく体にやさしい。
 なによりも「インスタ映えしない」ところがイチバンいい。

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2019年07月29日

プレバトに投影するわが人生

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木曜午後7時の「プレバト」は毎週楽しみにしている。
「使える芸能人はだれだ!? プレッシャー・バトル」という正式題名があるとは知らなかった。
 なかでも才能査定ランキングが楽しい。本人は一流芸能人と思い込んでいる芸人が次々と登場し、順番に恥をかいていく番組のつくりなのだが、時に芸人にかくれた才能を発見し、こんな才能があるのなら芸人なんぞにならなければよかったのに、と思わせるタレントもいる。

 俳句、生花、水彩画、消しゴムハンコ、絵手紙、料理の盛付と、駅前のカルチャア・センター風な構成も面白い。が先生に人を得ないと全く盛り上がらない。
 料理の土井先生は生真面目だし、絵手紙の花城先生はいたいたしい、水彩の野村先生は巧すぎてつまらない。消しゴムハンコの田口奈津子先生は美人すぎて気が散る。なんといっても圧巻は俳句の夏井組々長夏井いつき先生である。松山に住まう俳句のおばさんの破壊力が凄い。テレビの着物姿は私のコスプレだからと豪語する少し安手のきものにつつまれた夏井先生には、何物も恐れない痛快な俳句愛がある。

 旅芸人まるだしの梅沢冨美男とのヤリトリ、東国原英夫の思わぬ発想力、志らくの噺家世界、村上健志、藤本敏夫、千賀健永らの新鮮な句吟力、鈴木光の勉強力、中田喜子の女性力と、ミッツのカマちから、それぞれの隠された才能が見えて嬉しい。
 自信過剰な芸人たちを、才能アリ・凡人・才能なし と断じる夏井先生とやんちゃな浜ちゃんが進行する司会ぶりも楽しい。
 俺のおかげでこの番組はもっている と豪語する梅沢のヤクザな態度と、軽くあしらう夏井先生、内容に関係なく権力で進行する浜ちゃんと、毎日放送プロデューサーの腕もなかなか。在京地上波にはなかなかこうした製作力をもったプロデューサーは見あたらない。

 昇格か、現状維持か、降格かと迫られると、わが人生は如何ばかりと、反省するのである。

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2019年07月27日

生類憐みの令から復活をとげた「江戸前大かばやき」

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 江戸っ子にとっての美食は、すし・天ぷら・蕎麦・うなぎ に尽きる。
 軽井沢には寿司と蕎麦の名店はあるが、天ぷらとうなぎは見当たらない。必然的に東京に出掛けた時は、天ぷらかうなぎになる。銀座並木通りにはてんぷら近藤があるし、吉兆の一筋違いにはうなぎ竹葉亭の本店がある。暑さとともに主役はうなぎになる。

 テレビでは中国産と国産の味比べを盛んにやっているが、元来江戸前という呼称はうなぎに始まっている。
 うなぎは「江戸前」を上品といい、それ以外を「旅うなぎ」とよんで下品としていた。それ故、江戸うなぎは高級ブランドうなぎであり、今でいう大間のマグロや関アジのごとく、地産地消の上等珍品だった。参勤交代で江戸にやってくる田舎武士は、ひそかに江戸前の大かばやきを楽しみにしていたといわれている。

 五代将軍綱吉の生類憐みの令により、うなぎもどぜうも商いができなくなった。熊や猿もおなじ命だからと、犬猫を抱えたおばさんたちの動物愛護とかわらない。幕府の取締りが強くなると、「あなご」と称してうなぎをだす反権力の茶店も出てきた。
 こうした鰻好きの江戸っ子を救ったのは、綱吉の死去だった。生類憐みの令はたちまちに破棄され、深川八幡の御門前にはふたたび江戸前大かばやきの旗が翻った。

 享保13年の江戸大洪水のお蔭で、江戸のそこらじゅうで、うなぎがとれるようになった。なかでも隅田川と深川の掘割あたりは育ちのいい鰻があがった。それまで鰻は上方好みの腹開きだったが、江戸の侍にとって腹開きは切腹を連想させるので背開きとなり、江戸前大かば焼が完成した。

 さて土用の丑の今日は、パリの野田岩よりはるかに美味い到来ものの野田岩に、つや姫のごはんで夏バテ防止といこう。


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2019年07月26日

「魔の三回生」をたたき直せ

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 「魔の三回生」という呼称がひとり歩きしている。
第46回衆議院議員選挙で初めて国会に登場してきた、極めて劣悪な先生方のことである。バブル世代に生まれ、その後の失われた時代の教育を受け、若くして役人生活を送ったり、社会の若きリーダーと自負してきた連中である。
 当初116人も当選したが、次々とメッキが剥げていまでは7割方に減少している。

 「魔の三回生」最近のゲスなスキャンダルを列記する。
  ❶武藤貴也・国会議員枠で未公開株が手にはいると詐欺を働く。少年売春の疑いあり。
  ❷中川俊生・妻子がいながら愛人とハワイで結婚式を挙げ、その写真が流出した。
  ❸豊田真由子・このハゲー!!! 想像を超えたパワー・ハラスメントで秘書が泣く。
  ❹中川郁子+門博文・不倫路チュー写真がばら撒かれた。
  ❺務台俊介・被災地視察に長靴持参せず水溜まりをオンブされて視察。
  ❻橋本英教・選挙手伝いの中国人女性と議員宿舎をラブホ使用。重度のアル中。
  ❼大西英男・喫煙中毒、失言症候群
  ❽穴見陽一・重度の失言症候群
  ❾宮崎健介・国会議員の妻出産中の不倫事件。
  ➓池田佳隆・買収、事前運動マニア
  ⓫加藤寛治・結婚式でのセクハラ発言。
  ⓬国場幸之助・ガールズ・バーで大暴れ。
  ⓭石崎徹・秘書いじめの日常化。

 みんな一流大学をでて、お役所では働き盛り、そこそこのエリートがこのテイタラクとは。この世代のすべてに巣食っている社会の病根なのでは。 モラル教育を徹底的にやり直すか、徴兵制度を復活して再教育をやらなければ、この国が腐っていく。
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2019年07月23日

雑貨屋になった本屋の店頭

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 「マルチメディア」という言葉について、まんま受け取り、そのように使用していたが、どうやらその解釈は違っていたようだ。
 出版界では、「印刷物+すべての商品群=マルチメディア」 と呼んでいるようだ。昔風にいえば、付録大作戦なのだが、いまは付録の域を超えて、出版から流通、小売をふくめてマルチメディアと呼び、ビジネスを展開している。

 出版・編集の世界に憧れて業界に入ったにもかかわらず、今は全く関係ない仕入れの仕事に日々追われています、という声を始めてきいてからもう15年程も経っている。
 本は売れなくなる、本の時代は去った、といちはやく認識した経営者が打った次の手がこのマルチメディアと呼ぶ戦略だった。 少なくなったとはいえ全国に1万2000店ある本屋を活用しないわけにはいかない。本屋には棚というディスプレイ道具があり、平置きのための販売台も必ずある。そのうえ本屋のある場所は、学校の近所だったり、通勤の行き帰りに立ち寄りやすい至便の場所だったり、商売のアクセスポイントとして恵まれている。
 全国2800店の家電量販店の5倍もある本屋ネットワークを生かさない方法はない、と決断した。

 以来本屋の棚には、バック、かご、低反発マクラ、快眠めがね、美顔ローラー、シャボン、香水、アクセサリー、マルチポーチ、アイ・マッサージャ、カラー万年筆、入浴タオル、パスポート入れ、腹巻、痩せるソックス、ルーペメガネ、Tシャツ、巻きスカート、ベルト、などなんでもありのマルチメディア本が所狭しと置かれるようになった。

 が問題はすべてのマルチメディア本が、A4判のケースに収まらなければならない。はみ出すと流通にのらない。編集ガール達は日夜商品を如何にしてA4版に収めるか悪戦苦闘が続く。飛びついた本屋は、マルチメディア本によって雑貨屋になった。なんでもいいから売れればいいという、本屋の知性は吹っ飛ばしてしまったのが、マルチメディア本に頼った大手の出版社だ。

 マルチメディアとは、女の欲望に竿さした雑貨のことをいう。
                         (レイワ悪魔の辞典)より
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月22日

スマホにある危険な落し穴

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 ビック・データで世界中が揺れている。
GAFAと呼ばれているアメリカ情報産業BIG4にまつわる問題である。
 Gはグーグル、Aはアマゾン、Fはフェイスブック、Aはアップル、初めは巨大なこの四つのIT産業について、税金をかけることが出来るかどうか、それが問題だった。
 ところが世界中に展開するこれらの企業の実態をとらえるのは難しい。

 IT事業を展開している世界各国の税率が全部異なるし、事情も様々、一律に税率を設定することは至難の業だった。それにタックスヘイブンへの依存度もわからないし、真実の本社が何処なのかを把握するのもたいへん難しいのだ。
 税務署の役人より、ビックデータのスタッフの方が、はるかにアタマがいい。アタマがいいので、法律を超えた事業を起業することなど朝飯前といえる。

 中国のアリババなど、指認証、顔認証、などを超えてすべての中国人民を把握している。趣味や行動様式、生活実態まで詳細にとらえ、そのすべてのデータが中国共産党にながれていると言われている。その支配形態を世界中に拡大しようとして、トランプからストップがかかったのが、ハーウェイの副社長逮捕だった。ハーウェイは国家規模のスパイ活動としてハーウェイ製品の拡大を計っていた。ハーウェイのスマホを使っていると、バックゲートといわれるあらかじめ埋め込まれたチップから自動的に情報が中国に流れるように作られていたという嫌疑なのだ。

 最近キャッシュレス化の推進ということが盛んにいわれている。2020東京オリンピックで来日する外国人のためにとか、世界の先進国のなかでもっともキャッシュレス化が遅れているのが日本だからと、生活の利便という点からかたられているが、実はビッグデータの構築が目的なのだ。
 国家間の争いが発生したとき、最大の武器になるのがビッグデータだという現実がある。サイバー戦争ではビッグデータを使って、相手国を混乱におとしめるのが最良の兵器といわれているのだ。

 まもなく新宿で一杯飲んで、池袋のお姉ちゃんと遊んでも、すべて国家保安センターに補足され管理される時代が、そこまで来ている。
 このスマホはとても使い勝手がいい、財布もいらないし、カードもいらない、スマホひとつですべて足りる、と喜んでいるとトンデモナイことになるのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月21日

藤舎名生 ようやく人間国宝に

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 その笛の一瞬によってボストン美術館劇場の空気が裂けた。
 フェスティバル・ホール2000人の観客が凍りついた。ローマ法王も、天の音を聞いたと賛美した。 それほど藤舎名生の笛は凄い。静寂から天地鳴動のふり幅が、西洋楽器の表現を軽く蹴散らす。フルートもオーボエもかなわない。

 その笛に出会ったのは、初めて日本の空にジャンボジェットが飛んだ時だった。その飛行機に乗り込み、香港で日中合作のショウをやりたいので、演出をして欲しいというプロポーズだった。香港では、中国の伝統楽器オーケストラが待ち構えているので、という要請だった。
 当時海外で演奏されるにほんの音と言えば、お琴に三味線と決まっていたが、その趣味にはとても付いていけないので、打ち物の堅田喜佐久さんに相談した。その時堅田さんが、京都に凄い笛の若手が現われ話題になっている、一度会ってみたらということだった。
 香港では、30人ちかい中国合奏団にたいし、笛と鼓のわずかフタツの日本伝統楽器で舞台づくりをし、見事に中国を圧倒した。

 その後、多くのファッション・ショウや、東大寺の昭和大納経、あるいは軽井沢朗読座の舞台など、数えきれないほどの演奏協力をいただいた。人柄と心を蕩けさせる笛の力で女性にはメッポウもてた。そのため楽屋では、名生さんに近寄るとニンシンするよ、と嫉妬まじりの噂が乱れ飛んでいた。
 都をどりの楽屋でも、笛のおしょさんは藤舎名生、普段見ることのない真面目顔で、芸妓さんと向き合う名生さんがいる。

 堅田喜佐久さんは10年も前に人間国宝となったが、藤舎名生さんはようやく二日前に人間国宝になった。その演奏を知っている人間は、30年遅いよ、と叫んでいる。
     ……おめでとうございます。いつまでも元気で奇跡の笛を聞かせてください。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月19日

シースルーの暮しは出来ますか

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 ニューウェーブ・キャンプに行こう、とアジッテ透明なドーム型ホテルが乗っていた。
 場所は那須の御用邸近く、森の中に存在する。サイズは7.8メートルの直径がある半円形の透明ドーム型コテッジだ。「滴るような緑の森と青い空も素晴らしいが、圧巻はベットに横たわったまま眺める星空……」とマネージャーはいっているが、透明ドームのなかのベットは外から丸見えである。プライバシー・ゼロのホテルというのも珍しい。

 余程の露出願望のある人か、羞恥心をうしなった老人しか、このコテッジには泊まれない。24時間の日常行動すべてを他人の眼にさらして初めてここに泊まる意味があるわけだから。それでも近頃は、SNS映えとか、自己承認要求とか、不思議な人々が次々と登場するから、こうした大胆なモクロミも成功するのかもしれない。

 経験則にもとずいていえば、夜の透明ドームで灯りをつけたら、あっというまに森中の虫が集まってくる。ドームは虫でいっぱいの黒い球体になる。虫越しの星空もいいかもしれないが、一匹の蛾に大騒ぎするいまどきの女子達は絶対に入れない。そのうえドームの周りにヘビなどやってきてドクロをまいていたらどうするのか、興味はつきない。ホテルのスタッフは一晩中ドームに張り付いて監視していなければならない。

 メディアでは、自然をしらないナチュラリストが登場して、降りそそぐ太陽とホシのひかりを体験しましょう、と笑顔をふりまいていた。
posted by Kazuhiko Hoshino at 10:54| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする