2018年11月04日

韓国は存在しなかった歴史を裁く

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 国家としての態をなしていない。 (中曽根元外相)
 怒りを通り越して呆れる。 (新藤元総務相)
 極めて極めて極めて遺憾。 (阿部外務副大臣)
 河野外相はカンギョンファ外務大臣にたいして、1965年の日韓請求権協定によってすべて完全かつ最終的に解決したと合意した、にもかかわらずこのような判決がでるのはまったく理解できない。このような状態が放置されるようならば、今後韓国とはすべての約束ができない。と強硬に申しいれた。
 評論家の石平氏は「朝鮮半島に関わってはいけない」と題する新刊をだした。

 戦争中、新日鉄住金で働らいていた朝鮮人4名が慰謝料を寄こせ、と訴訟をおこしたのだ。下級審では退けられたにもかかわらず、最終上級審である大法院が払うべき、と判決を下した。が戦争中韓国は日本の統治下にあり、大韓民国はそんざいしなかった。存在以前の歴史を裁くなどあまりに非常識なことではないか。 そもそも戦時下にあって勤労動員という掛け声はあったが、強制労働などという事実はなかった。
 慰安婦問題でも同じだが、韓国の売春業者によってあちこちへ行っていた事実をすべて軍による強制売春に書き換えて世界中に振りまく、とんでもない国が韓国である。
 石平氏も自分達の問題に外国をひっぱりこんで被害者になりすますのは、朝鮮半島2000年の伝統芸だ。日清戦争のときもそうだったではないか。日本は日韓併合などすべきではなかった。朝鮮半島に学校をつくり、道路を整備し、すこしでもいい国にしたいと努力した日本はかえってうらまれてしまったような変なことになっている。ひとえに韓国人の困った体質であると、いっている。

 2004年ノムヒョン大統領のときすでに兆候があった。国務院総理直属の国家機関として設立されたのが、対日抗争期強制動員被害者調査及び国外強制動員犠牲者支援委員会という長い名前の対日抗争政府機関であった。こうした政府の恣意的団体があって民間をあおって活動させている事実がある。2004年という年は「冬ソナ」なるドラマが日本に上陸し、日本の四千万女性が涙を流し、韓国へ、韓国へとなびいていた。
 とくに反日があきらかな文在寅大統領のもとにあつて、この徴用工問題はかなり尾をひくことだろう。韓国2000年の伝統芸なのだから。
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2018年11月01日

新聞販売店の廃業

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戦後70年近く軽井沢とは縁がつづいている。
7月に旧軽井沢の素朴な別荘にきて、駅近くの新聞やさんにこの夏もお世話になりますから、よろしくお願いします、と顔をだすとニッコリと翌日から新聞がとどいた。

 中軽井沢に転居して、地区独占の岩井新聞店に配達以来をしたら、けんもほろろに断られた。あそこは別荘地だから配達しません。町役場から5分も離れていないところなのに何故配達してくれないんですか。……新聞本社に掛け合っても駄目、町役場に掛け合っても駄目。軽井沢町の広報も議会たよりもみな新聞の折り込みで配布されるので、新聞の配達がなければ一切の地元情報が遮断される。
 住民としてこんな不便なことはないので、町役場にしつこくアピールしたところ、3年目から郵便物で広報、保健所たより、議会たよりがとどくようになった。まだネットのない頃だったので、「軽井沢はマスコミに向かって体裁のいいことをいう情報過疎地だ」と多いに憤慨していた。

 軽井沢駅に隣接して町営のパーキングができた。通勤で駅までクルマできて、信越線でかよう町民にはパーキングの割引券をだしてくれる、これは有難いと役場へでかけた。こんども窓口であっさりことわられた。週4日しか東京へいかないのなら、働いていると認められないというのだ。1週間のうち6日通っていないと働いていると認められない。ファックスやパソコンは労働していると認められないと、役場の職員はかたくななのだ。  軽井沢という町は救いがたい町だとおもった。

 別荘住民の大賀さんの寄付で、大賀ホールができた。町民の音楽振興のためと思い有り難いことと認識した。ところが町民のホール使用についてなんの特典もない。外から来た金儲けのコンサートと町民の技能発表会が同じ扱い、近隣のホールはたいてい町民使用のさいの割引制度があるが、軽井沢にはない。

 この度かの岩井新聞店が閉店することになった。20台近くの配達用の車の処分先はとか、いろいろきになるが、新聞の斜陽は覆うべくもない。新聞販売店が従軍慰安婦のことを書いたわけでもないのに、フェイクニュースの影響をうけ、販売部数はあきらかにへっている。結婚する若者カップルはいるが、例外なく新聞はとらない、勿論固定電話もいらない。すべてはスマホで間に合うのだ。

 百科事典も計算機も雑誌も新聞もカメラも銀行も電話も、すべてスマホですむのだから、スマホは人間より優位にたって、やがてスマホが旅にでたり、病院にいったりするようになるかもしれない。その時人間は何をしていたらいいのだろう。

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2018年10月31日

南座のお練りと手打ち

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 京都四条大橋のたもとから祇園神社までの四条通りをクローズして、華やかに「お練り」がおこなわれた。芝居小屋発祥の南座の耐震工事、内部改修が3年近くかかり、このほどようやく竣工したその披露のためのお練りだ。
 南座は出雲の阿国が鴨川河原の掛小屋ではじめて歌舞伎踊りを披露した地として歌舞伎の聖地になっている。その劇場のご披露とあって、歌舞伎役者69名が勢ぞろいした。先導は地元祇園を始め、宮川町、先斗町の舞妓20人、紋付袴の正装で名題の役者衆が揃い踏みの歩きお練り、いつものお練りなら銘々人力車にのっての手振りだが、この日役者が多すぎて人力車がまにあわない。そこで時蔵も雀右衛門も海老蔵もみんな仲良く歩くオネリとなった。沿道には15000人のファンが集まり、スマホをかざし黄色い声をあげた。

 お練りというのは、南座ばかりではない。2013年に新しい歌舞伎座ができたときは、銀座中央通りで「GINZA花道」というお練りが行われた。江戸消防の纏振りと木遣りを先達に60名の役者がそろった。この時、銀座八丁に3万2000人が集まって紙吹雪をまいた。

 大阪みなみの松竹座では、「船乗り込み」という川と運河をめぐってのお練りが度々行われる。先年亡くなった勘三郎はこの船乗り込みが大好きだった。文楽では人形のお練りがあるし、四国こんぴら歌舞伎では1000本幟のなかを役者をのせた人力車がいくお練りが毎年おこなわれてる。東京では襲名披露の折、浅草浅草寺の境内で「お練り」が行われる事が多い。これは一帯を縄張りとする新門辰五郎とめ組の一家がとりしきって浅草寺境内で挙行する大入満員祈願のお練りなのだ。

 本来「お練り」というのは、興行の勧進元が出演する役者を連ねて町内に挨拶回りと広報の役割を果たす行事だったのだが、いまでは景気付けのための催事になってしまった。

 昔ながらの役者の芝居小屋への乗り込みを、形として残しているのが祇園甲部の花街である。「手打ち」とよばれている。
あたまに手拭を留め、黒紋付に小さな拍子木を打ちながら芸妓衆が列をなし、後ろにご贔屓の役者が連なって芝居小屋まで乗り込む。
 〽チャンチキチキ、チャンチキチ、チャンチキチキ、チャンチキチ……
 その昔はあちこちの花街、お茶屋さんやら、料理やさんからご贔屓の役者を先導しての手打ちの行列が、都大路を賑わしたと伝えられている。
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2018年10月29日

丸山公楓の自由花パフォーマンス

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 ファツション・モデルと一概にいうが、モデルにもいろいろある。
 雑誌専門つまり写真のためのモデル、そしてメーカー専門のモデル、これはメーカーに洋服を仕入れにくるバイヤーのためのモデル、ここでは標準サイズのモデルが多用される。そしてオートクチュールのコレクションモデルである。ステージ映えのする大型モデルが珍重される。一般人はモデルと呼んでまとめるが、それぞれのタイプによって姿カタチのみならず、人格、脳みそまでいろいろなのだ。
 雑誌専門それもファッション誌ではない月刊誌相手だと、顔、胸、尻ときてその後ようやくファッションなので、モデルたちは特定のスタッフや編集者たちの世界にどっぷりで、どうしても視野がせまくなる。コレクションモデルは、すべてに寸法優先でひときわ大きい女達なので、優越感も劣等感も半端ない。いつまでもモデル臭がついてまわる。そこへいくとメーカーのサンプル・モデルを経験したモデルは、ノリシロが広い。メーカーの服への心ずかいから、バイヤーの表情のよみとりとコミュニケーション能力と目の前での着こなしのセンスが問われる。

 そのノリシロから人材が生まれている。女優に転じた人、ブランド・ショップの店長になっている人、茶道教授の人、レストラン経営者、デザイナー、舞踊家、スタイリスト、サロン経営者、そして健康食品オーナー、華道家とモデル出身者も多士済々である。

 華道家として第一線で活躍しているのが、むかしモデルの丸山公楓さんだ。モデルの頃は可愛くて品のある無類に真面目なモデルだった。
 公楓さんは今龍生派の幹部として東奔西走している。草月会、小原流等とは仕事での付き合いもあり、流派の思想についてもいくらかは判ったつもりだが、龍生派は判らない。なにはともあれ渋谷東急本店のファサードで、活け込みのパフォーマンスをやるというので、うかがった。

 初代家元は初め池坊を学んでいたが、出生重視に反発して新しく龍生派を立ち上げたという。龍生とは不思議な名と、ググったら岡崎龍ケ城に因んで付けられた名前と納得した。立華生花とともに自由花では建築などともコラボして創作しているとあり、期待はふくらんだ。
 ナンヨウスギの投げ入れに始まり、白柳の枝をかけ。さらに大きなケシの花を咲かせ、ユリの花で終わったと思ったら、上下から金銀のテープが舞って終わった。
 無味乾燥なデパードの壁面に命がやどったような作品だった。騒がしいだけのシブヤでこうしたパフォーマンスが開かれるのは大賛成。ただし前座のモノマネ芸人は意味不明だった。
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2018年10月27日

仁左衛門の助六

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歌舞伎の人気コンビに「玉孝時代」たまたか時代というのがあった。
 玉は玉三郎、孝は孝夫、いまの仁左衛門である。人気はすさまじく満天下の子女が歌舞伎に殺到した。「声よし、顔よし、姿よし」の片岡孝夫の右にでる二枚目はいなかった。玉三郎の若き頃の色艶も神秘的な魅力を秘めて、このコンビは不動の評判をえていた。

 あれから半世紀、孝夫は片岡仁左衛門を襲名し歌舞伎の伝統を支え、玉三郎は舞踊を中心に時に演出の仕事にも携わって今日を迎えている。
 その仁左衛門、玉三郎の出演する歌舞伎座芸術祭公演をみた。夜の部といっても4時半開演なので、昼間から軽井沢を出立しなければならない。

 まず始めは「宮島のだんまり」、パントマイムのような歌舞伎独特の表現がおもしろい。波幕のまえ、ホリゾントを黒幕にした夜の闇まえ、そして宮島の社のまえ、判りやすい道具環境のなかで演じられる無言のスローモーションは、若手が頑張って演じていて、楽しい一幕。

 二番目の「吉野山」は玉三郎のだしもの、玉三郎の静御前と勘九郎の狐忠信が芸の細かさをみせる。清元と竹本、静と動との音楽の対比がからんで、ドラマが進行するところが面白く、終盤花四天がからんでの所作タテも、争いを段取りの殺陣でみせる歌舞伎ならではの表現。

 そして待望の「助六」、成田屋の河東節助六とは違い、長唄の助六もまたひとつの風情である。仁左衛門の助六は、いかにも二枚目の助六で男前の優雅な助六に仕上がっていた。とかく江戸っ子はこれみよがしの助六を嬉しがる傾向にあるが、たまに仁左衛門のような上品なもて男もいい。片岡仁左衛門による助六もこれで見納めかと思い、思い過ごしであってほしいと江戸吉原のむかしを楽しんだ。

 ブリッセルに住むほとんど外人の日本人を同伴したのだが、日本知らずの日本人はひどく感激していた。帰国のたびごとに歌舞伎を見るのだが、いまいち判らなかった。私のなかの歌舞伎では、今日はいちばん楽しく面白くよく判った、ありがとう、シアワセの一日でした。という感想がかえってきた。

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2018年10月26日

芦田 淳先生を悼む

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 その頃、中原淳一の名前は一世を風靡していた。
 今様にいう美のカリスマであり、戦後の荒廃した日本に初めて「美」の概念を、女性像を介して表現した画家だった。竹久夢二、蕗谷紅児の系列を継ぐ美人画の名手であり、同時に絵にファッションのイメージをもちこんだ戦後はじめてのイラストレーターでもあった。

 三越劇場で若草物語を上演することとなり、演出の立場から舞台美術と衣裳は中原淳一をおいて他にはないと練馬のアトリエに伺った。天井の高い北欧風なイメージのアトリエに圧倒されながら案内された椅子にすわると、真ん中のグランド・ピアノで発声をしていたのがシャンソン歌手の高英男であり、中二階の小窓からのぞいたのが姪の中原美沙緒であり、イーゼルに向かってむずかしい顔で木炭を走らせていたのが中原淳一先生だった。
 大きな裁断テーブルをはさんで舞台美術の打合せに入ると、音もなく何処からか現れて淳一先生の脇にひかえていたのが、若き日の芦田淳先生だった。中原淳一のむかしは芦田淳のむかしにとても似ていた。一瞬息子さんかと思った位で、いちばん有能な助手と紹介された。

 のちに独立され、東京会館でコレクションをされるようになった。そのとし岸田今日子をゲストに迎えるので演出をという依頼をうけた。
 岸田今日子の暗いだみ声がかならずしもファッションに会うか不安だったが、芦田先生のイメージのなかではすでに彼女の朗読が躍っていた。
 ところがこの時大変な事故が起きアンプが故障してしまった。音響マンは青くなり、いま至急機材を手配しますというが、なかなか機材がとどかない。開演時間はせまり、観客も満員になっても音響機材はとどかない。、芦田先生はひと言も発せずなりゆきをじっと見守っていた。なんとか機材はまにあったのだが、2000本以上のファッションショウ演出経験のなかで、唯一無二の大事故だった。

 テニスの好きな芦田先生は、軽井沢南原にテニスのための別荘をもっていたが、のちに千ヶ滝に移られ、さらに千ヶ滝に新築されて、南欧風な別荘を作られた。窓から庭のテントまでフランスから取り寄せて理想とするたたずまいの別荘だった。披露のときには藤舎名生を迎え、幽玄とダイナミズムのにほんの音でお客様を迎えた。料理もフレンチだけでなく、軽井沢らしくというので職人館の北沢正和さんにきていただいた。芦田淳というひとは、ヨーロツパとにほん、美術と音楽と歴史に幅広く興味をもち、クラス社会のライフスタイルに心してデザインをしてきた稀にみるデザイナーだった。

 同時代のお世話になった人間として、残念ながら先立たれた芦田先生の冥福をお祈りするしかない。


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2018年10月22日

松茸小屋とカメムシ達

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 今年は松茸の当たり年と喧伝されているので、早速信州別所平の松茸山へいった。
 松茸シーズンだけの小屋掛けにもかかわらず、ちかごろでは立派なトイレができていたり、駐車場が整備されていたりと、だいぶ贅沢な山小屋になった。
 松茸の初物が市場にでていくらの値段がついた、とテレビで報道されるぐらいだったが、今年は同時にテレビ・コマーシャルが登場したり、新聞に広告がのって、松茸小屋の経営もずいぶん多角化したものと感心したり、あきれたりした。
 たかがシーズンだけの松茸小屋の客寄せに、テレビなどという高額メディアを使っては採算倒れになるのではないかとも思うが、テレビで知った観光客が大挙押寄せ「いつまで待たせるのか」と山小屋の入口で騒いでいた。

 見晴台の松茸小屋は、イステーブルのビニール小屋二つと、ゴザ座布団のビニール小屋が一つあって収容能力は100人楽勝なのだが、仲居さんがみなアルバイトのお姉さん、または小母さん、そして厨房は3人ほどのこれまたニワカ・シェフ、お会計のおばあちゃんは、眼が遠くレジスターがうまくあつかえない。
 店長のおばちゃんがいくら頑張っても、無理無理無理の狂騒曲なのだ。

 松茸鍋に始まり、松茸土瓶蒸し、松茸天ぷら、松茸茶碗蒸し、松茸姿焼き、松茸みそ汁、松茸ご飯と、松茸豊作の恩恵にあずかり、至福の時間は天候にも恵まれた。今年の秋はこれで満足。

 困ったのはカメムシ、陽当たりのいい小屋の隅に案内されたので、そこはカメムシの集合場所だった。良いカメムシは野菜について害虫を捕食してくれるが、悪いカメムシは人について臭いを発する。カメムシは屁こき虫とも呼ばれて軽蔑され嫌われている。幸い同伴者に冷静なカメムシ・ハンターがいておおいに助かった。
 東南アジアには人面カメムシなどと呼ばれているカメムシもいて、模様の面白さからペンダントに加工され、お土産物になっているお洒落な奴もいる。
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2018年10月20日

中国への宣戦布告に等しい

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 アメリカがとうとう覚醒した。なにに覚醒したかというと、中国共産党のアンフェアなグローバリズムに対し、ほおっておけない、1970年来のアメリカの対中政策は誤りだったと宣言したのだ。
 10月4日のペンス副大統領の演説では、いつかは自由主義経済の仲間になれると期待していたが、そうした期待はことごとく裏切られ、中国共産党は世界既存の経済システムのみならず、宗教システムをも破壊して、21世紀の世界に対する野望を剥き出しにしてきた、と中国糾弾の狼煙をあげた。

 宗教ではチベット仏教にたいする弾圧が知られているが、最近ではウィグル人にたいする人種差別、宗教弾圧も激しく大変な数のウィグル人が犠牲になっていると、伝えられている。中国国内では漢民族のなかに隠れキリシタンがいて次々と摘発され、キリスト教関係の焚書も密かに実行されているといわれる。
 中国共産党はそもそも無神論を掲げ、イスラム教キリスト教ヒンズー教仏教などすべての宗教を否定してきたのだが、世界中の日和見主義者たちはなにそんなのは話合いで解決できると、多寡をくくってきたが、ここへきてどうやら中国とは話合いはない、勝つか負けるかの勝負しかないと悟ってきたようだ。

 さらに中国はインターネット上でのハッキングを常態化し、世界各国の技術情報を盗み、盗んだ情報を特許登録をする、という盗っ人猛々しい行為を平然とおこなっている。先進国企業の中国への現地生産の誘致は、ことごとく技術移転を強要され、さらに知的財産権を蹂躙されてさんざんな目にあっている企業は多い。にほんのデパートでも中国人労働者のなかの共産党員によって不買運動を起こされとんだ結果になった例もあった。

 京都の立命館大学や東京の早稲田大学に、中国の寄付によって設立されている孔子学院も文化侵略の拠点であるし、中国共産党のプロパカンダにほかならない。日本にきている中国人労働者のなかには各方面にむけたスパイ、産業スパイが多々いるといわれている。無防備な日本は中国にとって絶好の餌場なのだ。

 米中貿易戦争はたんなる経済摩擦ではなく、このさい徹底的に中国をたたかなければという米国の覚悟であり、トランプの気まぐれなどという軽いものではない。マティス国防長官も21世紀の世界システムの破壊にいどむ中国を許すわけにはいかない、これは右派左派の問題ではなく、世界の安全保障の問題だといっている。
 日本の財界はこの米中の争いをビジネス・チャンスととらえ、皆で中国へいって商談促進を計ろうと、とぼけたことを言っている。
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2018年10月17日

柳とかつらの銀座戦争

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 銀座の柳がとうとうカツラに敗れた。
 銀座の並木といえば見たことのない人でも「ヤナギ」と答えるほど、ぎんざと柳の仲は濃密な間柄だったのだが、オリンピック2020に向けて、銀座通りにはいま着々と「かつら」の木が植えられつつある。「巴里のマロニエ・銀座の柳」と謳われた柳ともお別れである。

 銀座うれしや柳が招く / 招く昭和の人通り/ 誰を待つやらあの子の肩を/ 撫でてやさしい糸柳……半世紀に渡って歌い継がれてきた唄は、四谷文子に始まり、初代コロムビア・ローズ、島倉千代子と受け継がれ、全国何百の銀座通りでそれぞれのご当地シンガーによって歌い継がれ今日を迎えている。
 地方の駅前銀座には並木をわざわざ柳に変えて町ずくりをしたところすらあるという、それほど柳のイメージの強い銀座だったが、「かつらの木」には勝てなかった。

 柳の木は成長するに従って枝がたれさがってきて邪魔になる。それを風情ととらえないで邪魔ととらえるのが近頃の価値観のようだ。撫でてやさしい糸柳などと受け取る感性はまったくない。邪魔といわれては柳もさぞ悲しいことだろう。
 さらに追討ちをかけたのは、野暮な建築法の規制だ。車道側では地上4.5メートル、歩道では高さ2.5メートルという規制があり、かなり短く剪定しないとみとめられないというのだ。そよぐ柳の枝の美しさなどといっても問答無用。相変わらずの役人の脳みそだが、銀座の象徴として年月を紡いできた柳もバッサリと切られてしまった。

 カツラに決まったポイントは、他の通りにないこと、日本原産であること、葉っぱのかたちがハート型で洋風な銀座にふさわしく、若い女の子には絶対受けるといったヨコシマな点、更にもっといえば桂は高木にして落葉樹なので、クリスマスのイルミネーションに絶対有利という、なかなかのプロモーション魂である。枝に電線を巻き付けやすい、とはなんともクチアングリの桂の並木道である。
 かって自動車の排気ガスに強いからと植えられてシャリンバイは低木で銀座の人々からは嫌われ、散々だった例もある。明治からたびたび復活してきた柳も、クリスマスの電飾に勝てずとうとうご臨終を迎えた。 これからはカツラの木に頑張っていただくしかなかろう。
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2018年10月13日

いつまで韓国に謝りつづけるのか

いつまで韓国に謝りつづけるのか

 韓国済州島で行われた国際観艦式でのこと、韓国は日本軍艦の旭日旗掲揚を拒否してきた。
 旭日旗は海上自衛隊の軍艦旗であり、海自は世界中どこにいくにも国連海洋法条約にもとずいて、日の丸旗と旭日旗を掲揚してきた。
 その旗について掲揚するな、というのは内政干渉もはなはだしい。当然の答えとして、海上自衛隊は国際観艦式への参加をとりやめた。
 けだし当然の処置とおもうが、韓国側は遺憾の意を表明した。内政干渉してきて遺憾の意とは、盗っ人たけだけしいが、このことは文在寅大統領の反日、反米、親北の政策反映に違いない、と消息筋は伝えている。

 アメリカのポンペイオ国務長官が、韓国の外務長官を怒鳴りつけたと、外電が伝えている。
 南北協議の席で、南北軍事境界線上の空域の飛行禁止を決めたというのだ。韓国安全のため米空軍が日夜軍事境界線上を飛んでいることはしっているだろう、その事実に対し韓国はなにを考えているのだ、というわけでアメリカの怒りが爆発した。
 ミサイル迎撃地上配備システム「サード」の配備を拒否しているあたりも、日本のイージス・アショア反対の秋田、山口県知事にも似た始末の悪い文在寅大統領である。国防を全面的にたよっている同盟国のアメリカに対し、韓国のその態度はなんだ、という怒りである。

 ひたすら親北の文政権は経済政策のことごとくで失敗している。枝野立憲民主党のかかげる経済政策とまったく同じ、金融緩和をせずに最低賃金のみを上げるのでは、中小企業はみな根を上げて次々と倒産している。
 一部の財閥系企業だけが潤い、学生はますます財閥系企業をめざす。財閥とそれ以外には強烈な差別が生まれ、富の格差はますますひらくばかりだ。それでもひたすら反日に走り、老元慰安婦と称する女をひきまわしている。

 石橋湛山首相は、「かっての日韓合併時に朝鮮半島は棄てておけば良かった」と喝破したが、全くその通りで、禿山を緑にしたのも、橋をかけたのも、学校を作ったのも、すべては頼まれもしないのに、かってに実行した日本が悪いのだ。  
 ……韓国人には永遠に日本人の思いはとどかない。


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