2017年03月30日

ゼンリンからグーグルアースへ

ゼンリンからグーグルアースへ

 町内のそばやに、寿司屋に愛されてきたのが、ゼンリンの地図だった。
 そのうち宅急便やさんに重宝がられるようになった。ゼンリンの地図はすごい。
 全国70の拠点に1000人の調査員がいて、雨の日も風の日も歩いて、歩いて、歩き疲れて地図の基本データを作っている。表札やマンションの名前に変更があるか、ないか、調べて歩く。
 「変更なし」なら去年の地図に緑色のボールペンで「レ」をつける。「変更あり」なら赤色のボールペンで書き込んでいく。近頃では表札を出さない家も多く、プラバシーの壁が立ちはだかるので、こうした調査はますます困難を極める。
 日本の地図を始めて作った伊能忠敬の苦労をしのびながら、ときには110番もされ、泥棒呼ばわりされながら、来る日も来る日も、こつこつと歩き続けてアナログデータを作り続けている。
 ゼンリンの地図は瑞穂の国の暮らしをささえ、瑞穂の国のコミュニティを指し示し、30分でドミノ・ピザも宅配される、その下支えはゼンリンの地図にほかならない。

 2005年から突然に始まったのがGOOGLE EARTHのサービスだ。
 平面図から立体写真、鳥瞰図、そのほかあらゆる地図データがわかるようになった。パリで判らなかったランポーの詩の書かれた壁も、「パリ ランポーの詩  壁」それだけの入力で、見事なライブ写真にめぐりあった。
 グーグルアースは戦争の実態もまったく変えてしまった。それまでのスパイ活動のあらましを、グーグルアースが代行してくれるようになった。探査衛星とグーグルアースで戦争準備は可能になった。

 ゼンリンのデータベースはカーナビやスマホのポータルサイドに活用され、いまは自動運転やドローンによる配達作業に目標を定めているというが、グーグルアースとゼンリンのシステムが統一されたら、天下無敵のソフトができると思うが、そう単純にいかないのが世の常と、しばらくはあきらめなければならない。

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2017年03月29日

記憶のなかの散歩

記憶のなかの散歩

 雑誌のかたすみに「記憶のなかの散歩」という言葉があった。
 誰でもが持っている記憶のなかに、どれほどの散歩があるのか、他人事ではなく自分事として辿ってみた。

 記憶が蘇って初恋の人があらわれた。丸顔で、眼が大きく、ポニーテール、笑うと右の頬にエクボができた。
背は高くなかったが、はちきれそうな胸を清楚なセーラー服に包んでいた。
 二人で歩いたのは善福寺池、どきどきしながらいつもよりゆっくり歩き、一周すると決まったように同じベンチに座った。
 そして西の空が赤く染まると、黙ってたちあがり次の約束をして別れた。

 武蔵野台地にはあちこちに池があった。石神井池、善福寺池、井の頭池、……鬱蒼とした森に囲まれていた井の頭池が、敗色濃厚となったある日、巨木がみな切り倒されポツンと残こされた池が、とても寂しかった。
 その日を境に井の頭池の散歩はしなくなった。

 幼い頃の散歩は、西片町の大銀杏のある坂道をへて東大に踏み入れた。銀杏並木から三四郎池を横目に池之端へでた。連れてってくれたのは、いつも髪結いのオセイさんだった。オセイさんは大きな風船と共に、誘いに来てくれた。池之端から浅草まで、日本髪に結ったオセイさんに連れられ観音様にお参りをするのが、嬉しかった。帰りには梅園であんみつを食べた。幼い少年にとっても、オセイさんにとっても仲見世は新天地だった。

 椿姫の墓を見下ろしていたパリの一年、ルピックの坂道からサクレクールの丘までが散歩コースだった。
太っちょの果物やの伯母さんやら、放蕩の限りをつくした伯父さんにロートレックの昔を重ねながら、ゆっくりと石畳を登った。テルトルの広場では似顔絵描きの前に座っている少女や、恋人たちを見ながら、異国の人々の来し方に想いを馳せた。

 記憶のなかの散歩は語りきれないほどあるが、どれもみな宝石のようなムカシだった。
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2017年03月28日

サウジの恋人になりたかった女性たちへ

サウジの恋人になりたかった女性たちへ

 エスカレーター式のタラップまで持ち込んで来日を果たしたサウジアラビア国王様御一行については、あれ程騒いだにもかかわらず後日報はまったくきかない。
 40機の飛行機を従え、東京中のベンツ、BMW、アウディのハイクラスをキープしての超大名旅行を目の前に
した日本女性は、100人目の恋人でもいいからあやかりたいと一行に殺到したが、残念ながらまったく相手にされなかった。
 税金もただ、教育費もただとあればいいことずくめだし、なにもしなくとも毎月7万円は下さるというのだから、消費税が高いの安いのとさわいでいる日本からは憧れの天国にみえて当り前だろう。

 がすべてが良い事ずくめかといえばそんなことはない。
 21世紀のいまでも首切りや、鞭打ちの刑があるというから驚きである。それも街角に公開首切り場があるときいては二度ビックリなのだ。その裁きも警察ではなく勧善懲悪委員会というイスラムの教義を守るボス達の組織が総てを握っている。酒を飲めば鞭打ちの刑、窃盗は左手首の切断刑、もっと重いのは不倫の罰で、関係した男女は腰まで土に埋められ、死ぬまで石が飛んでくる石打の刑がまっている。

 自由、平等を謳歌しふしだらに慣れた若者は、サウジにいけばたちまちに石打の刑をくらってしまうだろう。
 イスラムの教えをもっとも厳格に守っているのがサウジアラビアなので、色恋の日々を送る東京タラレバ娘は生存そのものを否定されてしまうのだ。
 地下から石油が湧いている間は何とか維持できるだろうが、IT国家への転換を試み、怪しげなオタク人間が世界中から集まった時、サウジの王様はどんな手を打つのだろう。
 オイルマネーの落日はそこまで来ている。
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2017年03月27日

真田城下のみすゞ飴

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 信州上田に美味いものあり、飴となずけるも飴にあらず、上田駅前近くレトロなビルにそれはある。
 みすゞ飴本舗飯島商店のこと。信州特産のあんず、林檎、ぶどうを始め国産の果物の果汁を寒天、水飴で加工した名菓「みすゞ飴」の製造元である。

 みすゞ飴は飴というよりはゼリーと言った方が本科に近いイメージだ。だから舐めないで噛むお菓子のたぐいと考えていただいた方が近い。飴と称しながら舐めないのだから、多くのお客さんから随分とクレームをつけられたことだろう。創始者である先々代は振返ることなく「みすず飴」を通し、今日の名声を得た。

 面白いのは森永製菓の創業者森永太一郎と、みすゞ飴創業者の飯島新三郎が同志だったという事実である。
 明治21年東京深川の大水により、大量の浸水米が発生した。飯島新三郎はこれを全部買取り、酒造りと同じく六割まで削って水飴の製品化に成功した。当時創業したての森永さんのところでは、キャラメル開発に成功し
無尽蔵に欲しい水飴が信州上田で作られていたということから、ふたりの協力が成立した。
 キャラメルの爆発的人気を横目に飯島は、ただ水飴を売るだけではなく、信州ならではのものは出来ないものかと試行錯誤のすえに完成したのが、特産の果物果汁と水飴で作る「みすゞ飴」だった。

 今では「四季のジャム」「三宝柑福居袋」「生ゼリー」真田丸に因んだ「阿梅姫」「フルーツ杏みつ」などみすゞ飴とともに展開しているが、いずれも果物を主役にしたものばかりを作っている。拙宅でもジャムなどままお使いものにするが、これは美味しいと好評を得ている。
 軽井沢ではないのが残念だが、いかにも信州人らしい実直なモノづくりで評判なのだ。
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2017年03月25日

助六花見之桟敷茶屋

助六花見之桟敷茶屋

 そろそろ桜の便りも聞こえてきたので、「助六」でも見ながら芝居見物の昔を味わいにいらっしゃいませんか。そんなお誘いが本吉原の名家の女性からきた。
 歌舞伎座西の5番の桟敷席に陣取り、花見茶屋の気分で「助六由縁江戸桜」に対した。すでに金箔入りの賀茂鶴をいただき、久田のお弁当でだいぶ胃袋は充たされている。

 襲名した右團次は、スーパー歌舞伎の頃からはすっかり表情もかわり、たんたんと市川家代々の芸であることと、河東節開曲300年にあたる目出度い年にあたることが語られ、柿色の裃とともに舞台は始まった。
 役者は給金をもらって舞台を務めるが、河東節の旦那衆はお金を使って舞台を務める、といった江戸大旦那の心意気が伝わる晴れやかな浄瑠璃の始まりだつた。

 茶屋まわりの金棒引きがふたり、花道から登場する。上手からも子供ふたりの金棒引きがでる。江戸っ子にとっては、この金棒引きの音こそが江戸下町の昔へ引き戻される魔法の音だ。花魁道中よりこの金棒引きにひかれるのは、幼い頃の思い出が掘り起こされるのだろうか。
 河東節の晴れやかでダイナミックな節回しと、金棒引きの金属的で雑味のある音、築地の河岸から届いた助六の紫の鉢巻、この三つを見届けることができたら、それで満足の「助六」でもある。

 禿,遣手、ご新造、若い者を従えて登場する三浦屋揚巻の道行を見ていて、突如記憶が57年前に飛んだ。
パリ・ムーランルージュに於けるラ・ルビユー・ジャポネーズ、幕開けの口上に続く第二幕も花魁道中だつた。
メディアの記者たちから、ここに登場する花魁とゲイシャガールの違いについて、多くの質問を浴びたが、的確に説明するのに苦労した。遊郭も花街も知らない外人に理解させるのに、いい言葉が見つからなかった。

 が女性の性をこれ程に賛美し、装飾し、多くの人々が協力する習俗は、世界中どこにもない。性の交感に神が介在し、祝祭性を重んじる文化は日本にしか存在しない貴重な習俗ではないか。ドイツの飾り窓の女達や、パリのプロスティテュートや、韓国の妓生たちに見せたら、みんな羨ましがるにちがいない。
 昭和32年4月1日、キリスト教婦人矯風会の圧力でに幕を閉じた遊郭文化、売春と一緒にした考え方を黙認したのは、日本人として正しかったのだろうか。これもグローバル思想の犠牲であるか。
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2017年03月23日

短い髪の女たち

短い髪の女たち

 「髪の手入れに何十分?冗談じゃないわよ」面倒くさいのではなく、そんなことに時間をとられたくない。
 いわゆるコメンテーター、ワイドショーなどで司会をしたり、ご意見番をつとめる、ちょっとした知性を売り物にする女性たちは、短い髪、それも短すぎるとスポーツ選手やプロレスに見えるので、ボブ風乃至は顎までヘアが多い。
 決断力に乏しい女は、短くしても長髪への思いたちがたく、肩辺りの長さでうじうじしている。耳、顎、肩の髪のながさの違いは、女性の自意識や対人思想を反映して、実はすごく奥深いともいえる。

 阿川佐和子、有働由美子といったしっかりした知性と積極的な職業観を持った女性は、ボブといった髪型で迷うことがない。ボブはそこそこの美容師であれば品良くシンプルにまとめられる。
 小池百合子なども、政治家として先頭にたつとき、多くの女性の賛同をえ、同性から嫌われないためには、このヘア・スタイルしかないという信念がある。同じスーツで色違い柄違い素材違いで、200近いスタイルをもっているというのも、さすが職業政治家のライフスタイルに徹している。
 その面から見れば、右翼の星稲田朋美防衛相などはまだまだひよっ子、アミタイツを履いてみたり、お嬢様ベルトを結んでみたり、時には泣いたり、地元に媚びて眼鏡をかけてみたり、していることが小さい。髪型も中途半端なロングで、この人にしっかりした国家観があるとはどうしても思えない。
 司会を務める最悪のロングは、フランス帰りの雨宮塔子、あのヘア・スタイルで政局をかたられてもオミズの政治談議にしか見えない。パリジェンヌを気取ったつもりかもしれないが、パリにあんなロングヘアのマダムはいない。

 蓮舫のショートはただのつっぱり、女を棄てた女のショートヘアである。口調と実際があいまって自己都合だけの愛のない政治家にしかみえない。
 桜井よしこのショートにも困りものだ。あの大きな髪型は、韓国の歴史習俗に登場する大きさで、田舎の温泉場の芸者風でもあり、大きいシルエットが下品にみえる。折角の論客の足をひっぱっているめのが、ふくらましたショートヘアなのだ。
 シャンプーもセットも楽なはずのショートヘアが、面倒くさいショートに変身している。

 最近は「カットをしない美容院」、15分でセットだけをしてくれる美容院が流行っているときくが、シャンプーだけは自分でして晴れの日だけセットをしにいく、コスパのいいショート・ヘアに人気が集まっている。


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2017年03月22日

長い髪の女たち

長い髪の女たち

 上流階級の女性が長い髪だつたことは、源氏物語の絵解きを見るまでもなくこの国の伝統だつた。
ずっと引きずって今でも女性の髪は長くなければならないと信じている人は結構いる。というわけで風俗のお風呂屋さんはみな髪が長い、長髪甘手であることは日本の男性を相手にしたとき絶対的な条件であるらしい。

 女の髪は長くなければならないという美意識は、男性ばかりか女性のなかにも多い。
 きものショーの演出をしていると、モデル達はほとんど長い髪の女性がやってくる。これはモデルクラブのマネージャー達の意識にも問題があり、キモノだから長い髪という固定観念があるのだ。きものだから長い髪という考え方は嫌いだったので、きものだけどショートかボブのモデルにして欲しい、とよくクラブともめた。長い髪をたらしたままでは鬱陶しい。いちいち結い上げなければならない。
 ショートやボブに、きものを着せた方がモダンになり、現代的になる。髪を切って欲しいとオーダーすると、泣きわめいて抵抗するモデルもいた。

 モデルに限らず、女優にもそうした意識の女性たちはいる。
 仲間由紀恵、綾瀬はるか、指原莉乃などは、刑事役でも長髪直毛で登場しそうだ。後から見ると、腰近くまで黒髪で、その下に短い脚では、パリジャンが気味わるがるのも無理はない。長髪の女達にはバランス感覚のない
女性は多い。

 日本髪が主流だった時代、髪をきって颯爽と登場したモガたちは、勇気ある女性だった。オカッパで自己主張したので、髪の短い女は気が強い女として、世の男たちは驚いて避けた。古い男たちは優しさを信じて長い髪の女になついていった。しかし髪の長い女達も結構自己主張は強い。
 要はショートでも、ボブでも、ロングでも、女性はみな気が強いということなのだ。
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2017年03月21日

日本一の三連太鼓橋「鶴の舞橋」

日本一の三連太鼓橋「鶴の舞橋」

 日本で一番美しい橋は何処だろう、ということになった。
 ネットでデータ好きの頁を開いてみると、概ねの意見は出揃っている。日本橋、宇治橋、そして錦帯橋、いや二重橋を忘れていないか。瀬戸大橋のほうがいいぞ、となにかと姦しい。

 そこでフォトジェニックな眼から検討してみた。
 青森県北津軽郡鶴田町にある「鶴の舞橋」にとどめを指した。
「鶴の舞橋」は日本最大の木造三連太鼓橋だ。全長300メートルの総ヒバ造り、橋脚には樹齢150年以上の
青森ヒバ700本を使い、現代的な橋梁技術ではなく、伝統的な造橋技術を使って作られた橋だ。
 橋の太鼓は錦帯橋の如く急ではなく、ゆったりとおおらかに造られている。鶴の里づくりを進めている鶴田町としては、つがいの鶴の飛翔する姿をモチーフにしているそうだ。
 お互いの片翼を重ねて仲良く湖面を舞っているようにも見え、端正な美しさは天空よりの使者にイメージが重なる。

 この国にしかない繊細な美しさに充ちた橋が、どこにも見当たらないのは何故なのか。
 橋を機能本位でとらえ、車がはしり人間が歩ければ、それで良しとする近代の機能第一主義が橋をつまらなくしている。
 観光地を自称する軽井沢に美しい橋はひとつもない。故郷と河のイメージを貧弱にしている。
 パリのセーヌ川にかかっている橋にはみなそれぞれに歴史を輪切りにしたデザインがあり、人間だけのための三本の橋には思想と哲学、それを受け止めるデザインが象徴化されている。

 宇治橋は源氏物語宇治十帖と結ばれ、紫式部のイメージとだぶる。
 「鶴の舞橋」もまたこの橋を渡ることで、長生きができるという信仰の橋になっている。
 橋を味気ない鉄とペンキの支配物にしてしまうのは、自然破壊の片棒をかついでいることなのだ。
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2017年03月20日

森友に群がるおバカなジャーナリズム

森友に群がるオバカなジャーナリズム

 森友学園がマスコミの集中砲火を浴びて、神の国小学校開設不能になつた。
 が、無認可になり開設不能と思われたが、着々と施設を拡充しキャンパスを広げているのが、ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(仮称幸福の科学大学)である。認可を得られなかったので大学名は使えない。
 ユニバーシティには、政治・ジャーナリズム専攻と芸能・クリエーター専攻部門があり、新校舎には講義室は
勿論のこと図書館、劇場、撮影スタジオ、レッスンスタジオまで揃っている。

 第二次世界大戦後、占領軍はこの国を宗教面から支配しようとして設立したのが、国際基督教大学だった。
 資金は当然キリスト教団体からの寄付、強制収容された多摩墓地近くの土地のうえに建設された。当時都内の優秀高校から全学成績10番以内の学生を受験させよ、と司令部から内示があった。

 神道の家元たる天皇家の嫁は、二代にわたりキリスト教系の大学を出、子弟はキリスト教系の大学に学び、連合軍の意図した占領政策は見事に達成された。神の国は着々とキリストの国に塗りかえりつつある。

 私学というのは総覧してみると宗教系が圧倒的に多い。目的は布教にあるが信者数より、思想的な影響下にある市民をふやすのが目的だ。大正大学、佛教大学、華頂大学、天理大学、創価大学、国学院大学などの神道仏教系に対し、上智大学、聖心大学、白百合大学、東京女子大学、青山学院大学、国際基督教大学などキリスト教系はある意味この国の教育界をリードしている。
 受験塾の経営が当たって大学になったり、スーパーのオーナーが流通大学をつくったり、まもなくネット大学やゲーム系大学も登場する時代がくるかもしれない。

 しかしこうした学校の創設は、いずれも特定の寄付から成り立っている。理事長の財産を調べ、貴方には金がない、抵当に入っている、学校なんか作れる訳はない、と非難する記者たちは、私学の成り立ちをしらないおバカなジャーナリズムなのだ。



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2017年03月19日

超コスパの悪い JR四季島

超コスパの悪い JR四季島

 JR東日本から超高級列車 TRAIN SUITE 四季島 が売り出された。
 ゆったりとした汽車の旅を楽しもうという考え方には賛成だが、いまいちピンとこないのは何故か、考えてみた。
 コンセプトには、日本の美の深さに出会い、時々のうつろいを愛でる、人生の今までにない体験と発見を、鉄道の旅で。とあるが、取り立ててそんなに特別なことはない。

 一番前と後ろの展望車はお約束のことがらで、見える景色は普通車の旅と変わらない。ラウンジは銀座の路地裏のような狭いところを無理に着飾ったオミズ風だし、ダイニングもコマゴマとデザインされてうるさい。伝統と和のエッセンスを取り入れたスイート・ルームは、どてらを着た親分衆がどっかと座れば似合うのだが、列車のなかに檜風呂があったらそんなに嬉しいか、といったレベルのデザインで、日本独特のシンプルな美しさも品格もない、近頃流行の和モダンという奴である。

 デザイナーはくるまやメガネ、トラクターなどを手掛けてきたアメリカンな奥村清行、日本の建築美には程遠い感性をもっている。料理はこれまたホテル・エドモントでお箸でたべるフランス料理を広めてきた中村勝宏と子分の岩崎均、日本食の深さとはあまり縁のないスタッフだ。そこに衣裳デザインで加わったのが、ユニクロ出身の滝沢直己とくれば、近頃話題のおもてなし・グループで、時のうつろいをかんじるほどのこともない。

 要するに滅法コスパの悪い汽車の旅、それが TRAIN SUITE 四季島 なのだ。
 四季島スイート一人一泊70万円、二人で140万円、おひとりさまなら105万円、一番安くても二人で100万、ひとり75万でそれにサービス料税金がつき、更に2泊3日の催行となれば掛け算が必要となる。10両編成の汽車に30人の客を乗せて、ごぞんじの関東、東北を走り回る。空を飛んだり、海に潜る訳でもない。いままである線路のうえを走るだけなのだ。
 バブルが趣味の方にはお薦めできるが、正常な庶民には関係のない汽車の旅だ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする