2018年03月07日

少しエロい「夜のペヤング・マカ入り」

少しエロい「夜のペヤング・マカ入り」

 事務所に向かう途中、週刊誌を買おうとコンビニに立ち寄った。反対側の棚の真ん中あたりに眼が吸い寄せられた。雑然としたインスタントものの真ん中に、黒いパッケージで妙に垢ぬけたデザインの箱がある。「やきそば・夜のペヤング・ピリ辛ソース味」とある。
 夜店の一平ちゃんやきそばなど、昭和のデザイン風になれた眼にははなはだしく新鮮にみえた。ひとつ買い求めて事務所に向かった。
 めざとく見つけたスタッフが、「夜のペヤング」とは意味深ですね、とつぶやく。そうか単純に受験勉強徹夜の友と考えていたのは浅はかだった。パッケージをよく見れば、下のほうにマカ入りとある。マカは精力増強や、不妊対策にも効くという霊薬である。つまり初めから「夜」は学生の夜ではなく、大人の夜だったのだ。
 群馬伊勢崎のまるか食品はなかなかにしぶとい会社と感心した。数年前やきそばにゴキブリが入っていた事件では、あっさり工場を閉鎖して半年ものあいだ、すべての販売を中止した。
 ペヤング発売時には、ハシを二膳つけて二人仲良く食べて欲しい、と話題の戦略に訴えた。青春のペヤングは夜のペヤングに進化した。
 振り返ってみれば、ペヤングは始めから少しエロかったのだ。

 半世紀前、始めてやきそばが売り出されることになって、祇園のお座敷で話題にしたところ、一斉に攻撃された。「お兄さん、フライパンで焼かんと、お湯たしたら焼きそばができるなんて、冗談もいい加減におしやす。」「オヘソが茶沸かす、みたいな話や」さんざん笑われて、市井に出回ってから、「焼きそばいわれれば焼きそばやけど、焼いてないのに焼きそばいうのは詐欺やおへんか」ととことん非難された昔を思い出した。

 ペヤングの製造元まるかのホームページを覗いて感心した。
 レギュラー・サイズを二つつなげて超大盛のブームをつくったり、暑い夏にぴったりの四川風やきそば、マヨ付きのからしマヨネーズやきそばでは、パッケージはキューピー・マヨ風だったのに実際使ったのはケンコー・マヨだったり、湯切り不要のスープ入りやきそば、油断できない辛さの激辛やきそば、超大盛やきそばハーフ&ハーフ激辛の三回美味しいヤキソバと、工夫の歴史だった。
 マカ入りの夜のペヤングには、それなりの歴史があった。

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2018年03月06日

危うし 京都平安神宮!!

危うし 京都平安神宮!!

 誇り高い京都人が、いちもにもなく尊崇している平安神宮が危機にさらされている。
 昨年末、鉄骨二階建て、延べ床面積約3100平方メートルの商業施設が平安神宮境内にオープンした。看板は「京都時代祭館十二十二」、土産物店、飲食店、免税店など28のテナントが入り、この夏のグランドオープンには例のAKBスタイルの劇場がオープン、さわがしい少女歌手グループの京都基地になる予定とか。看板にこそ時代祭の名が入っているが、中味はまったく時代祭とは縁もゆかりもないただの商業施設なのだ。

 この事業を回している中心人物はかって裏千家の顔として千玄室大宗匠の秘書をつとめていた足立健司なる人物、京都平安振興財団をつくり、裏千家家元、玄室大宗匠以下京のお歴々が名をつらねている。
 この財団は、平安神宮とのあいだに事業用定期借地権契約を結び、その土地に地上権を登記した。その土地の地上権を担保に朝鮮系信組から15億の資金を引き出し、その土地には根抵当権が設定されたのだ。もしこの商業施設の商売がとどこおれば、平安神宮は境内のこの土地を失ったうえ、なにが建てられても文句はいえない。

 融資した総連系の信組すなはちハナ信組とは、いかなる信組かということが問題になるが、この信組は関東にあり、信組法により関東以外の地にある事業体には法的に融資できない。そこで動いたのは宇都宮市内にパチンコ、焼き肉、スパなどを展開する南大門ホールディングス、この南大門ホールディングスが声高にハナ信組に融資話を持ち込んだとされている。
 事業体が遠く京都では法令違反になるので、あきれたことに宇都宮市内の空きビルに京都平安振興財団の宇都宮支所がつくられた。京都時代祭館十二十二の運営会社京都平安プロパティの役員には、南大門ホールディングス専務やら暴力団密接関係者が名をつらね、いつ何が起こっても不思議ではない。

 裏千家と暴力団密接関係者とそして朝鮮系商売人、北朝鮮金融資本にあやつられた平安神宮千年騒動の予兆が始まっている。
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2018年03月05日

「長命寺の桜もち」が恋しい

「長命寺の桜もち」が恋しい

 春一番が吹くと恋しくなる。
 向島「長命寺のさくらもち」桜餅である。
 浅草から吾妻橋を渡り、桜の木のしたを左へたどると、やがて土手沿いに桜餅やがある。
 長命寺の門番・山本新六によって始められた元祖長命寺のさくら餅だ。
 六本木にいた頃は、仲間とクルマを連らね、山本やの赤毛氈の縁台で、さくらもちのティタイムを
楽しみに隅田堤をめざした。

 いまでは有名になりすぎて花見客であふれるが、もとをたどれば八代将軍吉宗の命によって植えられた隅田の桜堤だ。そのさくらの葉から生まれたのが桜餅だから、将軍吉宗の功績は大きい。
 芝居小屋では、先月襲名披露で評判を呼んだ松本幸四郎一世が江戸町衆の人気を集め、助六でお馴染みの河東節が流行っていた。いなせな江戸町火消が生まれたのも、桜もち誕生と前後している。
 享保年間というのは、江戸の都市機能が完成し、ようやく爛熟期に入ろうとしていたそんな時代だったのだろう。

 明治21年には、正岡子規がこの山本やの二階に下宿し、残したうたがある。
 "花の香を若葉にこめて かぐわしき  桜の餅や つとにせよ"

 桜もちを包んでいる塩ずけの葉は食べるべきか、残すべきか、とときに言い争いになるが、その香りとともに食べるべきという人が多い。遠く奈良時代歯磨き粉のない時代には、塩ずけの桜の葉は口臭予防につかわれていたという。

 帰途、素朴な竹かごにはいった「長命寺のさくらもち」をもとめ、近所に届けると、なによりの春がきたと喜ばれた。
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2018年03月03日

女の病は淡島さんにいってつかんせい

女の病は淡島さんにいってつかんせい

 3月3日の今日は、日本中でお雛様が流されている。
 桟俵にのった紙で作られた素朴なお雛様たちである。
 つとに有名なのは、鳥取用瀬町の流し雛、京都では下賀茂神社での御手洗川への雛流し、軽井沢の近辺でも北相木村では、かなんばれと呼ばれる雛流しがある。

 流し雛のウンチクでは、淡島さんの信仰を外すわけにはいかない。
 女性の病については昔から「淡島さんにいってくれ」とか「帯のしたの病いを治してつかんせい」とか、謎であった女性の病への治癒祈願、予防祈願をつかさどっていた淡島明神への信仰がもとになっていた。天照大神の第六女と伝えられる淡島明神が住吉さんと結婚するもシモの病いにかかり、堺の浜から流され3月3日に紀伊の国加太の浦についた、というところから物語がはじまっている。
 今風にいえば、この淡島明神を祀った加太神社から、淡島願人なる遊行僧、もっといえば乞食坊主が生まれて全国にひろがったのが淡島信仰なのだが、淡島願人が日本各地につくった淡島堂からこの流し雛という信仰行事も始まっている。

 病院もなければ、医者も居なかった時代、病を紙型にうつしたり、人形に移して川に流し、淡島さんまで流れ着いて治癒して欲しいという素朴な祈りの行事だった。
 いまでは川に桟俵や人形を流したら水が汚れるとか、衛生上良くないとか、あまり説得力のない理由から、すぐ下流で雛たちは回収されてしまうので、とても紀伊の国淡島さんまでは流れ着けない。結局病いは治らないように人間達がしているのだ。
 桟俵も川に沈めば自然に帰るし、雛に託した祈りだけが淡島にとどいて、病い全快となるかもしれない。
 祈りを失った民族は誰からも救われない。
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2018年03月02日

民俗芸能のデータ化を疑う

民俗芸能のデータ化を疑う

 郷土芸能、または民俗芸能、いずれにしてもこの国はそうした芸能の王国である。
 暮らしのなかに多彩な芸能があった。ある時は願いであり、祈りであり、喜びであり、感謝であった。そうした民族芸能も敗戦とともに、没落への道をひたすらあゆんでいる。
 没落のきっかけは、無形民俗文化財指定という暴挙からだった。その芸能の存在する意義をみつめないで、芸能の形式だけを役所が顕彰するという役所仕事の犠牲になったのだ。
 素朴な農民は代官様が認めてくれたとばかり、小旗をつくり、公民館やら公会堂の舞台で晴れがましく芸能を演じた。農耕や暮らしによりそった芸能が、目的を見失って興行芸能になっていった。

 それでも全国には、多くの祈りの芸能や感謝の芸能は生き続けている。
 圧倒的に多いのは東北である。福島原発事故のおかげで、土地そのものを奪われてしまった飯館村には、田植踊があった。田植えのときの予祝の踊りだ。
 南三陸町には本浜七福神舞があった。歳の初めの祈りの舞である。海も土地も核に翻弄され、生産する暮らしを奪われたのだから、当然のように芸能の担い手もいなくなり、後継者もみつからない。

 そこに登場したのは、東北大学の研究者グループだ。
 最後の民俗芸能の担い手の体中にセンサーをつけ、モーション・ピクチャア技術とやらで田植踊と七福神舞の動きをデータ化し、保存しようという企みである。
 物珍しさも手伝い、メディアもお役所も話題となっているが、芸能の意味も目的も失った動きだけのデータに、どれほどの価値があるのだろうか。
 芸能を含めた農耕そのもの明日のすがたに、研究の対象がなければ無意味な試みとしか思えない。
 近頃の歌舞伎がつまらないのは、若手がみなヴィデオで勉強するので、上面の芝居にしかならないと友人がなげいていたが、センサー保存の民俗芸能は所詮メカの遊びにしかならないのでは、と考えている。
posted by Kazuhiko Hoshino at 11:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月01日

いまでは信じられない「三越前駅」

いまでは信じられない「三越前駅」

 少年期「地下鉄」ときくとワクワクした。
 国鉄(いまのJR)は、どことなく事務的であったし、遠くに行かねばならないその為に乗るといった目的感が大きくて子供心に夢がなかった。路面電車はそこらじゅうを走っていて、生活感にあふれていた。本郷からは路面電車を乗り換えてあちこちへいった。
 当時路面電車というような科学的な呼称は使わなかった。すべてチンチン電車だった。停留所についたとき、出発するとき、車掌さんが紐を引っ張ると、運転席の後ろに取り付けられていた鐘がチン、またはチンチンとなって乗客をうながした。あの鐘のチンからチンチン電車は生まれたと信じている。

 地下鉄銀座線には「三越前駅」があった。デパートの名前がそのまま駅名になっている珍しい駅だ。そのうえ三越本店と直結していた。いまでは地下道が網の目のように走り、デパート直結など珍しくもないが、当時は画期的だった。地下鉄から三越へ入る入口には沿線随一のゴージャスなステンドガラスによる駅名板があった。今でもあるかもしれないが、子供心にこんなに贅沢な駅看板をみたことがなく、アールヌーボー風な三越前駅の看板のまえでしばし見とれていたことを覚えている。
 「今日は帝劇、明日は三越」とうたわれた時代だから、デパートはディズニーランドより、ユニバーサル・スタディオよりも夢のいっぱいつまったワンダーランドだった。

 地下鉄銀座線には、上野広小路駅(松坂屋前)や、日本橋駅(高島屋前)という駅もあったし、終点浅草は松屋前だった。銀座線はデパート全盛期に主なデパートをつないでできたレジャーラインだったともいえよう。
 三越前駅はそっくり三越がお金を出して作ったので、そのまま三越前駅になったと後年しらされた。それに引き換えカッコ松坂屋前や、カッコ高島屋前は、地下鉄の情報サービスだったのだ。

 デパートの屋上には飛行船やら、滑り台、動くお馬、小さな舞台では人形劇もやっていた。日曜日にデパートの屋上で遊ぶというのは、下町の子供たちにとって憧れの時間だったし、お腹がすいたら下の大食堂で小さな旗の立ったお子様ランチを食べるというのが、幸せの日曜日だった。
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2018年02月28日

ファッション・ショウに登場したドローン

ファッション・ショウに登場したドローン

 会場内が静かに暗転する。
 シンセサイザーがシンプルなリズムを刻む。とやや会場に光がもどって、ランウェイが浮かぶ。そこに空を切って登場したのは、ドローンの戦列、いっていの間隔を保ち、高さをたもって見事な編隊飛行である。
 一機ずつ今シーズンの新作バックをぶら下げ、客席上をデモンストレーションする、次次とドローンはバックをくわえてこれ見よがしの飛行をする。一機また一機、観客の関心は新作バックへの関心より、むしろドローンの見事なデモンストレーションに気をとられたようである。

 ミラノに於けるドルチェ&ガッパーナ春の新作コレクションのひとこまである。このあとモデルによる洋服のデモンストレーションが行われ、ショーは無事フィナーレを迎えた。

 テレビの旅番組や、ドラマの導入部やラストシーンにもっぱら特化して活躍していたドローンが、新しい職場をえて注目された一瞬だった。これからのファッション・ショウのあらゆる場面での活躍が期待される。基本になるデザインや発想を人間モデルに託し、色違いや素材違いはドローンで会場内を乱舞させたり、バリエーションは無限に考えられる。モデルにとってドローンは明日の敵でもある。

 いま宅急便の配送やら、アマゾンの通販にドローンの活用を研究チュウと伝えられるが、大都市の喧騒の間を走り抜けているソクハイ便などドローンにすることで、はるかに事故もへらし、時間も短縮できていいように思う。

 伝書鳩はいまドローンをみて、なにを想っていることだろう。
posted by Kazuhiko Hoshino at 16:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

女子フィギュアはコーチで恥をかく

女子フィギュアはコーチで恥をかく

 ピョンチャン五輪女子フィギュアスケートの最終戦をみた。
 修造の大騒ぎする日本のフィギュア女子は、あまりにも餓鬼っぽくて見る気になれないのだが、ロシアの凄さは見るべきという友人の勧めで、テレビの前にすわった。

 15歳のアリーナ・ザギトワにしても、18歳のメドベージュワにしても圧倒的に美しい。顔が美しいだけではなく、身体が美しく、大衆の眼にさらすキャンパスとして、十二分な肉体を持っている。フィギュアのような全身をさらして表現するスポーツは、そこが先ず入口である。
 テレビで絶賛する19歳の宮原知子は、伯母さん顔でちびだし、17歳の坂本花織は、まだまだ身体が絞り切れていない。JKの小太りがそのままオリンピックに出てきた感じなのだ。

 そして音楽、ドンキホーテの音楽が見事にカラダにのりうつっていたザギトワ、そしてアンナ・カレーニナを選んだメドベージュワ、オズモンドのブラック・スワンにいたってはバレエが先か、スケートかと言いたいぐらいの見事さで音楽が選手を包みこんでいた。
 それに引き比べ日本の選手からは全く音楽がきこえない。宮原知子の蝶々さんは、彼女自身意味も解らず蝶々夫人を採用したのではないかとさえ思った。ピンカートンに棄てられた蝶々さんの悲しみはどこにもなかった。坂本花織のアメリにしてもただ元気なだけで、アメリの青春はきこえてこなかった。

 衣装も格が違い過ぎた。クラシック・チュチュの基本を守ってフィギュア衣装に仕立て上げたザギトワ、メドページュワの濃紫のスパン使いとスワロフスキー使いの見事さ、なかでも黒鳥のイメージのオズモンドは成熟の美しさをふりまいていた。ザギトワとメデベージュワがフォーマルな長手袋をしてリンクに登場したときは息をのんだ。バレエやオペラでは当たり前だが、フィギュアで長手袋とはさすが伝統ある国だと感心した。
 安キャバレーのスパンコールで登場した宮原にしても、幼少期をテキサス・ヒューストンでは責めては可哀そうだ。責任はコーチにある。コーチがもつと勉強しなければ、音楽も衣装もいつまでたっても世界の三流品でしかない。解説者も技術点の説明だけで、芸術点には手も足もでない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

言葉遊びと江戸っ子

言葉遊びと江戸っ子

 江戸っ子には昔から言葉で遊ぶという楽しみがあった。
 寄席の笑いも、お座敷での幇間の笑いも、みな色々な言葉遊びから成り立っていた。江戸っ子は互いにそうした笑いで暮らしの隙間をうめ、人生をたのしんでいたともいえる。言葉遊びは、洒落や粋を支えた江戸っ子の財産だった。

 SKDの昔からざっと30年いや40年かな、折に触れて便りのある生徒がいる。昔は生徒だったがいまでは立派な女性だ。いまだに情熱をうしなわず、歌ったり踊ったり、あるいはしゃべったりしている。「千景みつるさん」。SKDの本拠は浅草国際劇場だったが、生徒は日本全国から集まっていて、なかなかに生粋の江戸っ子はいなかった。彼女が江戸っ子なのか、否かは知らないが、まま彼女の送ってくれる便りのなかに「言葉遊び」がまぎれている。
 その生徒がなかなかの江戸っ子なのだ。歌ったり踊ったり、肉体がキャンパスの生徒だから、知能や言葉に興味をもつ生徒は珍らしかった。

「名月をとってくれろと泣く子かな アマゾンならば明日にはとどく(ジキジキ・きよし)」
     古今の名句もアマゾンに負けている。
「降る雪や明治は遠くなりにけり 昭和も遠くなっちゃいました(千景)」
     どこか生真面目な生徒がのこっいる。
「ああ母は平安美人のひな人形 お腹も三段かざりです(遠藤)」
「あー母は割烹着が似合っていた 姉さん被りもにあっていた(千景)」
     やっぱり生真面目な少女歌劇がみえる。

課題 三本の木をみつけよう。
「私の中にみつけました 元気 勇気 やる気(千景)」
「落語家に見つけました 人気 ごひいき 浮気(今井)」
「女性に見つけました 吐息 りんき うそ泣き(岡田)」
「韓国料理に見つけました カクテキ トッポキ ラポッキ(千景)
     やっぱりどこまでいっても真面目が財産の千景みつるさんなのだ。
posted by Kazuhiko Hoshino at 17:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

羽生結弦と小平菜緒

羽生結弦と小平菜緒 羽生結弦と小平菜緒

 平昌五輪の収穫といえば、間違いなく「羽生結弦」と「小平奈緒」ではなかろうか。
 この二人にみる人柄と、内在するスポーツとの距離は実に素晴らしかった。自己顕示欲のかたまりのような選手が圧倒的に多いなかで、この二人の謙虚さには清々しさを覚えた。
 いままでの大会で、メタルをかじったり、テレビカメラに向かってヴイ・サインをしたり、スポーツ選手のふるまいにはうんざりしていたが、今回はちがった。ようやく大人のボンサンスを身につけた選手がでてきたという思いだ。

 決して表にでない両親、祖母、叔母たち皆が「頑張っているのは本人です。親がしゃしゃりでて話すことはなにもありません」かって当然のようにそうであった家族の考え方が何時の間にか、家族みんなでというファミリー主義に対して、羽生結弦の両親は見事にくつがえしてくれた。
 ネットではいかにも東北人気質などといっているが、第二次世界大戦にまけるまでは、東京下町の家庭でさえ、息子の合格やスポーツ記録に親が出てきてシタリ顔をさらすことはなかった。子供は子供、親は親という個の確立ができていた。中学校の入学や東大の入学式に親がチャラチャラと出てくるようなことはなかったのだ。
 「自分の敵は自分です。僕は羽生結弦以上でもなければ、それ以下でもありません」
 中学校の教員である父も母も東北大震災で家を失い、仮設住宅暮らしから家賃5万円のつましい借家にうつり、金メダル後はマスコミが殺到するので、ようやく市内のマンションに移ったという生活態度からも、人柄の謙虚さが伝わってくる。
 マスコミのインタビューに「スイマセン、この国旗を持っていてください」日本の国旗を下においてはならない、という彼の意識に一瞬意味の分からなかった女子アナがいたというから困ったことだ。

 小平菜緒も父から「人から簡単に教わるのではなく、大切なことは自分で発見しなさい」「見て、考えて、自分のものにする、それが基本だ」としばしば言われたといっているが、この親にしてこの子ありということだろう。
 三人姉妹の末っ子とあれば、イージーに流れそうだが、そうした教育環境のなかから鬼かわいい「怒った猫」が生まれた。
 銀しか取れなかった韓国のアスリートに声をかけ、二人で抱き合って喜んだ姿が忘れられない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:29| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする