2017年10月03日

マリー・アントワネットの四角いハンカチ

マリー・アントワネットの四角いハンカチ

 ものにはすべて形がある。
 クロアッサンは三日月と決まっている。ウィーン王朝が侵攻してきたトルコ軍を撃退した記念に、トルコ国旗の三日月をとってパンにしたといわれる。 赤鉛筆は丸い。芯が弱いので、持ちやすい六角形を避け、周りの力を均等に散らす丸い軸の赤鉛筆が生まれたといわれる。 蚊取り線香は渦を巻いている。普通の線香と同じく棒状だつたが、少しでも長持ちさせるため渦巻き状になったそうだ。

 で主題はハンカチのかたち。
 シェークスピアの四大悲劇のひとつ、「オセロー」は、ほかの男が持っていた妻のハンカチから、不倫を疑われ、最後は殺されてしまう、というお話だが、中世では婚約のしるしとして、女性から男性に贈られたのが、ハンカチだった。 ルイ王朝時代のフランスでは、このハンカチ文化が異常に盛り上がり、上流貴族の婦人たちは数千枚ものハンカチをコレクションするようになった。宝石や刺繍を施したゴージャスなハンカチ、さらに丸、三角、四角、長方形やらレースをふんだんに使ったハンカチまで競って見せびらかしたと伝えられる。

 そうした風潮に腹を立てたのが、ルイ16世夫人マリー・アントワネット、彼女は夫に「フランスのハンカチは、すべて正方形にするべきです」と進言、ルイ16世はいわれるままに「ハンカチの形は、縦横同一たるべし」という法令を布告、以来ハンカチは正方形におちついたといわれている。
 それ故ハンカチーフの日は、マリー・アントワネットの誕生日に近い祝日から、11月3日に決められた。

 デパートの店頭には、ディオール、カルダン、ジバンシー、サンローランから森英恵、コシノジュンコまで、デザイナー・ブランドのハンカチが大量に売られているが、外国には存在しないこの国独自の珍風景だ。本場オートクチュールの洋服は着れないが、せめてあちらの高級品にちなんだハンカチでもいい、という日本人のさもしさにつけこんだ日本のメーカーだけのライセンス商品なのだ。デパートでクチュール・ブランドのハンカチを見るたびに、戦後日本の貧しさはまだ終わっていない、と感じてしまうのは筆者だけだろうか。
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2017年10月02日

漱石・碑林・ランポー 歩かない文学

漱石・碑林・ランポー 歩かない文学

 愛媛・松山の道後温泉、旅館道後館のひと部屋に、部屋本「坊ちゃん」が登場した。客室のひとつに夏目漱石坊ちゃん全文がプリントされている。部屋を開けた途端、椅子にもテーブルにも、床の間にもテレビのうしろにも、障子にも襖にも坊ちゃんの小説が踊っている。
 日本では句碑というのは何処に行っても遭遇するが、ひと部屋まるごと小説は珍しい。近頃は携帯だったり、スマホだったり、簡単に移動できるものだらけだが、その昔のように場所に定着して読む、というのもいいだろう、というオーナーの声、これは見る本というより体感する本です。
 そのうえ、見せてやるけど見料1500円というのも、いかにも日本らしくケチな料簡が似合う。

 中国には900年前から、西安の都近くに石に彫られた歴史を集めて、「碑林」というとてつもない書庫がある。漢から清の中国の歴史に係わる記録が書かれた碑石が約1000基以上、雨にも雪にも強い3メートルから5メートル内外の碑石群は、ダイナミックな中国の歴史そのもののように見るものに迫ってくる。石に刻まれた歴史は1000年でも2000年でも風説に耐えて語り継いでいくだろう。欲しければいつでも拓本を取ってくれる。近隣には始皇帝の墓も、楊貴妃の風呂もあって中国4000年の歴史を語るにふさわしい処なのだ。

 フランス・パリにはサン・シェルピス広場からリュクサンブール公園に抜けるフェルー通り、300平方メートルの壁がアルチュール・ランボーの壁詩になっている。彼は1871年9月30日、初めてこの広場のカフェの二階で処女詩の朗読をしたという故事に由来している。
 ランボーの処女作「酔いどれ船」がカリグラファーの手書きで彫り込まれている。
 …夜明けが痛い 月は残忍で太陽は昇るたびに辛辣だ  愛が俺を飲み込んで麻痺させる……
 波よお前の倦怠に漬かってしまった俺は もはや綿を運ぶ航海に出ることはできぬ
 旗やペナントをはためかして走ることも 廃船を尻目に航海することも出来ぬ……
 ランボー16歳の処女詩には、パリコミューン挫折体験が生々しく、託された言葉がこの壁から風に乗って、パリの街角に流れていく。
 私の机の傍らには、この詩壁のまえに立った鈴木京香のTページが、ピンアップされている。
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2017年10月01日

女性有名人の不倫相手になれる笑論

女性有名人の不倫相手になれる笑論

 女性の浮気、不倫が派手に報道されている。 浮気がばれた女性政治家や女性芸能人たちは、世のお母さんや女性たちから盛大にバッシングされ、メディアの餌食になっている。
 何年か前までは、浮気・不倫スキャンダルは、男性の聖域になっていた。ところが、男女平等均一労働法やら、働き方改革の潮流のなかで、女子の社会的立場が上がるとともに、女子の不倫スキャンダルの日常化が当たり前になってきた。誠にご同慶の至りだ。 一般女性も女性有名人の不倫報道に接し、エセ道徳な非難をやめて、これでようやく私たち女性の地位も男性並みになったと喜んだほうがいいのかもしれない。
 人はなぜ不倫をするか、などの設問は、フランス人には一笑に付されるが、日本人のピューリタン願望にとっては、いつまでも井戸端会議の主役として生き続けるのだろう。

 ところで、そうした高嶺の華のフリンターの相手に選ばれるには、一定の条件を満たさなければならない。見た目に男前というよりも、より大切な案件がある。
 まず第一に、絶対に女性の財布をあてにしないこと。女性のお金をあてにしたのでは、ただのヒモになってしまう。ヒモは一流の女の対象にならない。ホスト・クラブで間に合わしたほうがずっと楽だし、後腐れがない。
 第二に女性の知名度を利用しない。女性の知名度にたよらなくともそれなりのフィールドを持っている。
 そして第三に自由な時間を持っていること。いつでも女性の時間に合わせられることが重要な条件となる。社会的に活動している女性にとっては、男性都合の時間は絶対にもてない。。だからいつでも女性都合の時間に合わせられることが必要条件となる。
 そしてさらに第四の条件、口が堅いということ。男性から事がおおやけになることは絶対にない。メディアにばれたときにも、現場を押えられない限り、一線は越えていない、と最後まで主張しなければならない。
 以上の条件をみたしてこそ、初めて選ばれる男となるが、これらのマニュアルのほかに絶対的に必要なことがある。 「空気を読まない情熱」をもっているか。「あの頃、僕はあなたが好きだった。あなたは今でも素敵だ。心乱さないでください。」「ぼくはずっとファンだったんです。」まわりにはペコペコしたり、ご機嫌伺いの媚びた男性ばかりのなかで、直球でくる空気をよまない男に弱いという現実がある。
 さすれば週4回のホテル、新幹線の手つなぎ、夢のようなベーゼの時が訪れるのだ。
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2017年09月29日

小池百合子に於ける爺転がしと終着駅

小池百合子に於ける爺転がしと終着駅

 小池百合子がとうとう仮面を脱いだ。
 いままでも政界の爺殺しとして、つとに評判は高かったのだが、東京都知事になって以来の彼女の手口がバレバレになり、希望の党に逃げ込んだのが真相のようだ。

 豊洲は活かし、築地も生かす、といった発言は、何千億かのむだ金をつかったあとで、ようやくたどり着いた愚策だ。小渕・森内閣において経済企画総括政務次官をつとめた人の方針とは到底おもえない。オリンピック会場問題でも、あちこちにいって思わせぶりの発言をかさねた上で、なにも変わらなかった。首都高建設の計画もストップしたまま、すべてとっ散らかしてすべては無駄ずかい、イメージ作りだけのポピュリストではないか。その面からは、ヒトラーとトランプに共通したパフォーマーともいえる。

 彼女の政党遍歴を見てみよう。壇ノ浦の八艘飛びならぬ、霞が関の七艘飛びなのだ。
 日本新党から新進党、新進党から自由党、自由党から保守党、保守党から自由民主党、自由民主党から都民ファーストの会、都民ファーストの会から希望の党、……。お見事としか云いようはない。この間、細川護熙から小沢一郎、そして小泉純一郎と政界爺転がしをしてきた。そこで得た役職は総務政務次官を皮切りに、経済企画政務次官、環境大臣、内閣府特命大臣、防衛大臣、そして自由民主党総務会長であり、広報本部長だった。この経験の総てが生きて東京都知事になったのだが、彼女の野望はどうやら日本最初の女性宰相にあるようだ。

 民進党の解体なだれ込みにたいして、希望の党はひとりひとりの身体検査をしたうえで認めると発言している。憲法改正、安保法案、原発廃止をバリアに受け入れると伝えられるが、連合左派の丸抱えできた民進党のメンバーがどこまで入党を許されるか、それが問題だ。
 大儀大儀と連発しながら、政治家の就活運動ほど、醜く滑稽なものはない。
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2017年09月28日

富岡八幡は江戸っ子のものだ

富岡八幡は江戸っ子のものだ

 深川の八幡様といえば、江戸っ子の拠り所「富岡八幡宮」と決まっている。
 赤坂山王さんと神田明神、合わせて江戸三大祭りともいうが、三代つづいた江戸っ子にとっては、深川の八幡様はもっとも身近な八幡様だ。
 国技である江戸勧進相撲は富岡八幡の境内からはじまった。100年にわたって勧進相撲がこの地で開かれ、のちに両国回向院に移った。それ故、歴代の横綱碑も、大関碑もすべて深川八幡の境内にある。力持碑、木場の角乗碑など、江戸っ子の自慢はみなこの富岡八幡に集まっている。

 三年に一度の本祭りでは、130台の大神輿がでて沿道の水を浴びながらの壮大なお練りとなる。若衆が江戸百町の大提灯をかかげ、宮中に大回向を敢行したこともある江戸最大のまつり。一宮の黄金神輿には30カラットのダイヤモンド、2010個のルビー、純金24キログラム、プラチナ、銀、無数の宝石類がつかわれた名実ともの日本一の神輿だし、二宮の神輿すら鳳凰の眼には5カラットのダイヤが入っている。
 江戸っ子の心意気がそのまま神輿に具現化している。

 その富岡八幡がいま神社本庁から脱退し、独立しようという騒動になっている。先代宮司が病身だつたため、長男の娘が宮司代行をしてきたが、たびたび宮司の申請をだしても神社本庁が許可しないので、とうとう独立を図ったという経緯のようだ。
 神社本庁は神道の本局として、祭事、広報、改修補助、宮司任命についての責任を負っているのだが、宮司の女系は基本的にみとめていない。
 このことは女性天皇や女性宮家にも共通することだが、一旦女性宮司をみとめてしまえば、血統の正統性が失われ、結局は滅びてしまうという危機感からきている。婿に来る男性には制限をつけることができず、極端にいえば犯罪者や渡来人が入り込んでしまうことすら、可能になるという現実からきている。
 左翼系メディアによる女系宮家の創設推進論も、男女同権の美名に隠れた国体破壊の思想が隠されていると、読まれているのだ。富岡八幡の神社本庁脱退の動きも、近い将来に必ず禍根を残すだろう。
 深川の八幡様は、宮司個人のものではなく、江戸っ子すべての魂のよりどころなのだから。


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2017年09月27日

素麺との別れがつらい

素麺との別れがつらい

 九月も終わりに近ずくと、ああ今年も素麺との別れがきた、と悲しくなる。
 夏の呼び声とともにやってきた素麺は、たつ秋風とともに勝手に去っていく。

 素麺との初めての出会いは貴船の谷あいだった。それまで家の食卓でたべていた素麺は、素麺ではなかった。貴船の川床で竹の道を流れ下る流しそーめんに出会ったとき、ああこれが素麺だと感激した。岩のあいだから流れ落ちる冷たい水には霊力がこもって素麺の味をいっそう引き立ててくれた。谷川のしぶきを背に聞きながら、眼の前を流れ下る素麺を箸で受け止め口元に運ぶ。暑さを忘れ、夏の疲れを吹き飛ばしてくれた。

 以来素麺には環境が大事と思うようになった。
 フローリングのダイニングでいただく素麺には、バカラのガラスのどんぶりがよく似合う。染付の大きな器でもブルーが素麺の繊細な細さをバックアップしてくれる。
 我が家では、尺二寸ほどの桶の手付きを使っている。外側は黒漆の溜塗で、なかは金箔仕上げである。若い楓などをあしらって素麺を流し入れると、立派なご馳走にみえる。夏の来客のための手抜きのもてなしである。

 カルチャー・ショックだったのは、長い麺を畳んで固めた大門素麺との出会いだった。青山の紀伊国屋で遭遇した。すこし太めながら小麦の味がしっかりと伝わり、越中砺波の冬の厳しさがしっかりと伝わった。当時のガールフレンドが、越中育ちで故郷を語りながらのソーメン付合いだった。奈良の三輪素麺にもずいぶん世話になった。香川の小豆島素麺、愛媛の五色素麺、そしていまでは兵庫の揖保乃糸寒造り特級品に助けられている。
 梅雨を三回越さなくとも、充分に歯ごたえもよく喉こしのいい素麺を楽しんでいる。

 来年もまた素麺の至福に出会えることを信じて、秋を待ち構えている。
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2017年09月26日

喜美弥・きみ鶴・藤舎名生・くらま会

喜美弥・きみ鶴・藤舎名生・くらま会

 銀座旦那衆の心意気である「銀座くらま会」のお招きを受けた。
 今年で93回を数え、ますますお元気にて芸道精進の趣き、結構なことであった。新橋花街の東おどりと銀座くらま会の時の新橋演舞場は、わが意を得たりとばかりの表情をみせる。なんといってもこの劇場を支えてきた旦那衆と芸者衆の本科が見えるからだ。客の悪い若手歌舞伎や、タレント公演とは異なる芝居小屋の生き生きとした表情が蘇る。
 くらま会は客がいい。新橋の芸者衆だけでなく、銀座という日本一の街に生きる旦那やその家族の趣味や教養が客席を活気ずける。小屋が興行会社の手元からはなれ、小屋を必要とした町衆の手にその日いちにち主を変えるのだ。

 小唄、常磐津、河東節、尺八、歌沢、一中節、清元、長唄 と江戸から明治への邦楽が次々と登場する。 さすが銀座にふさわしく、文科省の教科書からは追放されてしまったにほんの音楽が脈々といきている。元はといえば、田舎者の明治政府のせいで断絶を余儀なくされた伝統音楽の生き残りなのだが、町衆の好んで歌い継がれてきた音楽には、民衆の時々の喜びや悲しみがにじんでいる。

 さて仁科恵敏さんの「八千代獅子」なかなかに楽しかった。獅子の持つ霊力が尺八をとおして民衆のまえに姿を現す。アンサンブルはいかにもの仁科流だったが、後半のトップを飾る白眉の舞台だった。
 立方の喜美弥ときみ鶴が気をはいて舞ぶりが素晴らしかった。新橋を背負って立つ心意気が男と女の相対舞のなかにしっかりと取り込まれ、新ばしに喜美弥・きみ鶴ありの風格ある舞台だった。三段目には仁科さんが演奏しながら舞台中央に立ち、立方がからんでの奏楽姿を想像しながら楽しんだ。

 鳴り物に藤舎名生の名があったのも嬉しい。ともに多くの舞台をつくり、海外でもともに舞台をつくった仲間だが、いまや日本一の名生である。笛のもつ能力を最大限に引き出し、伝統から前衛まで、幅広く奥深く演奏できる笛のスーパー名人、華厳の笛、銀座くらま会にはもっともふさわしく、もっとも贅沢な助っ人であった。
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2017年09月23日

安室奈美恵を分解する

安室奈美恵を分解する

安室奈美恵が引退を宣言した。
テレビでは大騒ぎしているが、それほどの感興がわかない。何故か考えてみた。長い間折にふれて彼女の活動は見てきたし、音楽も聴いてきた。がそこにあった彼女はつねに異邦人の趣きだった。アメリカの植民地と見まごうばかりの沖縄で生まれ育ち、彼女の肉体には日本語が住んでいない。

安室奈美恵の左腕にある入れ墨は英語ばかりだ。
JUN.30in1950 My mother's love live with me Eternally in my heart R.I.P MAR.17 in 1999
右腕にも入れ墨はある。 Love Peace World もしも彼女が有名人でなかったら、公衆浴場や温泉にははいれない。身体にタトーのある方のご入浴はご遠慮下さい。日本の常識社会をはみ出している。

 彼女が何百億か稼せいだ楽曲を見てみよう。
 例えば TRY ME / Don't wanna cry / a walk in the park / CAN YOU CELEBRATE? / NEVER END 等々…… あれだけ多く歌ったにも係わらず日本語の歌は一つもない。日本語が嫌いだったのか、日本語の教育を全く受けなかったのか、それとも英語で歌うことがカッコいいという単純な理由からか、いずれにしても彼女の生活に日本語はなかった。

 ファッション・アイコンとしての安室奈美恵を見てみよう。
 先ず異常に細い眉、作為に満ちたこの眉はたちまち若者を虜にし、美容院や床屋をうるおした。茶髪そしてロング・ヘア、デザインいらずのロングでは美容師の腕は落ちたが、サロンは毛染めで多いに稼いだ。
 バーバリーのミニスカートは、ライセンシーの三陽商会を好況にしたが、いま三陽はバーバリーからライセンスを取り上げられ危機に瀕している。
 そしてタトー・シールや眉毛プレート、厚底のロングブーツなど、一時的に産地をうるおしたが、所詮バブル期の仇花、失われた10年の象徴といわれた。
 カジュアル・ファッションのパイオニアだったが、アムラーからマムラーへ、エレガンス不在のファッションを形ずくったアイコンだった。

 結局、安室奈美恵は沖縄という不幸な地に生まれ育った、無国籍なブラック・ミュージッシャンだったといえよう。

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2017年09月21日

日本の名物・カレーパン

日本の名物・カレーパン

 「コンビニだけで一日に数十万個、多い時には数百万個単位で売られている。加えてホテルやデパート、町のパン屋で売られている数を考えたら、その市場規模は非常に大といえます。」カレー総合研究所の井上岳久所長の弁である。
 カレーパンのことだ。日本人の好きな洋食、不動のベスト3にはいるカレーと、揚げパンの組み合わせは、総菜パンの人気でもつねにベスト3に入っている。

 そんな人気に乗じ、西武デパート池袋本店では月末に「カレーパン博覧会2017」が開催される。西武線、山手線沿線を中心に、町のパン屋さんからホテルメイドまで、全国から180種類以上、約30.000個のカレーパンが登場する。
 なかには、神戸牛カレーパンや、ミシュラン三つ星のジョエル・ロプション作る超高級カレーパンなども売りだされるという、カレーパン好きにはたまらないイベントになっている。

 東京のカレーパン第一位はなんといっても、深川森下町の名花堂(現カトレア)の元祖カレーパンだ。 7時、11時、15時の焼き上がり時間には行列ができる。甘口と辛口があり、関東大震災のあとの江戸っ子に支持された。
 第二位は練馬のデンマークブロード、カレーサンドからカレーパンを作った老舗である。
 第三位はインド独立運動の志士チャンドラ・ボーズが持ち込んだといわれる新宿中村屋のカレーパン。
 第四位は築地木村屋の少し高い「牛すじ玉ねぎ入りカレーパン」一個260円である。
 そして第五位が浅草豊福の「黒毛和牛カレーパン」、もも肉、すね肉、ばら肉、にワインとスパイスが加わって8時間以上煮込んだ逸品、ビート・たけしの差し入れに主役を務めるカレーパンである。

 いまやカレーパンは日本の代表的総菜パンのドンにのしあがった。
 たかがカレーパン、されどカレーパンなのだ。


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2017年09月20日

京友禅はインクジェットで

京友禅はインクジェットで

 オリンピックを睨んで、日本の仕事や民族遺産を強調する番組がやたら制作されている。
海外の仕事師を呼んできて、現場に連れていき、びっくりしたニッポン素晴らしい、という型通りの作り方だが、その裏にある問題点には全く迫らない。表面だけの観光チラシのような薄っぺらな作り方である。

 さて伝統衣装のなかでも、京友禅といえば最高の位置にあるが、その友禅が滅亡の危機にあるという。
 現実のライフスタイルのなかでキモノが廃れていくのは仕方ないにしても、この国の歴史に生きてきた服飾の文化そのものが忘れられ退化していくのは見逃せない。
 結婚式を始め人生の通過儀礼のなかで、式服としての友禅は貴重な文化であることは議論の余地がない。

 京友禅は加賀友禅や江戸友禅にたいして、圧倒的な華やかさと格調をもっている。京都という千年の歴史のなかで育ってきた美意識が、宮崎友禅斎の手をかりて華開いたとも言えよう。
 「ゆのし」から始まって、露草の花粉から抽出した「青花」での下絵かき、糊置き、地染め、蒸し、水洗いなどの仕事をえてやうやく「挿し友禅」となり、金銀箔、刺繍をへて仕立てにいたるのに26工程を要する。
 エルメスのスカーフはプリントだけで20工程と言われているが、型染めの機械が20回働いたというに過ぎない。
 京友禅は絵師である芸術家と、きもの職人が入り乱れて仕事を手渡しながらの26工程を必要としている大変な衣裳なのだ。

 近頃の若者はそんな面倒なことはいらない。「インクジェットでやればいい」10工程は節約できる。なによりもそのほうがコスパがいいと、簡単に利益のあがるほうになびいていく。
 いまや京都の友禅の80パーセントはインクジェットになっている、という現実をきいてガックリした。成人式の下品なキモノはほとんどインクジェットの見せかけの振袖なのだ。
 インクジェットと手描き友禅の差がわかる母親もどんどん減っている。日本文化をしらない日本人だらけになってアメリカンな日本になっていくのだ。
 経済第一主義は世界一の服飾文化を滅ぼしていく。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする