2017年06月10日

獅童と初音ミクの超歌舞伎

獅童と初音ミクの超歌舞伎

 今年もニコ動超会議のイベントとして、中村獅童と初音ミクの超歌舞伎・花街詞合鏡が上演された。
 オリンピック2020のイベント狙いであることは明らかだが、とりあえずなかなかに面白かった。アナログの権化たる歌舞伎と、デジタルの最新技術イマーシブテレプレゼンス技術「Kirari」が混ざり合い、重なり合っての見世物は、結構退屈させずに観客を引きずり込んだ。
 今ラスベガスを席巻している超アナログだが、観客の想像力をこえたシルクドソレイユ・サーカス・レビューに対抗するには、この方向しか日本にはないと思わせた電気妖術歌舞伎だった。

 何百年もかけて歌舞伎がようやく獲得した文学性や芸術性をあっさりと棄て去り、見世物の一点に突っ走るには、中村獅童や尾上松也のようなメディア大好きの次世代役者に期待したほうが良いのかもしれない。
 なにしろそこに登場するのは、定番花魁道中であり、廓の奥の色模様であり、お決まりの連れ舞であり、お約束の段取り大立ち回り、獅童演じるところの八重垣紋三と、沢村国矢扮する蔭山新右衛門の果し合いもまったく珍しくなく、さもありなんといった類型台本なのだ。
 歌舞伎に限らず近頃の若い役者たちの文学性の欠落は恐るべきものがある。大衆に注目され、話題になりさえすればそれで充分、情報化社会の餌食になって無残にも消費されていく自分の姿が全く見えていない。伝統も丸裸になってグラビア・アイドルのごとく、明日は忘れ去られてもかまわないと、思っているのかもしれない。

 さてアナログに囲まれた初音ミク大夫について書かねばならない。初音ミクも重音テトも動きの滑らかさでは格段によくなったが、台詞がはなはだ良くない。
 36メートルにぎっしりと並べた240台のスピーカーによる波面合成技術も、こけ脅かしの効果音には有効だったが、芝居の台詞になっていない初音太夫のセリフにはお手上げだったようだ。
 NHK歴史ヒストリアの井上あさひの大根ぶりに匹敵するダメ芝居だった。

 面白かったのは、ホログラム映像とニコニコ生放送のコメントを舞台演出とオーバーラップさせて同時に見せる世界初の試みだった。少々うるさがったが、コメントのリアリテイと大向こうの掛け声があいまって観客を興奮に導く。萬屋! 紀伊国屋! 初音屋! 電話屋! ……
 拡張現実にはめられた「オリンピック用見世物超歌舞伎」であった。
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2017年06月09日

長寿の聖地・鶴の舞橋

長寿の聖地・鶴の舞橋 長寿の聖地・鶴の舞橋

 東北新幹線、新青森駅でリゾートしらかみ秋田行に乗り継いだ。
 車窓には、昨日田植えが終わったかの田圃とリンゴ畑がえんえんとつづく。弘前につくと列車は丸ごとスイッチバック、いまきた線路を川部まで戻る。川部で再びスイッチバックして五所川原を目指す。五所川原には、かの太宰治の生家斜陽館がある。そのひとつ手前がめざす陸奥鶴田である。

 陸奥鶴田の駅前には、アパホテルもなければ、不動産屋もない。ただひとつ開店休業のような「お母さんのあじ」とかかれた居酒屋風な店が眼についた。
 それでも駅前には鶴のモニュマンがある、駅舎も鶴のかたちを模している。シャッターに描かれたペンキ絵も鶴なのだ。みちのく銀行も、役場も、廃校も、郵便局も、ゴミ捨場も、用水路のフタも、レトロな街灯も、マンホールも、広場のシンボルも、道の駅も、みな鶴、鶴、鶴、鶴のモチーフにいろどられている。かって鶴の飛来地だったというこの町は、先代の町長さんが音頭をとって長寿の聖地として目出度い鶴の町作りを進めてきた。

 平成6年7月6日、青森県産のひばを使って日本最大の木造三連太鼓橋、「鶴の舞橋」長さ300メートルが完成した。たたずまいは鶴のめおとが大空を飛翔しているようにも見えて、津軽一の岩木山を背景にゆるやかな太鼓橋が見事な造形をなしている。間違いなく日本三名橋のひとつに数えられるだろう。
 山口の錦帯橋、宇治の大橋、そして津軽の鶴の舞橋、日本伝統の技術と造型感からいったらこの橋が日本一といえる。来年のパリ展で、にほんの橋の素晴らしさを見せたいと撮影にきたが、折悪しく梅雨入りのど真ん中映像はふたたびのチャレンジとなった。

 20年たらずの年月で、何もなかったこの町を見事に目出度い長寿の聖地として、鶴を主題に作り上げた町長の努力は素晴らしい。素朴な津軽の人々は、とうとう鶴田には吉永小百合もきたと、大満足である。
 わが町軽井沢は、100年計画を掲げ大学の先生に金を拂い、議論だけが進んでなにも変わっていない。
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2017年06月06日

ヤマザキ・ビスケットの成功を祝う

ヤマザキ・ビスケットの成功を祝う

 ヤマザキ・ナビスコがヤマザキ・ビスケットになって大成功を収めている。
 ナビスコの製法が如何に劣っていたか、ということをヤマザキビスケットが証明してくれた。なんでもかんでも舶来がいいというものではない。ライセンス契約でつくっていたものはさっさと契約を破棄して日本のスタッフにゆだねたほうがいい、という典型的な実例をしめしてくれた。
 ヤマザキビスケッは美味しい。いろいろな種類がつくられているが、筆者のベストテンはビスケットのレモンパックだ。事務所では久しぶりにこれが必須アイテムになった。ケーキやチョコレートばかりで、ビスケットを軽蔑していた風潮に風穴をあけた。
 ヤマザキのことだから、全国津々浦々、火の見櫓のとなりの村の菓子屋にまで置くだろうから、このビスケットで、国中のビスケットレベルがあがることだろう。
 ビスケットにはチーズサンド、抹茶サンド、バタークッキー、ラングドシャといろいろあるが、レモンパックの品のいい甘さが大好きだ。クラッカーのルヴァン、ルヴァンクラシカルももちろん美味い。この美味さを知ると、いままでのナビスコは何だったかと思う。

 ヤマザキの伝説は、戦後の日本にあって信じられないファクトに彩どられている。市川の駅前にあったちいさな飯島パン屋が、ヤマザキ製パン所になったいきさつは戦後の美徳そのものだった。配給の粉をもっていけば、いくらでもパンにしてくれた駅前のパン屋にどれだけの人が助けられたことか。そのパン屋さんを助けてくれたのがヤマザキさんだった。
 そんなことからヤマザキの小売店は、他ではまねのできない精神的絆で結ばれている。

 世界最高の品質をめざすため、パンの発酵種であるルヴァン種を始めてクラッカーに使い、それ故に「ルヴァン」となずけられたこのビスケットが、いつか世界の菓子を席巻してくれるであろうことを信んじている。

 沢口靖子も、木村佳乃も、吉本美憂も、予定調和の笑顔ではない眞心の響く演技でコマーシャルしてほしい。  類型的な笑顔では消費者の心は動かない。
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2017年06月04日

ハニートラツプに弱いテレビ屋さんたち

ハニートラツプに弱いテレビ屋さんたち

 テレビ朝日、ドラマ制作部長黒田徹也のアラフォー・スタイリストとの不倫事件、さらに経費不正での解職、
TBS元ワシントン支局長山口敬之の被害者顔出しレイプ告発事件、かつてメディアで仕事をしていた筆者としてはこんな事件が次々とつづいて不愉快きわまりない。

 テレビ朝日元黒田部長の例からいえば、相手の川崎祥子とは、あの下品なドラマ「特命係長只野仁」なる番組でのプロデューサーとスタイリストという関係に発している。あの薄汚いドラマにスタイリストが付いていたとはびっくりだが、仕事の現場から男と女の関係になることはままある。下働きとかアルバイト同志ならなんの問題にもならないが、一応責任者の立場にあれば、軽々しく関係をもつことは避けるべきなのだ。魅力あるアラフォーのスタイリストとあれば、男の裏表を十二分に承知しているし、担当プロデューサーが相手とあれば、易多く失うものはなにもない。彼女は密かに局内にコントロール自由なボスを確保したというところだろう。その後黒田氏が制作費に手を出したことで失脚することになった。金銭と色恋沙汰を一緒に起こしては救いようがない。

 TBSの山口敬之支局長の場合、準強姦容疑で逮捕寸前までいったにもかかわらず警視庁刑事部長の手により握り潰されたという被害者の顔出し告発事件だ。
 被害者の詩織という名前にも違和感を覚えるが、この人には姓はないのだろぅか。顔出しして告発する以上正しく姓名を名乗るべきだろう。源氏名での就活というのは聞いたことがない。そのうえ、ジャーナリズムと写真を専攻しているというのも不思議である。政治学や情報工学と写真をともに専攻できる学校もあまり聞いたことがない。
 老舗串焼きやから寿司屋、バーというはしごしてホテルへというコースも、もはや充分合意の行動としか思えない。酔っ払ってタクシーでの吐瀉、ホテル室内での振る舞いもハニートラップといわれても抗弁できまい。
 就職をめざすなら何故正面から人事に応募しなかったのか。妙にメークアップにたけて美しいすぎるのも引っかかる。
 ジャーナリズムを真摯に志す雰囲気にかけるのだ。山口敬之氏もわきが甘すぎる。

 ひょっとすると、この事件も森友学園、加計学園問題につづく、安倍倒閣運動のひとつかもしれない。
 朝日新聞と民進党が妙に熱心なのが、あやしい。
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2017年06月03日

コスパに優れたお散歩番組

コスパに優れたお散歩番組

 テレビ局のふところが寂しくなって、やたら眼につくのが「お散歩番組」である。
 お散歩する人が一人いればいい。あとは下請けのカメラクルーだけですべて完了、こんなにコスパに優れた番組はない。カメラも最近はとみに小型化し、メインカメラ以外は、民生用のオモチャみたいなもので結構間に合う。ロケも経費節約で徹取り早く効率のいい場所を選ぶ。お散歩が下手なタレントならば、後から別どりし、無料の局アナで尤もらしくナレーションを入れる。
 こうして経費優先でつくった番組が、間違って当たれば、テレビ局にとってこんなに美味しいことはない。

 そこで散歩させるのは誰、ということになる。
 鶴瓶の「家族に乾杯」などは、わざわざもう一組作って無駄使いする制作姿勢なので、所謂お散歩番組とは言い難い。
「ブラタモリ」もタモリの主観的興味を中心に作られているので、お散歩番組とは言えない。

 堂々とお散歩番組と言えるのは、地井武男の「ちい散歩」からだろう。
 ほどほどに町衆の暮らしに興味をもち、愛情にあふれた会話が番組を盛り立てた。散歩しただけで、故郷に地井武男記念館まで出来てしまったのは地井さんを置いて他に例をみない。
 二番手の加山雄三はひどかった。人々の暮らしている町だという想像力に欠け、自分が歩けば番組が成立するかの錯覚に捕らわれた古いスターの褒めようのない散歩だった。オールドファンのまぁ加山さんよ、といううぬぼれが鼻についた。かっての映画スターはテレビでは通用しません、という証明番組だった。
 三番手の高田純次には違った面白さがある。自分自身をカリカチュアして道化の散歩になっている。町の表情を捉える能力はきちんと持っているので、興味は充分に持続できる。
 石原良純の散歩は軽さが目立って大人の観賞にたえない。視聴者としてはマツコ・デラックスの散歩のほうがはるかに面白い。教養ある異形のオカマとして、得難いキャラクターなのだ。

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2017年06月02日

夏菓子は琥珀糖にかぎる

夏菓子は琥珀糖にかぎる

 テレビ時代の友人富永孝子さんから、琥珀糖のお菓子が送られてきた。
 今は亡き向田邦子さんが大好きだった永樂屋のお菓子だ。琥珀糖は爽やかな夏をはこんでくる。季節のお菓子を称するものは多々あるが、見た目が爽やかで、食感もよく、口どけまで涼しい夏を届けてくれるのは琥珀糖のお菓子に限る。

 京都の菓子屋で琥珀糖にちからを入れているのは、鶴屋吉信さんだ。
 打ち水に苔が青々と息ずく様を「青苔」という菓子にしつらえた。名前は裏千家の千玄室さんが付けられたという。清涼感たっぷりに見た目にも爽やかで点茶にふさわしい小さなお菓子である。
 IRODORIという若いセンスの琥珀糖のバーもある。六つのバーが並んでいるが、それぞれの彩りは、朝日、夕陽、晴天、晴朗、夜の帳、夜の空を淡く表現された琥珀糖のお菓子、オシャレな感覚で琥珀糖を生かし、京都八条口の限定になっている。

 北陸の文化集積処、金澤にも琥珀糖のお菓子はある。「かいちん」という。
 一瞬意味不明だが、金澤では昔から子供たちの遊び道具、おはじきのことを「かいちん」といったそうだ。花や動物たちのいろいろをかり、シャリッとした食感とゼリーが美味しい。石川屋さんがつくっている。

 わが家の涼菓ベストテンは、京都堺町三条上がる亀屋則克さんの「浜土産(はまづと)」である。
 蛤のいくつかが桧葉に包まれ網笠に入って届けられる。蛤を開けるといつぱいの琥珀糖に浜納豆が一粒、冷やしていただくと浜風のシアワセが吹いてくる。殻のなめらかな方へ爪を入れて開き、空いた殻ですくっていただくと楽しい。
 むかし蛤は大きかったが、歳月とともになんとなくこぶりになって来たのが、気になる。
 こんなところにも地球の危うさが響いて悲しい。
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2017年05月31日

昭和言葉の落日

昭和言葉の落日

 これを使うと年寄りと認定される昭和の言葉が発表された。
 第一位になったのは「ナウい」、ださいの反対だが、これに代わる平成語がわからない。「いいね」はネット用語だし、「いけてる」あたりだろうか。
 二位はアベック、フランス語のAVECからきているが、今なら「カップル」とでもよんだらいいのだろうか。
 三位にきたのは、「あたり前田のクラッカー」、てなもんや三度笠のCMから灯がついて流行った。こうした地口は昔から随分あった。「冗談はよしこちゃん」にしても「余裕のよっちゃん」「アッと驚く為五郎」などみな地口のたぐいだ。
 「よっこらしょういち」高齢化社会ではこれに代わる言葉をみなが欲しがっている言葉だろう。「どっこいしょ」では垢ぬけない。
 「アッシー君」「めっしー君」も何処かへいなくなってしまった。リアップのお世話になっている初老のなかに埋もれてしまったのだろう。

 ファッション用語の攻防は激しい。
 「丸首」はラウンドネックに、「チョッキ」はベストに、「シミーズ」はキャミソールに、「ズロース」はショーツに変わった。
 いわゆるパンツ・ファッションについて、列挙すると昭和のオジサン達にはほとんど理解不可能となる。
レギンス、トレンカ、カーゴ、スカンツ、テイパード、バギー、ガウチョ、リブ、ワイド、クロップド・パンツ、サロペット、フレア・パンツ、…等々キュロット辺りにきてオジサン達はようやく緊張から脱することができる。

 科学の進歩とともに亡んだ昭和の言葉もある。
 「チャンネルを回す」回していたテレビは博物館のなかにあるだけだ。「レンジでチン」も今だ生き残っているが、チンという音は無くなってしまった。
 働き方大改編で「ハナキン」もなくなってしまったし、「スケバン」もグラドルがとってかわった。時代はどんどん変わり、「インド人もびっくり」しなくなったのだ。
 「新人類」も「マブダチ」もみな消え去ってしまった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

秘守義務を守らない高級官僚たち

秘守義務を守らない高級官僚たち

 「秘守義務」秘密を守らなければならない義務、このことから一番近くにあるのは公務員、そして医者だろう。公務員のなかでも官僚と言わわれる人々は、より重い秘守義務を課せられる。国家国民の安全を預かっているのだから当然のことだ。最近のニュースをみていると、この義務感の薄い官僚、とくに高級官僚といわれる人たちの振舞いが気になる。

 天皇陛下の退位または譲位にかんするニュースがとても不思議なことが多すぎる。
 まず天皇がもう退位して次に譲りたいと発言したNHK出演ヴィディオ事件がある。内閣の一部門である宮内庁が、内閣の了解なしにNHKに一方的にヴィデオを提供したという事実だ。いくら天皇とはいえ、全く行政のコントロールがきいていない。健康的にもう無理だから譲りたいという天皇の意思にたいして、「天皇は国家国民の安寧を祈ってくれればいい」と発言した学者の報道に、天皇は不満を漏らしたという情報もへんだ。天皇の近くにいるものしか知りえない情報が独り歩きして、市井のメディアの話題をにぎわす。本当なら内閣はその官僚を首にするか、責任を問うべきだろう。いつも特定のNHKの記者の口から、メディアに垂れ流されるのだからその道をたどっていけば、側近の犯人にたどり着けるのではないか。

 加計学園の問題もおなじだ゜。文部省前事務次官の前川喜平の文書事件、前川氏が事務次官を首になったのは、禁止されている官僚の天下り斡旋に励んでいたからにほかならない。この人は初めから国民のほうを向いていない。官僚の持つ規制特権にしがみついてきた典型的な高級官僚なのだ。麻布から東大法学部をでて役人、というコースにみられる腐った高級官僚である。
 一昔前ノーパン・しゃぶしゃぶに通っていた官僚たちががいたが、歌舞伎町の出会い系クラブに出入りして、遊んでいたとんでもない官僚のひとりである。
 在職中の秘守義務などまったく頭にない。自分らの握っていた認可権限を、特区によりあっさり破られたのが、よほど悔しかったのだろう。天下り斡旋と認可特権のはく奪が、この人のプライドを傷つけたであろうことは容易に想像できる。そうであっても公務員の秘守義務は絶対的なもので、公式文書でもないものをあったと主張するのは公務員の倫理にもとる。

 タレントのゲス不倫も、天皇側近の情報漏洩も、文部官僚の文書肯定も、みな秘守義務への無責任さから生まれた騒動だと考えるが如何。

 
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2017年05月29日

和・洋・中 それぞれのコックコート

和・洋・中 それぞれのコックコート

 洋食と和食と中華、それぞれのコックさんのユニフォームについて、真剣にむかいあったことはなかった。
 いつのころからかコックさんの顔写真を見かけるようになった。斜に構え、両腕を組み、カメラ目線でレンズを睨みつける。頭にはやたらに高いコック帽をかぶる。首には短いコックタイ、ふくらはぎまで隠れる長いエプロンはきりっと着けるが、それは火の熱や油とびから足を守るためだそうだ。前がダブルのボタン仕立てになっているのは、いつ客から呼ばれても、ボタンをはずして裏をかえせば清潔で綺麗な裏を表にし、挨拶にいけるように、といった心ずかいが服装全体にあるからだそうだ。

 和食の料理人は高い帽子はかぶらない。折り返しのある低い帽子だ。シングルフロントで、必ずといっていいほど、白いワイシャツにネクタイをしめている。ネクタイは華美に流れない小さな柄の渋い色が多い。ネクタイをしめるスタイルは明治以降に相違ないのだから、きものの筈の和食料理人が少しばかり洋服のフォーマルを学んで、ネクタイ着用におよんだのだろう。エプロンの丈は洋食ほど長くなくほぼひざ丈が多い。

 中華は、というと大黒様のような膨らんだ白い帽子が多い。洋のタテ志向に対して、中華はマル志向である。
火力の強いコンロで一気にしあげることがおおいので、通気性のいいメッシュタイプの帽子着用なのだ。
 ワイシャツもきないで、下はランニングまたは大きく空いたユー・カツトの肌着である。前は比翼仕立てで、
釦はそとにださない。袖も七分でゴム入りの実用第一である。エプロンは洋食ほど長くなく、和食ほど短くないというのがお約束だ。

 いずれも白が基調で、清潔感を前にだし、コンロの熱からもすこしばかり防衛できる効果ありだ。
 近頃の若い調理人は、定番のコックコートを嫌い、カラーコートなどをきるようだが、こうしたコックコートにであったら、不味い料理にであったとあきらめたほうがよさそうだ。
 小さなコックタイにもその店の思想があらわれている。
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2017年05月27日

チャールズ皇太子とダッチーの紅茶

チャールズ皇太子とダッチーの紅茶

 80年いろいろな紅茶を飲んできた。
 戦後十年は黄色い大きな日東紅茶の缶が、どこの喫茶店の棚にも置いてあった。みんな食料不足に悩み、生きるのに紅茶は不要な飲みものだったのだろう。
 いつのころからかトワイニングが登場した。初めてダージリンだのアールグレイだのと、香りと味に違いがあることを学んだ。

 初めてのパリで、紅茶専門のサロン・ド・テと、コーヒーも紅茶も出すカフェがあることを知った。マドレーヌ寺院のある広場には、フレーバー・ティーで名を高めた「フォション」があった。カフェではほとんどが首つりの紅茶パックだったが、サロン・ド・テでは茶葉の入ったティポットと熱い湯のポット、そして温められたカップがでてきた。店によっては小さなチョコレートが添えられてくる店もあった。

 ロンドンへ劇場巡りに行った時、紅茶ブランドの多さに驚いた。なかには愛好者の家まで、馬車で届けてくれるエリートブランドの紅茶屋さんがあるときき、イギリス人の紅茶に対するこだわりを知らしめられた。ニューカッスルにある「リントンズ」だつた。舌音痴と言われているイギリス人に何故紅茶の味だけ判るのか、とても不思議だった。

 パリのホテル・スクリーブにあるサロン・ド・テでは、「チャ・ユアン」の紅茶がでた。オーダーした紅茶の種類によってサーブするうつわが異なる。古い中国風なポットからモダンなガラス器まで、今日のオーダーにはどんなうつわがでるのか、楽しくサロン通いが出来た。ユアンはリヨンにある茶房で、マダムは世界紅茶協会の会長を務め、世界中の紅茶農園を知りつくしている人である、ときいた。色違いの缶には漢字の「茶」とそのしたにちいさくCHA YUANとあるだけで、うちの事務所ではコレクション・アイテムになっている。

 イギリス貴族のトムとトミーが送ってくれる紅茶が「DUCHY」、チャールス皇太子が自身所有するグロスター・ジャーの農園を10年かけて有機農場化し、そこで1992年から製品化している紅茶だ。紅茶のキレ味がよく、深みがあって、いくら飲んでも飽きない。
 あのダイアナ妃は農園仕事が嫌いで、いつもひとりでロンドンやパリに出掛け、浮名を流していた。
 ダッチーの紅茶を口にするたびに、ダイアナの最後に想いが飛び、チャールス皇太子の孤独に惹かれる。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:41| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする