2017年03月18日

アメ車は何故売れない

アメ車は何故売れない

 トランプ大統領から安倍さんは、アメ車を買え、アメ車を売ってくれ、とかなり強硬に言われたと伝えられる。が日本では外車といえばドイツ車が圧倒的人気で、その筋の方から大病院の院長先生までメルセデスに乗っている。昨年の輸入外車ランキングでも、一位がベンツ、二位BMW、欧州車がずらりと並び、アメ車はフォードの15位がやっとという現状なのだ。

 アメ車は大きい、アメ車は燃費が悪い、アメ車はすぐ壊れる、といった昔から確立した都市伝説を打ち破るのはかなり困難だ。それでも無駄に大きくて、かっこいいからアメ車だという人は、親不孝者か自称ロッカーにはいる。

 思えば一面焼け野原になった東京を、埃を上げて走っていたのはアメ車だけだった。多くは兵隊たちの乗るタフでごついジープだったが、たまに駆け抜けていくシボレーを眼にすると軍のなかのエリート、高級将校がふんぞり返っている姿を想像した。どうしてもキャデラックを見たいという自動車狂は、お濠のまえの連合軍総司令部、接収された第一生命ビルの周りをうろついてようやく遭遇した、あれは将軍に違いないと翌朝自慢げに吹聴していた。

 スカイブルーと白のツートンに塗り分けられたシボレーに遭遇すると、そこにハリウッドやニューヨークの摩天楼がダブった。日々の食に追われていた日本人にとって、アメ車は思い届かない文明のシンボルだった。

 それがいつの間にか厄病神のように言われ、誰も買わなくなったのは、時代の趨勢を読み違えたシカゴの自動車メーカーの人々ではなかったか。今のアメ車は燃費もよくなり、車体もコンパクトになっているのだが、堅牢度や取り回しの面でユーザーのライフスタイルに心を尽くさない、いいから買えという姿勢では日本人は買わない。

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2017年03月17日

吹き荒れるヨーロッパの極右勢力

吹き荒れるヨーロッパの極右勢力

 アメリカの作り上げたグローバリズムのメッキが剥げ、資本主義のいきずまりとともにヨーロツパはいま、
極右、右翼思想の嵐のなかにいる。
 イギリスのEU離脱に始まったこのメガトレンドは、イギリスに於ける知的女性のシンボルとも言われた
テリーザ・メイ首相をして「EUの設定した 人・モノ・サービス・資本 四つの自由にイギリスは超えられない
一線がある」と発言させた。

 オランダでは、反EU・移民受入れ反対をかかげた右翼自由党が大きく勢力を伸ばし、党首ウィルダースは「ついに自分たちのの手に国を取り戻す時が来た」と獅子吼している。

 フランスでは、次期大統領に最有力だった中道右派のフランソワ・フィヨンの家族への100万ドル公金流用疑惑で人気に陰りが見え、中道無党派のエマニュエル・マクロンは同性愛者との不倫を暴露され、結局トランプより危険と言われている極右 ジャン・マリー・ルペン女性党首が、グローバリゼーションとイスラム原理主義への反対をかかげて、次期大統領の最有力候補にのしあがった。

 イタリアは北部同盟五つ星運動のサルビーニ書記長が、反政党主義、反物質主義、反競争社会、反EUを掲げ、二大政党の中に割って入り新勢力の星になっている。コメディアンと起業家の道楽と見られていた政治運動がいま時代の真ん中にいる、という訳だ。

 EU推進の中心にいるドイツでもメルケル首相の足元がゆらいでいる。メルケルの移民政策に真っ向から反対を唱えて、一大勢力となったのは仝じく東ドイツ出身の、これまた仝じ女性科学者、メルケルは牧師の娘、フラウト・ペトリーは牧師と離婚した女、という一卵性双生児のような反対勢力が伸びている。ドイツのための選択肢AfD いい移民・悪い移民を選別せよ、という極右政党である。

 ヨーロッパはいま極右思想と女性政治家に揺れている。小池百合子にヨーロッパの風が吹いている。

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2017年03月16日

オスプレイが飛んでどこが悪い

オスプレイが飛んでどこが悪い

 県の防災ヘリコプターが墜落した。第一面のトップに書かれている。
 左半分にはそれより大きな活字で、オスプレイが県内を飛んだというニュースだ。日米共同訓練中だが、事前の連絡はなかったしあちこち自由に飛んでもらっては困る、ということなのだろう。県内の住民からも近所の山の上を飛んだとか、千曲川の下流方向に飛んで行ったとか迷惑情報が寄せられている。
 どこかの町の議会は、あらためてオスプレイ配備反対決議をした、と書かれている。どういう訳かオスプレイはまるで犯人あつかいである。

 日本はいま国土の防衛についてアメリカに依頼している。丸腰では現在の国際情勢をみれば、無事ではいられないこと位は、日本国民は判っている筈だから。その米軍が巨費をかけて開発したのが、オスプレイだ。
 オスプレイは垂直に離着陸する機能と、飛行スピードの速さ、航続距離において圧倒的に優れている。
CH46という従来のヘリに較べたら、行動半径は4倍以上、空中給油を一回しただけで8倍の距離を飛ぶことが出来る。
沖縄を基地とすれば、尖閣は勿論のこと、中国は上海まで、韓国のソウルまでとんでいける。倍の兵士と6倍の貨物を積んで飛行できる。災害救援にも離島防衛にも人道支援にもこんな頼もしい飛行機はない、ということ位素人でも理解できる。
反対運動の人々は事故率を上げているようだが、兵器というのは押しなべて初期はいろいろのトラブルが起きる。すべて時間とともに解決していく。実戦配備してからのオスプレイ事故率は10万時間当たり1.93回、現在使われているヘリコプターCH53Dの4.15よりもはるかに低い。騒音も従来機より6倍も静かなのだ。

 そうした客観的データーを無視して、とにかく反対反対という人たちの感情論が理解できない。
 中国は尖閣は核心的領土といい、沖縄すらも領土だと言い放っている。北朝鮮は日本の米軍基地が目標だと
ミサイルをむけている。日本人は日本の米軍基地は日本なのだ、ということが理解できていない。
 オスプレイが配備されることを最も嫌っているのは中国と北朝鮮、オスプレイ反対の人たちはひょっとして中国共産党の回し者かと疑ってしまう。
 いい加減にオスプレイ反対ごっこ、万年野党ゴッコから、メディアも庶民も卒業すべきだろう。
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2017年03月15日

鯛焼きは天然物にかぎる

鯛焼きは天然物にかぎる

 「たい焼きは、しっぽまで餡が入っているのが美味しい」と四谷の作家安藤鶴夫が新聞紙上で発言したところから、論争になった。いやたい焼きのしっぽは、指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に棄ててしまうものだから、餡の入ってないのが正しい。そんな反論まで飛び出したが、たい焼きを愛する庶民の立場からは、やっぱり尻尾まで餡が入っていたほうが、嬉しいし得した気分にもなる。

 四谷のアンツルさんのいったたい焼きは、四谷見附にある「わかば」のたい焼きのことだ。それまでたい焼きは麻布十番の浪花家だとか、人形町の柳屋だといっていたが、安藤鶴夫の発言以来すっかり「わかば」のたい焼きは名品となった。わかばのそれはガツンとあんこ、パリパリ薄皮の天然物であり、なによりも化粧裁ちがしっかりとしてあった。
 女優佐久間良子さんの差入れはいつも「わかば」のたい焼きが粋な竹籠に100匹程もはいっていた。徹夜で働いて甘味不足のスタジオの若者たちにとって、尻尾まで餡のつまった「わかば」のたい焼きはなによりの差入れだった。

 あの頃ドラマ収録の現場での差入れ人気ベストテンは、「おつな寿司のいなり」「五十番の豚まん」「まい泉のかつサンド」「千疋屋のフルーツサンド」などだっが、「わかばのたい焼き」は断トツの人気だったような気がする。

 麻布の浪花家は、子門真人の「およげ、タイヤキクン」のモデルになったことから有名になったが、その昔は元祖とも100年の伝統ともいってなかった。麻布十番のちいさな駄餅やさんの一隅でささやかに焼いていた。
 たい焼きには、鉄の焼き型一本一本で焼く天然物と、複数同時に焼く養殖物の二種類ある。ずらりと炭火の上に並んだ一丁焼きの鋳物同志がひっくり返すたびごとにぶつかる音の風情がたまらないという人もいる。
 高村光太郎の一文から、吉本隆明は「たい焼きは男のせつなさの象徴である」とまでいったが、良き時代のノスタルジックなスイーツなのかもしれない。

 近頃では餡を入れずに、ベーコン、チーズ、チョコレートなど具材にした新製品やら、パンケーキミックスをつかったふわふわとやわらかいたい焼きも存在するようだが、あれはたい焼きと呼んではいけない。ほかほか、ぱりぱり、もちもち、こしのある餡と香りこそが江戸のたい焼きと認識している。
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2017年03月14日

さようなら、A5ランクの牛達

さようなら、A5ランクの牛達

 「肉はA5に限る」誰が言い出したのか知らないが、最近この表現に反発する勢力がでてきた。
 「A5の肉はいらない。脂過剰で決してうまい肉ではない。うちではA4等級以下で充分美味いすき焼きを提供します」宣言したのが、明治13年から雷門に店を構えるすき焼きの名店「ちんや」の社長である。

 「ちんや」は、東京風な割下でたくすき焼きで、値段ばかりが高いA5ランク信仰に我慢ならなかったのだろう。戦前は美味い肉は赤身だった。ヒレ肉の中心にあるシャトーブリアンは、ヨーロッパでも日本でも、香り、旨み、食感で最高とされてきたのだが、何時の頃からかサシばかりが過剰に入ったA5肉に人気が集まるようになった。
 食肉業者の戦略だったのだろうが、「当店の肉はA5ランクの最高級○○牛」と書きだした食堂・レストランだらけとなり、調理の腕も棚上げの宣伝合戦となった。

 「ちんや」では、霜降り肉といわず「適サシ肉」と表示するようになった。
 脂肪の量は4等級(そのほうが身体にもいい)で、なによりも脂肪の溶け方がよく、赤身の旨みと脂の甘みのバランスがとてもいい。香りも立ち、胃もたれもしない、いいとこずくめなのだ。
 サシの入り方が細い小サシと言われる状態は、加熱するとサシと赤身の境界から「和牛香」と言われる香りがでて、なんとも美味そうな食欲を促進する香りにみたされるという。時の流れとはいえ、バブリーなキャッチに踊らされ、脂身だらけの肉を食してきた我々自身の食に対する意識が問われている。

 「ちんや」では肉の適正化とともに、溶き卵の改良も発表している。
 名匠小津安二郎が好んだカレーオイル入りの卵と、酸味を加えたヨーグルト入り卵の二種である。
 溶き卵の革命と「ちんや」は云っているが、いずれの折に試食してみたい。
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2017年03月13日

「カモフレ」いま話題の男女関係

「カモフレ」いま話題の男女関係

 「カモフレにならない」「カモフレならいいわよ」そんな会話が流行っているそうだ。
 カモフレとは、「カモフラージュ・フレンド」のこと。 恋人同士のフリをしあう男と女。恋人同士のように繊細な神経をつかう必要がない。気を使わないで、お互い都合のいいときにデートする関係であるらしい。
 無論恋人同士なのだから、手をつなぐこともあれば、キスすることもある。関係はそこまで。

 寂しい時には、恋人のフリをして寂しさをまぎらわしてくれる。
 少々のわがままは聞いてくれる。同性でどうしても満足できないとき、異性でもただのともだちでは充たされないとき、カモフレなら満足させてくれる。
 疑似恋愛、疑似デートに応じる心のゆとりがなければならない。
 恋愛ヒク嫉妬ヒク打算ヒクセックスイコール「カモフレ」 という公式が成り立つ。
 恋愛のわずらわしさがなく、ほど良い距離感でつきあう男と女のあいだに成り立っているのが「カモフレ」である。

 疑似夫婦からスタートした「逃げるは恥だが役に立つ」あたりから、主婦代行より疑似恋人のほうがいい、という意識が育ってきたという向きもある。「東京タラレバ娘」のごとくいちいち本気になったら疲れてしまう。「奪い愛、冬」のごとく、怨念で恋したらたまらない。もうすこしゆるく楽しく青春を楽しみたい人々には、なんとも有難く適切な人間関係、それが「カモフレ」である。

 結婚に憧れている人にはカモフレは無理だが、それまでの経過措置としての「カモフレ」はありかもしれない。既婚者でも不倫地獄に陥ることなく、家庭から解放され、固定化した男性観にすこし新しい風を吹き込むには、「カモフレ」の関係は絶妙である。
 新しい出会いに、恋人関係を選ぶか、「カモフレ」を選ぶかは貴女次第なのだ。
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2017年03月12日

神道教育は悪くない

神道教育は悪くない 神道教育は悪くない

 ようやく森友学園問題も、小学校設立申請の取り下げと、理事長辞任で落し処がみえてきた。
がここ何週間のあいだのメディアのはしゃぎようは、全く狂気の沙汰だった。

 はじめにメディアがくいついたのは民族教育、「君たちはなに人ですか」「日本人です」「日本民族です」
そのことがいかにも反社会的行為のごとく、新聞やテレビが騒ぎ立てた。
 そんなことは「中国」でも「韓国」でも「アメリカ」でもやっていることで、国家に殉ずる国民をつくることは、どこの国でも義務教育の基本になっている。マツカーサーに肝を抜かれた日本は、戦後ずっと義務教育から民族教育が抜け落ち、無国籍な自由平等教育こそが正しいという錯覚のまま今日を迎えた。それ故にディズニーランドこそ憧れの地で、尊敬する人物はウォルト・ディズニーなどという信じられない日本人が誕生してしまったのだ。
 野党を始め左翼知識人もそうした無国籍教育こそ正しいとして、無責任な声を上げてきた。

 女子のエリート学校には、キリスト教系が圧倒的に多い。男子には仏教系やら、新仏教系も多々あるなか、どうしたことか神道系の学校はすくない。皇學館、国学院ぐらいで、世が世なら学習院もそうであるはずなのが、敗戦後のにほんで占領軍に牙をぬかれ、ただのプチブル学校になってしまった。そうした意味から神道系の学校ができることは、歓迎すべきだったのに、今回は経営者の資質から挫折してしまった。

 国有地の払下げ問題もつつけばきりがない。朝日新聞は築地本社の国有地払下げで、時価の四分の一と言われる値段で入手している。大蔵省を巻き込んだ読売、サンケイの国有地払下げ騒動も八分の一の値段だった。それぞれの言い分はみな自己都合で、メディアは大見得をきれるような立場にない。
 もう少し頭を冷やして遊休地がいいのか、小学校がいいのか、それとも朝鮮学校なのか、中国へ売るのか、そちらを論じたほうがいいだろう。

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2017年03月10日

メシの味より「飯盛り女」

メシの味より「飯盛り女」

 軽井沢の南、発地という田園地帯につぎつぎと新しいレストランが出来ている。
 美味いものは大歓迎なので、できたという情報に接すると、食い意地もいやしく早々に客となる。

 かって塩沢の入口近くの民家で、釜戸焚きのメシをうりものにしたレストランがあった。商業建築の安普請よりは民家のほうがましと思い、釜戸焚きのメシを目当てに足を向けた。メシはそこそこだったが、味噌汁の不味さに驚いた。そのうえ味噌汁の椀が安っぽいプラスティックだつたことに落胆し、そのレストランから遠ざかった。

 あのメシやが発地の大通りに立派な民家風をつくったという噂だった。
 あの時から味噌汁も反省して美味くなり、繁盛のすえの新築開店と合点して、スタッフとともに店を訪れた。
田園風景のなかの新築の佇まいは、魅力的な民家レストランに見えた。座敷に上がり、メニューをひらいた。目の前に広がるホタルの里、ご飯は釜戸炊き自慢のとろろ御膳と、福見鶏御膳を頼んだ。主菜はそれぞれにとろろと福見鳥だから、さぞやと期待したが、副菜の煮ものよりも少なく貧弱な鳥と、出汁でのばしたとろろをさらにお湯でのばしたような情けないとろろ汁がでてきた。
 器は民芸風な趣味のいいうつわを揃えているのだが、汁椀は相変わらずのプラスティック、食器の揃え方が出鱈目なのにはあきれた。その上ひどかったのは、肝心のメシが不味かったこと。「さとうのごはん」のチンにも劣る、メシさえ美味ければ玉子ひとつあれば食べられるのだが、これにはびっくり。煮物はうすい出汁で煮ているが、煮込みが中途半端でこれまた味が滲みてない。
 数日前、やはり発地に開店した食堂にいったが、ここもまたメシの不味さに辟易としたのだが、どうも軽井沢では美味いメシにありつくのは至難の業のようだ。

 その土地の民度と食のレベルは平行するといわれるが、中山道の宿場から今日を迎えた軽井沢は、食に関してはかなり恥ずかしいレベルだということを再認識した。 宿場時代の軽井沢は「飯盛り女」の色香で食べさせていたのかもしれない。
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2017年03月09日

物忘れ外来の昨日今日

物忘れ外来の昨日今日

物忘れ 忘れたことを また忘れ
思い出す 三歩歩いて なんだっけ
久しぶり 顔はわかるが 名前がね
あれこれで 通じる妻が ありがたい
物忘れ 晩酌だけは わすれない

「物忘れ」という現象は誰のところにもやってくる。
 最近ではジュリーこと沢田研二が、途中で歌詞を忘れ3600人のファンの前で土下座したというニュースがあった。紅白歌合戦で歌詞を忘れたのは細川たかし、十八番の「浪花節だよ人生は」で二度も忘れている。大御所北島三郎も「根っこ」という曲の「忘れるな」というフレーズを忘れた。洒落のきつい物忘れだ。
 歌手の場合、つい気が緩んでというのと、レコーディング間もないので歌詞がまだちゃんと入っていない、というのがある。そのため新曲の場合は、マネージャーが大きなカンペを作って、カメラの横やらオケボックスに待機している。カンペの出し方の下手なマネージャーはいじめられ、カンペの上手いマネージャーは、のちに歌手となり、スターとなった例もある。

 我々庶民の物忘れは、加齢とともに進む脳の老化が圧倒的に多い。
 ストレスや、睡眠不足でも物忘れは発生する。寝ることによって人間の身体は再生し、回復するのだ。食生活の欧米化も原因に数えられている。肉をたべず、マグロ、サバ、など青魚を食べていれば、DHA、EPAなどが適度にとれ、脳の劣化を防いできた。それがいまでは肉食中心となり、脂質、コレステロール、飽和脂肪酸を発生させて物忘れ……つまり馬鹿が次々とふえつづけているそうだ。
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2017年03月08日

猿若祭のふたり桃太郎

猿若祭のふたり桃太郎

 江戸歌舞伎390年と謳い、猿若祭大歌舞伎と謳っている。
 ならば初幕のまえには、柿、白、黒、三色の引幕にして欲しかった。
  守田座方式の萌黄、柿、黒の定式幕では気分が盛り上がらない。
 物語のある柿、白、黒の幕にしてこそ、390年前の安宅丸による歌舞伎の江戸乗り込みを彷彿とさせる。
櫓拍子を揃えるために船の舳先に立ち、金の采配をふって江戸の港にはいってきた初代中村勘三郎の心意気が見える船覆いの幕こそが、柿、白、黒の三色に象徴されているのだ。

 猿若祭では勘太郎・長三郎の初披露もあったため、そちらの祝い幕を優先させたのだろうが、まずもって猿若座の気分こそ江戸っ子にとっては晴れがましく嬉しい。
 猿若という道化の役どころは、阿国歌舞伎とともに、出雲、京都、江戸に伝わった狂言回しとして、歌舞伎百般にまつわる名前なので、役者の家の名のうえにきて当たり前である。

 さて三代目中村勘太郎、二代目中村長三郎初舞台は恒例記者会見に始まった。
 同時に発表されたのが、「二人桃太郎記念田んぼアート」と題された田植えと稲刈りイベント。まず五月に松本の田んぼで田植え、秋には稲刈り、18世勘三郎の鏡獅子と日本一の幟をもったふたりの桃太郎が稲田にうかぶ。ひとつのイベントで三度宣伝に絡むイベントだった。
 次は桃太郎ゆかりの鬼ヶ島へ。鬼の洞窟のまえでの親子三人の見得写真。さらに岡山吉備津神社にまいり、鬼の首の埋まっている竈のうえの窯を炊き、鳴り響く音で吉凶を占う鳴窯神事、そして最後は浅草浅草寺における猿若祭お練り、と宣伝大車輪の興行だった。テレビ時代に呼応し、子供二人の一年間密着レポートと水も漏らさぬ中村屋ご家芸の宣伝戦だった。
 かくて歌舞伎座客席にはマスクをし、キャリーバックを引き、芝居中も平気で弁当をひろける無法者があふれたのだった。   ……目出度し、目出度し。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする