2017年09月19日

電柱だらけの避暑地

電柱だらけの避暑地

 2016年12月にようやく「無電柱化推進法」が通った。
 これでこの国の街並みも先進国並みに風景になるめどがついた。 カメラを向けるとよくわかるが、都会の風景は東南アジアの後進国の景色と酷似している。どこにいっても電柱、電線が威張っている。
 軽井沢も優れた別荘地と自称するが、電線が森の中まで入り込み、さらになにやら黄色いビニール状のものに包まれて、森の緑をぶち壊す。軽井沢銀座と称する商店街も電線だらけだ。電線、電柱のある風景は後進国の象徴みたいなもので、リゾートとしていちばん先に解決すべき問題だと思うが、行政の思いは低く、100年計画などという荒唐無稽な計画には熱心だが、頭の上にぶらさがつている電線、電柱には無反応という恐ろしいことになっている。

 学生時代、ドライブをするとすぐ電柱のまえで止まる仲間がいた。かれはアメリカンな大きな車にのっていたが、電柱のまえにくると止まるのだ。それも広告看板のついていない電柱のまえで止まる。そのあたりの人通りをチェックし、陽当たり具わいをみ、周りののビルや家並みをみて車に戻ってくる。
 電柱会社へ広告発注する下調べなのだ。かくて東京の繁華街や裏通りの電柱は、「美容整形」の看板に占領された。 いま彼は日本一の美容整形病院の院長になっている。

 かって電柱はコールタールにまみれた黒い電柱だった。その電柱には××小児科病院のブリキの腹巻やら、生徒募集・柔道教室・この角右へ などと近所のコミュニケーション・ツールとして活用されていた。
 その上に無造作に「乳もみれうじ」やら「ドモリ30日矯正」のビラが貼られていた。その電柱に貼られた一枚のビラから、ドラマをつくつたこともある。脚本は寺山修司だった。

 いよいよ日本中から電柱がなくなるメドはついたのだが、全電柱地中化まで何年かかるか、そのときの喜びには出会えないだろう。
 その時いちばん困るのは近所の犬たち、オシッコの目安が突然にきえてしまったのだから……。
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2017年09月18日

一線をこえた記者会見

一線をこえた記者会見

 記者会見というイベントがある。
 テレビや新聞など一部の商売に利する行為だから、受けても受けなくとも、どちらでもいいようにおもうが記者たちはあたかも正義の代表面をして、記者会見を強要する。受けるほうも覚悟の上の記者会見となる。

 筆者のなかで最も古典的な記憶に残る記者会見といえば、秋吉久美子のそれであった。
「(子供は)卵で産みたい」と発言した。なるほど卵なら鶏のごとく毎日でも産めるね、といって傍らの女性からえらく叱られた。妊娠期間の10ケ月の苦しみが全く分かっていない。でもお腹に子供が入っているときの充実感は最高よ、といった女性もいた。
 妊娠という事実はおしなべてひとつではない、と理解したのは後年であった。

 「スタップ細胞はありまぁす」と絶叫した小保方靖子はとても新鮮なリケジョに感じたが、周りの男性が自殺したり、消えたリしてなにがなんだかわからないうちに埋没してしまった。

 反安倍運動の先頭にたった文部官僚の前川元事務次官、官僚の腹黒さを見事に見せてくれた。
「私の信念は、面従腹背だ」と言い放った恐ろしい人間、いかに文部官僚のレベルが低いとはいえ、あそこまでとは思わなかった。

 秋篠宮家から真子さまを嫁にする小室圭なる人物もかなりうさんくさい。座右の銘は「レットイットビー」だと言い放った。本人は国際人のつもりで発言したのだろうが、皇室から嫁を貰う人間にふさわしくない。
 成り行きまかせ、なすがまま では国民の税金が泣く。アナウンス学校に通ってみたり、湘南ミスター・コンテストに出たり、銀行はさっさと辞めたり、自分の足元が見えていない男なのだろう。

 今年もっとも多かった記者会見は「一線を越えましたか。越えていませんか」女優だろうが、政治家だろうが、一線が降りかかる。メディアのオバカぶり、メディアの下品さに呆れる。
 他人の一線に興味をもつなど、こんなにはしたないことはない。
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2017年09月17日

はだか芸にみるテレビの落日

はだか芸にみるテレビの落日 

「一発屋」という言い方が使われるようになったのは、いつ頃からだろう。
 昔からあったのかもしれないが、一般人が使うようになったのは、地上波テレビに芸人が多数登場するようになってからだ。一発芸で登場した芸人が、アッという間に飽きられて忘れられていく、そんな芸人たちを指して「一発屋」といった。

 「一発芸」でもっとも不愉快なのは「はだか芸」だ。

 とにかく明るい安村、海パン一丁で登場するや、「世の中には動きや角度で穿いているのに、全裸に見えるポーズがあります」相撲の立ち合い、野球のバッティング、ほふく前進の自衛隊、膝たちで放水する消防隊員、等々、海パンが隠れ、あたかも全裸に見えた途端、仁王立ちとなり自分の股間を指さしながら「安心してください。穿いてますよ!」と言い放つ。いかにも観客が安村の股間に興味を持っていたかの如くを前提にしたイヤな落ちだった。簡単にいえば、失礼極まりない下品な芸だった。

 まもなく彼は文春砲にやられた。"とにかく明るい不倫現場、安村がパンツを脱いだ" パンツ一枚で摑んだ成功を、パンツ一枚で台無しにした。安村にはパンツのブーメランがもどってきたのだ。

 最近ではアキラ100%。
 全裸で登場し、手にしたお盆で股間を隠して笑いをとる、時にお盆をくるりと回したり、左右の手でもちかえる動作で股間を隠し続ける。
 昔のストリップが薄物で陰部を隠し続け、最後に一瞬見せて終わる芸とほぼ同じ展開だが、さいごまで見せないというテレビ芸だ。 いずれにしても不愉快な芸にちがいない。

 キャスティングしたテレビ局のプロデューサーは、「局部の露出はご法度」というテレビのタブーに挑戦したなどと、たわごとをいっているが、ただの品性下劣な趣味にすぎない。
 こんな芸にたまたま出会うと、地上波の落日はここまできたかと、残念な気分になる。
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2017年09月16日

タクシーの背中が訴える

タクシーの背中が訴える

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 タクシーの助手席の背中についている車内広告の数々である。
 経験測によれば豊田真由子先生の敵、ハゲの治療広告が圧倒的に多い。
 次に多いのはヤセル広告、女性の足元をみた広告だ。
 残りは占い関連、もしくは不幸のどん底にあえぐ人、もしくは経済的に断崖に立っている人への 融資または高利貸し、貸金業者の広告である。 時々の景気も反映して合わせ鏡のようである。

 タクシーには最新の電子技術から、原始的ないわば電柱広告のようなチラシまで、共に積み込んで走っているというところが面白い。
  最新の電気システムによるクルマ、走行距離に反映する乗車距離料金メーター、ちょっと不器用なカード決済、瞬間データー通信の交通系カード、そして小さなパンフレットの車内広告と、時代のカオスがそのまま走っている。

 バブルがはじけ、倒産の嵐が吹きまくったころには、元中小企業の社長さんらしき方々が、慣れない手つきで
タクシーの運転手をしていた。 車は時代の悲しさを載せて走っていた。


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2017年09月14日

バワハラ降板のナンセンス

バワハラ降板のナンセンス

 鈴木砂羽が苦労している。
 貴女は貴重なキャラクターなのだから、自分自身をもうすこし大事にしてほしい。

 まずいい加減なプロデューサーとは付き合わないことだ。
 脚本を書いてその上プロデューサーをすると聞いただけで、まず疑わなければならない。脚本家に要求される能力と、プロデューサーに要求される能力は全く違う。それぞれが専門職なのだ。そこをわきまえないプロデューサーでは、トラブル発生は必然である。
 ましてや舞台稽古のダブルブッキングは考えられない。いちどは役者の芝居の寸法を合わせるために、舞台に於ける通し稽古、さらに作品の完成度を上げるため、照明や効果、さらに転換のチェツクなどにスタッフとキャスト一体になった舞台稽古が必要なのだ。
 プロデューサーは、ケイコスケジュールから公演終了まで、責任をもって演じられる俳優を契約すべきだ。

 そしてキャスト、舞台作品をしらないミスコン上がりのにわか女優など使ってはいけない。彼女らは舞台演技はしらないし、ましてや脚本もよみこめない。テレビの安易な芝居づくりと、観客を前にした自己顕示欲しかないオバカな女優なのだ。
 勿論、床のうえでの車座のダメダシは全く未経験だから、床にすわっただけでパワハラなどととんでもないことを言い出す。彼女らの所属するプロダクションもこれまた素人、観客にたいする責任感皆無、二日前に降りるという無責任極まりない事態となる。

 エセ女優は舞台の厳しさを知らないから、厳しい稽古をパワハラというのだろう。下手な役者はとことん追い込まなければ、表現にならない。おだてたり説明しただけでは、求める演技表現にならないので、たまには怒鳴ることもある。繰り返し繰り返しやらせることもある。作品を作り上げるための最低必要条件である。
 がこうした大根役者は自己反省がないから、ブログなどで自己正当化し、自らへの反省は全くない。
 ダメダシをするからみんな座れ、というのはごく当たり前のことで、そこで拙劣な演技を指摘され、土下座をして謝まらされた、などというのは役者以前の問題、迷惑をかけているだから、正座して皆に謝るのは当たり前のことだ。

 こうした当たり前のことをしたり顔で取り上げるテレビのワイドショウにもあきれる。訳知り顔のコメンテーターは、舞台製作の厳しさをしらない。パワハラにあたるか、あたらないか、議論している。北朝鮮の核ミサイルの前で、まずお話が大切といっている左翼よりまだひどい。
 だから鈴木砂羽が窮地にたつのだ。涙など流さずに、演出とはこういうものだと、しっかり主張すべきだ。



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2017年09月11日

インスタ映えに走る人々

インスタ映えに走る人々

 ネット時代は自己発信の時代でもある。
 僕らの青春時代は自己を抑えることが美徳とされ、口にしない、腹に収めることこそが大切な行動基準だった。欲望を表にせず、周囲の人に心を配って、つねに謙虚であれというのが、日常生活の基本であった。
 それにしてもストレスはたまる。たまったストレスの吐出し口として存在したのが、「日記帳」だった。日記帳にはその日いちにちに起こったこと、困ったことも嬉しかったことも、嘘偽りなく書いた。が日記帳は決して公開しない。誰にも見せないことが原則だった。ひそかに一人で書く日記帳の楽しみというのもあった。

 ある時交換日記というのが登場した。秘かに思いを寄せた女子の下駄箱に交換日記を入れて置く。彼女が受け入れてくれれば、何日か後にその日記帳が彼女の思いとともに帰ってくる。ドキドキしてめくった日記帳の余白に押し花などあれば、有頂天になってシアワセな時間を過ごした。学校では海外にいるお友達との交換日記を推奨された。まだ手ずくりのコミュニケーションの時代だった。

 やがて恋文を覚えた。渋谷の駅前マーケットの入り口には、当時の街娼たちがアメリカへ帰ってしまった兵隊への恋文を代筆してくれる恋文屋があった。英語の恋文が書けるのだから、よほど教養のある伯父さんに違いないと、ニキビ仲間と計らって見に行ったことがあった。普通の伯父さんがパンパンの相手をしていて、拍子抜けしたことがあった。

 恋文の手本は文豪たちの手紙だった。文豪の恋文はひどく率直で、あきれるほどに直情型が多いということを学んだ。その上、禁欲ということがなかった。だから小説家になったと事実に気が付くのに数年を要した。手紙にはあらゆる形式があり、いつか世間の荒波に流されてつまらない手紙しか書けない自分にハツと気が付く。

 パソコンとともに一気に世界が変わった。
 メールが登場した。請求がメールできたのに驚いた。やがて世間はブログだらけとなり、芸能人は広告収入をねらってブログをやる。書くほどの時間もなければ、内容も薄く、日常報告の程度だ。文字知らずだらけとなり、簡単便利なツィッターや、仲間意識のラインとなった。
 それでも満足できない人は「インスタ映え」に走っている。言葉いらず見せれば通じるといった点で、自己顕示欲のかたまりには、インスタとユーチューブは最強のツールだ。
 こうしたネットの自己顕示欲に哲学や思想がともなってくるのは何時のことになるのだろう。

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2017年09月10日

皇族の学ぶべき学問

皇族の学ぶべき学問

 秋篠宮家の長女真子さまはエディンバラ大学で美術史を学び、二度目の留学で博物館学を学ばれた。ICUでは学芸員の資格も取得されている。現在の仕事にてらしても筋は通っている。
 次は次女の佳子さまの番だ。今月から来年の6月までイギリス北部の赤レンガ大学群のひとつリーズ大学に留学されることが決まった、と伝えられる。留学先の学科名を聴いて驚いた。
 「パフォーマンス文化産業学科」だという。額面通りに受け取れば、「文化産業としてのパフォーマンスを学ぶ」ということになる。
 皇族としては近寄ってはいけない学術分野であるし、情報社会の排泄物のような学問である。

 皇族も人間だから何をやってもいい、自由だと考える人もいるだろうが筆者は違う。
 天皇家とその衛星たる皇族は、この国の国体を維持し伝承していかなければならない義務がある。学ぶ学問も自ずから制約がある。
 日本史であり、東洋史であり、世界史を学ぶことは必要条件ともいえる。植物学、美学、芸術学、文学などもその範囲に含まれる。どうしても学んでいただきたいのは宗教学、なかでも神道学は必須条件である。天皇家は
神道の家元だし、皇族は神道の中核だからだ。
 美智子妃、雅子妃と二代つづいたキリスト教系大学からの受け入れは、このところ弊害が目立ってきた。
 特に雅子妃の長年にわたる宮中祭祀不参加の現実は、国民のために祈る天皇家の役割すら忘れ去られようとしている。神道の家元として自覚がみえない。
 天皇家が忘れてしまえば、それ以上に国民も忘れる。結果として日本の国体が曖昧になってしまうのだ。そこに付け込んで、朝日新聞による元号廃止論などがでてくる。女性宮家の容認論なども、歴史にたいして無責任そのもの、血脈無視の日本破壊論に通じる。

 宮内庁の奥と表に国体を護持していく覚悟が薄いのだろう。世界に冠たる血の伝承のこの国の国体についてきちんとした思想がないのではないか、とすら思われる。そうでなければ将来天皇の姉になられるかもしれない佳子さまの留学先に、リーズ大学パフォーマンス文化産業学科は選ばないだろう。
 宮内庁の奥がバカなのか、表に国体無視のオバカな官僚がいるのか、秋篠家の思いが軽いのか、いずれの原因としか考えられない。
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2017年09月09日

怖い女いろいろ

怖い女いろいろ

「敵に回したら怖い女」という特集に眼が止まった。
 なにも今更のようにいわなくとも、すべての女性は敵に回したら怖い、というのが経験則である。たまに心優しく、とことんいじらしく怖くない女もいるが、そんな例は夢のまた夢、マリア様の奇跡に感謝しなければいけない。

 10位はデヴィ夫人、元祖魔性の女と書かれていたが、いちいちお金がからみそうなところが恐ろしい存在だ。
 9位には桜井よし子、 頭が良すぎて息苦しい、理路整然とした家庭生活を送らねばならない。
 8位は上沼恵美子、圧倒的迫力の大阪のおばちゃん、この人の旦那が偉い、というべきだろう。
 7位に上西小百合、女に嫌われる女、みんな引いている。
 6位は和田アキ子、足で踏みつけられそうな恐怖の女である、とあった。
 5位はマツコ・デラックス、これには反対、オカマは女とは異なる女なので、比べてはいけない。
 4位には吉田沙保里、腕力ではとても敵わないが、見た目で怖い女というのは賛成できない。
 3位は豊田真由子、東大出てても下品な女はいる、ということを広く知らしめてくれた功労者だ。
 2位に小池百合子、無駄ずかいさせたら限なく金を使う、口では勝てない怖い女である。
 そして輝く第1位は松居一代、女性を怒らせたらここまで行く、という見本を見せてくれた第一人者。

「このところまずい飯をたべている」と自白した斎藤由貴などは、怖い女を超えた愛すべきフリン主義者というべきか。
posted by Kazuhiko Hoshino at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

巨大看板の終焉

巨大看板の終焉

 巨大看板が町を彩っていた良き時代は遠きノスタルジーになりつつある。
 山の手線にのってぐるりと一周したことがあった。見渡すかぎり焼け跡、焼け跡、焼け跡の廃墟に手ずくりの防空壕が残っていた。そこに登場したのが「結婚とはなんぞや」の巨大看板。意味がわからない。結婚とはなんぞや、と問いかけられても学生たちの想像力には無理難題だった。のちに大塚の結婚式場の看板とわかり、ホットしたのを覚えている。

 あの頃は巨大と云えば、映画館の看板だった。
 映画看板は主演スターが大きく描かれ、それに大きな題名とキャッチフレーズ、出演陣、スタッフ名が描かれた手仕事だつた。いまでも青梅の街へ行くとそうした看板にお眼にかかれる。
 ジョン・ウェインの駅馬車、ヘップバーンのローマの休日、オーソン・ウェルズの第三の男、チャップリンのモダンタイムス、マリリン・モンローの7年目の浮気、黒沢明の七人の侍、市川雷蔵の大菩薩峠、京マチ子の千姫、キャサリーン・ヘップバーンの慕情、等々
 青梅はレトロな看板の街として、あちこちに懐かしい映画看板がある。

 平面巨大看板に対して、立体的な巨大看板を売り物に登場したのが、大阪道頓堀……。
 片足を上げ、両手で万歳をしているお馴染み「グリコの看板」外人観光客は手前の戎橋で同じポーズで写真を撮っている。かに道楽の「動くかに」看板は、後ろでバイトが自転車をこいでいるという都市伝説がたった。ふぐの眼が時々ピカッと光るのは、「づぼらやの巨大なふぐ」看板。大阪王将の「巨大すぎるギョウザ」も思わず参りました。道頓堀コナモン・ミュージアムの「巨大タコ」、元祖廻る元禄寿司の「寿司もつ巨大な手」、そして「くいだおれ太郎」のチンドン看板と大阪人の根性には巨大立体看板がフィットする。

 ロスの丘にそびえるHOLLYWOODの巨大看板はアメリカ文化の入口だった。
 ラスベガスの大通りは巨大看板のメッカだったし、ダウンタウンには何百メートルの走るネオン広告があった。JUST MARRIGEと教会に掲げられたネオン塔は信じられなかった。
 さらにアメリカを感じたのは、タイムススクエアの光の洪水だつた。あの光の洪水のなかに、SONYやTOSHIBAが加わった時は、わけもなく感動した。

 イースト・リバー沿いにあったペプシーコーラの看板が25年間の議論の末、このほどようやくニューヨーク歴史建造物として認定された。
 高さ18メートル、幅36メートルのペプシーの看板は、歴史のなかに入ってしまった。


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2017年09月06日

恐怖が間に合わない電磁パルス戦争

恐怖が間に合わない電磁パルス戦争

 北朝鮮が「電磁パルス攻撃」を口にした。
 その瞬間からアメリカの対北朝鮮攻撃が現実的なものとなった。対話と圧力をお題目のように唱える日本政府や、9条万歳の左翼たちもあっさりと吹っ飛ばされた。
 核だのミサイルだのと言っていた間は、核抑止力や核拡散防止のための議論ですんでいたが、「電磁パルス攻撃」をむき出しにした途端、今までの認識や圧力は全く意味をなさなくなったし、今日ただいま北朝鮮に対しての全面戦争がおこってもなんの不思議もない。
 国際社会も「電磁パルス戦争」については、人類滅亡を前提としてかんがえらざるを得ないので、北朝鮮を人類全体の敵と認定して当たり前となる。
 たった今アメリカの北朝鮮攻撃が始まっても不思議はない。

 「電磁パルス戦争」とはなにか。
 核を超高高度の上空で爆発させれば、事足りる。核が地上30キロから400キロの高度で爆発すると、放出されたガンマ線が大気中の分子と衝突して、強力な電磁波である電磁パルスを発生させる。
 地上は原因不明の停電に襲われ、パソコン、テレビ、ラジオはもとより、ケイタイもスマホも全部駄目になる。交通機関もすべてストップし、信号も街灯も消えた路頭は何万の帰宅難民が埋め尽くす。勿論流通もストップし、スーパー、コンビニなどすべて営業不能となる。

 東京上空100キロで爆発させれば、北海道から本州、四国、九州まですべてをカバーできる。
 警察も消防も動けなくなる。無論自衛隊も駄目だし、原発も、ソーラーも、水力もすべて運転不能におちいる。ものは無くなり、医療も不可能となり、社会全体が機能不全になる。食料、燃料が無くなれば 人間は生きられない。
 一年後には日本人の9割は死に絶える、という恐ろしい兵器なのだ。

 Jアラートがなって、頑丈な建物や地下に避難して下さい。………お笑い草のような戦争ゴッコだ。
 現実は死を目前に動いている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする