2017年04月13日

敗戦の落し子・ペギー葉山

敗戦の落し子・ペギー葉山

 あのペギー葉山が亡くなった。
 戦後のキャンプ廻りからから始まった彼女の一生は、アメリカ・コンプレックスの人生だった。
 英語が大好き、当世赤んぼの頃から英語教育に走るバカ親の先駆者でもあった。

 英語がすべてで、英語の歌だけが正しいと信じていた。初めてのヒットソングとなった「南国土佐を後にして」の歌唱を依頼しても、いちいち英語の歌をうたわせてくれるならと、面倒くさい歌い手だった。
 せっかく南国土佐のヒットソングをもっているのだからと、南国土佐特集に出演依頼しても、土佐に対する知識はゼロ、土佐に対する愛情は皆無だった。

 青山学院出身の音楽家は結構いて、芸能界を賑わせていた。寺本圭一はウェスタンのスターだったし、イブニングもどきを着込んで歌うペギー葉山もキャンパスクイーンだった。
作曲の平岡精二もまた多彩な才能に恵まれていた。平岡精二とともにつくった「学生時代」や「爪」などは、大人の恋を唄ったいい歌だったが、英語好きの彼女にとってはやはり物足りなかったのだろう。

 それでもやっぱり英語のうたが大好きで、アメリカ渡りのジャズ一辺倒の困ったちゃんだった。
101曲というジャズボーカルの教本があったが、彼女にとって聖書より大切なバイブル。アメリカで評価されることが唯一最大の目的で、その面からはピース綾部とまったく同じ種類の人間だったともいえる。
 敗戦から生まれた疑似アメリカ人だった。ブロードウェイで初めて見たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の虜となり、自分で訳した歌詞の「ドレミの歌」を津々浦々で唄い、ついにヒットさせたという実績もある。

 スリーバブルスといい、ペギー葉山といい、みな英語かふれの歌手だったが、戦争に負けた日本に生まれるべくして生まれたアメリカコンプレックスの落し子だった。

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2017年04月12日

決断力のなかった浅田真央

決断力のなかった浅田真央

 浅田真央がやっと引退した。
 新聞もテレビも大騒ぎしているが、スポーツを芸能化した真央の実績についてはあまり賛成できない。
「嬉しさが50パーセント、悔しさが50パーセントのメダル」といったバンクーバー五輪のあと引退していれば、彼女の分析力と決断に脱帽したが、そのあとを見れば、いかに自分自身のスケートが判っていなかったかが明らかだ。
 彼女と競って金メダルをとった韓国の金研児をみれば、彼女との差は明らかなのだが、残念ながら浅田真央にはその理解力がなかった。飛んで回ればそれで良しとするテクニック信仰から最後まで抜け出すことができなかった。飛ぶ前のプレパレーションの長さが、いつも表現を殺し決断力のない彼女の内面を現していた。
 フィギュア・スケートの醍醐味は、技術をベースに音楽を背景にした総合表現につきるのだが、決定的な劇的解釈、表現においていつも劣っていた。

 無責任な観客は可愛い可愛いで花を投げるが、世界の大人たちの眼はごまかすことはできない。
 ヨーロツパでもアメリカでも、さらに高等なテクニックを要し、成人の感性を刺激するペア・スケーティングや、アイスダンスが人気の種目だが、幼児性の強い日本の観衆は、フィギュア女子 それも名古屋をバックにしたあまり趣味がイイとは言いがたい衣裳と末端のテクニツクに拍手を贈る。

 2014年の現役続行か引退かの瀬戸際でも、「いまのところハーフハーフ」と煮えきらない態度で決断力のなさを露呈した。休養中も30本近いテレビ・コマーシャルでかせぎ、バラエティ番組のレポーターをしてみたりと、もはやスポーツマンではなく、芸能人に落ちていた。
 荒川静香のオリンピック金メダル後の身の処し方と比べれば、誰の眼にも荒川の決断力の素晴らしさがわかる。
 ソチ五輪から今日までの4年ちかい歳月は、浅田真央自身の価値をさげ、スポーツマンらしい爽やかさのない
時間をつくりだした。
 口にこそださないが、後輩たちは「やっと席があいた」とほっとしていることだろう。
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2017年04月10日

六本木でテレビを創った仲間たち

六本木でテレビを創った仲間たち

 半世紀前、六本木で働いていた仲間が集まった。
 歳をとると誰でも群れて、思い出話や病気のはなしがしたくなるものだが、この集まりは少し異なる。編成、制作、撮影、技術、営業、宣伝、出版、アナウンスなど、テレビ放映の現場を横断した社内異業種交流といっ趣である。揺籃期の民放テレビの現場で、それぞれのポジションで仕事をしてきた仲間なので、思い出はあまりセンチメンタルに流れない。冷静な振り返りと、現実への批評や認識が話題の中心をしめた。

 まずNHKが芝愛宕山にテレビ塔を建てた。愛宕山には技術研究所のスタジオがあったので自然の成り行きだった。 麹町の野原に日本テレビがテレビ塔を作った。塔の足元に二つのスタジオと庭園のある社長室と制作センターができた。花街を見下ろす赤坂の山の上には、引揚者の簡易住宅が軒を連ねていた。その住宅を追い出してて建てたのがTBSのテレビ塔と社屋だった。
 東京の空に三本のテレビ塔がたった。無駄使いの声に、東京タワー333メートルに一本化することになった。その頃スタートしたのが牛込のフジテレビと六本木のテレビ朝日だった。
 基幹局のなかで、ただひとつテレビ朝日だけが、教育テレビの認可だったので、芸能娯楽にかわるためのあらゆる工夫をし、数年後に芸能娯楽局の認可をえた。

 始まりは銀座の高速道路しただったが、まだ社屋建設地も決まっていなかった。当初メンバーは、電通や朝日、旺文社などに分散してあずけられた。いくつかの候補のなかから六本木が浮かび上がった。
 現在の六本木ヒルズのセンタービルのあたり、先年ブームを呼んだ真田の江戸屋敷があった。真田の当主は自身を引き取ってくれることを条件に屋敷を売ってもいいというのだ。かくして技術監督真田幸長が誕生した。真田屋敷は消え、由緒ある真田邸はテレビの土台となって消えた。現在中継の折などに言っている毛利邸園はだいぶあとになってニッカの倉庫を買収したときについてきた土地である。

 地上波のテレビはもはや落日を迎え、インターネットの時代を迎えているが、かって初めての地上波テレビで、手本のない映像に挑んできた仲間たちは、すっかり変わってしまった六本木の風情に自分自身の姿を重ねているようでもあった。
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2017年04月09日

あきれた政界の平和ボケ

あきれた政界の平和ボケ

 ようやく森友学園問題の先がみえてきた。
 野党議員は声高に安倍昭恵夫人の寄付問題を取り上げ、國会に証人喚問すべきと主張してきた。多分この議員は国公立の大学で勉強してきたため、言い換えれば税金で勉学してきたために、私学の運営実態を知らないのだろう。
 私学の運営はおおむね卒業生を初めとする先輩やスポンサー企業の寄付により成り立っている。ましてや卒業生で功なり出世した人に対する寄付の要請は眼を見張るものがある。筆者も卒業後60年たっているが、いまだに毎年寄付の書類が届けられる。
 昭恵夫人がかりに100万円の寄付をしたとしてもなんらとがめられることではない。むしろ教育事業にたいしての寄付は褒められて当り前である。

 さらに国有地払下げにまつわる「瑕疵」と「忖度」の問題が俎上にのぼった。伊丹空港周辺の国有地払下げは、森友学園、豊中市の公園、そして給食センターの三か所と言われている。
 給食センターの場合2015年に掘り起こしたところ、アスベストやコンクート片が大量に出たというので、撤去費用として14億円が計上され、隣の公園もまた廃棄物処理費として14億円が認められ、結局土地はわずか2000万円で払い下げられた。当初の国有地売却額14億2000万円が、僅か2000万円で払い下げられた。
 森友学園の埋設廃棄物処理費8億2000万円を差し引いて、1億3000万円で払い下げられたのにそれほどの忖度はない。それをいうならば、朝日新聞本社払下げにまつわる国有地処理のほうが、よほどマックロなのだ。

 いま世界中の新聞が、北朝鮮のミサイルが作り出す緊張について心配している。その時、森友やら、籠池、スポーツではあまりに情けない。北朝鮮ははつきりと日本の米軍基地が目標と宣言している。中国も尖閣は自国と発言し、沖縄まで核心的利益といっている。
 議員たるもの右左に関係なくすみやかに、日本の国土を守るためになにをすべきか、早急に対処すべきだ。
 領土、領海、国民の命を守る事こそが、内閣と國会の至上の命題であるということを再確認したい。
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2017年04月08日

「成田屋の食卓」が売れている

「成田屋の食卓」が売れている

 十二代市川団十郎夫人、堀越希実子さんの著作「成田屋の食卓」が評判になっている。
 サブに、團十郎がたべてきたものとあるが、この本は料理の本でありながら料理の本ではない。成田屋をとり巻く人々とそれを支えてきた夫人の愛のものがたりなのだ。喜怒哀楽をおおげさに叫ぶことなく、たんたんと團十郎の妻を務めてきたひとりの女のモノローグになっている。

 学習院仏文科に通っていた世間知らずの女子大生が、十代目海老蔵と結婚した23才の冬から物語は始まる。
夢見た新婚時代はまったく無く、役者の女房になるという大きな壁にぶつかる。「あなたこんなことも知らないの」番頭さん、義妹、そして先輩の伯母さま方から心得を学び、芝居のこと、楽屋のこと、ご挨拶のこと、ひとつひとつを身に付けてきた初めての体験が痛々しい。

 初めてのお正月、お屠蘇、おせち、お弟子さん方へのお年玉、しきたりに戸惑う嫁の日々。役者の女房は24時間が仕事と悟り、團十郎の身体への心ずかい、つたえるということの重みを通して自分に課した役割りなどしみじみと伝わってくる。花見の季節を迎えれば、わが家の一本桜のもとでの花見の宴、團十郎の朝ごはん、鴨のパーティ、ふたりだけの夕食、そして團十郎の大好きだったマグロ料理のこと、ひとつひとつの料理が家族の歳時記であり、人気のカレーも育っていく子供達との思い出につながる。美味いマズイのレシピ本にない家族の通過儀礼がそこに描かれている。

 最後に團十郎の闘病のこと、療養中の食事のこと、ただ泣いた日々、そして嫁に伝えたい成田屋の食卓でこの本は終わっている。

 歌舞伎座の廊下に並んだ歌舞伎役者の御夫人方を見ればわかることだが、きものにたいする感性も彼女は並外れている。品格があり、ユニークな色彩感が新しい。決して飛び出さずに控えめに個性をだす。昨日今日のタレント上りには真似のできないセンスをもつているのが希実子夫人なのだ。
 筆者が30年前、「希実子好み・茶屋ごろも」というきものブランドを企画したのも、そうした彼女の魅力に魅かれたからであった。
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2017年04月07日

人形町の五つ星

人形町の五つ星

 歯医者にかかると、その後美味いものが食べたくなる。 タクシーを飛ばして人形町へいく。
 久しぶりに「元祖親子丼」に会いたくなった。当然1760年(宝暦10年)創業の「玉ひで」である。
 江戸の風情が残る人形町界隈でも、「玉ひで」の白い漆喰壁はずぬけて鮮やかな佇まいだ。客間の天井は、格天井に切り出しの細工などあり、「朝昼晩3000両の落ち処」といわれたかっての繁栄をしのばせる。

 昼間から軍鶏すきもはばかるので、「元祖親子昼膳」を頼んだ。
 軍鶏時雨煮、軍鶏コラーゲン・スープ、元祖親子丼、香の物、水菓子である。なににもまして親子丼のうつわが素晴らしい。金の漆細工が施されたたっぷりと大きい木製の蓋付どんぶりだ。器の高さを低く抑えているので大きくとも下品に流れない。なかは朱のため漆、親子丼のうつわとして絶妙なバランスを保もっている。
 酒、砂糖を使わず醤油とみりんの風味を生かした割下で煮込まれた軍鶏と、閉じた卵の甘さが浮遊して50年前とすこしも変わらない旨さを味わうことができた。

 帰途せつかくの人形町なので、魚久の本店やら谷崎潤一郎生誕の地などのぞき、水天宮まで足をのばした。
この辺り猿若座、村山座の芝居小屋を始め人形浄瑠璃、説教芝居、見世物小屋、曲芸、水芸、手妻など江戸庶民の芸能センターだった昔をしのびながら歩いた。
 「粋でおきゃんで芸がたつ」芳町芸者の趣きのある熟女が共連れであった。

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2017年04月06日

かける時代から「ふりかける時代」へ

かける時代から「ふりかける時代」へ

 調味料の世界に革命が起こっている。
 味噌、醤油、お酒、みりん等々日本料理の基本をつくる調味料が、まったく表情を変えて登場しつつある。

 「粉むらさき」
 食卓に必ずあった醤油注ぎともお別れになるかもしれない。
 醤油注ぎは注ぎ口の形状がわるいとお尻に回って始末が悪い。瀬戸物屋の店頭で売っている安物にはまずそうしたことはないのだが、奮発して求めた作家ものの醤油注ぎにママそうした不都合があった。
 もろみ粕を粉末にしたものから作ったのが、「粉むらさき」だというから、もう崎陽軒の懐かしい醤油注ぎも
お役御免となるのだろう。
 コブクロに入った粉醤油がそえてある。醤油に限らず、ソースもあるからとんかつ弁当のソース坊やもなくなり、ソースの粉が添えられてこぼれる不安はなくなるのだ。

 「ミソルト」
 仙台みそのパウダーがそれである。シチューにかけてよし、ラーメンにふりかけてもいける。本来の味噌味よりも深みのある味噌の味が楽しめる。
 八丁味噌、角久の赤味噌粉末は絶品。八丁味噌のもっている奥行のある味をパラパラとふりかけるだけであじわえる、いままでの信州味噌はあわてるにちがいない。手のひらにパラパラとふって味見をすれば、赤味噌の素晴らしさがたちまちに広がるのだ。
 水煮した野菜や魚類にひとふりしたらたちまちにして味噌煮のうまみにかわる。味噌樽もいらなくなるし、味噌臭さもなくなって、日本の台処の香りもだいぶ変わる。

 「かける山葵」
 アヒージョ・タイプのわさびのオイルソースだといわれるが、オロシガネもチューブもいらない。パスタにかけると絶妙なわさびパスタが出来上がる。から揚げによし、豆腐によし、わさびはおろすものにあらず、ひとふりの魔法である。

 以上のほか、「ふりかけるポンズ」あり、「ゴマポン」ありで調味料は「かける時代」から「ふりかける時代」に突入したと謳っている。
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2017年04月03日

結婚できない女性たち

結婚できない女性たち

 結婚が怖くてなかなかふみきれない、という女性は多い。
 年功序列の昔ならば、男の行く末はだいたい読めたのだが、いまは全く読めない。いつ倒産するか、いつ給料がさがるか判らない。ましてやIT好きの彼などすこし油断をすれば、たちまちに奈落に突き落とされる。
 昨日まで六本木の高層マンションにいたのにどうして今日から浦和の安アパート、それは無いでしょう、といっても追いつかない。

 学校卒業してずっと自由にやってきたのに、いまさら他人と住まなければならないなんて信じられない。
他人と住むのは怖いわ、という対人恐怖症もいる。

 具体的にはよく言われる「嫁姑問題」の根深いところ、みそ汁の味から、アイロンの充てかたまで、さらに金銭感覚の違い、嫁と姑すべてにわたって価値観がことなる日々について、不安はおおきくなるばかりだ。その上、彼のマザーコンプレックスも気になってくる。洗濯もののたたみ方もぜったいにママ風でなければならない。

 彼の浮気も怖い。男の浮気は甲斐性ともいうが、私のからだに飽きたときは当然浮気もするだろう。妊娠中に浮気は始まるというが、いったい何処まで、どうしたら浮気はふせげるのか、考えただけでもユーウツ、男は必ず浮気するって本当ですか。バカな男が多いくせに、浮気だけはちゃんとするのね。

 彼だけではなく、私の心変わりも怖いわ。フランス料理のデートとプレゼントに慣れた私に、彼との狭い我が家で満足できるかしら。彼よりパパだったヒルズの高層マンションこそ私に似合う、下世話な生活なんてまっぴら、と思うかも。
 初めてのお泊りは寐化粧でごまかしたけど、結婚となると素顔の夜よね。素顔をみせたら彼ぜったいに心変わりする。いびきは明日からのお医者さん通いでなおせるけど、素顔はなおせない。ああユーウツ。

 結婚できない女性たちは、何も言わない、何も見ない「白馬の王子さま」を待ち続けているのかもしれない。




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2017年04月01日

昨日のメンズ、今日のデパチカ

昨日のメンズ、今日のデパチカ

 「何故だ!」三越岡田社長が叫んだお家騒動はセンセーショナルな出来事だつた。社長の知らないところにあった取締役会での解任手続きは、悪夢の事件だった。
 世紀を超えて同じような事件が、再び三越伊勢丹ホールディングの大西洋社長の身にふりかかった。東大出身の石塚邦雄会長から「現場はこれ以上もたない」と言われ、任期途中にもかかわらず引導を渡たされた。

 大西社長は新宿伊勢丹のメンズ館成功の実績で登場した。メディアが好きで、万事ひかえめの三越系からは
あまり好感はもたれなかった。
 数年前から突如起こった中国人の爆買いツアーに呼応し、銀座店を一気に高級品志向にし、さらに免税店フロアを大々的にレイアウトしたのだが……。
 気がつけば爆買い中国人は消え、ユニクロやらビックカメラに移っていった。百貨店の業態そのものが、日本のユーザーはもとより中国人インバウンドの客からも嫌われている、ということに気がつかなかったのだ。
 そとでは"ミスター百貨店"と呼ばれ、人気者であった。

 三越伊勢丹のみならずすべての百貨店はいま冬の時代を迎えている。
 フロア総てをテナントに貸出し、デパートという名の不動産屋に転向しつつある店、通販に特化しようという店、あるいは安売り路面店を取り込んで、なんとか数字を上げようともがいてる店など、長い間のデパート天下のお蔭ですっかりネジが狂ってしまっている。
 "今日は帝劇、明日は三越"の夢からまださめていない。

 三越伊勢丹ホールディング社長の席は、クイーンズ伊勢丹で名をあげた食品専門の杉江俊彦専務が担うこととなった。すなわちメンズファッションからデパチカに権力は移った。
 テレビをみればラーメンやらコスパ食堂、食欲番組ばかりなので、その影響かと勘繰りたくもなる。
 公家の三越も、新宿至上主義の伊勢丹も、なにか間違っている。
 巷では10年後に百貨店という業態は消えている、という本が売れている。


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2017年03月31日

文春砲の作り方

文春砲の作り方

 和田誠の表紙絵が地味な週刊文春がいつの間にかもっとも注目される週刊誌になった。
週刊現代や週刊ポストのごとく、ヌード・グラビアもなく、表紙にコンテンツを並べ煽ることもなく、静かに描かれた和田ワールドの向こうに文春砲が隠されている。

 何故そんなに文春だけがスクープできるのか? と問われれば、先ず心構えとしてスクープを狙う。スクープの尻尾を掴んだら、少数の記者を深く潜らせて証拠固めをやる。煮詰まったところで、精鋭部隊を一気に投入して仕上げる。新谷学編集長の弁である。
 編集部60人のうち、特集班が40人もいる。他の週刊誌では、経営合理化のためにフリーランスの記者を多用するが文春は100パーセント自社スタッフでまかなう。

 新入りの記者は「地取り(聞き込み)」「物読み(資料分析)」「張り込み」などのフィールド体験を通して、取材報道のノウハウを学び、いつかはスクープを、の志で育っていく。ニュース・ソースを守りながら、捜査当局とのカケヒキ、国会への対応を求められる場合もある。伝聞情報、匿名証言で戦えるか、いざとなったら取材対象者は証言台にたってくれるか、までつめて考え記事にする。情報を追っかけながら、周辺の人間関係、環境にある不都合な状況まで把握しなければ、リアリティのあるスクープは書けない。

 最後はニュースを上手く拡散して本誌の売上増につなげる。テレビのワイドショーに取り上げられ、視聴者はそれで満足、では文春砲にならない。露出した情報のかけらと、手にとって読まなければ判らない記事本体との配分に、テクニックは隠されている。
 政治でも経済でも芸能でも、表面だけのゴシップ記事では読者は満足しない。
 そこに未知なる情報が少しでもなければならない。それこそが文春砲のアイデンティティなのだ。


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