2021年05月15日

こくみんの敵・立憲民主

憲法改正.jpg

 「日本には必要のない政党だ」と発言したのは、日本維新の会の馬場幹事長である。必要のない政党として名指しされたのは「立憲民主」。
 立民は憲法改正手続きに関する国民投票法改正案について、ここ3年間八国会で審議妨害をしてきた。立憲民主を名乗りながら、憲法にふれるのが余程嫌いらしい、変な政党である。憲法について国民投票することすら嫌う、という意味不明の政治団体である。

 憲法改正について国民がようやく考えるようになったのは、先ず第一に、隣国中国の領土野心が我が身に降りかかってきたからだ。海の底に石油がねむつていると判るやいなや、抜け抜けと「尖閣諸島は我が中国の核心的領土である。」と言い出した。そのうえ海警法なる法律をつくり、
侵入してきた船には砲撃を加えてよしとした。つまり一方的に宣戦布告してきたのだ。
 国際海洋法条約では、領海内にあっても無害通航にたいして強制的措置はとれないのだが、海警法では領海どころか彼らが勝手に決めた管轄海域で武器使用をするといっているのだ。
 日本の海上保安庁も自衛隊も、憲法に縛られて緊急事態への対応がまったくできない。 尖閣防衛は風前の灯なのだ。

 第二には未曾有の武漢コロナ禍だろう。憲法には首相や政府に強い権限を付与する緊急事態条項がない。
 コロナウィルス特別措置法ではなにもできない。できるのはメディアの言いたい放題と都知事のパフォーマンスぐらいか。菅首相も手足を縛られたままで、さぞ悔しい思いをしていることだろう。

 ようやく逃れられないと覚悟した立民だが、それでも国民投票法施行後3年をめどにCM規制を検討すると付則をつけた。目の前の危機に眼をつぶり、なんとか国民から投票権を奪おうと画策する立民は、維新がいうように「国民の敵」なのかもしれない。 
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2021年05月14日

会食・外食・飽食の戒め

安倍公房全集.jpg

 「なるべく飲食は控えていただきたい。」「とくにアルコールを含む飲食は絶対に控えていただきたい。」
 小池都知事はしたり顔に言い放つが、若者たちはならばと、コンビニの駐車場で、缶ビールや缶焼酎で団らんの時を開いている。
 マスクをして静かにメシを喰え、といわれても口にほうばる時はマスクを外さなければ生きていけない。

 ついこの間までは「サンミツ」を避けろと散々いわれてきたが、どうやら最近は「サンショク」を避けろといわれているような気がする。
 五木寛之氏は「会食、外食、えーっともう一つは食のつく言葉を考えていたら、好色」という言葉が頭にうかんだと 書いている。冗談だが、三つ目の食は「飽食」ではないか。息苦しい世になったものだ、とまとめている。

 知事はなんの対策も立てずに、一年猶予を過ごし、皆さんの行動こそがコロナの原因であるから、自覚して生きよ、と宣言している。外国からの汚染人を自由に入れておいて、村から一歩も出ていない日本人に責任を転嫁している。
 変な芸人とコマーシャルを流す金があったら、重症者のためのベッドに注ぎこんだ方が余程人助けになる。一年前には、アメリカのCDCセンターのようなものを作り、コロナ対策を進めるといっていたが、その気配は全く伺えない。 要はアノヒトはウソツキなのだ。

 「今度メシでも食おうか」というのが挨拶代わりだった時代があった。
 メシは付けたりで話をしよう、ゆっくりと意見交換をしようという意味だった。
 安倍公房に脚本を書いて欲しくて足を運んでいた時、「よし判った。明日バーヴェキュウをするので、メシを食べに来て欲しい」と言われた時の喜びは今も忘れられない。共に飲食をするというのは、心を許してくれた、というシルシだった。
 


 
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2021年05月11日

マネートラップにかかった三木谷浩史

テンセント.jpg 

中国政府が12億国民すべてのデーター化を完成させたのが、今年の2月だと言われる。
 中心になったプラットフォームは、巨大IT企業テンセントが開発したメッセージ・アプリ、ウィーチャット。中国政府はウィーチャット経由で、国民の会話、行動、思想を始め購買行動、財産、など総てを把握して監視しているということは広く知られている。
 つまりテンセントは中国政府の諜報企業であるということだ。

 そのテンセントから楽天は、657億の出資を受けた。
 政府関係者やメディアの警戒感の高まりについて、「……なにをそんなに大騒ぎするのか全く判らない」とうそぶいたのが、楽天の三木谷社長兼会長である。国家を守る安全保障について全く鈍感、というか無知には呆れる。
 資本を受け入れたからには当然の如く協業や提携に進んで行く。中国の一帯一路政策を見ればよく判る。わずかな穴を見つけ、インフラに入り込み、気がついたら港をそっくり取られた、アフリカ辺りの後進国にままある。

 中国の覇権主義に対する国際社会の警戒心はたかく、アメリカではアリババと共にウィーチャット使用禁止の大統領令まで出ている。
 こうした中国の意図について知ってか知らずか、金を受け取るということがなにを意味するのか、楽天の三木谷はより真剣にならなければならない。
 まさにマネートラップにかかったのだ。 
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2021年05月08日

軽井沢ぶんか組の5月16日

岳の幟.jpg

 軽井沢ぶんか組五月テーマは、
 「浅間山文化圏の祭り」の第二部、7月から12月の祭りをとりあげます。 
 室町時代にはじまる別所温泉の「岳の幟」に始まり、小諸「建速神社の暴れ神輿」上山田の「芸者衆を乗せた勇獅子」等々、雨乞いから病魔退散、今風にいえばコロナ退治、神様お引越しの「下諏訪のお舟祭り」「八幡の八朔相撲」「諏訪の十五夜相撲」などの相撲神事、さらに「犀川の和式花火、綱火」など他にはないむかしながらの花火など、信州ならではの祭りが登場します。
 東信最大の更埴「武水別の頭人祭」なども荘園時代の名残とて、興味をもってみられると思います。 
 
 映像とトークの五月のぶんか組是非お待ちしています。

 期日……5月16日 14時から  会場 軽井沢東雲(しののめ)交差点東 カフェ来実 ☎0267-31-5110
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局留になった市川海老蔵

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 團十郎事務所から事務所移転の知らせがきた。
 團十郎事務所すなわち海老蔵事務所である。青葉台のあの由緒ある團十郎家を棄て、移転することになった、とある。
 因みに青葉台には江戸歌舞伎の宗家といわれる團十郎と舞踊市川流のための立派な舞台があった。

 ご案内にはその舞台の行方も、市川流の移転先も、事務所の行方も、書かれていない。 人気役者海老蔵のことだから、更に立派な舞台のある團十郎本家を建設するのかもしれない、と解釈したが、そんなことはどこにも書かれていない。
 移転の理由が振るっている。コロナだからすべてリモートにするため、と記されている。團十郎本家の移転とはなんの関係もない。
 ましてや芝居の稽古場も市川流舞踊の稽古場も、事務所の行方もわからない。住所が書かれていないのだ。郵便物はすべて目黒郵便局局留、メルアドだけが書かれてある。クロネコも佐川も受け取ることはできない、とある。本人の住所は非公開でいいが、事務所の存在は社会との接点である。

 デジタル時代になって、住まいはメルアド、住所不明世代が増えている。
 軽井沢でも先の町長選挙に立候補した女性がいた。自分の住所をあかさないのだ。痴漢やパパラッチに襲われるかもしれない、という理由だったが、住民が住所不明の町長を選ぶわけもなく落選した。
 住所は社会人としての責任証明でもある。それが理解できなくて町長に立候補しようというのだから、何おかいわんやである。

 そうした非常識が役者にまで蔓延したかの思いである。
 女房の癌ものがたりや、息子、娘のファンならばいざしらず、昔ながらの成田屋贔屓にとっては訳がわからない。歌舞伎ファンも、成田屋ファンもいらない、これからはテレビ人気の歌舞伎知らずのファンさえいてくれれば、の思いかもしれないが、それではいつまでも続かない。テレビで得た客はまもなく雲散霧消する。テレビは落日のメディアなのだ。
 歴史に名を遺す名門市川團十郎の名前が泣いている。 

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2021年05月06日

神流川に伝説の鯉のぼり・800匹

神流川の鯉のぼり.jpg

  子供の頃、端午の節句が近ずくとあちこちの庭先に鯉のぼりが上がった。今ほどに電線が多くなかったような気がする。
 鯉はのびのびと青空にひるがえっていた。本郷でも荻窪でも、鯉のぼりのための青空があった。それがいつの間にか姿を消し、アパートやマンションの窮屈なテラスにぶら下がる小さな鯉のぼりの模型のような鯉にかわった。

 軽井沢に移り住んでから、さあこれからは大きな「鯉のぼり」がみられると思ったら、町中どこにも鯉のぼりはあがっていない。地元の人も別荘族も、子供の成長よりはスーパーの品揃えのほうに気がとられている。選挙になるとスローガンには、「子育てのしやすい町に」とか「子供のための補助金を」とか、子供子供と連呼するのだが、「鯉のぼり」を上げて「祝おう」とか、「祈ろう」といった心はもちあわせていない。 

 群馬のチベットといわれている神流川の上流に、日本一の「鯉のぼりの里」がある。
 毎年五月になると山頂から対岸の静かな町に向かって8本のケーブルが張られる。一本のケーブルに100匹の鯉が繋がれ、合わせて800匹の鯉が神流川の空に泳ぐ。この鯉のぼりを支えているのは、僅か1700人しかいない神流町の人々、鯉のぼりの準備には、この町のほとんどの人がでて手伝う。100人たらずの神流の子供たちは、800匹の鯉に喜び、踊り、励まされて育つ。一生の宝物がこの「鯉のぼり」である。

 チャイナ・コロナのお蔭で今年は中止になった。この地で鯉のぼりを上げて信州討伐に及んだと伝えられる日本武尊もさぞや落胆していることだろう。
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2021年05月05日

危ないコロナ世代のお医者さん

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 ワクチンを打つ医者や看護師がいない、足りないと騒いでいるが、医療の世界でいま最も危惧されているのは、アフター・コロナになったとき若い医者たちが使えるか、どうかの危機感だという。
 医者教育の基本である「臨床実習」がまったく出来ない。医学部の最終学習は、基本となる内科、救急、外科、小児科と任意の診療科を選んで2000時間ほどの臨床実習をする。そこで医師の診察、患者をの様子をまじかに見て、体感学習することから医者の第一歩が始まる。

 武漢コロナの影響でそれが全くできなくなった。 多くの医学部がオンラインに切り替えた。文科省は臨床実習がなくとも必要単位さえあれば、国家試験の受験資格を認めるといっているが、現状では学生自身が不安だといっている。診療も回診の経験もなく、ペイパーだけで医者になっても困るのは本人だし、患者にとっても不安になる。
 コロナがなくとも、近頃の医者は余り患者と対面せずパソコンのデータばかり見ている診療が多い。なんのために予約して病院にきたのか判らないことが多く、患者は不安になっている。

 臨床実習がないぶんオンラインの座学で、かえって国家試験の成績は良くなるだろうという、冗談がまかり通っているという。 文科省は自慢げに心配ありません成績優秀な医者ばかりですというかもしれないが、問診も回診も手術も見たことのない若い医者では、やはり「危ないコロナ世代」「使えないコロナ世代」と言われるだろう。
 医者のオンライン教育だけはご遠慮したい。
 
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2021年05月04日

孤独な軽井沢のコブシ

コブシの花.jpg

 桜に先駆けて咲く花……コブシ。
 こぶしは軽井沢の町花になっているので、町内のどこかの公園に行けば見られる、と思っていたら誤算だった。
 町はグランドデザイン100年計画とか、打上げ花火のようなことは大好きだが、町花の公園を整備しようとか、コブシの道をつくろう、といった自然景観には興味をしめさない。

 春がきたというしるしのコブシの花が見たくなったら、筆者は銀座へいく。東京の銀座である。
 西銀座のコリドー街へいくとコブシの道がある。背景は味気ないコンクリートの塊だが、みどりの充満する軽井沢にそうした並木道がないので致し方ない。コリドー街のコブシたちは、白い香りを道いっぱいにただよわせ春をしらせている。

 雄しべに囲まれて一個の花に雌しべが沢山ついているのは、原始的な花の証拠だそうだ。弥生、縄文の遺跡から発掘された種が発芽した例もあるという。

 信州ではコブシの咲く頃、花桃の美しさが話題になる。南の果ての阿智村・昼神温泉郷に近く一キロ近く土手を埋め尽くして花桃が咲き乱れる。その美しさは千曲川の菜の花畑も、更埴のあんずも敵わない。昼神温泉の人達はほんとうに花桃を愛しているという心意気が伝わる。
 時を超えてよみがえる縄文の花、軽井沢のコブシは寂しい思いをしていることだろう。 
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2021年05月03日

LGBT先進国のニホン

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 この国はLGBT後進国だと朝日新聞はいうが、とんでもないことだ。
 歴史をひもといてみれば、後進国どころか先進国だということが良く判る。

 足利義満の衆道(男色)によって世阿弥の能が保護され、今日まで能楽が生き残っている歴史は広くしられている。 
 真言宗の開祖空海も山にこもって修行する僧たちに男色を公然と許したし、浄土真宗の祖親鸞も禁欲することだけが修行ではなく、女色も男色は無論のこと肉も多いに食すべしと説いた。
 イエズス会のザビエルが、大名大内義隆に向かって「ソドミズム男色は許されない」と説教したところ、逆に「他人様の性の好みについてとやかく言うな」と叱責され、ザビエルはのちに詫びをいれ、大内から今の山口市の大道寺を与えられ、布教の場としたちいう逸話もある。

 出雲の阿国に始まる歌舞伎の歴史も、女色、男色を除いてはかたることができない。 四条河原の女歌舞伎は遊郭の張り見世状態となり30年ばかりで風紀紊乱の咎で禁止され、ならばと登場した若衆歌舞伎も当時武士のみに流行っていた衆道をひろめ、稚児風俗の妖しげな男色をひろめたので、幕府の怒りにふれた。
 今日、世界にほこるにほんの歌舞伎も、女形という女装した男役者の存在で世界中のLGBTから好奇の目をもってみられている。 衆道専門の陰間茶屋も湯島、芝神明、日本橋芳町などに戦前まで賑わいを見せていた。

 法律に書かれてないから後進国だというような幼い議論ではなく、現実の生きた歴史を見た時にまったく逆の現実が見えてくる。それこそが正しい歴史認識であり、生きた学問ではないかと思う。おかまタレントがおかま故にどうどうとテレビ番組の正面に出ている国は、世界中さがしても数か国しかない。
 あらためて日本はLGBT先進国である。
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2021年05月02日

「TELハラ」馬鹿馬鹿しいハラスメント

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 「TELハラ」なる新しいハラスメントが話題になっている。
 新入社員に対し、電話をうけることを強要してはいけない、ということらしい。ましてや電話番などという言葉はとんでもないという風潮があるらしい。あちこちのワイドショウが食いつき、「もともと電話になれていない世代なので、電話がなると緊張し、ストレスを受ける」と若者に迎合、職場における「TELハラ」撲滅にたちあがった。

 呆れた話である。「そんなもの、いちいちハラスメントといって騒ぐ話じゃない。電話を取らせるのは新入社員教育の一環。電話番すらできない社員は即座にクビだ」という勇ましい意見もある。現実に筆者の事務所が六本木にあった頃、新入社員のもっとも重要な作業域として電話番をあげていた。そうすることによって自己の作業環境がわかってくるし、スタッフ、タレント、クライアントとの付きあい方を覚えていくのだ。

 メールやチャットが当たり前の時代になっても、人間の声に接し、そこから反対賛成、喜怒哀楽の感情を読みとり、会話していく能力は絶対に必要なのだ。そのためのトレーニングこそが「電話番」である。

 なんでもかんでもハラスメントといういまの社会の風潮はおかしい。
 森喜朗元総理にたいする「ジェンダー・ハラスメント」はいい例である。現実にあった事象について述べたにもかかわらず、メディアと世論が一体化してひきずり降ろした。
 一生懸命努力していた老人の実像に眼をつむり、言葉尻をとらえてハラスメン化する、いつから日本人はこんな愚かさを身につけたのか。
 
posted by Kazuhiko Hoshino at 12:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする