2017年07月05日

バレエの王子はホストである

バレエの王子はホストである

 バレエ「王子系」が台頭…とんでもない表題が踊っていた。朝日新聞文化・文芸欄のトップ記事である。
 バレエの世界で、王子様役を得意とするダンサーが存在感を増している。力強く華麗な技巧で見せるタイプの熊川哲也さんらが、世界に飛び出してから30年。背景には「王子様」イメージの広がりがありそうだ。…とつづいている。 とんでもないことだ。なぜ天下の朝日がこんな記事が書けるのか不思議である。
 スポーツ選手の世界でハンカチ王子やハニカミ王子が人気を博したように、芸能界でもジャニーズの王子様キャラが人気を呼んでいる。だからバレエの世界でも王子様が注目されている。
 非常識、不勉強もいい加減にして欲しい。この国のバレエが何時までたっても世界の三流なのは、こうしたオバカなバレエ記事が大手を振っているから、いつまでたっても前にすすまない。

 今年のユース・アメリカ・グランプリで第一位になった三宅琢未君が、記者の質問に答えて曰く「僕は王子系です。村人役とかじゃなくて王子様を小さい時から練習してきました。」だから僕のキャラクターは王子系だというのだ。指導してきた教師がなにも分かっていないので、こんな恥ずべきダンサーを生み出したのだ。
 かってバレエは貴族たちのお慰みだった、だから貴族たちの習俗をまねて登場してきたのが、クラシックバレエのなかのダンスール・ノーブルなのだから、貴族の見当たらない香川育ちの三宅琢未に貴族の王子のイメージは皆無の筈だ。君の励んでいるのは、バレエのソックリ・ショウなのだ。

 なぜいまボリショイ・バレエが地に落ちているかというと、古色蒼然たる「白鳥の湖」や「眠りの森の美女」しかできないから、時代からおいてけぼりをくっている。白いタイツの王子さまとロマンティック・チュチュでは、欧米ではだれも興味を示さない。
 かって王子様が必要だったのは、女性ダンサーの華やかな美しさを支えるサポート役として、ツッカエボーと言われながら舞台を務めてきたのだ。ツッカエボーにはそれなりの身長が必要だったし、ととのった容姿があってあたりまえ、日本人もようやく外人並みのプロポーションをもった世代が誕生して、なんとか無事にツッカエボウができるようになったということだ。

 王子系を抹消してクラシック・バレエの現代化をめざしたり、王子のいない現代社会の肉体化、バレエによる思想哲学の表現こそが、世界のバレエの向かっている方向である。まま古臭い王子のでるクラシックを上演するのは、金儲けのバレエ商売にほかならない。
 バレエの王子役は、ホストクラブのホストであると理解すべきだ。
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2017年07月02日

握手会という犯罪誘発装置

握手会という犯罪誘発装置

 また事件が起きた。
 札幌の無職の男が、刃渡り13センチの果物ナイフと発煙筒をふところに、アイドルの握手会に乗り込み犯行を企てた。さいわい未遂に終わり、アイドルは無事だったが、この問題についてメディアの反応はどうもイマイチのような気がする。

 「会いに行ける、近所のお姉さん」を標榜しているのは、アイドル側だ。集団で抑制のきかないワカモノ達を挑発し、「会いにいらっしゃい、握手してあげるわ、」となれば思春期のワカモノ達の血が騒がない訳がない。
「だけど空手は駄目、私のCDを買ってきてね、一枚で3秒手を握ってあげる。」血の騒ぐワカモノは20枚、30枚と、聞かないレコードを買い込んで握手会に乗り込む。これではオネェチャンのいるキャバレーとなにも変わらない。

 呼び込みをテレビや新聞で盛大に行い、幕張メッセやらさいたま・ドームといった巨大会場を舞台に、幼い少女と発達障害のワカモノ達による疑似恋愛体験会こそが、アイドル握手会という妖しげなセックス・パーティともいえる。
 そこで通用する貨幣はCD、「CDの製造元は秋元康」というなんともいかがわしい芸能やなのだ。

 こんな商売を許している社会がおかしい。どう考えても少女たちを餌にした女衒ビジネスである。秋葉原、乃木坂、欅坂次々と売れない芸能予備軍をグループ化し、衣裳で飾り、踊らせて、無知なファンを握手会に導入する。

 接触願望にまみれた若い狂気は次々と発生する。大事故につながるまえに、握手会は止めさせるべきだ。
 アイドルたちのしている行為は、歌舞伎町のセクシャル・キャバレーとなにも変わらないのだから。
 それでもアイドルやるのなら、覚悟のうえで握手をどうぞ。
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2017年07月01日

井上洋介最後の絵本、大人のための。

井上洋介最後の絵本、大人のための。

 井上洋介、最後の絵本。が送られてきた。
 長い人生のなかで子供のための絵本は買ったことがない。なかにはそうでない絵本もあるが、おおかたは彩りゆたかなお伽噺のようなものが多かった。彩りゆたかというのが大変にくせもので、子供はこんな色の世界で暮らしてください、と大人が一方的に押し付けているような気分になるのだ。子供相手の仕事をしているので、とても純で透明感のある大人だと思っていたら、どっこい裏切られたという経験もある。

 そんなこんなでお礼の電話を、令嬢の真樹ちゃんに掛け、子供に媚びた絵本は嫌いだと放言し、子供目当てでもう一つ嫌いなものがある、と言いかけたら「実は父は生前、ヨミキカセが大嫌いだったのよ」と先回りされてしまった。
 「子供の為の読みきかせ」などというポスターをまま見かける。そのうえ「美しい日本語による読み聞かせ」などとあるとムシズがはしる。この上から目線のポスターは許せない。ヨミキカセという日本語は文化的差別用語だ、聞かせるほど貴女は偉いのか、あなたの言葉は少しも美しくないのに、なぜ「美しい日本語による」などと自画自賛できるのか。少しばかりアナウンサー商売をし、アクセントとアーティキュレーションが優れているからと言って美しい日本語だと思ったら大間違いだ。
 トークマシーンのような血の通わない日本語は死んだ言葉であり、美しくない日本語なのだ。もっと心に寄り添った人間の言葉でなければ美しい日本語とはいえない。
 その証拠に文化人や芸人のしゃべるトーク・ショウは魅力はあるが、アナウンサーのしゃべるトークは、全く人を引き付けない。人間不在のトークマシーンだからだ。年月を重ね、アナウンサーから人間に脱皮した先輩たちのおしゃべりなら、大いに魅力的である。

 井上洋介最後の絵本は「ホウホウフクロウ」、全編荒々しい墨線でフクロウが描かれている。
 うたうフクロウ、ふわりととんだフクロウ、みているフクロウ、せみも、とんぼも、みみずくも登場するが、どれも皆荒々しい墨線で描かれている。子供のカラフルな世界に一切妥協せず、子供を挑発しているようにもみえる。
 こどもの絵本に名をかりた「オトナのアートブック」だった。
 うっかり絵本という活字に騙されるところだった。


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2017年06月29日

詰将棋とAIの藤井聡太四段

詰将棋とAIの藤井聡太四段

 「藤井聡太・中学生・プロ棋士四段」この名前が毎日のようにメディアに踊っている。
14歳の天才にプロの棋士がまったく歯がたたないという現実は、劇画をみているような気分である。
 プロたちの賛辞や言い訳を聞いてみた。

 序盤、中盤、終盤を通して、とにかく悪手がひとつもありませんでした。(北浜健介八段)
 終盤にさしかかるまでは、6対4で優勢かなと思っていたんですが……(小林裕士七段)
 派手さはなく遠回りですが、確実な手を指す中でこちらを射程にいれる。(所司和晴七段)
 あれだけの報道陣に囲まれて、まったく動じないんです。私は自滅、ポカをしてしまった。(平藤真吾七段)
 離席するのはトイレの時くらいで、一時は私が優勢だったのに逆転されてしまった。(大橋貴裕四段)
 終盤になるにつれて、どんどん盤ににじり寄ってきたのです。(宮本広志五段)
 あの年齢でとっても礼儀正しいことです。(加藤一二三九段)
 茫然というか、頭が真っ白になった感じ(阪口悟五段)
 本当に私の完敗、実力差を感じました。(都成竜馬四段)
 よく見ると結構形勢が顔にでるのです。ヒザを叩いたり、ボソッと小さな声で"しまった!"と口にだしたり、                                          (瀬川晶司五段)
 粗さや隙みたいなものが感じられない、欠点がない、時代の流れを感じましたね(有森浩三七段)

 此処から感じられるのは、老練だが幼さも感じさせる藤井四段の素顔だ。彼がこれほど強いのは、詰将棋とコンピューター・ソフトだと言われる。
 一億総ゲーム時代に、将棋というアナログなゲームにこれほど人気が集まるのは、まだまだ大和の国も棄てたものではないという証拠かもしれない。
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2017年06月28日

えごの花と山法師に始まる軽井沢の夏

えごの花と山法師に始まる軽井沢の夏

 夏雲が近ずいて、駐車場へいく僅かばかりの道筋が、ある朝突然に真っ白になる。
昨日まで長い柄の先にぶら下がって、道行く人を見ているようにも思えた、五弁の白い花が地面を埋め尽くす。小さな白い花はまだ若く未熟さをたたえた清順さ、散り敷いた雰囲気はAKBの少女たちのそれにも見える。
 踏みつけないでと言っているようだが、道いっぱいに広がってこのままでは車にたどりつけない。
 ごめんね。……えごの花の夏が来た。
  出入りの大工さんは昔から石鹸の花と呼んで、花びらをためて手を洗ったという。

 えごの花 不良少女が 見てをりぬ (星野麦丘人)
 えごの花 見るとき散らず 散り敷ける (川崎展宏) 

 えごの花が終わって、ふと空を仰ぐと五弁の花は四弁の花に変わっている。
 やまぼうしがみんな揃って空を見上げている。比叡山の僧兵に似てやまぼうし也と聞いているが、白い帽子をかぶって蝶を追いかける夏の少女たちの如くでもある。えごの花の幼さは、女性の美しさにかわった。やまぼうしの白さは、咲き誇る魅力を主張して天に向かっている。

 やまぼうし ひだり是より けものみち (小林呼渓)
 やまぼうし 咲けば我が家の 待っており

 遠雷が聞こえ軽井沢の夏は、えごの花と山法師に始まる。
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2017年06月26日

ハゲの聖地をめざして

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 "違うだろーっ!このハゲッ!!……ヒステリックな女性政治家の声がテレビから流れるたびに、陸奥鶴田の町を思わない訳にはいかなかった。
 鶴田町は「ハゲ」という侮蔑語がいつか「HAGE」という横文字になって世界に通用する日を夢見て活動している。前町長の肝いりで鶴田町が「ツル多はげます会」をつくったのは、1989年だった。なにもないこの北津軽の町を元気な街にし、名勝とするにはと知恵をしぼったのが、このハゲの聖地というスローガンだった。

 ハゲを隠している人は鶴田にはいない。ハゲてる人は威張っている。隠していた人もここへきてカミングアウトする。思わず心のカツラまではずしてしまうハゲのパワースポットこそ、この津軽の小さな町なのだ。
 子供たちは学校で家のオジイチャンやお兄ちゃんのハゲップリを自慢しあう。ハゲは誇りになっている。
ハゲを街中で尊敬する、なかなか儒教的な町でもある。

 五所川原の仏師大佐賀界輝さんによつて彫られた「ケガなし(毛が無し)ご神体」は鶴田八幡宮に仮鎮座されている。いずれ海外のハゲの人々もあつまるようになったら「ハゲます神社」の創建も視野に入っている。
 ツル多はげます会の例会は、毎年2月22日で「ツルツルの日」と名付けられた。秋の中秋の名月にも大会は開かれる。ツルツルに光った頭に吸盤をつけて紐で引っ張り合う吸盤綱引き、穴からツルッとはげた頭をだして誰かをあてる平和の光あてクイズ、ハゲ川柳など、終日田舎のマスコミが殺到して町は盛り上がる。

 2016年からは河出書房により、記念のハゲ川柳が出版されるようになった。
  初日の出 拝んでみたら ハゲ頭      雪明り おらも負げねで 照らすがな
  ハゲ頭 ネジリハチマキ すっぽ抜け    ハゲの父 顔はどこまで 洗うやら
  ハゲっぷり いつも社長と 間違われ    ハゲなのに 胸毛やすね毛 無駄に濃い
  いつまでも あると思うな 親と髪           ……豊田真由子も歯がたたない!!!!!!
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2017年06月25日

そんなに踊って嬉しいですか?

そんなに踊って嬉しいですか?

  "踊る阿呆に見る阿呆 どうせ阿呆なら 踊らにゃ損々"
 この歌詞は阿波踊りの唄い出しだが、みんなで踊るというのは、神様のまえと決まっていた。収穫を報告したり、豊漁を祝ったり、正業への感謝をこめて、神様のまえで皆で踊った。盆踊りも帰って来た仏を慰め、仏とともに明日の暮らしを祈る、重要な祭式だった。

 最近はそこいら中に踊衆が拡散して、テレビなどは踊りだらけとなっている。子供も娘たちも、お兄さんもサラリーマンも、うっかりすると末期高齢者まで踊っている。
 そんなに「オドリタイカ」と反問したくなる、なにも考えないで踊っていることは確かだ。

 原因といえば数年前に、文科省の官僚が何も考えずロックやヒップホップの踊りをカリキュラムにいれたことだ。学校で強制的に踊っているのだから、商売人が見逃すはずもない。たちまち電通や博報堂の宣伝プロデューサーや営業マンが尻馬に乗った。

 殺虫剤は郷ひろみを立てて大げさに踊った。車ではつなぎの少女たちが楽しそうに踊る。栄養剤や化粧品もそれぞれに踊って忙しい。美容整形まで院長をたてて踊っているのには驚いた。
 引越しやは少し気が引けたかダンボールの箱が踊っていた。大便直後の女の子たちが、私のすぐ後、入っちゃいやいや、と踊っていたのには、恥ずかしさを超えて感動すら覚えた。
 近所のスーパーもJAバンクも踊っている。地味であまり人気のないショッピング・センターでは、突如お婆さんが踊りだした。……怖い。

 こんなに踊るコマーシャルだらけの世の中にして、ほくそ笑んでいるのは、文科省と代理店だろう。
 神とともにあったにほんの踊りは確実に滅んでいく。
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2017年06月24日

「豊田真由子」この女、狂暴につき……

「豊田真由子」この女、狂暴につき……

 「豊田真由子」東大法学部出身、ハーバート大学院留学、厚生労働省にキャリア官僚として入省、自民党公認として埼玉4区より立候補、当選ののち文部科学大臣政務官、東京オリンピック・パラリンピック大臣政務官、復興大臣政務官をつとめた。この経歴を見れば、どんなに素晴らしい女性かと認識して当然だろう。

 代議士に相応しいと選んだ自民党幹部、この女性ならと選挙応援に駆け付けた安倍首相、そしてこの人に清き一票を投じた埼玉4区の県民、この人に惚れて結婚した国交省のエリート旦那、みんな節穴当然の眼を持っていたということだ。
 人は騙されやすい、近所のおばさんも、優しくていい人でしたよ、テレビのインタビューに答えている。騙されやすいのはしかたないにせよ、国を動かすことになる人の選別は、もっと厳しい眼をもたないとダメだ。
 若者の色恋沙汰のように心優しく人間を評価してはいけない、というイカニモの事件が起きた。

 次々と辞めていった100人の秘書のうちの、一人の勇気によってこの事件は明るみにでた。
「この、ハゲっっっっ!」「違う! 違うだろっっっっっっ!」ポコッ!すいません…すいません「鉄パイプでお前の頭砕いてやろか!」 とんでもなく狂暴な、あえていわせてもらうと女暴力団なのだ。
 東大というエリートコース、官僚という優越感、代議士という選良意識が、上から目線の暴力体質をかたち作っていったであろうことは容易に想像できる。選挙民は、白いスーツにバッチをつけた巧言令色な女には、警戒しなければいけない。

 「自民党魔の二回生」と呼ばれる30代から40代の議員たちを集めて、党は再教育をするべき。
 重婚は駄目ですよ。ストーカーも止めて下さい。路チュウは議員の間は謹んで。ゲス不倫は芸能人のやることですから。秘書は録音器やカメラを隠し持っていますから、暴力的言動や差別的態度をしてはいけません。守っていただければ、いつか必ず大臣になれます。そして時間が出来たら政策について勉強していただきたいと、やさしく新人国会議員再教育センターを開いて欲しい。

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2017年06月22日

中国が乗っ取った苫小牧駒澤大学

中国が乗っ取った苫小牧駒澤大学

 政治家と文科官僚が壮絶な権力闘争を演じている隙に着々と成果を上げているのが、中国共産党である。
 森友学園やら、加計学園の騒ぎのさなか、中国は北海道に確固たる教育拠点を確保した。あの大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースで活躍する田中将大の母校、駒沢大付属苫小牧高校を擁する学校法人駒沢大学が、傘下の苫小牧駒澤大学を、中国の対外工作法人と目されている京都育英館に無償譲渡したのだ。
 京都育英館ときけば、いかにも日本人のための教育補助を役割りにしているように思うが、実は中国人のための留学補助機関で、理事のなかには中国共産党員もいる。

 数年前、中国の資金と教材による孔子学院が、日本の大学30校に及ぶと話題になったが、中国共産党の浸透作戦はもうだいぶ前から工作され、洗脳された親中日本人はかなりの数に上っている。これらはすべて日本の文科政策の網をくぐって着々と進められてきた。
 文科官僚は安倍総理への忖度文書を作る暇があったら、中国にたいする教育防衛を一刻も早く実施すべきだ、と思うが如何。

 中国の高校大学を卒業した学生を日本の大学、大学院に進学させるための学校、それが京都育英館の運営する関西語言学院だし、在籍は全員中国人だ。さらに下部校として東北育才外国語学校という中高一貫校もある。
 苫小牧駒澤大学は遠からず駒沢の名前はどこにも見当たらない中国名の大学として再デビユーすることだろう。苫小牧市が提供した私有地10ヘクタールも、53億の設立資金もみな無償で中国にもっていかれたのだ。
 それでもまだ文科官僚は、加計学園の忖度にこだわりますか。
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2017年06月20日

吉井澄雄さんの読売演劇大賞を祝う

吉井澄雄さんの読売演劇大賞を祝う

 「お久しぶりです。書かれてますか。」「いやぁ、尻をかいて、恥をかいて生きてるよ。」
 文壇人ではない、駄洒落の名人、作曲家の池辺晋一郎さんである。新国立劇場でオペラ「おしち」を上演した際、作曲で世話になった。歌舞伎から宝塚まで幅広く評論活動をされている横溝幸子さんは矍鑠としてお元気、都の優秀演劇審査でご一緒した。 デザイナーの森英恵さんは相変わらずのサングラスだったが、口跡が落ちて伝わりにくい。浅利慶太も黙って腰かけているだけだ。
 上等な杖というべきか、ステッキをついて現れたのは花柳流の家元花柳寿輔さんだった。「足が不自由になってね、もう舞台にはたてないよ」「東おどりはやっているんでしょ」「うん、振付は大丈夫だけど…」芸術祭の作品つくりに共に汗を流したこともある。
 みなそれぞれに仕事をし、老境にはいった芸術家たちだ。

 「舞台照明とは、光をもって、劇芸術の創造に参加する仕事である。 吉井澄雄」
 吉井澄雄の第24回読売演劇大賞芸術栄誉賞の受賞を祝って集まった面々、吉井さんは、石神井時代の劇団方舟から劇団四季の結成、日生に於けるベルリン・ドイツ・オペラからスーパー・カブキに至るまで、この国の照明デザイナーとして超一流の仕事をしてきた。
 吉井さんの照明はいつもシャープに研ぎ澄まされて、無駄がなかった。脚本の思想、演出の意図を120パーセントバックアップしてくれた。
 筆者は宝塚大劇場の隣りにバウホールが出来たとき、「真帆志ぶきショー」の構成演出をし、吉井さんの光に助けられた。

 薄暗い会場のなかで、どこか見覚えのある女性に声をかけられた。アート・クリエーションの林智子さん、小栗哲家名舞台監督の右腕である。関西のオペラ演出家と結婚し、いまは中村智子さんになっていた。
 「小栗ももうそろそろ引退しようかと、いってます」「…息子も売れてるし、もういいかも…」 無責任な挨拶を交わして別れた。

 今井直次、石井尚郎、有馬裕人、沖野隆一、そして吉井澄雄さん、振り返ればいろいろな照明家にたすけられた舞台作りだった。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする