2018年03月22日

中国人による中国人のための日本旅行

中国人による中国人のための日本旅行

 軽井沢でさえ朝から中国人の旅行客が多い。銀座へいくと中国人の数はもっと多い。香港にも上海にも買物目当てのブランドショップは沢山あるのに、何故日本に来るのか判らない。

 中国の人々はあまりタクシーに乗らない。駅前の貸自転車で街中を走り回る。 たまに相乗りの車から降りてくるのは、たいてい中国人が運転する白タクで、あちこちをまわる。
 買物は中国人が経営する免税黒店で済ます。薬、健康食品、お酒、家電、欲しいものはなんでもある。日本人が入ろうとすると、ここは予約制だからと断られる。
 一時銀座や秋葉の爆買いが話題をよび、大手のデパートがフロア全部に免税品を並べて商売をしたが、アッという間に店は閑古鳥がないた。
 在日中国人が、日本人に儲けさせてなるものかと、あちこちに中国人専用免税ショップを作ったのだ。住宅街の目立たないところに大きな免税黒店はある。

 食事も大陸沿海部の中国人経営の旅行代理店とネットワークを組んだ、中国人経営の日本料理屋で満喫する。北海道の毛ガニから大阪のたこ焼き、東京すし、静岡富士宮焼きそば、名古屋コーチン、さらに日本酒飲み比べセットまで、すべて揃っているが、どれもマズい。冷凍食品をチンしてだしているのだから当然である。若者はスーパーで弁当を買い、日本のスペシャル・ウーロン茶を手に店先のサービス・テーブルですます。

 宿泊は日本のホテルは高いので、中国人のもっているマンシヨン・民泊が人気だ。

 大陸の旅行代理店の手配で泊まった違法民泊と中国人経営の土産物屋、そして中国人白タク、中国人の水も漏らさぬネットワークに円はほとんど落ちなかった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

中国人・韓国人に占領されたハーバード大学

中国人・韓国人に占領されたハーバード大学

 勉強しないのは、左翼政治家だけかと思ったら最近は日本人全体が勉強しなくなった、というニュースに出くわした。
 世界一ボストン・ハーバード大学のキャンパスでは、ほとんど日本人の姿はみない、というのだ。キャンパスは中国人と韓国人が多く、ここはシンガポールあたりのインターナショナル・スクールかと思うほどの様変わりで、とても世界一のアメリカ名門大学とはおもえないそうだ。

 昨年9月のバーバードの入学オリエンテーションに参加した新入生400人のうち、半分の200人が中国人、韓国人が60人、日本人はたった3人だったというのだ。もともとハーバード大学は世界中から生徒があつまるのだが、戦後一貫して増え続けていた日本人は、バブル崩壊とともに劇的に減り続け、ついに一けた台まで減ってしまった。

 背景はバブル崩壊後、企業はコスト削減のため徹底的に金の使い方のスリム化を計り、当然のごとく社費留学が減ったこと、さらに優秀な社員だからと送り出しても、帰国後にあっさりと会社を辞めてしまうケースが多く、資本側が社員を育成しても無駄であるという風潮がひろがつてしまった。つまり企業にとってなんの魅力もなくなってしまったということだ。
 国旗も国歌も歌わない日本人が、企業にたいするロイヤリティまで失ってしまったということか。

 個人主義、80年代からのミーイズムの跋扈が、ハーバード大学のキャンパスから日本人の姿を消し去ってしまった。
 習近平皇帝とともに中国人の世界進出がはじまっている。

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2018年03月20日

月桂冠のオマケに電池がついてくる

月桂冠のオマケに電池がついてくる

 オマケといえばグリコに決まっていた。
 初めての大阪で心斎橋からグリコの電飾看板を仰ぎ見たときの感動は忘れられない。幼い時のグリコの思い出が次々と浮かび、不覚にも涙を流しながら電飾看板と対峙した。

 オマケへの関心はすっかり薄れ忘れていたが、数年前突如雑誌の宝島が、本の中味ではなくオマケで売っているというニュースに接し、久しぶりにオマケの文化について考えさせられた。タカラジマでは、オマケの概念をこえたホンモノをつけて売っていた。
 スタッフは雑誌の編集に携わりたくて入社したにもかかわらず、オマケのバックやスカーフの買付に苦労しているという記事が週刊誌を賑わせていた。

 この度は「お酒のオマケに電池が付いてきた」という話だ。2リットルの月桂冠に「富士通アルカリ単三乾電池 日本製2本」ついてくるという話だ。お酒と乾電池とは意外な組合せで担当者は「日常生活であったら便利なもの、そしてお酒パックに貼りつけることできるコンパクトなもの、という観点から検討の結果乾電池になりました」

 と、ここで事務所のスタッフから反論がはいった。「月桂冠の広報担当は時代をしらない。今時代は単三ではなく、単四の時代だ。家電用品もすべて小型化して使われる乾電池も小さくなり、乾電池の需要も単三から単四に移っている。月桂冠もせっかくの付録ならば単四日本製でなければならない」というのだ。
 なるほど男はやっぱり世事に疎いとあっさり合点した。
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2018年03月19日

軽井沢駅に遊園地はいらない

軽井沢駅に遊園地はいらない

 北陸新幹線の一見立派な駅舎のかたわらに、大正・昭和の香りのする旧軽井沢駅舎がある。
 町は保存し、町民に開放しないことで、この駅舎の佇まいを守ってきた。ところが2、3年前どうしたことか、しなの鉄道に貸し出すことになった。

 経営不振のしなの鉄道は、この軽井沢の玄関にある旧駅舎を中心に楽しい駅ナカに一新して23日に全面オープンする。
 構内に子供向け遊具をおき、森の小リスキッズステーションin軽井沢を整備し、一周120メートルのミニトレイン森のコ小リス電車を一回200円で走らせる。野菜や果物を売る小リスのマルシェやら、プラレールであそべるようにする。社長は「家族3世代が楽しめる懐かしくて新しい駅になる」と胸をはっているが、冗談もそこまでにして欲しい。

 軽井沢の顔になる駅に子供目当ての遊び場を作って、軽井沢のイメージを悪くしようと企んでいるとしか思えない。軽井沢は本来大人の保養地であり、文学の里であり、自然とともに静かに時を過ごす別荘地の筈である。その軽井沢の顔に子供遊園地を作るとは、世間の風潮に竿さした悪い趣味だ。どこかの邪悪な代理店が、アウトレットの家族連れに眼をつけ、子供需要の必然性をもっともらしく理屈の通った企画にまとめ上げたのではないかと、疑いたくなる。

 しなの鉄道は開業20周年の記念事業として、4億円を投じて作ったそうだが、軽井沢のイメージをさらに安っぽくする企みであることに間違いない。
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GINZA FASHION WEEK のいま

GINZA FASHION WEEK のいま

 2011年に始まったGINZA FASHION WEEK もこの春で14回となった。当初は東日本大震災で銀座に閑古鳥がなくようになり、その危機感から銀座三越と松屋銀座が手を取り合って始めた企画だった。二回目には銀座通りをクローズしてGINZA RUNWAY を実現し大きな反響を呼んだこともあった。
 やがて松屋と三越に和光が加わり、東急プラザ銀座とGINZA SIX が加わって一見パワーアップしたかに見える。

 今春のテーマは「さくら」、時は春、桜咲く日本だし、春のピンクは高揚感もあり、世界に発信するギンザ・ファッションにふさわしい、というのだが、はたしてそれだけ起爆力のあるテーマだろうか、はなはだ疑問の残る処である。

 50年前、銀座にショー・キャバレーやナイトクラブが全盛だった頃、春ともなればどこもかしこも桜桜桜、安っぽい桜の造花が入口までこぼれて飾られ、4丁目から8丁目まですべて桜だらけという時代があった。酔っぱらい達は喜んでオネェチャンの肩に手をまわして浮かれていたが、庶民の桜は靖国神社、半蔵門、隅田堤に上野の山と決まっていた。
 銀座の桜は夜桜で、ちょっと助平なさくらだったのだ。

 時代が回ってファッションが桜を気にするようになった。
 三越は上質な日常を創造するとかで、桜にそって創りこむそうだし、松屋は全館ピンク一色でピンク×グラフィカル、和光は咲く和光スタイル、東急プラザはあなたが咲く春、ブルーミングデイズ、GINZA SIXはプレゼンターマインドのアピールとよく判らない。
 婦人画報デザインの共通トート・バックとやらを買うと、どのデパートでもお菓子や小物をくれるというのだが、このトートバックのデザインの幼なさといったらない。総レースのワンピースを娘に買う程度の母親ならば喜ぶかもしれないが、まず今時の女性には無理な野暮なデザインである。デパートを回ってプレゼントをせしめた後は、ユニクロやGUにいって服をかって帰る、といった今時B層のためのイベントにならないよう祈るばかりだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす

「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす

 東京駅を通ると丸の内南口の本屋さんに立ち寄ることが多い。約束の時間調節に本屋ほど、適切な環境はない。本屋さん側の迷惑を考えると、30分は過剰だが、10分、15分は許される。お茶をしながら本の読めるコーナーまで用意されているのだから……。
 最近その本屋さんの店頭で見つけた佐光紀子さんの「「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす」というタイトルに眼がとまった。

 日本の女性は家事をしすぎる、そのうえ家事をきちんとしすぎる、それがいけない、それが日本を滅ぼすというのだ。表紙を見たときには、洒落か逆説的な言い回しかと思ったが、すこし読み進むと正気であるということがわかった。丁寧な暮らしや、家事をきちんとこなすこと、いきとどいた子育てをすることを、伝統的に女性労働としてきたこの国の歴史が悪い。日本の常識は世界の非常識と断じた新書であった。

 アメリカでは、アメリカでは、が連発されるが、なかにはスウェーデンではというのもあった。スウェーデンでは「専業主婦というのはすでに絶滅危惧種です。少数存在する専業主婦の人たちも表にでようとはしません。」専業主婦はむしろ恥である、といった論調。
 コンビニ弁当とお母さんの手作り弁当だったら、圧倒的にお母さんの手作り弁当がいいと考える人が多い、それこそが日本の後進性と論じている。政府が推進した「早寝早起き朝ごはん」国民運動などもとんでもない。ウェブサイトには、コーンフレークに牛乳をかけたり、トースト一枚にコーヒーという写真は一枚もない。骨太納豆和え、アスパラの味噌汁、煮干しで出汁といったレシピが提案されている。朝ご飯をちゃんと食べている子供は成績がいいといったデータまで提示している、と非難している。
 この国では母の家事スキルは科学的な部分もあるが、感情的に合理化されている。もういい加減に眼をさましたら、という本であった。

 クリスマスからお正月、成人式にバレンタイン、お雛様、菖蒲の節句、鯉のぼりにハロウィン、あまりに行事が多すぎる。いっそ全部止めたらと筆者はいうのだが、果たして皆さんはどう考えるか、部分的には賛成もあったが、殺伐として文化も伝統もない毎日がやってくるような気がする読後感だった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 05:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月14日

巨星ジバンシー 旅立つ

巨星ジバンシー 旅立つ

 デザイン界の貴族ジバンシーが亡くなった。ジバンシーの思い出は尽きない。
 日本に於いて、ジバンシーを展開することになって初めてのショーに演出を依頼された。その時の最大のメッセージは、エレガントであってほしい。品性を重んじてほしい、それさえあれば細かいことにはこだわらない、ということだった。

 当時の日本では、ハリウッドの女優がきる洋服、アメリカの富豪が着る洋服という認識が圧倒的だった。
 オードリー・ヘプバーンはいつもジバンシーの洋服で、スクリーンに登場した。麗しのサブリナ、おしゃれ泥棒、シャレード、ティファニーで朝食を等々 折れそうな身体にジバンシーの上品な服がとても良く似合った。かの35代ジョン・F・ケネディ大統領の葬式では、ケネディ夫人がまとったジバンシーの喪服は世界中の話題になった。

 公爵の父をもち貴族の館に生まれたジバンシーには生まれながらのエレガンスがあったように思う。尖がったサンローランではなく、スポーテイなクレージュでもなく、ディオールと共にフランス・オートクチュールの王道を歩いた優れたデザイナーだった。
 ハリウッドで重用されたのは、歴史のないアメリカ人にとってヨーロッパ文明のシンボルがジバンシーだったともいえる。とくにアメリカの実質的支配層であるユダヤ系の人々に愛された。

 今シーズンのジバンシーのコレクション・テーマは、「ナイト・ノアール」だった。最後のイブニングは、首から胸にかけて、ウェストから脚にかけて、テキスタイルがうねる様に揺れ動き、繊細なドレープが不均衡で複雑な服のフォルムを完成して、ハッとする魅力をかもしだしていた。

 いまジバンシー・ブランドは、ディオールと共にユダヤ系LVMHグループの傘下になっているが、歴史的必然だったのかもしれない。
 感性はいらない。品性さえあれば、といったジバンシーの思いは、彼の死とともにますます遠くなっていく。               合掌
posted by Kazuhiko Hoshino at 13:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

ふるさと返礼品に「お墓」???!!!

ふるさと返礼品に「お墓」???!!!

税金は現住所に収めても領収書しかくれないが、「ふるさと」におさめると、なんやかやと返礼品がいただける。貧乏なふるさとからは牛肉やビールがいただけるが、金持ちの大都市や軽井沢からはなにもいただけない。
 よく考えると不思議な制度だが、ふるさと創生とやらオカミの考えたことだから、きっと何処かでだれかが喜んでいるのだろう。

 ふるさと納税返礼品の人気ベストテンは圧倒的に牛肉が多い。山形舟形町の「山形牛A4ランク」佐賀宮城町の「黒毛和牛A4ランク」を始め、酪農のふるさとはみな牛肉に頼っている。
 次なるはやはり日常生活品のお米である。北海道浦臼町は「ななつぼし精米」だし、いまや全国ブランドになってしまった「こしひかり」もあちこちにある。山梨山中湖村の「富士清水」や、笛吹市の「ワイン飲み比べセット」、震災を受けた宮城名取市の「エビスビール」、など生活に直結した返礼品に人気が集まっている。変わり種には、元湯陣屋露天風呂付旅館宿泊券の神奈川秦野市というのもある。

 変り種のエースが登場した。軽井沢のおとなり小諸市の「お墓」である。墓がなく、思案投げ首の初老の人々にとってこんなに魅力的な返礼品はない。標高1000メートルに位置する小諸市営の「高峰聖地公園の合葬墓」への永代埋葬権がついてくる。北アルプスや浅間山を望むこのうえなく眺望にすぐれた墓苑に生前申し込みができる、寄付金額は24万円と少しお高めだが、いちど払い込めばそのあと共益費維持費なと一切なしで管理は小諸市が責任をもってしてくれる。高齢化社会によりそった素晴らしい返礼品といえよう。

 軽井沢のごとく、外国人の少ない私立のインターナショナル・スクール?に何億も寄付するよりは、はるか墓不足に悩む同胞への供養になると思う。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月10日

蕗のとうの苦さは春のときめき

蕗のとうの苦さは春のときめき

 名残り雪もおちついたので、オゴッソに昼めしを食べに行った。
 壁は渋くなり、環境テレビは掛花入れにかわって、ぐっとビストロ・ジャポニカ風になっていた。窓の外には社長の自宅から運ばれた石灯篭がおかれ、目隠しの竹屛で、景色は駐車場という殺伐さが消えていた。

 帰りしな柳沢さんが、蕗味噌を下さった。さっき山で摘んだ蕗のとうをきざんで、味噌にあえた超新鮮な蕗味噌である。蕗味噌のうえにはまもなく花になる蕗の芽が添えられてある。大きな体の柳沢さんに似合わない繊細な心ずかいだ。

 蕗のとうの苦さは春の苦さである。子供と毛唐には判らないと昔からいわれてきた。日本人のデリケートな舌に許された贅沢が春の山菜の苦さなのかもしれない。さっと天ぷらに揚げてチョンと塩をつけても絶品だ。
 山菜と天ぷらの相性もとてもいい。タラの芽、ぜんまい、こしあぶら、わらび、根曲がり竹、など天ぷらにはどれも合う。

 山菜の美味さを教えてくれたのは、50年程前の越中利賀村の春祭りだった。豪雪に閉ざされた利賀村に春が来るのは四月の末、いまは亡き水田ガイ氏さんに招かれ、村長さんの家に泊まった。その時のご馳走が山菜ずくしの祭り膳だった。
 15,6種類の山菜がお浸し、胡麻和え、煮つけ、天婦羅などいろいろな調理で赤飯と共にお膳に並んだ。その時初めて畑の野菜の味気無さに気がついた。山菜の贅沢を覚えると、しばらくの間スーパーで売っている畑の野菜の虚しさに囚われた。

   " 命がけ 熊と取りあう ふきのとう "

 今夜は山形のつや姫を炊いて、ほろ苦い甘みの蕗味噌で春を楽しもう。、
posted by Kazuhiko Hoshino at 19:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

北の嘘つきと南の嘘つき

北の嘘つきと南の嘘つき

 北の嘘つきと南の嘘つきが集まって、嘘つき大会を開いている。

 南の嘘つきは、1965年6月に第二次世界大戦の後始末として、日韓請求権協定を結び「完全かつ最終的に解決」、日本から当時韓国の年間予算3.5億ドルをはるかにこえた5億jを得、その金で「漢江の奇跡」を成し遂げた。
 朝日新聞の捏造に始まった慰安婦問題では、歪曲した事実をもとに河野談話を発表させ、さらに村山富市首相にアジア女性基金から元慰安婦への償い金支払いをさせた。
 2013年には、朴槿恵大統領の「千年の恨み」発言をきっかけに、アメリカ立ち会いのもとで日韓慰安婦合意「最終的かつ不可逆的に解決」した。和解癒し財団に日本から10億円拠出させた。
2017年には文在寅大統領が「問題は再燃するしかない」…
 約束を守らない、国際的な条約も、平気で反故にする国家的嘘つきの常習犯が、南の嘘つきだ。

 北の嘘つきも負けていない。
 1970年代に日本のあちこちで発生した拉致事件では、知らぬ半兵衛を決め込み、そんなことある筈はないと、日本の左翼とともに知らぬ存ぜぬを決め込んだ。
 2002年小泉純一郎訪朝時にようやく13人拉致を認め、8人死亡、5人帰国を実施した。その後、拉致被害者特別委員会を設置したが、なんの調査報告もなく、六か国協議の決議も裏切って、ひたすら地下核実験を重ねた。その後核実験は水爆実験に格上げされ、2016年には人工衛星と嘘をつき、長距離弾道ミサイルの発射実験に踏み込んだ、そして核積載の長距離弾道ミサイルでアメリカ中をカバーするところまで、戦力を整えた。
 北の嘘つきは世界中を恐怖に追い込み、平昌五輪を見事にのっとった。

 嘘つきと嘘つきが会議すると世界中が信じなくなる。これはイソップ物語の話だけれど、オオカミが来たと本当のことをいっても誰も信じてくれない。
 北の嘘つきと南の嘘つきのお話で、最後に喰われる羊はどこにいるのだろうか。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする