2018年08月02日

夏はコハクの菓子が涼しき

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 酷暑にはいかにも涼しいお菓子が食べたくなる。
 一年中チョコレートやマカロンをたべているフランス人にはとうてい理解不能な和菓子の世界だ。東京でも近頃は、ゴディバだの、ピエール・マルコニーニなどとわめいて、スイーツに季節のある日本の和菓子を知らないギャルやら餓鬼がふえている。
 テレビで採りあげる夏菓子も、ガリガリ君やら井村屋の小豆バー、大騒ぎして一等賞は明治の北海道産小豆入りラクトアイス、これでは日本人の味覚はますます貧弱になるばかりだ。

 夏菓子の王座はなんといってもコハクに限る。
 琥珀糖は、寒天にクチナシの実またはウコンの粉をまぜ、砂糖を加えて煮詰め、さらに橙皮油やレモンを混ぜて冷やしかためてつくったもので、「たべる宝石」ともいわれている。
 京都の真面目なお菓子屋さんは、夏菓子といえば琥珀のお菓子を作っている。信州や軽井沢ではまず見当たらない。一年中ダイフクやら饅頭に頼って商いをしているが、ひとえに勉強が足りないといわれても仕方がない。

 琥珀羹では、末富さんの「水月(スイゲツ)」、水に映る光る月をイメージしている。すだれに包まれ、23センチで5千400円という値段から、お菓子の格が察しられる。琥珀の棹ものとしては高級の部類だ。
 陳列棚に並んだ菓子では満足しない人には嘯月さんの「琥珀羹」がある。大徳寺の側にあるこのみせには、お菓子の陳列ケースも棚もない。時間指定で予約が出来れば、お引き取りの時間に合わせてつくります、という和菓子のオートクチュールである。家元やお寺さんのしかるべきお客さまにしか対応しない。
 机の傍らにおいて楽しむには鍵善良房の「琥珀」がある。紫と水色と白の琥珀がサイコロになり、仕事中の糖分不足を補うにベストだ。
 勿論、和菓子界の巨星とらやさんにも「水の宿」とい夏の羊羹がある。涼し気な青さに水しずくがたった瞬間を季節の羊羹にしつらえ夏が躍っている。

 涼菓として友人に送り喜ばれるのは、堺町三条にある亀屋則克さんの「浜土産(ハマヅト)」、波の磯辺にとれた蛤に、琥珀と浜納豆の一粒を入れた夏限定のお菓子だが、添えられた桧葉と竹籠も嬉しく磯の潮騒が聴こえてくるような涼しいお菓子だ。心なしか年々蛤の小さくなるような気もして、自然の変化がお菓子のなかに感じられる。蛤をあけて空いた殻ですくって食べる趣向も楽しい。

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2018年08月01日

夏には夏のあきない

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 横丁に涼し気な風鈴の音が聴こえてくる。それも一つではなく、沢山の風鈴だ。ガラスの江戸風鈴を主役に、緑色に仕上げられた南部鉄の風鈴など、風鈴やさんが通り過ぎるたびごとに夏風が路地を抜けていくような気がした。
 ガラス風鈴には流水と金魚の絵が多かった。金魚もまた夏の暑さに涼をもたらしてくれるマジックな魚だった。夏祭りの夜店で、祖母にねだって手に入れた金魚はなによりのお宝だった。金魚やのおじさんは、いつもオマケの金魚をつけてくれた。ビニールの透明な袋のなかで泳ぐ金魚を大事にもちかえり、去年の金魚鉢に早く移してやらないと、金魚は弱ってしまう。縁日の夜は小走りの帰り道だった。

 行商の金魚やさんと風鈴やさんがたまたま家の前で出会い、路地にせりだした庭木の日陰で、ふたつの屋台が休憩をかねて揃った時などは、ひと夏いちばんのイベントだった。
 評判のお姉さんがムームー一枚でやってきたり、はだけた浴衣姿の三味線のお師匠さん、ランニングにショートパンツの下宿のお兄さんなど、思わぬ人々が集まってきた。誰かが持ち出した竹の縁台はすぐに満員御礼。親切な斜め向かいのおばさんが、到来ものだからと大きな西瓜を切ってもちこんでくれたり、いつからかラムネやの屋台まで加わって即席夏市の様をていした。その日の絵日記には何を描こうかと迷いに迷ったのだった。

 夏の行商には団扇やさんもあった。いろいろな絵の描かれた団扇を天秤棒の両側に見事に飾って売りに来た行商のおじさん。
 北斎の波間の富士をみたのは、団扇絵が初めてだったし、横山大観の霧にけぶる富士も、見事な金魚も、みな団扇絵で初お目見えだった。団扇やさんのすみには、必ずと言っていいほど「火の用心」と大きく書かれた渋団扇の何本かがならべられ、風流な夏団扇には見向きもせず、台所の竈炊きと内風呂の火起こしだけのために渋団扇を買い求める町内の女将さんもいた。それでも今時の宣伝一色のプラスチックの団扇よりも遥かにシアワセの風が吹いた。

 軽井沢の我が家では、祇園の芸舞妓が夏前にくばる名入りの団扇でとても重宝している。客寄せの縁起物である祇園団扇は、商家を営む友人にとても喜ばれ、わざわざ遠くから、芸舞妓の名入り団扇をとりに来るほど。
 こうした夏の風情もだんだんうすれ、テレビではクーラーをつけろ!クーラーをつけろ!命を守ってください、なんとも無味乾燥な夏になりはてたものだ。
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2018年07月31日

メディアの眼が小さすぎて不安になる。

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文科省科学技術・学術政策局長佐野太(58)が、馬鹿息子の裏口入学を画策、東京医科大学へ私立大学支援事業の便宜供与。
 馬鹿息子のために親が奔走する話なんぞは昔からうんざりするほどあった。とくに医科系大学では、寄付金の多寡がものりをいう。あいつは2.000万円、あいつは3.000万円、親バカ子バカで無駄金動く、と想定内のハナシ。

 財務省福田淳一事務次官、女性美人記者にセクシー・ハラスメント。
 報道志望の新入女子社員について、管理職はヒタイを寄せてシフトを考える。
あいつは行動的で少し美人だから、官邸行。あいつは色っぽくて危ない感じもあるから、財務省。身体剛健、丈夫だな、うん警視庁。取材能力が無さそうだから宮内庁担当。口にはださなくても、人事担当はそのあたりでシフトを作る。報道記者をめざす女性たちはそのくらいのことは覚悟のうえで乗り越えなければ、明日はない。「夜討ち・朝駈け・色落し」は報道の三原則、下賜されたニュースで間に合うのは宮内庁ダケ。

 財務省エリート主計官、朝日新聞アエラ美人記者と不倫生活、再度調べたら朝日新聞社員ではなくアエラ担当社外美人記者と判明。翌日から報道は消え失せた。

 IR特別法案、自民、公明の賛成で国会通過、いよいよカジノ具体化へ。
 かって民進党時代、野党にIR推進議員連盟があった。中心は長島昭久、松野頼久、約40名の議員が集まったとある。あの時は推進、いま反対、観客にはよく理解できない。新聞も追及しない。野党も博打の常習性に反対なら、まずパチンコ屋に営業規制をかけて、23兆円に及ぶ地下経済の息の根を止めたら如何。どうも主張することと、現実に疑問が生じる。パチンコの地下経済の恩恵をうけているのは、誰だ。

 帰国以来、台風大雨報道いがいの地上波、新聞のニュースが以上の通り。
 世界が狭すぎる。オリンピックの開会式担当にきまった野村萬斎の「テーマは鎮魂と再生」、えっ、それは国内のハナシで、世界のテーマにはならないだろう。議員宿舎の空き部屋で、赤坂亭と称して自民党の宴会をやるようなものだ。すべてが小さい。
 カンヌの出品作が「万引き家族」、なんだかイヤーな気になる。 
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2018年07月30日

クレージーホースが危ない

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 21世紀になってからの新旧交代、技術刷新、世代交代は目まぐるしく進んでいる。芸能のジャンルでも、次々と新しい顔、新しい表現が登場し目まぐるしいばかりだ。

 かってかかわっていたレビューの世界もまた新しい波に見舞われている。
 第二次世界大戦後、レビューの全盛期があった。東京では有楽町駅前に日本劇場、日比谷の東京宝塚劇場、そして浅草の国際劇場、ときに帝国劇場、江東劇場、新宿コマ劇場など加わって、レビューの華を競っていた。
 劇場だけでなくレビューはあちこちのグランド・キャバレーでも上演されていた。銀座のミマツ、白馬車、クラウン、ショーボート、あるいは赤坂のミカド、紅馬車、デビ夫人の働いていたニューラテンコーターなど、みな夜のクライマックスはショウ・タイムだった。

 その頃の世界のレビューは、ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージックホールを頂点に、西はラスベガスのショウ・ビジネス、東はパリのムーラン・ルージュ、リドをはじめとするレビュウ、が燦然と絢を競っていた。

 それらのレビューが衰微の道をたどった最大の理由は、テレビの普及とジャンボジェットによる大量輸送が原因になったと考えられる。ジャンボジェットの普及はそれまで憧れだった海外に自由に行けるようになり、レビュウ舞台で繰り広げられるラテンやスパニッシュやフラメンコより、ずっとリアリティのある現実にふれることにより、舞台の虚構に観客はあきてしまった。そしてテレビのカラー化により、さらに現実よりキレイな景色がみられるようになった。 もはやレビュー劇場の役割は終わってしまったのだ。

 それでもパリとラスベガスには、いくつかのレビュ―劇場が頑張っている。
 各ホテルごとに劇場のあるラスベガスは、ディナーショーという形式でショーを上演してきたが、シルク・ド・ソレイユの登場以来、より観客の入るグランドシアターに切り替え、人手と厨房のいるディナー・ショーは閉鎖、スポーツ・カジノとシルク・ド・ソレイユにほとんどが変わってしまった。
 パリでもリドとムーランが観光客専門のレビューに変わり、かってイギリス娘とフランス娘がきそっていた舞台の熱気は何処かえいってしまった。辛うじてダンサーの魅力で人気を呼んでいたクレージーホースも、最近は照明や映像にひきまわされ、踊り子それぞれの魅力は消滅しかかっている。
 大人の魅力にみちたクレージーホースには、なんとか踏みとどまって欲しいと願うばかりだ。

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2018年07月25日

八重歯のシンデレラ・星由里子への追慕

八重歯のシンデレラ・星由里子への追慕

 ムーランルージュの演出で渡仏するまえ、東宝から凄い新人がでる、という噂をきいた。東宝ミス・シンデレラ娘コンテストで優勝したという。なんでも神田鍛冶町の乾物屋の娘で、5人姉妹の末娘ということだった。
 噂の娘は1959年に「星由里子」と名乗り、映画「すずかけの散歩道」で華々しくデビューした。
その頃渡仏準備に追われゆっくりと映画を見る間もなく、リハーサルの合間に抜け出し半分みて帰ってきたので、ズット奥歯になにかがはさまったような感じだった。
 彼女の品のいい明るいイメージは、あの頃の東宝カラーにぴったりで、クセのない庶民的な美しさで人気を集めた。

 帰国後、ふとしたことから彼女との縁ができた。
 60分枠のドラマで、東宝制作の枠があった。そのドラマの演出に擬せられたのだ。台本とキャスティングは東宝のプロデューサーが担当し、局は演出と営業を分担するシステムだった。
 配役の顔寄せではじめて噂のシンデレラに会った。主演にもかかわらずいちばん早くリハーサル場に入り、こちらが行くと立ち上がり小走りで側まできて、「おはようございます。星由里子です。」と挨拶された。さすが東宝の秘蔵っ子だけあって、しっかりと教育されてきたといった印象だった。台本もしっかりと読み込んできて、役の解釈も過不足なく演じてくれた。わがままで周りが困惑するスターもいるなかで、彼女は実に控えめで真面目に芝居をしてくれた。主演でも自己主張が強すぎると、まわりの役者たちとの和がたもてない、クセのない素直さには、大変助けられた。

 その頃、六本木に役者衆の集まる寿司やがあった。仕事の終わったスターたちが、三々五々集まってくる。美空ひばりも江利チエミもカウンターで寿司をつまんでいた。その寿司やの親方から「彼女が会いたいと言っている」という伝言があった。電撃結婚といわれ初めてのオメデタがわずか3か月で破れ、傷心のときだった。
 結婚相手への不満はひとこともいわず、映画の話に花が咲いた。ヨーロッパ映画のはなし、ハリウッド映画のはなし、明るく眼をキラキラさせて時を忘れた。

……京都で静かに暮らしているときいていたが、訃報はあまりにも突然だった。
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2018年07月23日

魔性の女・朝丘雪路

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 滞仏中、いくつかの訃報に接した。
テレビ朝日(当時のNET)の始まった頃、音楽番組の演出にも多々携わった。
 10代の視聴者には、ワタナベ・プロのタレントが人気があった。ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、布施明、小柳ルミ子、梓みちよなどが中心だった。
 20代になると男ではダークダックス、ボニージャックスなどが人気があり、女性歌手では水谷良重(いまの水谷八重子)、中原美沙緒、そして朝丘雪路だった。
 音楽の特集番組ではこの女性3人組を軸に構成することが、多かった。水谷良重は歌い手のなかでは、群を抜いてプロポーションにすぐれ、衣裳も体の線に忠実なマーメード・ラインのイブニングをきていた。大胆にだした背中にスタジオ・カメラマンは息をのんで、焦点をあわせていた。中原美沙緒は、伯父の中原淳一が衣裳デザインをしていたので、もっぱらフレアな可愛い路線だった。
 ……そして朝丘雪路、いつも彼女をめぐってトラブルが起きた。

 あの頃の音楽番組はまず音楽録音をして、段取りをして、本番になるという手のかかる制作工程だった。
当然のように衣裳の打ち合わせも事前にする。本番のドレスがかぶるといけないので、歌手3人を交えてドレスの打合せをする。
私は黒にするわ。私はブルー、私は赤と、それぞれのカラーも決まって、演出もほっとするのだが、当日思いがけないトラブルが発生する。

 歌手のひとりに呼ばれて楽屋にいってみると、泣いている。ユキエちゃん(当時朝丘雪路はユキエと自他ともに呼んでいた) に衣裳をとられたというのだ。昨日衣裳の色について順番をきめていたのに、本番前になって私の色の衣裳を着るというのだ。
 歌手同志の意地の張り合いはすさまじく、特にそうしたことでいつも台風の眼になったのが、朝丘雪路だった。
彼女のあとが出番の歌手は何時意地悪されてもいいように余分に衣裳を持ち込んでいた。

 料亭の女将の妾腹に生まれた彼女は異常なまでに、「パパ伊東深水」にこだわり、後に舞踊家になっても「深水流」を名乗ったほどだった。
リハに少しでも遅れてくると、いきなり演出の手を豊満な胸にもっていき、「ほらドキドキしているでしょ、ユキエ一生懸命走ってきたの。ごめんなさーい」
 身についた魔性とでもいうべきか。生涯電車の切符は買えなかったといわれるが、どこか無理を重ねた女が見え隠れした。コンプレックスと意地と見栄に疲れた一生だったと思っている。                  合掌
posted by Kazuhiko Hoshino at 23:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

アールヌーボーとアールデコ、ふたつのMUSEUM

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 パリ16区のギマールの建築に心惹かれ、アベス駅の見事な造形を横目にパン屋へ通っていた身としては、いつかブリッセルのアールヌーボー建築と対面したいと思っていた。

 ミスター・トム・ウィルソンはなんの前触れもなく、2日目の午後これから美術館に行こうと、言い出し、連れていかれたのが 世界遺産になっている「オルタ・ミュージアム」だった。
 アールヌーボーの父をいわれてるヴィクトール・オルタの自宅兼アトリエ、そこにはヴィクトール・オルタのアール・ヌーボーに対する情熱と美意識がぎっしりとつまっていた。タイル、石のモザイク、ステンドグラス、家具、建物の内装、ドア、階段、外装まですべてにアールヌーボーという新しい芸術運動に対する妥協のない造型が躍っている。ガウディのカーサなどよりもはるかに緻密な繊細さがそこにあった。エリック・サティの使っていたピアノなども置かれ、ああ今ここに居る、アールヌーボー建築発祥の地なんだという感動に包まれた。

 3日目のブリュッセル、ミスター・トムは、もうひとつの美術館にいこう、という。
 昨日とは打って変わったアールデコ様式のミュージアムだった。「ダヴット・アリス・ヴァンビューレン・ミュージアム」
手仕事の頂点に登りつめたアールヌーボーに対して、明日からの量産工業時代を予見して、コンパスと定規による新しい芸術運動を起こした気迫にみなぎったアールデコ建築だった。

 昨日のオルタ・ミュージアムにしても今日のダヴット・アリス・ヴァンビューレン・ミュージアムにしもいずれも個人の邸宅なので、そんなに広くない。ゆっくりと建物訪問しながら、作家の世界観について美意識について考えることが出来る。ほどほどの大きさのなかに、美術史上の近代における大きな課題がある、とても好都合なふたつのミュージアムだった。
 ブラッセルはまだまだ奥深いと想わせられた今回の旅だった。
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2018年07月21日

キャビアとブリッセルの森と

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 フランスのお金持ちはみんなベルギーへ引っ越す。
ルイビィトンのオーナーも、ルノーのプレジデントも、そして友人のトム・ウィルソンも、みなベルギーへ引っ越した。欧州連合の首都であり、EUの首都だから、そんな理由ではリッチ層はうごかない。パリからは電車で一時間ちょっとだから、クルマでかよっても通勤圏内なのだ。
 理由はひとつ、節税のためと、ベルギーの首都ブリッセルは、世界遺産としての美観と自然に恵まれている。首都の中心部から10分も走ると、自然遺産となったソワーニュの森、カンブルの森が何処までも続く。
 その森の中に富豪たちの家が点々とある。ロスアンゼルスの郊外、ビバリーヒルズの高級住宅街と似ている。どの家も1000坪以上の敷地を持ち、それぞれ個性的な住まいに暮らしている。

 ノイハウス、ゴディバ、ピェール・マルコニーニ、ヴィタメール、レオニダス、ガレ など名だたるチョコレート・メーカーはみなベルギーというのも不思議だ。ヴィクトルユーゴーが世界一美しい広場だと感嘆したブリッセルのグラン・プラスには、市庁舎をはじめ、王の家、楽器博物館、ビール博物館、星の家には触れると幸せがついてくるセルクラースの像などあるが、あいだにある小さな館は、ほとんどチョコレート・ショップと徹底している。

 ウィルソン家では、初日からトムさんがモスクワから携えてきてくれたキャビアのご馳走攻めにあった。
キャビアは革命50年の年、当時のソ連から招かれ、アエロフロウトの機上で山盛りのキャビアを賞味して以来、今回のブリッセル行で二番目のキャビア攻めだった。
 クリスタルのコンポートに山盛りのキャビア、直径7センチほどのいっぱいのブリニと、薄くカットした食パンの6センチ位のトースト、たまのホテルのパーティに登場するキャビアとはまるで違って、毎日ガーデン・ハウスのテーブルにはキャビアが置かれていた。至福のキャビアがいつでも食べ放題という心尽くし、3日間のウィルソン家滞在ですっかり英気をとりもどした。

 オードリー・ヘプバーンも、ルネ・マグリットもみなこの地に生まれ育ったんだと、軽井沢のウグイスに似た鳥の声を聴きながらブリッセルの森とお別れした。
posted by Kazuhiko Hoshino at 18:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

月刊Hanadaの売れているジュンク堂

 月間Hanadaの売れているジュンク堂

 オペラからルーブルに向かう途中にピラミデというメトロの駅がある。
 その側にあのジュンク堂がある。週刊誌、月刊誌、話題の新刊にまじって漫画、劇画、文房具など一通りのものがおいてある。ユニークなのは最近のBENTOブームにあやかって、日本製のBENTO箱まで売っている。日本好きのパリジェンヌが、カワイイ、カワイイを連発しながらBENTO箱を買っていたりする。

 情報不足のストレスがたまると、ジュンク堂に出掛ける。
 平積みの週刊誌、月刊誌の前面にどうどうと並べられているのが「月刊Hanada」文芸春秋と肩をならべて頑張っている。
朝日と野党は総理に謝罪せよ/国民が安倍晋三を選ぶ理由/国民が呆れたメディアと野党の茶番劇……朝日の偏向報道のおかげで誤解に誤解をかさねてきた日本の実態を正すのは、今のところHanadaやWill位しかない。
 外国の友人に従軍慰安婦のことなど改めて質問されると、ここまで朝日の弊害がおよんでいるかと、暗澹たる気分になる。サッカーの応援のときだけ、ホッペタに国旗をかいてニワカ日本人となり、普段国家への忠実を誓わない日本人のなんと多いことか。我々世代は、海外にでると故郷のこと、東京のこと、日本のこと、話題にでるたびに大和民族の血が騒ぎ、愛国者になる。

 街を歩いていると、パリには本屋と果物屋がおおい。店先に果物をハコでつんでいる果物やはそこここにある。果物はスーパーで買わないで、近所の果物屋で買うというのが、フランス人のスタイルなのだろう。本屋それも古本屋が結構ある。日本では姿を消した古本屋があってマニアックな本を置いている。 古本屋のおやじには、結構日本贔屓が多いから、困った時の人頼みには重宝かもしれない。

 ニューヨークの紀伊国屋にくらべると、パリのジュンク堂は、どことなくオットリしている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

鰻の野田岩と大坂なおみ

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 うなぎというのは、青汁よりもヴィタミン剤よりも、夏のスタミナ源として信用されてきた。
 だから立身出世もうなぎ登り、とうてい成し得ないことをうなぎの木登りと、古来いいなぞらえてきた。土用の丑の日にうなぎを食べるのも、お客さんがきたら、うな重を出前するのも、子供ごころにうれしかった。

 パリで少し疲れると、サントノーレ272番地の野田岩に脚を向ける。野田岩はパリに於ける唯一のウナギ料理専門店だからだ。体力を消耗した今年も「野田岩」を訪れた。
 今年はは全くウナギの稚魚が取れずいつもの年の100分の一にもとどかないと日本では報じられ、うなぎの値段もうなぎ登りと予想されていた。果たしてパリの鰻やは如何にと、心配しながら木戸を開けた。

 鰻の蒲焼き(鰻の重さは調理前の重さです)
 梅130gご飯付/16€  藤200gご飯付/18€  菊280gご飯付/22€ 楓320gご飯付/26€
 お弁当(鰻重、お新香、味噌汁)
 鰻重130g/23€ 鰻重200g/25€ 鰻重280g/29€ 鰻重320g/33€
その他 鰻寿司17€ 鰻巻き8€ お新香5€ 枝豆3.5€ もずくの酢の物10€ などもあった。
 値段は東京の鰻やに比べ、まあまあのような気がした。

 入ったところにいきなり10人程の予約済があり、その向こうならいいですよ、と通された。しめしめとばかり座って320gを頼んだのだが、
となりの予約席にとんでもない一向がやってきた。
 日本の選手のくせに日本語がしゃべれない。父はハイチ、母は根室の日米二重国籍のテニス選手。180センチの身長に薄黒い肉がしっかりついている。日本のテニス協会に所属していないにもかかわらず、オリンピック強化選手に指定されている近頃話題の「大坂なおみ」だった。
 だらしなく座り込んだ本人のまわりには、コーチの父親、付き添いの母、契約コーチ、アスレティック・トレーナー、コンディショニング・トレーナー、マネージャー、アシスタントとおぼしき一行がどやどやと座りこんで、一気に酸素が低下した。
 今のスポーツというのは、一人の素材にこんなに人間が寄生して成り立っている、という標本のような一行だった。
 それにしても黒人のスポイル・ヘアであるドレッド・ヘアにし、礼儀作法とは縁遠い「大坂なおみ」っていったい何物、っていう疑問がついてまわった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする