2017年03月07日

伝統食おにぎりの改良

伝統食おにぎりの改良

 50年前、おにぎりの差入れを度々したことを思い出した。
 神楽坂の細い路地にその店はあった。
 おばあちゃんが一人でやっていたのだが、歌舞伎座でも新橋演舞場の楽屋でも届けてくれた。
忙しい舞台裏でポンと頬張って食べれるおにぎりは、意外に人気があった。
おばあちゃんのおにぎりは、醤油の香ばしい焼きおにぎりだった。
手のついた粋な篭に入れ、漬物を添え風呂敷に包んで届けてくれた。
名代の役者衆はともかく、お弟子さん、部屋子さん達に殊のほか喜ばれた。
 おばあちゃんの店はあるとき、火事をだし閉店してしまった。

 その頃から、コンビニのおにぎりが進出してきた。
テレビでは、どこのおにぎりがいちばん早くむけるか、などという競争を番組にしていた。
田中康夫が自慢げにおにぎりの皮をむいて、うんちくを語っていた。

 本家アメリカのコンビニにはなかったおにぎりの開発にはいろいろの問題があったのだろう。
 米と具とノリしか使わないメニューだが、お米の選択から具の選び方、鮭、梅、ツナマヨ、こんぶ、明太子
 それぞれに特徴がある。年間21億個も売れるいまのコンビニおにぎりは、日本人の味覚の集大成のようにも 思える。

 パリッとしたのりの感触を保つためにもいろいろの包み方が試みられた。
 レンジで少し温めると、抜群に美味くなるおこわシリーズ等、中高年には絶対的な人気だという。
 おこわのモチモチ感にフックラが加わって、たまらない美味さを演出している。
 なかでも「赤飯おこわおむすび(税込130円)」と、「鶏五目おこわおむすび」は永遠のベストセラーだと  か。
 ごはんにぎりは三角に、おこわにぎりは丸にしないと売れないという都市伝説もある。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

新天皇の「おひとりさま公務」

新天皇の「おひとりさま公務」

 天皇の引退、譲位のことが最終段階に入った。
 天皇の一番の悩みは、皇太子とその妻雅子妃殿下のことだと、報道にもれている。宮中祭祀にまったく興味を示さない雅子妃に対しての不安が、明日の天皇家の存在に影を落としていると悩まれている。
 国民の生活に寄り添い、いつも謙虚に祈ることが天皇家の役割と認識されて、それこそが天皇と美智子妃にとっての役割だった。
 ところが皇太子は雅子妃殿下の不安を包み込み、親子3人でのスキー旅行以外は、お一人様公務があたりまえになっている。
 札幌で開かれた冬季アジア大会開会式も「おひとりさま」公務だった。大会プログラムには、雅子妃殿下の名前があったにもかかわらず皇太子は「おひとりさま」で出掛けられた。
 新しい時代の公務の在り方として、皇太子自身がそれでいいと考えているとしたら、とても不幸なことだ。

 憲法学者は「憲法には世襲天皇の役割しか規定してありません。公的行為でも皇后のご同行は必須ではないのです」と説明しているが、国民は当然のごとくに天皇皇后お二人の出席を望んでいる。
 当日の朝まで出席予定だったのが、直前になって「本日皇后のお出ましはありません」で国民は納得するだろうか。
 皇室の国民軽視として、少しずつ心が離れ、挙句の果ては「皇室いらない」に、つながりかねない。
 雅子妃の身勝手が皇室の悲劇をまねき、2000年の歴史が壊されてしまうかも、と考えるのだ。。

 コミュニケーションの薄れた現代社会にあって、皇室のみならず一般女性達のあいだにも「おひとりさま思考」がふえている。 ひとりカフェ、ひとり映画、ひとりラーメン、ひとりカラオケ、ひとり居酒屋、辺りまではともかく「ひとり海外」「ひとりキャンプ」から遂に「ひとり高級フレンチ」「ひとり料亭」になると、4割以上の男性も引いているという結果がある。
 「ひとり天皇」も「ひとり熟女」も、時代を生き抜けるという保証はどこにもない。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

毒殺! その時歴史は動いた

毒殺! その時歴史は動いた 毒殺! その時歴史は動いた

 金正男毒殺事件が、世界を騒がしている。が世界史をひもとけば、歴史の転換期にまま毒殺事件はおこつている。

 トランプのクラブのキング……となつた古代マケドニア王のアレキサンドロス大王は紀元前323年に毒殺されている。両性愛に生きた大王は華やかな宴席のさなか、癲癇状の発作を起こして殺された。彼のワインにはクリスマス・ローズの毒が盛られていたと伝わっている。

 1791年には天才モーツアルトが、わずか35才で夭折した。食事のポークカツに毒を盛られ、その毒が体内を駆け巡り、全身に毒が回って、身体が腫れ、ひどい苦しみと痛みのなかで死を迎えたといわれている。音楽上のライバル…宮廷作曲家サリエリが毒殺の犯人と疑がわれた。

 ナポレオンの毒殺は1821年、100年後、付添の看護婦の日記が発見され、英国グラスゴー大学が彼の遺髪から高濃度のヒ素が検出した。死亡前半年余りヒ素を飲まされていた、という暗黒の歴史が浮かび上がった。

 帝政ロシアの末期、権勢を誇った怪僧ラスプーチンにも、青酸カリによる毒殺未遂事件があった。ワインに盛った毒が効かず銃弾を撃ち込んでも復活、ついに凍った河に沈めて殺したと、犯人ユスポフ公爵が書き残している。

 日本でも徳川末期、13代将軍家定は34才の若さで没したが、遺体の状態からヒ素による毒殺といわれ、犯人は妻篤姫て゜はないかと言われてきた。最近のオーム真理教による地下鉄サリン事件、さらにアラファトPLO議長の高濃度放射性物質ポロニウム210検出事件、歴史の小道具としてつねに毒物は登場している。


posted by Kazuhiko Hoshino at 17:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

品性にあふれた谷口愛子のショート・ヘア

品性にあふれた谷口愛子のショート・ヘア

 谷口愛子というヘア・デザイナーがいる。
 銀座四丁目、和光から少し有楽町よりのビルを見上げると、美容室谷口愛子の文字に出逢う。昔から新派の女優さん、歌舞伎俳優の奥様方に絶対的な信頼があった。ご本人の出目は知らないが、話をかわすとさっぱりとした江戸っ子気質でたいへんに気分のいい女性だった。
 付け焼刃で髪をいじるのではなく、歴史や芸能にふれ、民俗の気分をきっちりと髪型に表現するのだ。劇場に足を運び、田舎も海外も飛び回って、いつも眼を肥し、腕をみがいている。人間的にも優しい温かさをもち、超絶技巧をもちながら控えめな人柄が素晴らしい。数多くのイベントやプレスにもひっぱりだこで、この国のアップの第一人者である。 それ故美容界のレジェンドといわれたり、多くの学校に招聘されたり、とにかく日本一のヘア・デザイナーなのだ。

 いまを時めく小池百合子東京都知事も絶大な信頼を寄せ、当選の暁の断髪式から、日常のヘアまですべて彼女にまかせている。
 彼女のデザインでなによりも素敵なのは、つねに品のあるバランスとシルエットを保っていることだろう。
ショートを創っても生意気にならない。ひけらかす知性ではなく、エレガントなショートになる。ヘアにおけるラインとバランスは、すこし崩れると日本人ではなくなる。その微妙なところをしっかりと抑え、つねに品位をたもつというのは容易なテクニックではない。
 歌舞伎の奥様方が劇場の廊下に並んでご贔屓を迎えても、決して悪目立ちせず清潔感のある優雅な雰囲気を創っている。昨日今日でてきた原宿あたりの美容師とは全く異なる。
 「さりげなく個々に美しく」それが彼女のクリエイティブをささえている。

posted by Kazuhiko Hoshino at 12:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

インターナショナル・スクールの実態

インターナショナル・スクールの実態

 民族派の森友学園に左翼政党がくいついているが、先生たちの不行跡とともに学校にまつわるスキャンダルが次々と報道されている。聖域だった教育の場が、世俗にまみれてきたというのが、実態なのだろう。
 「駅前入学」というキャッチが流行したころから、教育の尊厳は失しなわれて、駅前の居酒屋やビヤホールなみに教育があつかわれるようになった。学校というシステムに「レッスン産業」というビジネス・ネームがつけられ、学校は「金儲けのシステム」になった。
 官公立の学校にたいして、実践教育という名目で各種学校がやたら出来た。料理学校、美容学校、ファッション・スクール、ネイル学校、ビジネス学校等々、数え上げたらキリのないほどに学校ができた。

 なかでも芸能人や不出来な子供をもった父母たちの関心を集めたのは、「インターナショナル・スクール」。
全国に125校はあるといわれるインターナショナル・スクールは、増殖を重ねながらスキャンダルも次々に発生している。

 宇多田ヒカル、山本未来の母校であり、キムタクの娘も通っている「青葉ジャパン・インターナショナル」は、レジーナ・ドイ理事夫妻の詐欺事件で、数十億の金が動いたといわれている。
 池袋の「トム・インターナショナル・スクール」は、授業料のほかに何倍かの施設料をとり、食費を節約したにもかかわらず昨年5月に倒産、赤堀道子社長はドゲザをして謝った。
 最近では、「川越インターナショナル・スクール」が経営不能におちいり、閉校した。

 グローバルな人材育成、国際性と自然にとんだ環境をうたい、且、国際バカロレア、wasc、cis、acsiなどの海外の教育システムを導入としているが、結構インチキもまじっている。
 インターナショナル・スクールは、英語を学ぶ学校ではなく、英語で学ぶ学校だということを認識すべきだろう。日本人の数の少ない学校ほど本物にちかく、日本人だらけのインターナショナルスクールは、まず金儲けのための学校と理解すべきだ。
 老舗校は両親のどちらかがネイティブ・スピーカーでなければならないし、保護者の英語力とともに子供の英語力も問われる。両親の英語コンプレックスのために、インターナショナル・スクールがあるのではない。

posted by Kazuhiko Hoshino at 13:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

伊達マスクの心の闇

伊達マスクの心の闇

 プレ金の昼下がり、劇場はマスク、マスク、伊達マスクの波だった。
 そこは劇場というより、大病院のホールにしか見えない。
 女たちのマスクに対する執着は異常、人前に出てくるな、と言いたくなる。

 海の向こうから来た友人は、日本は不思議なものが流行るのね、と驚いている。
 20代の女性は41.2%が、伊達マスクの愛用者ときいて再び驚く。

 伊達マスクの目的は、
   @に他人の視線を避けたい。
   Aに自分に自信がない。
   Bに他人と話したくない。
 その上伊達マスクの効用として
    @スッピンを隠したい
    A寒さから顔をまもりたい
    Bお肌の保湿に
    C小顔と思われたい……マスクで顎を覆うと顔のラインが隠れて小顔に見える
                少しばかり病的なナルシストだと思っていいだろう。

  抱え込んだコンプレックスを隠すための心理的バリアであると解説する先生もいる。
  自分ひとりの世界に閉じこもる心理の表れであり、社会を拒絶することにも通じ、
  やがて 社会から拒絶される自分がいて、のつぴきならなくなるという明日が見えていない。
                     伊達マスクは、社会の危険物である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 21:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

鈴木清順・耽美で儚くて

鈴木清順・耽美で儚くて

   三度びお会いして  四度目の逢瀬は恋になります。
    死なねばなりません。
       それでもお会いしたいと思うのです。……

  泉鏡花の同名小説「陽炎座」は鈴木清順監督の絢爛たる映画術が頂点を極めた代表作である。
 監督は多くの作品をとったが、「ツィゴイネルワイゼン」そして「陽炎座」「夢二」の三部作こそが
 世界の映画史への遺言だったように思う。

  艶っぽく、耽美で、儚くて、戯れた 男と女の抜き差しならない狂気と息ずかいを、スズキ・ワールド
 にしかない美意識と豊穣な色彩のなかで展開した。
  ウォン・カーウァイ、ジム・ジャームッシュ、デミアン・チャゼル いま映画を語るには欠かせない
 世界の監督たちが、口を揃えて鈴木清順監督から芸術的啓示を得たと語っている。
  筆者の作品づくりの師匠も市川 崑監督と鈴木清順監督だった。オペラの脚本づくりにも、鈴木清順の
 ドラマツルギーから多くを学び、色彩構成には多くの暗示をえた。

  彼は黒沢明の描くダイナミックでヒロイックな人間像にまったく興味がない。
  小津安二郎のような枯れた人生や家族にも興味はもたない。
  ただひとつこだわるのは鈴木清順の美意識とその世界だけ。
 死生を彷徨った戦争体験から、絶望的な色彩対比が生まれたのではなかろうか。
 どんなに悲しく哀愁漂う画面も、絢爛豪華にして派手でなければならない、というのが鈴木清順の
 美学だった。                                合掌
posted by Kazuhiko Hoshino at 18:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

歌舞伎座の金切り声

歌舞伎座の金切り声

 「開場まで後10分程でーす!」
 「列に並んで、はみ出さないようにして下さーい!」
 「ほら、そこの人、歩道にはみださない! 」「列をまもってくださーい!」
 「間もなく開場になりまーす! 観覧券は各自一枚ずつ持って下さーい!」
 「観覧券は封筒から出して、切符のみをお持ちくださーい!」

 歌舞伎座の入場前、玄関のまえで開場をまつ人々の群れに、金切り声が襲い掛かる。
 金切り声の主は、松竹歌舞伎座の社員のようだ。
 若い男性なのだが、妙に音域が高くヒステリックに聞こえる。
 繰り返し繰り返し、開場を待つ観客に向って叫ぶ。
 本人は何百人もたまった観客に、繰り返し警告を発することに酔っているようにも見える。
 芝居を観に来たまともな観客は、劇場に入る前の金切り声でうんざりする。

 「はーい開場しました。どんどん前に進んでくださーい! はい、立ち止まらないで前に進んで下さーい」
 ここには日本一の劇場の雰囲気はない。スーパーの大売出しか、サッカーの競技場前と変わらない。
 歌舞伎座の社員に劇場の意味を説明するのもシャカに説法だが、こんなにひどいとは思わなかった。
 正面の大垂幕には、「江戸歌舞伎三百九十年猿若祭大歌舞伎」とあるが、江戸の芝居小屋の賑わいは、
 貧民の特売デーと化していた。テレビ宣伝で来た客の質の悪さを嘆く人もいた。

 世界中の劇場を探してもこんなに騒々しい劇場はない。
 どこの国へ行っても粛々と観客は入っていく。
 文化という名の出し物と対面する場、それが劇場の筈だが。
posted by Kazuhiko Hoshino at 14:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

清水富美加、細川茂樹、あヽカン違い

清水富美加、細川茂樹、あヽカン違い 清水富美加、細川茂樹、あヽカン違い

 このところ芸能界の揉め事が多いような気がする。
 ほされた能年玲奈、センテンススプリングのベッキー、ゲス不倫の川谷絵音、SMAPの解散騒動、清水富美加の出家引退、細川茂樹の裁判沙汰、水面下に隠れている事項を含まれれば、マダマダ多くの事件があるにちがいない。

 清水富美加の出家についていえば、奴隷契約の5万円よりも、カナブーン飯田佑馬との不倫破局のほうが、よほど大きな原因ではなかろうか。嵐や欅坂46をおさえて、水着DVDも絶好調ときけばなんでやめたのかわからない。幸福の科学としてはなんとしても創価学会の牙城をつぶしたく、小川知子以来の幸福の騎士に仕立てあげたかったのかもしれない。

 細川茂樹にいたってはますます不思議だ。タレントの横柄でわがままな態度に業を煮やした事務所側が解雇を申し渡したところ、タレントが裁判所に契約の続行、仮処分執行を訴えたという裁判だ。 マネージャーが些細なミスをすると、土下座をさせて謝らせる、運転中のマネージャーにケリをいれる、担当マネージャーが次々と辞めていくので、事務所ではもうこれ以上面倒みきれない、という理由で解雇した。それにたいして解雇しないでくれ、という訴えだからこまったものだ。家電俳優などというキワモノでは売れなくなって当たり前と本人は考えていないのだろう。 

 そもそも芸能マネージメントというのは、いろいろの問題をかかえて難しい。タレントは口をむすんでシャベラナければいいが、いろいろとしゃべるのでややこしい。どうしてもタレント価値についての認識にへだたりが生じる。本人は素晴らしい個性や感性と自惚れても、客観的には全く異なる場合がある。板挟みで苦労するのはマネージャなのだ。
 局や制作会社にお百度をふんでも、簡単にはキャスティングされるものではない。次々と新人も現れる。最近ではスポンサーからの指名もあって、事務所側の思惑もとおりにくいのだ。

 芸能界三本柱といわれるバーニング、ジャニーズ、吉本などは、ごり押しのできる事務所ではあるが、そうそうタレントの思惑どうりにはいかない。レプロ、サムディといったバーニング系列の事務所にあって不平不満は、本人の能力不足か、専属タレントの順番待ちという場合もある。
 自己認識と市場価値の齟齬が、永遠になくならないのが芸能界という浮草稼業である。
posted by Kazuhiko Hoshino at 15:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月21日

オバカなプレミアム・フライデー

オバカなプレミアム・フライデー

 車のラジオから、不思議なアナウンスが流れてきた。
 いよいよこの24日からプレミアム・フライデーが始まります。皆さんはお買い物、旅行の計画は立てられましたか。 何を言って居るんだろう。この糞寒い中で旅行なんてできるか。昨日は強風で羽田に着陸することが出来ず、関空まで連れていかれた飛行機まであるのに、まったくとぼけた放送だと思った。

 スタッフに聞いてみると、アメリカ辺りで商売促進でブラック・フライデーとやらが当たったので、その真似をしてデフレ傾向を止めるためのビジネス・休暇だという。つい先週あたりキリスト教に踊らされたチョコレート・バレンタインに次いで、毎月月末に実施する早退買物デーのことを、プレミアム・フライデーとなずけたらしい。
 デパチカに行けば、プレミアムばやりでポッキーにも、チョコにも、コーヒーにも、最近では下着や靴下にまで、プレミアムがついて高い値段で商売しているという現実をご存じないらしい。世情にうとい官僚と、オバカな代理店がよりより集まって名ずけたに違いないイベントであることはまず間違いない。

 この国の中世の大名たちはもうすこし賢かった。
 仙台の伊達政宗公は、七夕のまつりにかこつけて、七夕飾りをつくることを奨励した。7つ飾りを決め、それぞれに金銭を大事にすること、機織りにはげむこと、漁の網づくりのこと、学ぶことの大事さを教えて、領民の生き方を善導した。
 今時の政治家は、無駄使いと遊興を奨励して国民を堕落させようとしている。アメリカの植民地政策とかわらない。 トランプとゴルフをやって嬉しかったかもしれないが、国民まで巻き込まないで欲しい。日本人の国民性はもう少し良かったように思う。この阿呆さにはあきれる。なにごとにも商人の金勘定が優先する。
 国家経済の戦略は、大企業や外国を巻き込んで、もう少し大きな視点から立案すべきで、貧しい庶民のふところを宛てにするものではない。

 どうしてもフライデーをイベント化したいのなら、「スタディ・フライデー」とか、いっそのこと「アムール・フライデー」としたら、国民は幸せを享受できたかもしれない。

posted by Kazuhiko Hoshino at 14:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする