2017年06月19日

教育グループ・加計学園の実態

教育グループ・加計学園の実態

 テレビのワイドショウは相変わらず加計学園の問題を大騒ぎしている。
 文部省にメールがみつかったとか、いや問題なのは内閣府からきたメールがあったとか、なかったとか。
元次官を証人として呼べ、呼ばない、あきれてますます視聴者はテレビの前から離れていく。

木を見て森を見ずの喩えもあるように、獣医学部を認可すべきか、否か、加計学園なる教育グループはいかなる
グループなのか、一向にその辺の情報はでてこない。

 獣医学部についての文部官僚の岩盤規制は、いままでも云われてきたことだ。獣医師会はみずからのの利益を守るため許認可権をもつ文部官僚にしっかりと食い込んきた。元前川文科次官が今ごろ暴露戦術にでたのは、自己の内閣府人事に対する恨み、さもなくば陰で仕切っていた天下り人事について、加計学園が素直に従わなかったのが原因ではないかと推察できる。
 その尻馬に乗ったのが、無能な野党と朝日、毎日と各地上波テレビの安倍内閣倒閣運動である、というのがネットの評判になっている。

 岡山理科大学の研究成果には見るべきものが多い。
 なかでも魚の養殖技術は素晴らしい。ウナギ、クロマグロ、シマアジ、ヒラメ、トラフグ、そしてブラック・タイガーと、間もなく漁ができなくなる海洋資源の養殖化を次々と成功させている。
 感染免疫学、バイオ人工臓器、ユニバーサル・デザイン、再生医療の新素材開発、人工関節の長寿命化、次世代通信研究等々、大学教育の役割を果たしている。

 加計学園傘下の学校として、岡山理科大学のほか、倉敷芸術科学大学、千葉科学大学があり、専門学校、高等学校、中学校、インターナショナル・スクールまで7法人28校、西日本最大規模の教育グループになっている。
 学校の特徴もしらずに、政争の具に取り上げ利用するメディアと野党にはガッカリなのだ。
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2017年06月18日

野際陽子さんが、帰らぬ人となった

野際陽子さんが、帰らぬ人となった

 野際陽子さんが旅立たれた。野際さんの思い出は、学生時代に飛ぶ。

 成蹊学園と立教女学院は仲良しだった。その年、立教女学院の高校一年に、凄い美少女がいる、という情報がかけめぐった。立教に通っている妹の情報だから本当だというので、ミに行こうということになった。荻窪に住んでいる彼女は、中央線で吉祥寺に、そこで井の頭線に乗換えて学校へ行く。吉祥寺の駅に張り込めば彼女をミルことはできるが、成蹊の生徒がそんなことをする訳がない。礼儀正しく品行方正なのが成蹊の校風だった。
 そこで女学院のバザーへ行こう、ということになった。立教女学院名物の秋のバザーにいって彼女をミようと企んだ。一年生のワゴンのところに彼女はいたが、臆病な悪ガキどもは彼女に声を掛けることができず、隣の上級生のクッキーを買って帰ってきた。高一の野際陽子は、見知らぬ聖女マリア様に見えた。

 1965年の暮、人ずてに野際さんが話をききたい、という連絡があった。実はパリへ行くので、何処を見てきたらいいか、といういかにも野際さんらしい律儀な質問だった。
 オペラ座、コメディ・フランセーズ、いくつかのブールバール劇場、そしてシャンソニエ、ユシェット座の「授業」はぜひと推薦した。2年間の留学を終え、彼女はミニ・スカートをはいて颯爽とタラップを降りてきた。ファションに目覚めたのだ。

 1970年、日本で初めての一億円規模のファッション・ショーを演出することになった。東京は帝国劇場、大阪はフェスティバル・ホールが会場だった。ナレーターを野際さんに依頼した。ファッション・ショーの経験はないけど一生懸命やるわ、と快く引き受けてくれた。テーマはメタモル、台本を届けたところ、5日間質問責めにあった。毎朝電話がかかってきた。片仮名のファッション用語について、次々と質問された。
 真面目、正直、知に対する好奇心はずば抜けていた。野際さんのかもしだす品性と、知的なたたずまいが大好きだった。

 千葉真一さんと結婚、というニュースに接し理解できなかった。あの控えめで端正な野際さんが、何故、動物の臭いのする千葉真一さんに惚れたのか。のちに離婚の報に接し、ホッとしたことを覚えている。

 あの立教女学院のマドンナが、キイハンターでアクションし、冬彦さんを愛して、あの世に旅立ってしまった。                    合掌 

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2017年06月17日

牛歩7人のアフォーマー

牛歩7人のアフォーマー

 国会の終盤、久しぶりにオバケがでた。
 牛歩戦術という名のオバケだ。もうとっくに絶滅したと思っていたが、どっこい牛歩は生きていた。

 福島瑞穂、森裕子、又一征治、山本太郎など、社民党自由党などの7人が、牛歩にかかわった国会内絶滅危惧種だ。この人たちには町の広場と国会の区別がつかないらしい。国会をパフォーマンスの場と勘違いしている。
 言うまでもなく、國会は提案の場であり、審議の場であり、議論の場であり、評決の場だ。民主主義のもとでは、評決はことの是非を問わず数の論理が総てだ。審議を尽くした後は、数の原理に従うしかないのだ。
 それが不満なら次の選挙で多数派を目指せばいい。多数派になれないのは、自分たちの主張に民意がないからだ。

 議長席のしたで、盛んに牛歩しアピールしていたが、伊達忠一議長による投票時間制限をなめていたのか、15日7時46分投票終了宣言であわてて投票したが、タイムアウトの無効票とされてしまった。その折の無様な慌てぶりがテレビに映し出され、全国民の失笑を買った。
 そんなに牛歩がやりたければ、国会の外、どこかの横丁かアゼ道でやればいい。パフォーマンスではなく「アフォーマンス」と揶揄される所以である。

 安保法案では戦争法案だと偽って、国民を不安に貶めた。 PKO法案では、子供達を戦争で死なせてはいけないと煽った。憲法改正では、まるでマッカーサーの子分のごとき有様、そして共謀罪では一億総監視社会になる、とわめいて審議妨害をした。
 この議員たちは、すでに国中に監視カメラが取り付けられ、ネットの閲覧は自由自在というデジタル社会の現実を知らないのだ。
 牛歩議員たちは、国会内の「反日日本人」であり、反日パフォーマーといわれてもむべなるかな、である。

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2017年06月16日

猫とフトモモ

猫とフトモモ

 最近のグラビアの話題をひとつ……。
 少女ではない。レディでもない。女教師でも看護師でもない。
 もちろんアラフォーでも、アラフィフでもない。なあんだそんなことか、と思わないでいただきたい。

 主役はあなたの大好きな「猫」である。
 猫の相手役は「フトモモ」、つまり写真集の題名は「ネコとフトモモ」、文字通り猫と女性のフトモモだけを撮影した写真集である。
 どうも猫を愛している人よりも、フトモモを愛している人たちがこの本を買い求めているようだ。発売一か月にして予定部数の倍を売り上げたと伝えられる。
 フトモモを愛する人というのには、あまり大義名分はない。言葉を換えれば、平々凡々な女好きだともいえる。

 ここにいる猫は女性のオッパイから顔をだしたり、尻尾がバストにじゃれたリ、腹部で気持ち良さそうに昼寝したり、オマタの間からのぞいてみたり、フトモモがベットになっていたり、とにかく女性の曲線という曲線を利用して楽園を作りだしている。
 男の邪悪な願望を猫にたくして満足を得ている、とでも非難されたら言い訳の余地はない。いや猫の立場からは、ただ無邪気に女性のカラダと戯れているだけ、というかもしれないが、ここに写し出されている接触愛は、男と女の代償行為としかおもえない。

 「猫を飼っている人には日常ですけど、男性目線で見るとうらやましいなあと、思えたんです」、と写真を撮った青山裕企氏はいっている。
 十数匹の猫と日々をすごしてい暮らしている井上真樹ちゃんの感想をきいてみたい。
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2017年06月14日

「歌わないカラオケ」のあした

「歌わないカラオケ」のあした

 「もっとも重要と思うが、もっとも不快に感じる電子機器」ランキング第一位に輝いたのは、「KARAOKE」だった。イギリスに於ける調査で、携帯やパソコンを抑えて、圧倒的なトップに躍り出た。
 1970年代に日本で生まれたカラオケは、1990年代通信カラオケの誕生とともに全世界に進出した。
といっても、海外ではそれぞれの事情から、たいぶ店の雰囲気はことなる。
 アメリカ人は素人が人前で歌うという趣味はあまりないので、カラオケに行くときはプロの演奏に合わせてオドルという目的のほうが多い。中国では、シャオチェ(小姐)が寄り添ってサービスする風俗カラオケが当たり前になっている。

 1950年代の日本では生バンドで歌う歌声喫茶だった。若者があふれんばかりに集まってうたうロシア民謡や労働歌、熱気むんむんの歌声喫茶だ。高年齢層は、ピアノやギターでの歌うクラブ・カラオケだった。それが80年代を迎えカラオケ・ボックスが誕生し、シングルCDのB面にカラオケが収録されるようになった。
 この頃からカラオケは、芸能人憧れ型やら自己陶酔型、さらにナンパカラオケに分岐し、90年代通信カラオケの進歩とともに個室カラオケ、二次会カラオケ、パーティカラオケへと移った。屋台村やらエスニックレストランを蹴散らし、盛り場の女王となったのだ。がその頃がカラオケのピークで21世紀の掛け声とともに少しずつ衰微の様相をみせてきた。

 いまでは「歌わないカラオケ」が中心になっている。
 カラオケに昼飯を食べにくるOLがいる。料理もお茶もすぐ出てくる。一人でのびのびとランチをするには、カラオケが最高、というのだ。 グループ・レッスンは恥ずかしい。カラオケルームでパソコンをつないで一人英会話をする。英会話カラオケなのだ。英会話学校で一時間ひとりレッスンをうけると5000円はかかるが、カラオケなら一時間953円ですむ。コスパに優れたレッスンカラオケという訳だ。
 広いパーティルームを借り切って、シネカラオケと洒落こむ女子会もあるという。豪華100インチモニターで好きな映画を見る。お気に入りのラブシーンはなんどでも巻き戻して、皆でキャッーと興奮しまくる。その上アルコールを注文してご機嫌で帰っていく。
 カラオケでデートというのは、もはや古典的なジャンルに入る。会社の会議室かわり、ちいさな研修会、役者の台本覚え、お笑いの段取り合わせ、忘年会用余興リハーサル、大声だしてのゲーム・カラオケ……と歌わないカラオケがますます跋扈しつつある。

 ちいさな空間から仲間の集まる空間と、これからのカラオケはカフェ、レストラン、居酒屋など飲食機能と、歌う・踊る・学ぶ・遊ぶのあらゆるサービスを備えたマルチ・レジャーのある町のコムュニケーション・センターになっていくのかもしれない。
 この国ならではのおもてなしにみちた「歌わないカラオケ」は、公民館を超えた公民館なのだ。。
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2017年06月13日

岩谷時子賞・斎藤由貴と加山雄三

岩谷時子賞・斎藤由貴と加山雄三

 授賞式はたいていは金屏風がお約束になっているが、今日は違った。
白い厚いパネルがステージ正面にしつらえられ、中央には岩谷時子にふさわしい花の数々が、そのホワイトボードから浮かび出て品のいいディスプレイになっていた。花のうえには「第八回岩谷時子賞授賞式」と明朝でさっぱりとかかれている。

  まずFoundation for youth にえらばれたのは「服部 百音」さんだった。
  大御祖父ちゃんの服部良一さんとはいくつかの仕事をした。敗戦後の日本にいち早くジャズやヴギをとりこみ、日劇のレビューなどを通してニホンを明るくした。
 お祖父ちゃんの服部克久さんとは学校がおなじだった。パリにいた頃、ダークダックスを引き連れてパリ公演にきた。いくつかの編曲、作曲で世話になった。
 お父上の服部隆之さんは、パリのコンセルバトワールを卒業ののち、数多くの作曲活動をしている。大編成のシンホニーによる劇音楽では日本最強の作曲家だと思っている。いつかこの人にオペラを作って欲しいと願っているが、いまだ機会を得ていない。
 その娘さんが服部百音ちゃんである。母親もヴァオリン弾きなので環境は百パーセント整っている。けだし服部百音は当然のごとくに生まれた。

 岩谷時子特別賞にダイフクが出てきたのには驚いた。かっての東宝のお嬢さん女優が見事に花開いた。
 きけば越路吹雪を素材にしたミュージカルで岩谷時子役を演じたという。テレビのミステリーでも見事に刑事役をこなし、キャラクターで紅一点のポジションを確保している。筆者は〽探しものはなんですか…と、とまどいながら唄っていたころの「斎藤由貴」が好きだった。いまや東宝きっての演技派女優にのし上がった。

 岩谷時子奨励賞は三人、安定感のある四季の瀧山久志、乃木坂の生田絵梨花は声は出ているが表情に乏しい、そしてハンデキャップのピアニスト野田あすかだった。

 岩谷時子賞はいまさらながらの「加山雄三」ニンジンを食べすぎていまだに生きているという挨拶だった。
〽ぼくはシアワセだなぁ…と歌ったが、往年の色つやには遠かった。

 岩谷時子さんの著作権が原資とはいえ、島崎春彦さんも大変だなぁとパレスホテルのパーティ会場から、代官山の成田屋邸に向かった。故団十郎夫人はすっかり元気をとりもどし、かっての美しさを取り戻していた。
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2017年06月11日

ミスタツチの天才「アリス沙良・オツト」

ミスタツチの天才「アリス沙良・オツト」

 アリス沙良・オットが今もっとも刺激的な音楽家であることは間違いない。
 日本人の母とドイツ人の父の間に生まれた彼女は、世界のどこにいっても国籍を聞かれるのが一番嫌なことだ、という。ザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学を卒業した。日本語とドイツ語と英語を話す。CDデビューは、リストの超絶技巧練習曲、案の定「天才少女」の文字が新聞紙上を埋めた。

 ノエ乾、エリック・シューマン、フジ子・ヘミング……いま話題の混血音楽家たちは、欧米の音楽環境に自然に恵まれて育ってきた。そのため日本国内で音楽を必死に学び、楽しむことに縁遠かった日本人音楽家に較べ、どこかおっとりとしている。
 アリス沙良・オットも世話繁にテクニックを押し付ける曲よりも、スローなゆったりとした曲のほうが評判がいい。リストより、ショパンのワルツ集のほうがはるかに評判がいいのだ。
 それでも彼女は、アルゲリッチの情熱と、アシュケナージの緻密な繊細さが好きだという。きっと自分にはないものだから好きというのかもしれない。どこまでも自己流で、徹底的に自己解釈でピアノに向かう彼女は、日本人の嫌うタイプの音楽家かもしれない。

 なにしろ譜面通り正確に引くことを至上とするこの国の楽壇人にとつて、「ミスタッチの多い天才」などは許されない。ミスタッチは憎むべき行為であり、ミスタッチを平気でするプロ音楽家はいないのだ。
 彼女は経験が音楽をつくるという信念から、練習より経験を重視してきた。ルービックキューブが大好きで、吉幾三の「おらさ東京へ行くだ」を愛唱歌とする彼女は、いま世界中から引っ張り凧で、一年の七割をホテルのベツトの上で過ごしている。
 鍵盤のうえで指がどう動くかではなく、指が紡ぎ出すファンタジーが主役になったとき、ようやくこの国にクラシックが根付いたと言えるだろう。
 その日まで「頑張れ、ミスタッチの天才」それがアリス沙良・オットなのだ。

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2017年06月10日

獅童と初音ミクの超歌舞伎

獅童と初音ミクの超歌舞伎

 今年もニコ動超会議のイベントとして、中村獅童と初音ミクの超歌舞伎・花街詞合鏡が上演された。
 オリンピック2020のイベント狙いであることは明らかだが、とりあえずなかなかに面白かった。アナログの権化たる歌舞伎と、デジタルの最新技術イマーシブテレプレゼンス技術「Kirari」が混ざり合い、重なり合っての見世物は、結構退屈させずに観客を引きずり込んだ。
 今ラスベガスを席巻している超アナログだが、観客の想像力をこえたシルクドソレイユ・サーカス・レビューに対抗するには、この方向しか日本にはないと思わせた電気妖術歌舞伎だった。

 何百年もかけて歌舞伎がようやく獲得した文学性や芸術性をあっさりと棄て去り、見世物の一点に突っ走るには、中村獅童や尾上松也のようなメディア大好きの次世代役者に期待したほうが良いのかもしれない。
 なにしろそこに登場するのは、定番花魁道中であり、廓の奥の色模様であり、お決まりの連れ舞であり、お約束の段取り大立ち回り、獅童演じるところの八重垣紋三と、沢村国矢扮する蔭山新右衛門の果し合いもまったく珍しくなく、さもありなんといった類型台本なのだ。
 歌舞伎に限らず近頃の若い役者たちの文学性の欠落は恐るべきものがある。大衆に注目され、話題になりさえすればそれで充分、情報化社会の餌食になって無残にも消費されていく自分の姿が全く見えていない。伝統も丸裸になってグラビア・アイドルのごとく、明日は忘れ去られてもかまわないと、思っているのかもしれない。

 さてアナログに囲まれた初音ミク大夫について書かねばならない。初音ミクも重音テトも動きの滑らかさでは格段によくなったが、台詞がはなはだ良くない。
 36メートルにぎっしりと並べた240台のスピーカーによる波面合成技術も、こけ脅かしの効果音には有効だったが、芝居の台詞になっていない初音太夫のセリフにはお手上げだったようだ。
 NHK歴史ヒストリアの井上あさひの大根ぶりに匹敵するダメ芝居だった。

 面白かったのは、ホログラム映像とニコニコ生放送のコメントを舞台演出とオーバーラップさせて同時に見せる世界初の試みだった。少々うるさがったが、コメントのリアリテイと大向こうの掛け声があいまって観客を興奮に導く。萬屋! 紀伊国屋! 初音屋! 電話屋! ……
 拡張現実にはめられた「オリンピック用見世物超歌舞伎」であった。
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2017年06月09日

長寿の聖地・鶴の舞橋

長寿の聖地・鶴の舞橋 長寿の聖地・鶴の舞橋

 東北新幹線、新青森駅でリゾートしらかみ秋田行に乗り継いだ。
 車窓には、昨日田植えが終わったかの田圃とリンゴ畑がえんえんとつづく。弘前につくと列車は丸ごとスイッチバック、いまきた線路を川部まで戻る。川部で再びスイッチバックして五所川原を目指す。五所川原には、かの太宰治の生家斜陽館がある。そのひとつ手前がめざす陸奥鶴田である。

 陸奥鶴田の駅前には、アパホテルもなければ、不動産屋もない。ただひとつ開店休業のような「お母さんのあじ」とかかれた居酒屋風な店が眼についた。
 それでも駅前には鶴のモニュマンがある、駅舎も鶴のかたちを模している。シャッターに描かれたペンキ絵も鶴なのだ。みちのく銀行も、役場も、廃校も、郵便局も、ゴミ捨場も、用水路のフタも、レトロな街灯も、マンホールも、広場のシンボルも、道の駅も、みな鶴、鶴、鶴、鶴のモチーフにいろどられている。かって鶴の飛来地だったというこの町は、先代の町長さんが音頭をとって長寿の聖地として目出度い鶴の町作りを進めてきた。

 平成6年7月6日、青森県産のひばを使って日本最大の木造三連太鼓橋、「鶴の舞橋」長さ300メートルが完成した。たたずまいは鶴のめおとが大空を飛翔しているようにも見えて、津軽一の岩木山を背景にゆるやかな太鼓橋が見事な造形をなしている。間違いなく日本三名橋のひとつに数えられるだろう。
 山口の錦帯橋、宇治の大橋、そして津軽の鶴の舞橋、日本伝統の技術と造型感からいったらこの橋が日本一といえる。来年のパリ展で、にほんの橋の素晴らしさを見せたいと撮影にきたが、折悪しく梅雨入りのど真ん中映像はふたたびのチャレンジとなった。

 20年たらずの年月で、何もなかったこの町を見事に目出度い長寿の聖地として、鶴を主題に作り上げた町長の努力は素晴らしい。素朴な津軽の人々は、とうとう鶴田には吉永小百合もきたと、大満足である。
 わが町軽井沢は、100年計画を掲げ大学の先生に金を拂い、議論だけが進んでなにも変わっていない。
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2017年06月06日

ヤマザキ・ビスケットの成功を祝う

ヤマザキ・ビスケットの成功を祝う

 ヤマザキ・ナビスコがヤマザキ・ビスケットになって大成功を収めている。
 ナビスコの製法が如何に劣っていたか、ということをヤマザキビスケットが証明してくれた。なんでもかんでも舶来がいいというものではない。ライセンス契約でつくっていたものはさっさと契約を破棄して日本のスタッフにゆだねたほうがいい、という典型的な実例をしめしてくれた。
 ヤマザキビスケッは美味しい。いろいろな種類がつくられているが、筆者のベストテンはビスケットのレモンパックだ。事務所では久しぶりにこれが必須アイテムになった。ケーキやチョコレートばかりで、ビスケットを軽蔑していた風潮に風穴をあけた。
 ヤマザキのことだから、全国津々浦々、火の見櫓のとなりの村の菓子屋にまで置くだろうから、このビスケットで、国中のビスケットレベルがあがることだろう。
 ビスケットにはチーズサンド、抹茶サンド、バタークッキー、ラングドシャといろいろあるが、レモンパックの品のいい甘さが大好きだ。クラッカーのルヴァン、ルヴァンクラシカルももちろん美味い。この美味さを知ると、いままでのナビスコは何だったかと思う。

 ヤマザキの伝説は、戦後の日本にあって信じられないファクトに彩どられている。市川の駅前にあったちいさな飯島パン屋が、ヤマザキ製パン所になったいきさつは戦後の美徳そのものだった。配給の粉をもっていけば、いくらでもパンにしてくれた駅前のパン屋にどれだけの人が助けられたことか。そのパン屋さんを助けてくれたのがヤマザキさんだった。
 そんなことからヤマザキの小売店は、他ではまねのできない精神的絆で結ばれている。

 世界最高の品質をめざすため、パンの発酵種であるルヴァン種を始めてクラッカーに使い、それ故に「ルヴァン」となずけられたこのビスケットが、いつか世界の菓子を席巻してくれるであろうことを信んじている。

 沢口靖子も、木村佳乃も、吉本美憂も、予定調和の笑顔ではない眞心の響く演技でコマーシャルしてほしい。  類型的な笑顔では消費者の心は動かない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする