2019年07月03日

盗っ人に追い銭の女裁判官

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 「誰が見ても札付きの悪」何度も少年院を往復し、傷害致死、強制猥褻、強姦3回も塀の中に入った小林誠(43)、保釈中にもかかわらず出頭命令に従わず、刃物を振り回し、とどのつまり取り逃がした検察、警察、裁判所の三位一体の間抜けな大事件が、周辺の小中学校を休校に追い込み地域社会を恐怖の奈落に突き落とした。
 が考えてみるとこんなひどい人物を保釈にした裁判所ってなに? という疑問が湧いてくる。

 保釈も再保釈も、横浜地裁小田原支部の佐脇有紀裁判官の判断によるものだとわかつた。
 佐脇という女性裁判官には、犯人小林の過去、現在をみて、新たな犯罪への想像力が湧かなかった。それとも女性独特の優しさだったのか。これだけ社会に迷惑をかけたのだから、一言あって当然とおもうが、全く声がきこえてこない。
 あやまったのは横浜地検のトップである中原亮一検事正だったが、彼女はかげに隠れてでてこない。裁判所という権威にかくれて、誰もが判る犯人の常習性に眼をそらし、不安をまき散らした罪は大きい。
 母親のような気持ちで犯人を見ていたのなら、即座に裁判官を辞めて欲しい。佐脇有紀に裁判官の資質はないし、一般の裁判員より「法と社会」の関係がわかっていない。

 検察は幾度となく小林誠の常習性について具申したが、この女性裁判官によってすべて却下されたそうだ。挙句の果ての犯人遁走劇のていたらくだった。
 法務省はこうした裁判官こそ即座に免職にすべきだし、配転して社会に迷惑をかけない部署にもっていくべきだ。女性の働き方改革は目の前で起きたリアルな事件から手をつけてほしい。

 裁判という正義は、善悪表裏のすべてについて確実な認識がなければできない仕事だし、女性裁判官がふえたのは喜ばしい限りだが、とかく問題をはらんでいるのもこうした女性裁判官であるといわれている。
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2019年07月02日

別れと新茶の八十八夜

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 八十八夜が近ずくと、あちこちから新茶が届く。
京都柳桜園さんから、肥後人吉三翠園から、あるいは魚河岸茶から、ゆつたりとしたお湯をそそいでいただくと長生きができるという。
 産地では、手もみ体験とか、茶摘み体験、あるいは新茶サービスといそがしい。

 立春から数えて八十八日めのこの日、八十八夜の別れ霜、八十八夜の泣き霜などという言葉もあって気まぐれな寒さとの別れ時でもある。
遅霜などくるとせっかく蒔いた農作物もやられて悲惨なことになる。種まきや田植えのこの季節農家にとっては日々お天気の機嫌にはらはらと過ごす。

 八十八夜は新茶の季節であるとともに、恋人たちの別れにもいい。
 バレンタインから88日、ようやくお互いの欠点も見えて別れ時でもある。
「メイストーム・デー」といって別れ話に最適の日ともいわれている。
 八十八夜のお茶が届いたら、恋人のご機嫌にご注意をはらわねば、の日々である。
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2019年07月01日

「水無月」のお菓子

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 6月30日には否応なしにたべなければならない。
相方は虎屋さんでしつらえた「水無月」をもってかえってきた。

 「水無月」とは、ういろうの上に小豆ののった行事菓子である。
この菓子を食べてきたり来る夏に供える。夏バテを防ぐ意味と、それまでの罪や穢れを落とすという両面の信仰がこめられている。室町時代のころには宮中で行われていた行事にちなんでいる。宮中では「氷」をたべていたが、当時の氷はとても高価で庶民には手がでなかった。そこで氷ににた三角のういろうに魔除けの小豆をのせて食べるようになったと伝えられている。

 軽井沢には「水無月」をつくっている和菓子やさんはない、仕方なく赤坂までいくのだ。

 この日神社では大きな茅の輪をつくり、茅の輪くぐりをする。8の字に3回くぐると千歳の命がのびるといわれる。そんなこと知らなかった舞妓ちゃんが、神妙な顔で祇園さんにお参りしているのは、なんとも微笑ましい。
 茅の輪も軽井沢では見ない。やはりキリスト教が入ってきたため、神社における信仰行事が弾圧されたのかもしれない。なにしろ日曜日に店をあけていると、安息日だから閉めろ、と牧師にいわれ、表は閉めて裏口で営業していたという町柄なのだから。

 近年の乱暴な暑さにたいし、学校の冷房は結構だが、夏越しの祓いのような伝統行事も子供たちには知って欲しい。日本人の自然との付き合い方がここに生きている。
 20本の国旗を並べたらその前に大きな茅の輪を造るべきなのだ。これが日本だから。
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2019年06月30日

山口百恵を背徳のアイドルにした

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 犯人は先日亡くなった作詞家の千家和也だった。ともに加担したのは、作曲家の都倉俊一であり、ホリ・プロだった。
 十代のいたいけな少女を「欲望の女神」にしたてあげ、「時代と寝た少女」として芸能界のスーパースターに育てた。
その歌詞は大衆に錯覚させるよう背徳ぎりぎりの言葉で飾られ、後ろにある男たちの下品な目線、欲望にみちた好奇心を刺激するのに充分すぎるものだった。

 〽あなたに 女の子の一番 大切なものあげるわ  小さな胸の奥にしまった 大切なものあげるわ  愛する人に 捧げるため 守ってきたのよ  汚れてもいい 泣いてもいい 愛は尊いわ  誰でも一度だけ経験するのよ 誘惑の甘い罠
  愛する人が喜ぶなら それで倖せよ こわれてもいい 捨ててもいい ……  (ひと夏の経験)

 週刊誌やテレビの記者たちは繰り返し彼女に質問した。女の子の一番大切なものってなんですか? 
 百恵はいつもこう答えた。「マゴコロです。」

 〽あなたが望むなら 私何をされてもいいわ いけない娘だと 噂されてもいい
  恋をした時 躰のすみで 別の私が 眼をさますの ……  (青い果実)
 〽…愛がひとつあれば 罪もひとつある  愛が深くなれば 罪も深くなる 誰もみんな一度はこぼす 甘くて苦い涙 (愛がひとつあれば)
 〽怖くない 怖くない あなたとだったら 何でもできる 離れない 離れない あなたとだったら 何処でもいける 
  惜しくない 惜しくない あなたが望めば 何でも捨てる 悔やまない 悔やまない あなたとだったら 何でも耐える (禁じられた遊び)

 魔法にかかった若者たちは、山口百恵を愛の絶対神として追いかけ、武道館をみたした。彼女がマイクを置いて去った時、モモエ・ロスの男の子たちが、日本のあちこちで涙の時を送った。

 〽私のせいなら 許して下さい あなたをこんなに苦しめたことを 私のことなど これきり忘れて 明るい陽射しを歩いてほしい
  ありがとうあなた あとどのくらい愛されますか あとどのくらい生きられますか 私のせいなら許して下さい (ありがとう あなた)

 山口百恵がふたたび舞台にたたない理由は、実は千家和也にあった。、
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2019年06月29日

闇営業と芸人たちの境界

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芸能人には区別がない。差別ではなく、区別である。
 もう少し親切に表現すれば、プロの芸能人とアマチュアの芸能人の区別がつきにくいのだ。
 生活のできる芸能人はプロの芸能人といえるが、生活のできない芸能人はプロとはいいにくい。が、どこからがプロの芸能人で、どこからがアマチュアか、外形的には判別不能なのが、芸能の世界である。

 10代ならば、アイドルと呼ばれる芸能人、具体的にはAKBやら乃木坂やらの束ねて商売をしている秋元商会の女子メンバー。ジャニー、メリー姉弟のもとで商品化された若い男たち、20代ならテレビ局所属の女子アナ達も金次第でどうにでもなる芸人並み。さらに西の吉本、東のわたなべをはじめとする芸人たち、三軒茶屋や下北沢で果てのない苦労している役者たち、みな芸能人だが、みな芸能人にあらざる生活をしている。

 芸能人として高額の収入に恵まれるのはほんのひとにぎりだ。運と実力と神様が偶然に出会わないと、芸能人は生まれない。
 嘘のアイドルの逃亡先はキャバクラだ。キャバクラで暮らしをたて、キャバクラで男の騙し方をおぼえる。だから握手会のテクニックで、若いファンをメロメロにする。
 フリーの女子アナも水商売が圧倒的に多い、なぜならお仕事が入ったら何時でも休めないと困るから。その面から結婚式の司会は女子アナ達の主戦場である。
 芸人は悲惨だ。村祭りのゲストとしてはギャラが高すぎる。そこで半グレやら、反社会勢力と御縁ができる。パーティやら親分の誕生会に呼ばれる。なにがしの芸をやり、お世辞をふりまけば、なにがしのご祝儀がでる。食えない芸人にとってこんなに有難いお客様はいない。
 テレビの二列目にすわれるようになるまでは、歯をくいしばっても我慢我慢の日々なのだ。

 数年前、反社会勢力のパーティにでてギャラをうけとったというので、大量の芸人が処分された。人気の宮迫博之、ロンブーの田村亮、レーザーラモンHG、ムーディ勝山ら11人が活動停止、当分謹慎処分をうけた。テレビ局は番組挿しかえ、タレント入替でそしらぬ顔である。
 情報過剰時代の仇花とかたずければそれまでだが、問題は芸能プロダクションの無責任体制にある。アイドル、芸人、タレントの志願者を煽って養成、訓練、実習の名前で金をとり、仕事もないのに専属契約を結ぶ。5人10人ではない吉本には8000人もいる。
 ここから果てしないタレント心得、予備芸人のいばらの道がはじまる。みな暗示にかかったようにいつか栄光の日々が来ると信じて待ち続ける。アタマが良ければ、さっさとあきらめるが、馬鹿は死ななきゃナオラナイ。
 闇営業でギャラをもらったお前が悪いと、決めつけるだけでは解決しない問題が横たわっている。

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2019年06月28日

都市景観を壊す丸亀製麺・幸楽苑・いきなりステーキ

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 街の風景を創り出しているものに、かっては電器やさんがあった。喫茶店があった。駅前にはかならず果物屋さんがあった。そしてその向こうには小さな郵便局などがあって街の風景を創り出していた。
 いまではそうした生活の営みを感じさせた街並みは、遠くへいってしまったような気がする。その代わりスーパーは出ているか、コンビニは何処と何処、チェーン店がどれだけ出店しているかで、その町の景況が見えてくる。
 全国一律があたりまえとなり、街の風景から個性が消えた。だから旅をしても面白くない。遠い所へ来たという実感がわかない。便利と引き換えに貴重なものを失っているような気がする。

 丸亀製麺ができた。目の前でうどんを造り、客に供していた。うどんも汁も美味しかったので、さて次の機会には釜揚げにチャレンジしてみよう、さすが本場丸亀のうどん屋と感心したら、横から訂正された。丸亀製麺は丸亀ではありません、芦屋が本社ですといわれ、ショックをうけた。
 いまや丸亀製麺は破竹のいきおいで821店舗もある。この業界には「600店舗の壁」という公式が存在し、600店舗を境にチェーン店は盛衰の分岐点をたどるのだと聞いた。其れゆえ、丸亀製麺は安定成長の道をたどっているそうである。
 が町の景観からいえば、けっして優れたデザインとはいえない。悪目立ちだけの悪趣味なたたずまいである。

 近頃洒落たCMで話題になっている幸楽苑、508店舗の展開になっている。長い間290円のなつかしい中華そばが看板だったが、最近520円の醤油らーめん司に切り替えた。290円のらーめんを頼りにはいると520円のラーメンに導かれる。慌てると390円の極旨醤油らーめんもあります、味噌も塩もあり、人気の餃子も極とモデルチェンジして評判ですと、誘導される。
 価格改定はうまくいったかとおもわれたが、それでも50店舗近くが失敗して赤字となった。
 そこで幸楽苑は「いきなりステーキ」とフランチャイズ契約をむすび、ステーキ・ハウスへの転換を計った。たちまちに赤字はきえふたたび黒字に転換したという。

 機をみるに敏でなければ、チェーン店の展開はできないという一例である。
 スケール・メリットが経営の基本にあるために、街角で性急に目立とうと店舗デザインはどんどん下品になる。
 幸楽苑と丸亀製麺が並んでいる町の風景は、どう贔屓目にみても先進国ではない。かたやオリンピックでコンクリートの山を築き、かたほうでチェーン店が町の景観を壊して行く。
 どうみてもこの国はまだまだ後進国というべきだろう。






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2019年06月25日

年金崩壊・官僚の陰謀

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 老後2千万円報告が絶妙なタイミングで報告された。
マスコミは一斉にとびつき、安倍年金崩壊隠蔽を暴く、と書き立てている。
 景気浮揚策としてなんの代案も持たない立憲民主党を始め、全野党まとまって内閣不信任案を提出、参議院選挙への狼煙とした。一般大衆も、メディアの煽動にのって、いまから2千万円ためろといわれてもとんでもない、安倍の責任だとさわぎだした。

 だいたいこの種のレポートは、選挙前に行政から発しられることが多い。行政にとって選挙でえらばれてくる立法議員は常に目の上のたんこぶなのだ。行政官僚はいつも自らを日本国の舵取りをする上級国民だと認識している。それが何処からか湧き出してきた国会議員の風下ではたらくことをプライドが許さない。
 それ故前文部事務次官の前川のごとく、いつも「面従腹背」が座右の銘だというとんでもない官僚があらわれてくる。東大法学部を中心にした官僚たちは、つねにときの政治家へひと泡ふかしてやろうと虎視眈々と狙っている、そのもっとも判りやすい年金審議会レポートが、今回の年金2千万円不足レポートだった。
 選挙後に発表すればこんな波風は立たなかったはずなのに、わざわざこの時期に発表したのが反政府活動だといわれても致し方ない。
東大出身官僚にとって、安倍成蹊出身内閣は我慢ならない存在なのだ。中軸をなす大蔵財務官僚にとっても、文字も満足によめない学習院出身麻生財務大臣は口にださずとも軽蔑の対象いがいのなにものでもない。
 このような私学対官学の地下にかくれた文脈を読み解けば、なんでもかんでも安倍反対のメディアの声も読み解ける。

 年金制度発足時には、老人1人を若者6人でささえていたのに、間もなく老人1人を二人の若者で支えなければならない現実をまえに、百年安心年金プランがどこまで生き延びることが可能なのか、官僚も内閣も野党もみなで智慧を絞っていかなければならない時に、官僚の陰謀にのったアンチ・アベの情報にのるほど危険なことはない。国民すべてが頭を冷やして考えなければならない時こそ、今なのだといいたい。



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2019年06月20日

死装束ならぬエンディング・ファッション

死装束ならぬエンディング・ファッション

 「フューネラル・ビジネス・フェア2019」が開かれた。
 なじみのない言葉なので、フューネラルとは何? 検索したら葬式・仏具などが出てきた。業界ではここ数年来使用につとめ、認識率をあげたい単語のようだ。
 高齢化社会になって、考えてみれば当たり前のビジネスかもしれないが、いかにも日本人の細かさがでているようであまりいい感じのしないビジネス・フェアである。
 主催者は「社会全体のコミュニケーションが希薄になって、大きいお葬式も無くなる傾向にあります。せめて自分と家族のために、それらしい葬式をあげたいという処に、フューネラル・ビジネスのニーズがあります。」

 もっとも衝撃的だったのは、死装束つまり仏衣のプレゼン・コーナー。
 いままでの白い死装束ではおじちゃんが可哀そう、おばあちゃんが可哀そう、もうすこしお洒落にしてあげたいという遺族が多いのだそうだ。そこで登場してくるのが、タキシード・スタイルの仏衣、ジャニーズ風のおじいちゃんというより、手品師風のおじいちゃんにちかい。おばあちゃんにもお洒落をとなると、おばあちゃんの大好きだったフランス人形のドレスをということになって、ウスラピンクのロングドレスでは、ますます死出の旅ならぬ死出のコスプレになる。
 そのうちフューネラル・ファッションはパリ直送のサンローランでとか、上品で格調あるディオールはいかか゛、ということになるかもしれない。

 骨壺の華やかな変化にも眼をみはった。故人の好きだった薔薇の花のえがかれた骨壺や、ペットとお揃いの大小でヒヤシンスの花が描かれている。新婚旅行思い出のハワイ、ワイキキ・ビーチの夕映えに抱かれて、パパと一緒の骨壺なら、とてもシアワセというのもあった。
 骨壺とともに華やかになったのはいわゆるヒツギ棺桶である。ヴェルサイユ宮殿みたいのからお花畑まで千差万別、生きながらのカルチャア・ショックだった。

 ラクテンにも、と検索したら、エンディング・ドレスの通販がぞくぞくと登場した。死に装束とか天冠は死語で今はエンディング・ドレスとか、エンディングガウンというらしい。三角の白布のついた標準鉢巻きはみつからなかった。一式3000円位のコスパに優れたのから、高級感たっぷりの30万円ぐらいまで選択のはばは広い。
 どうせ燃やすのだから、それまで来ていた衣裳でいいのではと、つぶやいていたのはスタッフであった。 
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2019年06月19日

有働由美子と小川彩佳

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 ちょっと売れてきた民放の女子アナは、いつフリーになって稼ごうか、と思っている。がしかし、フリーになったからといって稼げるというのもそう簡単なことではない。

 最近の例からみても、成功したのはNHKの「有働由美子」ぐらいしかいない。
 何故有働由美子が成功したかといえば、実力が伴っていたからだ。有働のアナウンス技術、人間的魅力、頭脳レベル、どれをとっても有働由美子は水準以上なのだ。
 その上マネージャーにもめぐまれた。マツコと出会って引っ張られたのも、幸運だった。マツコのような特異なキャラクターでも、手のひらで上手にマネージメントしてくれる、だから家にいらっしゃい、という、マツコの殺し文句が、有働にはぴったりときた。

 失敗例はテレビ朝日の「小川彩佳」だ。
 TBSが鳴り物入りで売り出したが、残念なことに中味が伴わない。語り口はとくにどうというほどのものではない。表情や柄もどちらかといえば地味なほう。ピカピカとした魅力もないし、女としての魅力にも欠ける。思想もなければ、生命力もない。
 TBSの幹部がそんなことも見抜けなかったのは、プロデューサーの眼が節穴だったからだろう。

 小川彩佳は取巻きにもめぐまれなかった。小宮悦子、夏目三久、田中みな実と仲良しではどうにもならない。みないずれもがオシャベリだけのトーク・マシン、ひと時代前の女子アナばかりだ。
 尊敬するのが田原総一朗と古館伊知郎では、にっちもさっちもいかない。田原は化石になったテレビ左翼だし、古館はしゃべるだけの中味無し、勘違いアナの代表である。二人からの影響では、もはや一線での仕事はできない。
 本物の「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」でしかない。

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2019年06月18日

蕎麦やの二階

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「蕎麦やの二階」はなんとも色っぽい空間だった。
 裏の土手というのも時代劇には登場するが、そこは舟万頭と呼ばれた娼婦たちの縄張りになっていた。
 茶店はオープンだし、近くで密かに逢えるのは、「蕎麦やの二階」と決まっていた。
 従って蕎麦やは二階建てときまっていた。下は客席と小上がり、奥の調理場からなり、二階は自分達の居間と、客のための座敷が基本だった。

 蕎麦やの二階は大事な客の内密の相談事につかわれ、また町内の若い衆の逢引き部屋にもなった。それ故、蕎麦やの主人、お内儀は訳知りのいい大人でなければならなかったといわれている。

 一本のお銚子に、焼き海苔の添えられた蕎麦みそで駆け付け、お銚子の追加には鴨焼きがついて出来上がり、話しがまとまれば、季節の天だねに仕上げの熱燗、せいろを一枚たのんで 娘を先にかえすというのが江戸っ子のデートだったようだ。
 蕎麦やの二階に必要な小道具は、二つ折りの小さな屏風と座布団、それに竹のくず箱があれば充分といわれていた。

 風呂の帰りに偶然いっしょになった小唄のお師匠さんと「蕎麦やの二階」で情を通じるなどというのもあったといわれる。

 蕎麦やは、バーとカフェとレストランとそして奥の間を備えた町の社交場だったともいえよう。
 そんな粋な「蕎麦やの二階」はいつの間にか姿をけして、食欲だけのさもしい空間になってしまった。
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2019年06月17日

正論おじさんとリベラル左翼

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 松阪の正論おじさんが話題になっている。
 公道は1センチたりとも使わせない。導入看板の片足がでていても、きびしく追及する。法律の奴隷そのものになってシアワセな老人の困りものではある。
 松阪の商店街はすこしキレイになったが、町から賑わいが消え、売上げも落ちて、なかには廃業に追い込まれた店もあるという小さな町の物語だ。

 メディアは悪乗りし相変わらずのヘイト・ニュースを流している。
 メガネをかけた変なコメンテーターは、この正論おじさんを支持して、欧米だったら直ちに警察がくる。公道の管理はとても厳しい、だから松阪のこの例も正論おじさんが正しい、と発言している。
 真っ赤な嘘である。 パリも、ブリッセルも、ロンドンも、町の賑わいのため公道の使用には寛大な政策をとっている。

 カフェもレストランもみな公道にはみだして営業している。昼飯は公道におかれたテーブルで食べている。コーヒー一杯でも公道に置かれたパラソルのしたで楽しんでいる。サンジェルマンのギャラリーでは初日のベルニサージュを公道にはみだしてやっているところは多い。公道で踊っている。パリの風景の素敵さはこの公私の混同にあるといっても言い過ぎではない。道で休み、道でおしゃべりし、道で恋をして一生を過ごす。道は歩くためにあるのではなく、人が生きていくために利用するのが道路だという認識が徹底している。
 松阪の正論おじさんは、パリだったらただちにリンチに会ってしまうかもしれない。

 日本は優れた法治国家だが、こうした正論おじさんみたいな困ったちゃんが多々いる。
 憲法改正絶対反対の左翼リベラル、マッカーサー憲法絶対崇拝の憲法学者など、みな松阪の正論おじさんと同じ偏向してフリーズした人々、人間の見えない人間だといえるだろう。
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2019年06月16日

G20レジ袋軽井沢会合?

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 G20閣僚会合軽井沢で開幕。その上にはもっと大きい活字が躍っている。
 「レジ袋有料化来年4月にも」国際枠組み合意へ、とある。世界中の先進20ヶ国の経済産業相があつまって、こんなに良いことをしている、というデモンストレーションの冒頭大演説である。

 この記事をみて、不思議に思わないほど我々の脳ミソは劣化している。
 世界のベスト20が集まり、何十億の金を使い、軽井沢の都市機能をほぼゼロに追い込んで、スーパーのレジ袋を有料化しました。そんなことはなにも国際会議を開いて大騒ぎしなくとも、各国各市町村が旗振りをしてレジ袋追放をやればいいだけのことで、世界中の関係閣僚が集まらなくとも十二分に出来うることではないか。一様に劇場主義におちいった先進20ヶ国の政治家のオバカ比べとしかうつらない。

 その上呆れたことに、県内の高校生の研究成果を閣僚たちにきかせた。高校生が環境破壊やエネルギー政策について勉強するのは多いに賛成だが、その報告をG20の閣僚会議にきかせるなどというのは、ナンセンスそのものだ。東大ないし信州大学の調査・提案つまり我が国最高の優れたレポートをプレゼンテーションするならまだしも、高校生がいかにすぐれていても、先進国閣僚にプレゼンするほどのレベルにはない。会議の余興の域をでないし、僅か二日の会議予定のプレゼンとしては不適切きわまりない。そんな地元へのオタメゴカシをやる暇にもっと重要な課題はいくらでもある。会議がもはや形骸化している証拠でもある。

 そもそもG20の関係閣僚会議を日本中にばらまいて、各地の警察をてんてこ舞いさせ、椅子、テーブル、音声装置、同時通訳システムなど、すべてを東京から移送させて大騒ぎをばらまいているのは何故、と考えている国民は何パーセントいるのか。
 20ヶ国の国旗が飾られている駅頭で、インスタ映えとかいってヴイ・サインの写メに黄色い声を揚げている低級国民がいる位のことだ。
 いずれにしても「レジ袋有料化のための」国際的バカ騒ぎ、こんな馬鹿馬鹿しいことだけは二度とご免こうむりたい。
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2019年06月13日

思考停止のテレビ欄

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 朝刊はまず父の席に持って行った。
 父が眼を通す前に子供たちが新聞をみることは許されなかった。母は台所にたっているのだから、新聞を読むひまなどなかった。きちんと畳まれた新聞は、父が座るべき卓袱台の席の右側に置かれていた。
 一面の見出しが大きく半分見えるのだが、それ以上のニュースへの好奇心にはセルフ・コントロールがかかっていた。

 あの頃の新聞は情報の出入り口としてみんなから絶大な信用をえていた。新聞は嘘つかないと、信じていた。だから天皇陛下の御為に命をすてて戦うことは崇高なことだとしんじていた。
 ある時を境に、いちばん偉いのはルーズベルトであり、絶対的命令権をもつのはマッカーサーという人だと新聞に教えられた。民主主義という言葉がクローズアップされ、それ以外はすべて犯罪行為のごとく扱われるようになった。

 闘いには敗れたが、日本の兵士は潔くたたかったと信じていたが、ある時から従軍慰安婦のことがさかんに書かれ報道されるようになった。
 そのころから新聞の裏一面はラジオ・テレビ欄一色になった。局に出入りする新聞記者もラジオ・テレビ部所属という名刺をもっていた。とても不思議だった。番組一覧は局がつくっている。番組解説も担当者が書いている。だから新聞社はやることがない筈なのに、それでも一流新聞社の記者はラ・テ欄担当を名乗っていた。たまに番組評などのっていると社外の執筆者が多い。

 大衆が地上波テレビへの興味を失い、広告すらネットへの出稿が多くなっても、いまだに裏一面はテレビ欄という新聞が多い。
 紙面構成について、思考停止状態がつづいているとしか思えない。日経だけが興味深い文化欄を裏面に持ってきている。記者の能力は、アベツブシと9条大事とアゲアシ取りだけというのは、悲しい。  
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2019年06月11日

土下座について

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 元ジャニーズのアイドル田口淳之介の長時間土下座のおかげで、「土下座」そのものの有効性について、あれこれとメディアが論じている。
 もとはアイドルの麻薬使用だから誰も弁護する余地はない。ただこんなに長くする必要はあったのかという問題なのだ。
 わざわざ土下座までするのだから、一層丁寧に長時間したほうが、許しを乞う立場からはベストだろうという意見と、いやあまり長くやると芝居がかって効果半減だという二説が対立していた。いやつい最近までアイドルやっていたのだから、振付通り長い時間の土下座でよかったかもしれない、と考えるおじさんは結構に多い。

 ついこの間、客の小母さんが商品に難癖をつけ、「しまむら」の店長に土下座を強要したという事件が起きた。
 鳩山元総理大臣が韓国の植民地刑務所で、土下座をして詫びたという事件もあった。いずれも「土下座」の趣旨がちがうと、猛烈な世論の反発をうけた。
 家庭内の土下座はもう少し甘いもので、"土下座でも許してくれぬ妻の顔" 二度と浮気は致しませんとの誓いのシルシだと思えば、気も軽くなる。

 岡山県新見市には300年の伝統ある「土下座祭り」がある。
 ❶自分に非があったと認めましょう ❷素早く3歩後退する ❸正座する ❹大声で「申し訳ございませんでした」 ❺言い終わる刹那に頭をさげ地面から地面から1センチのところで固定する。❻相手からお許しの言葉が出るまで続ける。❼相手の怒りが解けないときは、土下座の姿勢は崩さず再び「申し訳ございませんでした」と言う。

 日本独自の謝罪会見のなかでも、土下座とい特異な謝罪方法が最上位の謝罪だということ国際的に理解されるようになれば、日本人はもう少しいじめられなくなるかもしれない。土下座はなりふりかまわぬ自己保身の手段ではない、心からのお詫びなのだと是非理解をこうべきだ。
 「無礼講 翌朝土下座 二日酔い」
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2019年06月08日

真理ヨシコ・中田喜直をうたう

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 構成演出をやって欲しいと依頼を受けた。
 彼女は60年前のある年、まさしく美少女と見紛う芸大生だった。ソプラノの良く通るすずやかな声の持ち主だった。これから仕事をしていくのに本名ではまずいので、芸名もつけてくれという話になった。以来半世紀の時間がながれ、彼女の舞台を前に初めての対面の時がきた。

 テーマは「水芭蕉の人 中田喜直」、この国のコンサートにまま見られる教養主義的な舞台作りは嫌いなので、どこに表現の力点をおくかについては少しばかり悩んだ。歌い手の個性を殺さず、作曲家の個性も生かす。その上である程度ベクトルの高い舞台をつくらねばならない。

 作曲の仕事をするとき、喜直先生はピアノの前に座り、まずショパンて゛指ならしをしてから仕事にかかっていた、という話を幸子夫人からきいた。ならばこの際、ショパンには申し訳ないが舞台回しをお願いしよう。ショパンなら少しポピュラーに流れるが音楽として不足はないし、ブリッジとして採用するなどこの上なく贅沢でもある。ワルツとエチュードから5曲ほど選び演奏家との折り合いもなんとかついた。

 残りは言葉、歌詩のもんだいだ。旋律に飲み込まれ消えていく言葉のなかで、ばあいによって生き残る歌詞がある。特に今日のキャッチ・コピーのごとくひとり歩きする言葉があったりすると迷惑千万このうえない。右も左もみんな違ってみんな良いというような金子みすず的テクニックにはまるとPTA特選歌コンサートのようになっていちじるしく文学的感興がそがれ、コンサートの質が低下する。
 そこで刺客として朗読ないし台詞を入れることにした。

 鶴岡千代子の「さよならはいわないで」には、寺山修司の「返詩」をぶつけ、壺田花子のあいまいな「ねむの花」には太宰治の恋文ではっきりとした態度を要求した。さとう恭子の「伶人草」にはプレヴェールの花束によってさらに花と人間の立ち位置を明確にしさらに劇的表情の鮮明を計った。
「雪の降る町を」では、内村直也の描いた思い出と哀しみとむなしさにさらに付け加え、中原中也の生い立ちの歌から、一人称の降る雪についてリアルな描写をくわえた。

 トーク・歌唱・朗読と活躍の真理ヨシコさんは大変だったとおもうが、まだまだノリシロを感じたコンサートだった。
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2019年06月04日

「ひとりで死ねばいい」への応論

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「ひとりで死ね」の発言に対して、いろいろな意見が乱れ飛んでいる。
 川崎19人殺傷事件。スクールバスを待っていた小学生19人にたいし、次々と刺身包丁で切りつけた後、自殺した事件。
 続発する類似事件にワイドショウのコメンテイター達があれやこれやと姦しい。

 孤独でだれも相手にしてくれなかったから、その解決手段として殺傷事件をおこした。というのはあまりにも身勝手だ、と反論する被害者擁護の発言。 どうせ死ぬのならひとりで死ねばいい、という自己責任論、いや、こういう犯人にこそ社会はよりそわなければならない、という共同責任論、起こしてしまった時間はとりかえせないのだから、皆で祈りましょう、という宗教論、なんの解決にもならない野次馬会議でメディアはこの事件を商品化している。

 殺傷事件または殺人事件または怪死事件をくまなく取り上げて、ドラマという様式にとじこめて荒稼ぎをしている地上波テレビ局が、もっともらしく今こそ再発防止には何をすべきか、とワイドショーでさらに事件の拡大再生産をしているあたり、笑止千万である。
 科捜研の女から捜査1課長、緊急取調室、相棒とあらゆる犯罪を毎日垂れ流している電波責任にふれることなく、冷静な感情で向き合わなければならない、とはどの面さげていえるのか。全国何万人の引きこもりが、そうした犯罪映像のシャワーを浴びて同調行為に走っている現実に対しての認識ゼロというのが恐ろしい。ミステリーという商売アイテムについて、今こそ立ち止まって考えるべきだ。

 狙われたカリタス学園というのもキーワードと考えられる。
 東京には沢山のミッション・スクールがあるが、川崎ではここだけ。第二次大戦後、お約束のようにカナダから占領地布教のためにやってきた3人のシスターによってつくられた学校だ。ケベック州のカリタス修道女会によって運営され、幼稚園、小学校、中学校、高等學校とあるが、地域の富裕層を対象とした学校であることは間違いない。貧困層には手がとどかず、そんなことからも狙われた対象として納得できる。

 平等、平等とおしえられてきたが、現実社会は平等ではない。格差たらけだ。そこで格差を受け止める胆力、人間力が必要になる。そうしたリアルな社会環境についてフタをしてきた大人に責任はあるし、世界中どこへいっても平等ではないということを、もっとしっかり教育すべきではないだろうか。  
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2019年06月01日

参院選・令和最初の泡沫候補は?

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 存在の恐るべき軽さが話題をまく参議院議員選挙のシーズンがきた。
 数こそが正義とばかり知名度だけの軽い候補者をもとめて、政界の実力者たちがひそかに蠢いている。 いくつかの噂の真相を追ってみよう。

 無定見とお色気騒動で次々と失敗する女性政治家をしりめに、それでも女をかつぐのが一番と女性候補者の門前は市をなしている。
 第一コースを走っているのが「杉本彩」、裸になったり、タンゴを踊り狂ったり、女優の実績はないが、つねに男性の注目をあびる才能にはたけている。支援する理由はこの人の動物愛護活動というが、良く聞いてみると近所のオネェチャンのペット狂い程度のことで、政治で論じるほどのことではない。
 第二コースは「塩村文夏」、「恋のから騒ぎ」出身のもと都議、ブリッコ阿呆小林麻耶の同窓だが、セクハラ野次で有名になっただけで都政ではなにもしなかった。次々と政党を乗り換える特技ありで、そのシリの軽さはさすがの立民でも問題になったといわれている。
 その他、女性候補擁立では、漫才のおしどりマコ、弁護士の亀石倫子、など立憲民主が熱心だが、肝心の立民支持が3パーセントにまで落ち込んではどうにもならない。

 芸能候補話題のピカイチは「貴乃花光司」、突然に部屋を閉じ、相撲協会を脱退したと思ったら、仰々しく記者会見をひらき絵本作家になると宣言、時を経ずに相撲学校を造ると記者たちを集め、政治家をならべた意味不明のパーティを盛大に開いて、わざわざ政治家にはなりません、と発言するなど胡散臭い活動に終始している。
 全国区狙いだろうが、息子の靴屋と同じく空手形の発行だけには長けている、という評判もきこえる。

 スポーツ界からは葛西紀明、吉田沙保里など、同じことなら浜口京子と、いずれも員数合わせの泡沫候補以外の期待はもてない。
 政治が信用をとりもどすのに、あと何年かかるのだろう。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月31日

初めてのスリコ

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 不覚にも「スリコ」を知らなかった。
 安売りがテーマでは「100均」止まり。「ドンキホーテ」ができてからは、なんとなく恐ろしく気軽には行けなかった。話題になって1年位たった頃、銀座の果てにあるドンキにいった。わすれてしまったが銀座で個展をした折に、何かが足りず8丁目のさきのドンキに行けばありますよ、と若いものに焚き付けられていった。
 目的のものはあったのだが店全体の色彩感やら、ディスプレイのいかがわしさにはついていけなかった。なんとなく置かれている商品がすべてイカガワシクみえてしまった。

 「いまはスリコよ、3COINS」 といわれても何を言われているか良くわからなかった。
 説明をうけ、なるほど100円玉を三つというところが泣かせる。庶民が衝動買いをするギリギリのラインが300円とは考えたものだ。1000円ではユニクロになってしまう。500円なら昼食代だ。そこで300円が登場する。
 キャッチには「あなたの"ちょっと幸せ"をお手伝いする雑貨店」とある。追討ちをかけるように「ワクワク・ドキドキがたくさん詰まったHappy Store」角を曲がると「何度でも行きたくなる! いつ行っても発見がある!」ここまで煽られたら行かねばなるまい。

 店内にはキッチン・グッズ、バス・アイテム、インテリア小物、靴下、アクセサリーまでいろいろとある。人気商品のベストはランドリー用ネット、コスメ・ケアキッド、温野菜メーカー、首掛けスマホ・ホルダー等々、言われてみればなるほどと言った暮らしのベンリ雑貨類である。

 親会社がファッション衣料専門メーカーだったので、季節の商品をさけ、流行商品をさけて品揃えしたので成功したのだろう。
 300円の衝動買いが、300円のシアワセを創り出して、庶民の暮らしを豊かにしてくれている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 19:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月30日

松下政経塾の罪

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 松下政経塾がやたら紙面を賑わしたことがあった。
 政経塾出身というのがブランド化し、出身政治家は志ある政治家のごとくに世間は錯覚し、その政治家に期待した。

 そもそも松下政経塾というのは、ナショナル創業者の松下幸之助が晩年政治に理想を描いて設立した学校だったが、幸之助が描いた政治を志す青年とは、青年の実態がまったく異なる青年だったという点に大きな問題点があった。
 しっかりした歴史教育をうけず、道徳教育も受けていない青年たちは、政治そのものへの理想が低く、簡単に自己保身や名誉欲に走る欠陥人間が多かった。そのうえ松下政経塾における給費制度は、青年を甘やかし、倫理観の低下に拍車をかけた。

 政経塾出身の最新スキャンダルは、丸山穂高議員だ。
 東大をで経済産業省につとめたのち、維新の会から代議士になった。多分本人は自民党にはいりたかったが、選挙区に空きがなかったためやむなく維新の会を選択したのだろう。
 元北方四島島民によるビザ無し訪問団に参加して国後島を訪問、戦争しないと取り戻せないと島民に訴え、即座に維新の会から追い出された。それだけならまだしも「女のいる飲み屋にいきたい」とわめいて品位を落とし、厄介者になった。俺は議員だから、不逮捕特権があると大声でさけんでいたそうだが、ここはロシアだということもわからなかったようだ。

 財務省しか知らずに総理大臣になった野田佳彦、民主党を潰した前原誠司、細川お殿様内閣、女房から見捨てられた菅直人内閣、韓国大好きの鳩山由紀夫内閣と暗黒の20年をささえたのが、多くの松下政経塾出身の政治家たちだった。

 松下幸之助が70億の私財を投じて描いた夢は儚い空想でしかなかった。
 廃塾するか休塾するか、これ以上社会に害を及ぼさないためには松下政経塾の看板を抹殺するしかない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月28日

軽井沢の看板娘

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 看板娘という業態が発生したのは、江戸寛文の頃といわれている。
 いわば庶民文化の仇花ともいうべき存在だが、寺社仏閣のまえや、池之端、浅草、両国などの盛り場に多く、だんごや汁粉などをだし、それに加えて渋茶をだしたよしず張りの仮小屋水茶屋、その茶店に付随して茶汲みをしたサービス娘のなかから、看板娘と呼ばれる人気者が発生した。

 色白で愛嬌がよく、気使いのできる美人が看板娘の条件だった。町衆のなかには、看板娘を目当てに通ってくる客も少なからずいたといわれる。つまりは町の人気者で、なんとか小町とか、遊郭の花魁、に対抗して江戸中の評判になった。浮世絵になり、売り出されるほどのはなやかな存在だった。
 人気のスーパースターは、谷中笠森稲荷の水茶屋にいた「笠森お仙」、そして「つた屋のおよし」、「柳屋のおふじ」、この三人の美人画はいつでも完売御礼、版元は笑いがとまらなかったといわれている。

 東宝の看板娘星由里子、日活は吉永小百合とカレンダーを飾った看板娘の時代ももう遠くへ行ってしまった。AKBでは次々と卒業するし、スタバやタリーズでは、バイトはいても看板娘は必要ない。テレビ局の女子アナでは軽すぎる。
 スタッフに今時の看板娘は? と問うたところ「そうですねー、アパホテルの元谷芙美子、美白大臣の中島香里辺りですかねぇ」今時は醜ければ醜いほどいいのかもしれない。浮世絵にしたくともどうにもならない。せいぜい漫画のパロディが精一杯といったところだ。

 軽井沢にも看板娘?といえる水茶屋ならぬ喫茶店乃至カフェの伯母さん達はいる。いずれも人生経験ゆたかな女性たちで、行場に不自由するわれわれ老人たちの相手になってくれる。
 中軽・テラスSAKUMAの佐久間紀子さん、新軽井沢・来実の隅防鶴枝さん、追分・みかげ茶屋の宮脇真理さん、…若かりし頃の美人の面影をのこしたセンス満載の素敵な軽井沢三美人である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 22:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする