2018年12月10日

SKD最後のスター・春日宏美

SKD最後のスター・春日宏美

 かって浅草には東洋一の国際劇場があった。
 その国際劇場を本拠地として活動していたのが、松竹少女歌劇団(通称SKD)だった。SKDは松竹音楽舞踊学校の卒業生を軸として編成され、水の江瀧子を始め草笛光子、倍賞千恵子、榊ひろみ等次々とスターを輩出した。そして最後のスターが、男役春日宏美と娘役久美晶子だった。

 SKDは3600人収容という巨大な劇場にふりまわされ、グランド・レビューという様式にいかざるをえずスペクタクルのなかに踊り手は埋没していった。それに女性だけの歌劇団という特殊性も時代の波にのまれていったが、1996年の歌劇団解散以後も舞台を愛した生徒と、ファンの人達の交流からいくつかのグループが、松竹の灯を消したくないと活動をつづけている。STASもその一つだが、春日宏美もまた朗読やら唄、踊りと活動している。

 日曜日に浅草の大黒屋倶楽部で、「語り・ソング&ダンス春日宏美」の会があった。語りも唄もダンスにも、美味い下手の水平線を超えたスターの光芒があった。輝ける国際の舞台からしか生み出すことのできなかったスターのDNAを見た。70才を超えてスリムな体系を維持し、キモノスガタも、イブニングも、メンズ・スーツも着こなして凛と演じる姿に感心した。男役という世俗的には歪んだ個性に恥じることなく悪びれずにどうどうと演じている彼女を眼のまえにし、彼女を批評することは彼女の人生に失礼なことだと自問自答した。
 100人内外の大黒屋倶楽部にはなんの照明もないが、照明の必要を感じさせない春日宏美の存在があった。彼女の不器用で正直な生きざまそのものが、ステージに溢れて魅力になっていた。

 この大黒屋倶楽部のオーナーである女将が、幕間にヴァイオリンをひいたが、これまた魅力あふれる演奏だった。上野浅草管弦楽団のコンサートマスターであり、天ぷら大黒屋の女将であり、このアンチームなホールのオーナーは、ここを根城に50回に及ぶ室内楽シリーズを主宰している。下町の女将さんには実に魅力的な人々がいる。
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2018年12月08日

蝶の擬態・ひとの擬態

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 何十年ぶりに蝶々の見本をみた。小学校の頃は夏休みの宿題は、必ずと言っていいほど蝶々の標本ずくりだった。
 なかには生き物が苦手の友達もいて、彼らは鉱石の見本をつくってきた。善福寺川や石神井川でいろいろな石が採集できた。武蔵野を走り回ればいくつでも蝶の標本はつくれた。ついでに蝉やカブト虫もとって、そっちの採集に夢中な友達に分けた思い出もある。

 蝶の見本をみて興味をそそったのは「擬態」だった。擬態はその名の通り、有様を似せることだが、昆虫の擬態は不思議のひとことに尽きる。擬態にはいろいろの擬態があるらしい。
 隠蔽擬態は、まわりの地面や葉っぱに似せて隠れるという擬態でバッタなどにままみられる。攻撃擬態はカマキリなどに見られ、まわりに同化して攻撃のチャンスを伺う。繁殖擬態はハンマー・オーキッドや蜂の雌に見せて雄を誘惑する。自然界はじつに不思議に充ちていて、ミミズクそっくりの蝶の擬態には、目的はなにとおもわずつぶやいてしまった。

 蝶の紋様や擬態を見ていると、神のイタズラのようにも思ったが、神様は蝶やカメレオンには外見のイタズラを施し、人間には言葉や態度にイタズラをほどこしたのではないか、と思えてきた。
 左翼社会主義者たちが、リベラルと自称するのはとても変だし、審議時間が足りない足りないと発言して、なにも提案しないのは、まさに言葉の擬態にほかならないし、引伸ばしてサボタージュしている時間になぜこのひとたちは主張を提案しないのか、神様は人間にやっかいな擬態を与えてくれたものだと、溜息がでる。

 おじさんがジーンズを着て若者ぶるのは、カジュアルへの擬態かもしれないし、大胆なツン・ブラは、男を捕食する罠にちがいない。胸のあいたイブニングは、夜の蝶への擬態そのものだ。
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2018年12月04日

炎のシャンゼリゼーはいずこへ

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 凱旋門からコンコルドの広場まで、両側の道に植えられたマロニエとプラタナスの木が真っ赤に燃えた今年のシャンゼリゼー大通り、クリスマス・イルミネーションは評判が評判をよんで陽気で華やかな大通りになる筈だった。
 シャンゼリゼーの植栽がすべて真っ赤な色彩に包まれるというのは今まで無かった。フランス人の大好きな赤一色のイルミネーションはLED電球の登場で初めて実現した。それ故、点灯式にはデザイナーのカールラガァーフェルトが登場して、シャンゼリゼーを祝福した。、

 そのシャンゼリゼー大通りは閉鎖され、近かずくことも出来ない物騒な街にかわってしまった。
 街を支配しているのは、「黄色いベスト」に身をつつんだ燃料税値上げ反対のデモの群れ、毎日治安部隊と衝突し、放水と衝突を繰り返し、商店のガラスは割られ、ディスプレーは壊され、工事用の柵はバリケード代わりとなり、内戦のような有様になってしまった。大統領はいま戒厳令を準備していると伝えられている。

 シャンゼリゼーとジョルジュ・サンク通りの角にあるフーケッツのテラスでの待ち合わせも、ラドリーの二階のお洒落な食事もみんな不可能になってしまった。
 欲しいものはみなシャンゼリゼーにあると謳われた夜も昼も、シャンゼリゼーは答えてくれなくなってしまった。

 いままで日常的なデモは、オペラ通りとかバスティーユ通りが多く、凱旋門に集まれというのはあまりきかなかったが、いまデモの指令はSNSを通じて当日出されるので、黄色いベストもかなり大変と聞いた。今日はシャンゼリゼーは国賓を迎えるからとか、革命記念日のバスティーユは避けようとか、従来あったコントロールが効かなくなり、観光客がいようが、いまいが、全く無視してデモを展開する。

 庶民の生活に直結する「燃料税」値上げは国民の怒りを買い、大統領の胸元に匕首を突き付けている。もとは燃料だけにそう簡単には鎮火することはないだろう。
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2018年12月03日

喜劇「退職代行サービス」

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 「退職代行サービス」と聞いて、なんのことか意味がわからなかった。
 落ち着いて内容を聞いて合点がいったのだが、日本人はいつの間にそんなにだらしのない人間になったのか、聞けば聞くほど情けない思いにとらわれた。
 「辞めます」「辞めさせてください」が言えない。自分の意思を自分の口からいえない。優しいママは、うちの子はやさしいからとか、本当にナイーブなの、とかおっしゃるが、そんなのはただ単純に気が弱くて、頭が悪いとしかいいようがない。
 コミュニケーション能力というほど上等なものではなく、基本的な生活能力の欠落以外のなにものでもない。心優しい社会をめざしたここ20年ぐらいの負の結末と断言できる。

 この退職代行サービスの利用者は、20代前半の男性が70パーセントを占め、女性は30パーセントに過ぎないという。
 ダメ男が急速にふえていることがわかる。過保護のゆとり世代が男の野性をうしない社会に適応できなくなっているのだろう。適応できないといえば、新皇后になられる雅子妃と共通点がある。新しい環境に飛び込んでいく覚悟がない。パワーもない。誰かの陰に隠れてジッとしていることしかできない。カメラの前に立つだけで気分が悪くなり、病に伏せる。めんどうくさくいえば適応障害だが、半年、一年を超えて10年にも及ぶというところが、完全に人間力を喪失している。

 庶民なら退職代行サービスに駆け込んで、5万円払いこめば処理してくれるが、天皇家ではそうもいかない。
 金もないのに海外留学をしたがったり、足が短くてもミスター湘南ボーイになりたがったり、借りた金を返さなかったり、普通の庶民感覚から見れば、とんでもなく変な奴なのに、それが判らない国民が圧倒的にふえてしまったのだ。

 「退職代行サービス」はここ二、三年で10倍の規模に増えたと社長さんは豪語していたが、退職代行の社員が辞めたいときは、何処へ駆け込んだらいいのと、お笑いが茶化していた。

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2018年12月02日

来訪神を心配する

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 にほんの民俗芸能「来訪神」がこのほどユネスコに登録された。
 目出度い!嬉しい!で新聞は騒いでいるが、よく読むと現地では後継者不足でなやんでいると、百姓、漁民、匠の悩みとまったく同じ書き方、頭の悪さにあきれる。
 戦後こうした芸能の最大の危機があった。政府が「無形文化財指定」という権威をあたえた時だ。旗印をえた芸能は本質を失って一様に形式化の道をたどった。指定を受けなかった芸能はいっきに消滅の道をたどった。

 今回のユネスコ登録でも恐らく多くの習俗は信仰からイベントへの道をたどることになる。JTBもHISもキンツリも、これこそ絶好の商売のネタとばかりにユネスコ来訪神ツアーを売り出すことだろう。原始信仰が商業主義に荒らされる。
 風景とグルメしかなかった旅行の題目として、来訪神はなかなかの素材なのだ。

 全国にとっちらかっているユルキャラと同じような扱いで、飯島のトシドン、能登のアマメハギ、悪石島のボゼ、宮古島のバーントン、貝島のカセドリがチラシに掲載され、仮装もできます、仮面の体験もできます、とただの観光ツアーに成り下がった来訪神の末路が眼に浮かぶ。

 来年からはユネスコ登録無形文化財のノボリを従えて、観光客の都合のいい時間に上演されるようになるかもしれない。
 民俗芸能についての教育が欠落しているなかで育った子供、青年たちにとって、来訪神はただのコスプレにうつってしまうのが残念なこと。なぜ辺境の地にこうした来訪神の習俗があるのか、なぜ季節の変わり目や年の瀬に来訪神はあらわれるのか、信仰の原始的形態についてすこしでも学んでほしい。

 来訪神の観光化だけはぜったいに避けねばならない。
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2018年11月30日

大嘗祭の簡素化はいらない。

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 誕生日の記者会見で皇嗣となられる秋篠宮さまが、発言した。
 新天皇即位に伴う大嘗祭について、宗教色の強いものなので、国費で賄うのには疑問がのこる、という発言である。前回今上天皇即位の折にも、国費支出反対で、身の丈にあった簡素な儀式にすべしと云い、「すっきりしない感じをいまでも持っている」と発言している。
 天皇家の一員として命を受け、神道の真っただ中にいる秋篠宮が、国家としての日本の伝統について否定的な意見をもつのは大変に不思議なことだ。

 ひょっとして秋篠宮は、日本国をキリスト教国家にでもしようとしているのか。現在の天皇家には、キリスト教教育をうけた姫が4人もいる。最少家族のなかの4人であれば、その影響力ははかりしれない。それ故、何かと経費のかからない身の丈にあった簡素化をめざせ、と発言する。国家のアイデンティティを経済論理でかんがえるのは如何なものか。
 千年にわたる天皇即位に伴う儀式を簡素化せよ、というのは伝統の破壊……それ以外のなにものでもない。伝統は固くまもってこその伝統であり、日本の国家としてのアイデンティテイである。この国が歴史上貧しかったことは度々ある。天武天皇以来、いく度かの貧しさのなかでも新天皇即位に伴う重要な祭儀と位置ずけられてきた大嘗祭の簡易化をはかったら、国家としてのアイデンティティがなくなる。

 共産党や立憲民主がとなえそうなことを、次の皇嗣となられる秋篠宮さまが発言するとは情けない。
 なにごとも節約が美徳というのは、キリスト教的な考え方で、神道では厳格に守り継いでいくことに価値をみいだしている。ヨーロッパ先進国の王族たちが日本の天皇に一目おくのは、直系男子による継承が1000年守られ今日まで続いているからにほかならない。
 祭式簡素論は神道国家破壊論につながる。日本はこのさい神道を基本とした多宗教国家であると宣言して、第二次世界大戦の敗北から脱却するのもいいだろうと、さえ思っている。

 大嘗祭は日本全土の東西から二つの田圃を選び、そこで育てた稲穂を御飯とし、黒酒と白酒にして神にささげ神の祝福を受ける新天皇初めての収穫祈願祭だ。そこには技術の伝承も民俗の伝承も思想の伝承も歴史の伝承もつまっている。
 田園都市国家としての日本と、新しい天皇という祈りの存在がこの祭りを通して一体化するきわめて重要な祭式なのだ。

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2018年11月29日

流量スターの蓄財法

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 中国には「流量スター」とよばれる10数人のとてつもないスターがいる。
 このスターたちのドラマ一本の出演料相場は1億元、日本円になおすと約17億円といわれているからビックリポンどころではない。
 演技力ではなく、ネット露出によるアクセス数の多寡が流量スターの価値をきめる。広大な国土を背景に中国15億の人口を相手に商売をするのだから市場経済にまかせれば、当然こうした故なきスターが生まれて当然かもしれない。

 ネットのアクセス数さえ多ければ、すべてよしとするスターは日本にもいるが、そこからおこってくる犯罪は、毎日イイネばかり押しているチンピラ・アルバイターから、大規模なデータ改ざんをするリサーチ会社まで多種多様に存在する。特にネット・バブルとネット犯罪は、共産党政権のイマジネーションを超えて中国全土にひろがっている。まさに中国芸能界の汚れたバブルの源泉になっているのだ。

 中国の有名女優范冰冰156億円に及ぶ脱税課税事件はつい先ほどで耳新しいが、個人の蓄財はタックスヘイブンのケーマン諸島、制作会社の蓄財は新疆ウイグル自治区のホルゴスへというのが、中国映画界の常識となっている。ホルゴスは人口6万ばかりの小都市だが、企業誘致のための税制保護制度により、いっきに中国バブルの象徴にのぼりつめた。ある時突然に共産党政権の軍が現われて、町そのものを消滅させることさえ考えられる。
 最近政府はドラマ出演料を全製作費の40パーセント以内、主要出演者はそのうちの70パーセント以内とするお触れを出したが、どれだけ守られるかすでにカケの対象になっている。大小7000社ある制作会社の熾烈な生き残り競争になっているのだ。

 習近平政権は昨年から「文化ソフトパワー強国」路線を打ちだしている。それでも過剰な愛国路線と反日、抗日路線の作品が検閲はとおりやすいので、どうしてもそちらにながされる。流量スターはそこからつぎつぎと生まれてくる。そしてその流量スターをささえるのは、日本の女性が圧倒的に多い、といわれているのだから喜劇そのものである、
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2018年11月26日

シアワセの国際ロマンス詐欺

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 我が家には役場のお知らせ専用の受信機が置かれている。
「お知らせします。本日午後3時頃、追分地区の80才の男の方が、行方不明になっています。服装は茶色のジャンバーにグレーのズボン、お心当たりの方は警察署までご連絡ください。」
「お知らせいたします。新軽井沢で振込め詐欺の被害が発生しました。高齢者の方はご注意ください。」
 行方不明も、振り込め詐欺も、消防訓練も、みな同じ口調でフラットにしゃべるところが、いかにも役場の広報らしい。

 ところがいま中年の独身狙いで「国際ロマンス詐欺」というのが発生していると、きいた。
 何処で調べるのか、婚期のおくれてる独身女性が標的だそうだ。カッコのいいアメリカ軍人の写真が添えられてSNSで友達申請がくるらしい。あれこれ選んで婚期を逃している女性にとって、セイの高いアメリカ人からの友達申請は地獄に仏の思いで舞い上がる。これで私もようやくインターナショナルな人間になれる、だって若い頃ディズニーランドには20回も通ったんだから。その日から彼女はスマホを抱いて寝るようになる。

 スマホには、ばらの花束の写真にアイラブユウがそえられて届く。毎日、毎日、彼女はすっかりその気になってまだ見ぬアメリカ軍人を人生の伴侶と思いこむ。……シアワセの日々。

 いまの任地は秘密だからいえないけど、もう戦争に疲れた。除隊申請をしているので、まもなく会えると思う。アメリカへ帰るまえに日本のアナタに会いたい。ついてはプライベートの航空機代と特別送還費をおくってほしい。とりあえず100万円、○○US.ARMY.COMまでおくってほしい。除隊したらアメリカのバンクから返すから……なんだかんだと訳の分からないお金を払い込むことになる。

 国際ロマンス詐欺とは、詐欺師もワールドワイドになって、被害者もワールドワイドになって、フシアワセもワールドワイドになって、高嶋ちさ子が日本は鎖国したほうが良いんだよと、ますます叫ぶようになるのだ。
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写真展の客

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 写真展の質問「この写真どうやって写したんですか」圧倒的に多い。パリではまったく無かった質問である。
 勿論なんの反応もなく見に来られるよりずっと有難いのだが、機械的なシステムばかりに興味をもつというのはどういうことだろうと、考えてみた。作者としては露出や絞りのことはどうでもよく、素材と映像とキャプションの完成度が問題なのだが。
 日本の写真愛好家はとかくテクニックばかりに興味を持つ。この人たちは写真愛好家というより、撮影愛好家なのかもしれない。
 これは多くのカメラ雑誌にも責任はある。テクニックやカメラ情報が紙面を覆っている。そのためどこへいっても直ぐにデータを気にする。データを知りたがる。
 データを知っても撮れないものは撮れない。サイバー戦争を仕掛け世界中からデータ泥棒をしている中国人と似ているところがある。
 そこに展示されている作品がすべてであって、その作品のなかに土足で踏み込むのはあまり感心しない。

 これはパソコンでどう処理するんですか。アタマからパソコン信仰がぬけない。
 「パソコンは使っていません。フォトショップは嫌いです。それにパソコンの技術はもっていませんから。」と答えると大層ご機嫌ななめになる。ひょっとするとパソコン・メーカーか、ソフト・メーカーの方か、と思われるほど機械信仰が強いのだ。
 作品の流れや傾向をよみとって、そこに質問をぶつけてくるのは、パリのお客さんだった。文化通信省のオデール・フランクさんは2時間の対談すべてをキャプションの意味と映像化の背景について話会い、時間が足りないと言って再度の対談を申し込まれた。

 客のなかにはこんなことをいう客もあった。「お花がこんなに沢山きているが、どうしてですか。」こういう人にお付き合いですとか、義理ですとかいっても通じないので、「いやぁ銀座にはお花屋さんが多いですねえ、」このくらいの答えが丁度いい。
 「立派なギャラリーですが、ここの会場は一日いくらですか?」「いいえ、この会場は貸会場ではありません。オーナーの理解で使わせていただいています」本当のことだが、そんなことがある筈はないと再度聞いてくる客もいる。多分その人には「文化のためのボランティア」などという高邁な精神は通用しないのだろう。



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2018年11月23日

銀座を占領している中国人

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 朝のギンブラを楽しんでいるのは、ほぼ中国の人々だ。
 朝から自転車に乗って疾走しているのは中国人だ。
銀座でモーニングをやっているカフェにいくと中国のカップルが多い。
 銀座5丁目の表通りにある旅行鞄の店は、5,400円均一の旅行ケースを表にだしている。中国人が群がって買っている。昨日買いすぎたお土産がホテルの絨毯にとっちらかっているのだろう。
 あの広大な中国で自己所有を認識するためには、原色のはっきりした色が必要になってくる。従って日本人ならすこし引いてしまうようなピカピカ色のケースに、中国人の関心が向く。
 それにしても中国という隣人は凄い。凄いというのは悪い意味でも、いい意味でも凄いといえる。

 日中国交20周年のとし、筆者は演出として北京国際劇院の舞台にいた。
  一年も前から二度三度と打合せをして日本と中国の歴史をたどった日中同時代の衣裳比較のショウをやることになった。日本側からのモデルと中国のモデル、そして両国の芸能がからんだグランド・レビュウである。
  北京大会宮殿における歓迎晩餐会の料理は一生で一番の素晴らしい料理だった。
 が本番前日に大変なトラブルが持ち上がった。 日中両国の衣裳のなかに少数民族の衣裳がないではないか、という中国共産党からのクレームがきた。そんなことは半年前にいってくれ、というのがこちらの言い分だが、中国側は共産党の要求に逆らえない。急遽八つの少数民族の衣裳を出演させることになった。
 モデル香盤の変更、音楽の手配、照明プランの作成等々、大変だったがなんとか乗り切って国交回復記念晩会は大成功に終わった。

 この時中国における共産党の考え方は、すべてに優る「神の声」だということを悟った。
 日本観光に伴う中国人の爆買いも三年程でぴたりととまった。銀座でもデューティフリーの中国人御用のフロアを作ったデパートはいまはことごとく閉鎖に追い込まれた。
 チャイナ・リスクと云われているが、あんなに沢山いた中国の観光客が、ある日突然に消えるということもある、ということを常に心しておかねばならない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 21:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする